義妹


 先生との打合せも終わり、私、天童玲香はお兄ちゃんが待っているはずのFクラスへと向かう。


 ……あんまり一人で学園をうろうろしたくないな。


 職員室を出て、校舎内を小走りで突き抜ける。

 同学年の女子からの視線が怖い。

 ヒソヒソと私の事を何か言っているように感じてしまう。


 お兄ちゃんと一緒にいる時は何も感じなかった。

 お兄ちゃんがいない時の自分を思い出してしまう……。


 女子生徒が通るたびに身体がビクついてしまう。笑い声を聞くとあの時の嫌な気持ちが蘇ってしまう。


 呼吸が浅くなってきて……。

 苦しい、どうしよう……。


 廊下の壁に手をついて少しだけ休む。


「……東郷さん、大丈夫か?」


「ひ!? ……あっ、ヒカリさん」


 声をかけられて驚いたけど、女装姿の花京院ヒカリさんだったから良かった……。

 あんまりSクラスには良い思い出はないけど、ヒカリさんはマックナルドで私に謝罪してくれた人。


「……ここで少し休むといいよ」


 ヒカリさんはそれっきり何も言わずに私のそばにいてくれた。多分、他の生徒からの視線を守ってくれているんだろうね。


 ほんの少し気持ちが楽になった。


「う、うん、もう大丈夫。えっと、お兄ちゃんが待ってるからもう行くね」


「……わかった」


 私はFクラスに帰るために歩き始めた。

 背中にはヒカリさんの見守っている視線を感じる。


 Fクラスまではほんのちょっとの距離しかないのに、すごく遠く感じるよ。お兄ちゃん、私、こんなに弱かったんだね。




 お兄ちゃんが行方不明から帰ってきてから、まるで夢のような日々であった。

 ずっと、ずっと、ずっと逢いたかった。

 いつか夢が覚めそうでこわかった……。


 私は人とどうやって接していいかわからなかった。正直いまだにわからない。

 お兄ちゃんが行方不明になる前は、全部の不満をお兄ちゃんにぶつけていた。本当はそんな事したくなかった。


 お兄ちゃんに当たっている自分が大嫌いだった。


 だから、お兄ちゃんがいなくなったのは私のせいだと思った。だって、私が財布をなくさなければ……。探しに行ってって言わなければ……。


 お兄ちゃんがいなくなってから、私は初めて本当に大切な人が誰だかわかった。

 ご飯を食べても美味しくないし、テレビを見てもつまらない。学園に通っている意味さえわからない。


 無気力で何もしたくなかった。消えてなくなりたかった。


 クラスでいじめられても何も感じなかった。ううん、感じないふりをしていたんだ。

 お兄ちゃんを行方不明にさせちゃった罰だと思っていた。


 クラスメイトたちは無気力な私を不気味がった。

 いじめられても何も抵抗しない。だけど、知らぬ間に私の心はもっとすり減っていたんだね。


 ……時折思ってしまう事がある。そんな私がお兄ちゃんを幸せな日々を過ごしていいのかな? って。


 私はお兄ちゃんが大好き。これがどんな感情かわからないけど、お兄ちゃんがいてくれたらそれでいい。


 だから、お兄ちゃんには幸せになって欲しい……。

 わたしは……、ただの妹だから……。



「おーい、玲香? 泣いてんのか? 誰に泣かされてんだ? お兄ちゃんに言ってみ」


「へっ? お兄ちゃん?」


 ここはFクラスじゃない。校舎内の廊下。

 何故かお兄ちゃんが私の目の前にいた。


「Sクラスか? Cクラスか? それとも他のクラスか?」


「べ、別に泣いてないもん! え、えっと、色々思い出しちゃっただけ。お兄ちゃんには関係ないもん!」


「そ、そうか……」


 お兄ちゃんは少し寂しそうな顔をしていた。

 私のバカ……、なんでこんな言い方しか出来ないのよ。

 本当はもっと素直に甘えたい。お兄ちゃんは前と同じ口調でいいって言ってくれたけど、自分を変えたい。


 お兄ちゃんは私の手を取った。


「ほれ、迷子になるからな! 早く行こうぜ!」


「う、うん、あれ? 菜月は?」


 最近菜月は妙に色っぽくなった。お兄ちゃんを見る雰囲気が以前と違う。雌の匂いを感じる……。

 お兄ちゃんは微笑しながら私に言った。


「菜月はみんなとカラオケ行くって言って帰ったぜ」


 あれ? お兄ちゃんが菜月の事、菜月って言ってる……。すごく自然で口調からは今までとは違った親愛を感じる。


 私は思わずほっぺたを膨らませてしまった。


「むぅ、お兄ちゃん、菜月とイチャイチャしてたの! なんでいつも女の子とばっかり仲良しなの!」


「い、いや、別にそんな事ねえっての!?」


 お兄ちゃんは本当はすごくモテる。

