映画館の少女
「武志様、こちらは出来立てのオムレツでございますわ。お口を開けてください」
「ん? うまそうだな! もぐ、もぐもぐ……やっぱりフリージアの出来てたのメシはうまいな」
「こちらは揚げたての唐揚げもございますわ。わたくしがふぅふぅして差し上げますわ」
「というか、フリージアも食べろよ。今日から同じクラスメイトなんだからさ」
一回戦目を終えて、二回戦目は相手が棄権をして不戦勝。そして俺たちFクラスの面々は少し早い昼食を取っているのであった。
Fクラスの面々の視線はなぜか俺に集まっていた。
なんでだ? フリージアの紹介はさっきしたばかりだ。
みんな驚いていたけど快く受け入れてくれた。
特に玲香と天童が驚いていた。
玲香はフリージアが苦手だからな。
杏がわざとらしい咳払いをする。
「に、にしし、二人は妙に距離が近いのさ。……ぴったりくっつきすぎじゃないのさ?」
確かに俺とフリージアの距離感はゼロに近い。
今も身体がべったり触れ合う距離でご飯を食べている。
フリージアが冷ました唐揚げを俺に食べさせながら杏の質問に答える。
「あら? メイドとしてクラスメイトとしてわたくしのとっての普通の距離感ですわ。……よろしくて?」
「う、うん、僕は別に構わないのさ。ね、龍ちゃん」
「お、おう、見てて胸焼けしそうだけどな。……おい、狭間、お前はエロい目でフリージアを見てんじゃねえよ!」
「べ、別に見てないよ!? ……あ、あ、あのさ、フリージアさんって、田崎フリージアでいいんだよね?」
「あら、名乗ってなかったのに私の名字がわかるのですね?」
フリージアが狭間をチラ見すると、狭間は震え上がった。
「あ、いや、気にしないで……。(ループの時に高確率で現れるヤバい人だ。老執事と一緒に学園を破壊しまくって……。でも今回の田崎さんは様子が違う。あの時は悪魔のように残酷だった……)」
確かに俺達の距離感は少しばかり近いかもしれない。
……でも俺たちは恋人ではない。
なんて説明すればいいのだろうか?
正直、フリージアの事は大好きだ。目の中にいれても痛くない。隣にいることが自然過ぎて、フリージアが人生の中でいなくなるなんて想像できない。
スラムで死にかけた俺を見つけてくれたフリージア。
俺は抱きしめられながら、よくわからない感情が腹の底でうごめいていた。
あれ? あの感情ってなんだったんだ? よく覚えてねえな。
……天童じゃねえけど、記憶喪失か?
何にせよ、フリージアは俺にとって家族同様、世界で一番大切な人だ。
順位なんてつけられねえ。
俺がもぐもぐと唐揚げを食べていると、玲香が突然立ち上がった。
「どうした? トイレか? 校舎は危険だから俺がついて行ってやるぞ」
「ち、違うよ! え、えっとね……。フ、フリージアばっかり……ずるいよ!」
俺とフリージアが顔を見合わせた。
「ずるい?」「あら? そうなのかしら?」
俺とフリージアは似ている。人の感情に鈍感だ。
だから、ガキの頃はたくさん失敗したんだけどな。
「え……? こ、こいつら全然気にしてないじゃん……。れ、玲香さ、家でもこんないつもこんな感じなの? 前行った時はフリージアさんとの絡みはなかったけど……」
アジのフライを手づかみで食べていた天童が口を挟む。
玲香は首をかしげた。
「ううん。こんな二人は見たことないよ! ……あっ、そういえば、お兄ちゃんが行方不明になって時、フリージアは……」
玲香は口元をモゴモゴさせながらフリージアを見つめる。フリージアの表情から何かを感じ取ったんか、なにやら複雑な表情になった。
「……ふ、ふん。べ、別に今日はお兄ちゃんに甘えてもいいよ! ……お、お兄ちゃんはみんなのお兄ちゃんだもん!!」
「いや、ちげえと思うぞ」
「お兄ちゃんは黙ってフリージアに優しくしなさい! この甲斐性なしお兄ちゃん!!」
「え? お、おれ、なんで怒られるの?」
フリージアが俺の髪を優しく撫でる。
