台無しにした代償


 マックナルドの帰り道、俺は寝てしまった玲香をおんぶしながら夜道を歩く。

 天童は仕事があるからと言って先に帰ってしまった。


「むふぅ……、お兄ちゃん……、どっか、行っちゃ、駄目、だよ……」


 耳元で寝言を言う玲香。子供の頃は正直、鬱陶しい妹だと思っていた。

 どんな事を言っても否定で言葉が返ってくる。それが構って欲しい気持ちの裏返しだなんて子供心にはわからなかった。


 ずっと反抗期だったんだろうな。そんな不器用な玲香はずっと一人ぼっちだった。

 本当はみんなと仲良くなりたいのに、どうしていいかわからない。

 流行りのモノをみんなが学園に持っていくと、玲香はもじもじしながら俺に買いに行かせた。

 結局、恥ずかしくてそれを持っていけない。

 部屋で俺にそれを見せびらかして自分の心を満たしていたんだ。


 俺は俺で、行方不明になって、初めて玲香の存在の大きさに気がついた。

 玲香がいなかったら俺はこの場所に帰ってこれなかった。


 玲香のスマホがピロロっと鳴った。寝ぼけ眼の玲香がスマホを取り出す。

 玲香の身体が硬直したのがわかった。


「玲香、どうした? 龍ケ崎とメッセージ交換でもしたんか?」


「う、うん、そんな感じだよ。……降りるね」


 玲香の雰囲気が昔に戻ってしまった。……俺はそんな玲香を見たくない。

 玲香はスマホを握りしめたままその場から動かない。


 さっきまで輝いていた瞳に色がない。俺はそんな玲香を見たくなかった。

 玲香には笑っていてほしい。……不思議なもんだ。俺がこんな事を思うとは思わなかったな。


「お、お兄ちゃん、私部屋戻ってるね。じゃあね!」


 玲香は足早に屋敷の中へと入ってしまった。


 俺はその場で玲香の背中を見送る。


「田崎、どんな事があっても玲香を部屋から出すな。俺が迎えに行くまで誰も部屋に入れるな」


 どこからともなく田崎が現れる。


「かしこまりました、武志様」


 田崎は恭しく俺に礼をして再び消える。

 ……嫌なメッセージは俺のメッセージで埋め尽くすか。


 歩きながら玲香にメッセージを送り続ける。今はそんな事しかできないけど、いつも俺が隣にいるって事をわかって欲しい。


 その時、玲香ではない宛先からメッセージを受け取る。

 俺はそのメッセージに書かれた住所まで向かうのであった。











 学園近くにある神社。

 薄暗い境内には数十人の人影があった。あの学園の男子生徒は一人もいない。チンピラみたいな奴らだ。

 その中の一人である禿げたおっさんが前にでる。


「おうっ、お前が東郷だな。……はぁ、なんだってこんなガキをいたぶらなきゃいけねえんだよ」


「なら妹が心配だから帰っていいか?」


 男が頭をガリガリとかく。明らかに裏の世界の人間だ。


「まあ仕事だからな。最近のガキはひでえな。喧嘩に本職使うんじゃねえよ。ったく、気前良すぎんだろ。俺の名前は山田。嬢ちゃんは随分とお前を警戒してたけど、素人じゃねえか。勘弁してくれよ……」