 小学校の時も中学の時も、お兄ちゃんは陰でモテモテだった。

 だって、お父さん直々の教育を受けていたもん。小学校の頃に大学生の問題を解いたり、特殊部隊? とか言うところに合宿に行っていたりしていた。


 ……それに比べて私は何もできない本当の無能な子供。


「おい、機嫌直せって。帰りにアイス買ってやるから」


「……べ、別にアイスなんて欲しくないもん」


 アイスなんて本当にいらない。お兄ちゃんだけがそばにいてくれればいい。

 そのためなら私はどんな努力だってする。

 私はFクラスを、というよりもお兄ちゃんと一緒にいる場所を守る。


「そっか、まあいいや。とりあえず帰ろうぜ!」


「う、うん」


 こうして、私達は家へ帰る事にした。






「なんか、今日は静かだな。まいっか、ほら、アイスだぜ」


「う、うん、ありがと……」


 結局わたしたちはアイスクリーム屋さんに寄り道をした。

 私のお腹が鳴ったからだ……。

 私達は店前のベンチに座る。


「美味しい……」


「そうだろ? ここのアイス超うまいんだよな」


 私は多分不器用な子供なんだろうね。幼い頃からずっとそう。

 お兄ちゃんが出来て本当に嬉しかった。

 一緒にやりたい事がたくさんあった。

 リストだって作った。


 それなのに、いざお兄ちゃんに話しかけようとしても、言いたい事の半分も言えなかった。

 むしろ反対の態度を取っていたと思う。




 学園帰りに寄り道をしてアイスを食べたかった。

 朝、一緒に登校したかった。

 テストの結果どうだった? とか、お互いの近況を話したかった。

 二人でお茶をしたかった。

 一緒に映画を観たかった。

 遊園地に行きたかった。

 誕生日を祝いたかった。


 全部、全部、自分のせいで台無しにしちゃった……。

 後悔してもしきれないほど自分を恨んだ。

 時間は二度と戻らない。全部手遅れなんだもん……。



 だから、お兄ちゃんが私のお誕生日にお財布をプレゼントしてくれて、ものすごく嬉しかった。毎日お財布を眺めてウキウキしていた。寝る時も横に置いて大切にしていた。



 ……遊園地。

 お兄ちゃんと初めてのテーマパーク。

 私はお兄ちゃんとどうにか一緒に回れるようにしたんだ。


 すごく楽しみだった。前の日は嬉しくて寝れなかった。


 ――今度こそ、素直になろうって決めたのに……。


 わたしが、財布を落として……


「玲香?」


 わからないよ。なんでこんなにお兄ちゃんは優しいの? 私は本当に馬鹿で駄目で、迷惑ばかりかけているのに……。


 いつの間にか視界が滲んでいる。

 それでも私は口を開く。


「な、んで、そんなに優しいの……ば、か」


 そんな言葉しか出なかった。だけど、私なりに精一杯の感情を込めた言葉。

 私は大切な財布を握りしめていた。


「私は素直になれな――」


「玲香」


 お兄ちゃんは私の言葉を遮った。

 そして、私の手を握る。


「あのな。ガキの頃の話だろ? もういいんだよ。確かにあのときの玲香は反抗期って感じだったけど、学園でお前しか俺の相手してくれなかっただろ? だから俺も寂しくなかったぜ」


「で、でも……」


「あのな、お前は自分が変わってないって思ってるかもしれねえけど、話し方も性格も変わってんぞ。超可愛くなってんぞ」


「ふえ? そ、そんな事……」


 私の中の記憶のファイルが一斉にオープンする。

 ……あっ、ほ、本当だ……全然変わってるかも。


 すごく子供っぽくなってる……。

 それに、記憶の中の私の心と、今の私の心が違う。あれ? これってお兄ちゃんと一緒に観ていた恋愛映画みたいな……。


 あれれ? おかしいよ!?


 お兄ちゃんの事は好きだ。でもその感情は言葉に言い表せなかった。


 お兄ちゃんと一緒にいると、胸が締め付けられるような気持ちになる。ドキドキするのに心が落ち着く。ずっと一緒にいたいっていう気持ちになる……。


 これって……もしかして、私……、お兄ちゃんの事……。


「どうした、玲香? 顔が随分赤いぞ?」


「べ、別に赤くないもん! お兄ちゃんの目の錯覚だよ! ね、ねえ、帰ってサッカーの練習しようよ!」


「おう、そうだな!」


 お兄ちゃんは笑顔で私に答えてくれる。

 こんな幸せは無限じゃない。だから私は二度と後悔しない。



 私、お兄ちゃんの事が――好きなんだ――

 初めての恋を知った瞬間だった――








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