「ふふっ……、武志様のおかげで玲香様も立派でお優しいご令嬢になられたわ」
「べ、別に令嬢になんてなりたくないもん! そ、そんな事より、午後の試合はどうするの?」
玲香は恥ずかしさを隠したいのか、話題を変えた。
……そっか、たしかに玲香は成長したな。
前だったら、機嫌が悪くなってフリージアに向かって暴言を吐いていたかもしれない。
俺は立ち上がって玲香に唐揚げを口元に運ぶ。
玲香は反射的にそれをパクっと食べる。
もぐもぐしている玲香の頭をなでながら俺は言った。
「玲香、無理しすぎるなよ。いつでも甘えていいぞ」
玲香は小さく頷いて顔を赤くさせるのであった。
「ほえ? 棄権? なんで?」
昼飯前に俺と杏が話し合った事をみんなに伝えた。
龍ケ崎の膝の上で寝ている戸隠は後で説明すればいい。
職員室で居場所がない百田先生に目配せをする。
先生はうなずく。
「もう俺たちは最下位じゃない。……多少のラフプレイはあったがルールに抵触するほどじゃねえ。――で、午後の対戦相手は三年S組からだ。ここで無理する事はねえ」
これが一年S組だったら話は違う。全力で叩き潰す。だが、相手はこの学園のキングである三年S組だ。仲間に無駄な怪我をさせたくない。
現状で三年の相手をできるのは、俺とフリージア……、あとは多分、狭間だけだ。
それに――
「そうね、無理して目立つ必要もないわね」
天童の言う通りだ。ここで目立って他のクラスに目の敵にされても損をするだけだ。
「だから、今日はもうおしまい。サッカーしたかったらみんなでラウンドワンに行こうぜ!」
俺たちの球技大会は終わった。実際の競技は続いているけど、棄権だから関係ねえ。
反対するクラスメイトは誰もいない。
俺たち教室から出ていった。
こんなに大人数で下校するなんてこのクラスになってからだ。
転校する前の小学校では、幼なじみの天童と一緒に帰っていたんだよな。転校してからは友達は誰もいなかった。
フリージアとの追いかけっこやツンツンしている玲香との絡み、天童の意地悪な嫌がらせしかなかったな。
一人でいても寂しいと思わなかった。
クラスメイトに馬鹿にされてもどうでも良かった。
スラムに放り出されても事件に巻き込まれても、俺は淡々と生き延びる事だけを考えていた。
いろんな事が積み重なって、今の俺は昔とは違う。
隣にはフリージアがいて、玲香がそこに割り込んで腕を掴んできて、天童がツンツンしながら俺に文句を言う。
龍ケ崎は戸隠と猫ちゃんを追いかけたり、狭間と杏は無駄に高度な数学の話をしている。
百田先生は俺たちを見守りながらも微笑んでいる。
すごく平和で幸せだ。
こんな日常を送りたかった。
これからもずっとこんな日常を送りたい――
……人が集まると人間関係で崩れる。
学校でも学園でもスラムでもそれを見てきた。
人それぞれ事情というものがある。
だけど、このFクラスは壊したくない。
それだけが俺の願いだ。
――俺が誰かを恋することはない。
人を好きになる。というのは理解できる。俺も淡い初恋を経験した。
玲香や天童からの好意というものを感じ取る事ができる。鈍感を装うが今はその時じゃない。
いつからだろうか? 人を好きになる事が怖くなったんだ。
……本当はいつからかわかっている。
あのスラムでの映画館で、あの子を看取った時からだ。
俺の恋は報われない。
俺が好きになると不幸になる。
だから、俺は人を好きになっちゃいけないんだ。
俺たちに向かって歩いてくる少女が見えた。
フリージア以外誰も気にしていない。
俺の全身に鳥肌が立つ。
少女は歩みを止めない。まっすぐに俺を見つめいている。
あの時の記憶が乱れている。
確かに俺は看取ったはずだ。血を吐き出して眠るように死んだはずだ。
俺は見たくもない映画を全部見た。
悲しみが抑えきれなかった。
――余命一年半の陰気な少女は余命前に死んだ。
頭が砂嵐のようにざわつく――
あの時あの子の死体はどうなった? 記憶がない。
あの子は本当に生きていたのか?