 その時、俺のスマホに着信が来る。知らない番号だ。山田は手をひらひらさせて電話に出ろという意思表示をする。


『あっ、もしもしー、あーしの事わかる? 鬼瓦あやめよ。ねえ、ビデオ電話にしてくれない?』


 俺は無言でスマホを操作する。

 そこには廃ボーリング場のようなところで、レールの上に座らされている玲香の姿があった――


『見えた? ていうか、まだ何もしてないっての。これからするけどね!! ふふっ!!』



 俺を囲むチンピラたち。

 山田は申し訳無さそうに言葉を吐き捨てる。


「わりいな、あんちゃん。妹さんも可哀想だけど、自分の心配もしな」


 画面に映し出されている玲香の姿。そして、鬼瓦あやめと、数十人の女子生徒たち。

 知らない顔も多い。男子生徒は誰もいなかった。


『なんでこんな事をする。お前と玲香はもう関係ないだろ?』


『はっ? 玲香はあーしたちのクラスのおもちゃじゃん。てかさ、今日はあんたにも玲香がどんな風にいじめられているか見せてあげようと思ってさ、あはっ! あんたは山田と遊んでなよ。そいつマジでやべえから』


 今日は良い日だった。

 玲香が朝から笑顔で天童というポンコツな友達も出来て、クラスでも仲良くできそうな女の子たちもいて、マックナルドではポテトを美味しそうに食べていた、寝顔が可愛くて抱きしめたくなって――



「お前のメッセージで全て台無しだ」



 俺は久しぶりに怒りというものが湧き上がった。

 Fクラスになり、これ以上関わらなければ見逃そうかと思っていた。

 一学年の女子たちには裏で工作してどうにかしようと思っていた。


 玲香がFクラスを立て直して学園側からも評価されて、友達もたくさんできて楽しい毎日を過ごして欲しかった。

 俺の押し付けだけど、二年間行方不明になっていた俺にできる事はそれくらいしかない。


『あんたが山田にボコられてから聞きたい事があるのよ! なんでガトーお兄ちゃんのネックレスを持ってるのよ! お兄ちゃんがどこにいるか知ってるの!!』


 今はそんな事どうでもいい。


 俺はため息を付きながら呟いた。


「――――フリージア」


 ビデオに映る玲香の姿が変わる。

 玲香の影武者をしていたフリージアがゆらりと立ち上がった。


 ビデオ越しに鬼瓦たちの動揺が手にとるように伝わる。



 フリージアは四六時中俺のそばにいる。田中と会っているときも、学園で勉強してるときも、玲香と一緒に登校しているときも、天童とカフェでお茶をしているときも――


 フリージアの主は俺だ。東郷家ではない。いち早くスラムから俺を見つけてくれたメイドだ。そのまま一年間俺のそばにいてくれた戦友でもある。

 フリージアが屋敷にいない時は、双子の妹であるローズマリーがその代わりをする。



 フリージアがボーリングのピンをお手玉のようにジャグリングをしたと思った瞬間、スマホの画像がぶれてビデオ通話が切れてしまった――





 俺は山田を見た。


「そういうわけでお前の雇い主がピンチだ。行ったほうがいいんじゃないか?」


「はっ? そんなの知らねえよ。お嬢のミスを尻拭いするつもりはねえよ。俺は依頼はお前をボコる事だからな」


 山田の気配が変わる。懐からメリケンサックを取り出して装着する。

 素人でも容赦しない、か……。


 学園の生徒はどこにもいない。

 ……そもそも学園の生徒は東郷家に手を出して無事に済むとおもっているのか? 