「……武志様」「お兄ちゃん?」
「悪い、先に言っててくれ。後から追いかける」
フリージアと玲香だけが俺の異変を感じ取る。だが、俺の言葉の強さを感じ取って、大人しく先に行ってくれた。
あの子はまるで道端で出会った旧友に挨拶するように声をかけてきた。
「久しぶりですね。えへへ、ミユキは死に損なっちゃいました……」
俺の思考が高速回転する。様々な仮定を組み上げるが、どうしても理解できない状況だ。
「あっ、本当に私だって信じてませんね? もう、最後に一緒に映画を見ましたよ」
「あ、ああ……。でも――」
「相変わらず理屈っぽいですね。……大丈夫です、私、余命があと一ヶ月ですもん。……最後にあなたと『一緒にいたくて』――」
スラム堕ちしてからこの少女はずっとそばにいてくれた。兄貴分のガトーと一緒に。
俺たち三人は必死でスラムで生きていた。
ミユキは不思議な病気にかかっていて、余命があと一年半しかなくても、いつも笑顔でいてくれた。
初めは人見知りで全然話してくれなかったけど、段々と心を開いてくれて――
『いつか東郷と一緒に区内へ行きたいですね! その時は一緒に映画観ましょう!』
せめて映画を観る夢だけを叶えようとした――
賀東ミユキ。
俺が二度目に愛した人。初恋とは違う二度目の恋心。
俺の片思いだった。
何度も告白したのに、『私が東郷の事を好きになる事は絶対ないですよ。……天地がひっくり返ってもありえません。でも、気持ちだけ受け取っておきます。ごめんなさい』
ミユキは最後まで俺を拒絶した――
切ない失恋だったんだよ。
だからミユキは余命を理由に俺と『一緒にいたい』なんてセリフは言わねえ。
眼の前の少女はじっと俺を見つめている。
姿形はミユキそのものであった。
ふと、俺の耳元で声が聞こえたような気がした。
はっきりとは聞き取れなかったけど……、ミユキの好きなラベンダーの匂いを感じた。
(――最後にずっと一緒にいられたから満足ですよ。ありがとう……、これからも見守っていますよ)
ありがとう。何故か感謝の気持ちが俺の中に入り込んできた。
そっか、ミユキは死んでもそばにいてくれたんだな。……何度も死にそうになった時は心の声の言う通りにして生き延びたもんな。
俺の方こそありがとう。
俺は大きく深呼吸をする。
見えなかったものを感覚で捉える。
気配を変えずに俺はミユキと名乗っている少女に近づいた。
「逃げろ、あやめ!!!」
「へっ……?」
ミユキに扮した鬼瓦あやめの頭をつかむ。
隠れていた九条が襲いかかろうとするが、鬼瓦の状態を見て躊躇する。
「そうだよな、ミユキはお前の妹だったからな。ははっ、まさかそこまでそっくりに化けるとは思わなかったぜ。しかも、二人だけの思い出のはずが、なんでお前らが知ってる? スラムのアイツラに聞いたのか? なんだ、ミユキのフリをして油断した俺をぶちのめそうとしたのか?」
「……くっ、あ、あんたがあーしの妹を見殺しにしたんでしょ!! あんたを苦しめてぶち殺したいのよ!!!」
「そうか、ならここでお前らは死ね」
鬼瓦の頭がミシミシと音が鳴る。このまま砕いてしまえ。
怒りというものは限界を超えると透明な色になる。
周りの音が聞こえなくなり、一点だけを見つめてしまう。それでいて全てを俯瞰して認識しているような気がする。空気中のホコリでさえ見える集中力が宿る。
この前みたいな遊びじゃない。
九条は俺の変化を悟った。苦しい顔をしている。
自分を犠牲にして鬼瓦を逃がそうと動く。
俺が鬼瓦の頭を潰す方が早い。
――その時、ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。
(――もう、そんな事は駄目ですよ。学生なら学生らしく試験で勝負するのですよ)
駄目だった。ラベンダーの香りと一緒にその声をはっきり聞いたら悪意も敵意も霧散してしまった。
「げふっ……」
「あやめ!!」
俺は鬼瓦を落とした。
もうどうでもいい。
「……今日はミユキの顔に免じて見逃してやる。……次はない」
言いたい事は山程ある。だが、今はこの言葉しか出ない。
俺は鬼瓦ではなく、九条を射抜く。
九条は苦い顔をして小さく頷く。
鬼瓦を支えて足早にこの場を去っていった。
俺は一人、道路の真ん中で慟哭をあげる――
スラムにいた時はミユキの死を悲しむ余裕さえなかった。
今になって悲しみが押し寄せてくる。
雨は土砂降りへと変わり、俺はずぶ濡れとなる。
薄汚れた俺は平和に生きる資格はないのか?
思い出をけがされて耐えることしか出来ないのか?
地面に拳を叩きつけたくなった。
それでミユキが戻ってくるわけじゃない。
ふと、雨を感じなくなった。
後ろから誰かが傘を指している。そんな事もわからないほど、俺は悲しみに打ちひしがれていたんだ。
「……武志、あんたもうちょっと泣いてなさいよ。たまにはいいんじゃない」
天童が遠くを見ながら俺に言う。
こいつらの前で泣いてられねえ。
「だいじょ――」
「大丈夫じゃない。あんたは行方不明から帰ってきてからずっと強がってたの。感情を吐き出さなきゃ人間って壊れちゃうのよ。ほら、あいつらには弱いところを見せたくないでしょ? わ、私はいいのよ。……そ、その、色々あったから」
「天童……」
もしかしたら、俺だけ成長していなくて、天童も玲香に追い越されていたのかもしれない。
短絡的に人を排除する。という思考が間違っている。
「あ、ラベンダーの匂いがするね。なんだろ? 良い匂い……」
天童はただそばにいてくれる。
俺はミユキとの思い出を吐き出すように静かに泣き続けた――
(もう、大丈夫だよ。……またね)
なぜだかミユキの声がさっきよりもはっきりと聞こえるような気がした……。
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