 俺の親父は歯向かう敵に対して容赦ない。

 親父を敵に回すバカはどこにもいない。


「…………」


 俺は無言で山田に答えた。




 *************




「武志様、粛清はおわりましたわ。時間がかかって申し訳ないですわ」


 フリージアが鬼瓦あやめを引きずりながら神社へと現れる。

 廃ボーリング場はこの近くだからな。


 俺は神社の境内に腰をかけてた。


「……鬼瓦の娘はどういたしますか? 首でも跳ねて屋敷へ送りますか? このまま鬼瓦家を潰しますか?」


 フリージアは鬼瓦あやめを放り投げる。


「ひ、ひぃ!?」


 意識を取り戻した鬼瓦は状況が理解できないでいた。


「な、なんで全員倒れてるの……。や、山田!?  あ、あんたプロでしょ!? こ、これ……、東郷がやったの!?」


「おれじゃねえよ、勝手に倒れただけだっての」


 身体の震えを隠しきれない鬼瓦。


 境内は倒れた男たちで一杯であった。

 唯一意識があるのは山田だけであった。

 流石闇家業の人間なだけある。だが、所詮それは区域内の話だ。スラムなら山田は平々凡々レベルだ。


「鬼瓦家は俺が揺さぶりをかけておく。どうせ汚職まみれだろ? 適当にやっておくわ。フリージア、帰ろうぜ。久しぶりに二人っきりだな」


「……はぁ、意気地なしの武志様は私に何をしてくれますか?」


「えっ、マックナルドでも奢ろうか?」


「……まったく、いつまで経っても女心がわかりません御仁ですこと。構いませんわ、わたしくしはバニラシェイクを所望いたしますわ」


「うし、玲香も待ってるから早く行こうぜ!」


「なんで手を繋ぐんですの!? そ、それは玲香様に取っておいてくださいませ!」


「いいだろ、別に。お前だって大切な仲間なんだからさ」


「……散々玲香様への想いを聞かされた身としては複雑な心境ですわ。今夜だけはわたくしの手を握ってもいいですわ……」


 氷の女と称されるフリージアの真っ白な肌の頬が赤く染まる。とても綺麗であった。

 俺たちは鬼瓦あやめを神社に残してその場を去るのであった。





 *********




「むぅ、お兄ちゃん遅いよ!! ご飯待ってたんだからね!!」


「おっ、待っててくれたんだ、偉いな」


 俺はフリージアと一緒に玲香の部屋へと入る。

 玲香はフリージアの事が苦手だ。フリージアは玲香の事が大好きなのにな。


「……夕飯の準備はローズマリーに任せていますわ。……それでは武志様、素敵な時間ありがとうございました、ふふふ」


 フリージアはそう言って一礼をして部屋を出ていった。

 変わりにフリージアそっくりなローズマリーが夕食の準備をする。


「お、お兄ちゃん? フリージアさんになんかしたの! なんであんなに色っぽい顔してるの!?」


「べ、別になにもしてねえよ!? す、少しお茶しただけだ」


「本当にお茶しただけ? うぅ、なんかあやしいよ」


「そんな事よりメシ食おうぜ。明日も学園だぞ!」


「学園……、うん、そんなに嫌な気分じゃなかったもんね。わたし、頑張る! えへへ、お兄ちゃんも隣にいてくれるしね」


 玲香はすっかり元気になっていた。

 笑っている玲香が一番可愛い。


 ……玲香を見ると妙な気持ちになるな……。これは――母性か?


 俺は自分の気持ちがよくわからず、とりあえず玲香の抱っこして甘やかす事にした。


「は、恥ずかしいよお兄ちゃん!? ロ、ローズマリーさんが羨ましそうに見てるって!?」


「兄妹だからこれが普通だ」


「そ、そうなの? な、ならいっか! あっ、べ、別にお兄ちゃんの事が大好きなわけじゃないからね!」


「ははっ、この肉食うか?」


「うん、食べさせて!!」


 そんなやり取りをしていたらローズマリーは無言で部屋を出ていってしまった。

 俺は今夜はそのままずっと玲香の部屋で映画を見たり、本を読んだりして過ごした。

 玲香が眠くなってベッドに眠っても、俺は椅子に座って玲香の寝顔を眺める。


 たまにはこういう夜もあってもいいよな。

 俺はそのうち眠くなって椅子に座ったまま眠ってしまった。





 朝、目が覚めると、身体が重かった。後ろから何かがかけられている。

 ……玲香が俺を抱きしめるように覆いかぶさっていた。


「あっ、お、お兄ちゃん、これは違うの!? あのね、寝ぼけていたの!!」


「……別に構わねえよ。玲香は俺の可愛い妹だからな」


 こうして妹の玲香と過ごす新しい朝が始まるのであった――




第一章完

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