おかえり

 

「ひ、一人で歩けるもん!! べ、別に武志の手なんていらないもん!」


「ていうか、玲香太ったんじゃねえか?」


「だ、だって、武志は夜になるといつもどっか行っちゃうんだもん……。映画見ながらお菓子食べてたら……」


「ははっ、わりいな。色々会いたい人がいたんだよ」


「むぅ……。バカ武志、わたしを寂しがらせるな!」


 俺は武志。ジョナサン学園に通う普通の高校一年生だ。今朝は妹の玲香と一緒に登校している。

 俺は知っている。今朝、玲香が自分の中の葛藤と戦って、どうにか部屋を出れた事を。

 学園が怖いんだ。

 そもそも玲香への嫌がらせはSクラスだけには収まらなかった。

 問題児クラスであるF組は除いて、同学年ほとんどのクラスの女子から嫌がらせを受けていた。男子は静観しているだけだ。助けもしない。傍観者だ。


 学園の奴らにとっては玲香はおもちゃみたいな存在であった。嫌がらせをしている側には罪の意識なんてない。ただの遊び感覚だ。


 玲香は学園に近づくに連れて足が重くなる。

 構わない。ゆっくりでいい。遅刻したっていい。どうせ問題児クラスだ。


「ね、ねえ、手を繋いでくれるんじゃなかったの? ん、んっ!」


 足取りが重い玲香はそっぽを向きながら俺に手を差し出す。耳が赤いのがバレバレだ。


「ったく、仕方ねえな。ほらよ」


「も、もっとしっかり握りなさいよ! ……えへへっ」


 玲香はほんの少しだけ素直になることが出来た。これは大きな前進だ。

 今まで俺は玲香に嫌われているものと思っていた。だけど、こいつは勇気を出して俺に想いを告げたんだ。


 些細な事でいい。人は話さないとわからない事がある。


「そういや、俺って修学旅行行けなかったな。今度一緒にどっか行くか?」


「べ、別にあなたと一緒に出かけたいわけじゃないわよ!? ど、どうしてもって言うなら……か、構わないわよ。……ど、動物園がいいかも。パ、パンダさんに会いたいな」


 言葉の最後が小さな声になる。それでも前とは全然違う。


「よし、じゃあテストが終わったら行こうぜ!」


「テスト……、うぅ、勉強は苦手だよ……」


「大丈夫だ。俺も苦手だ」


 急いで歩けば十分もかからない登校路を俺たちは30分かけて歩いている。

 学園近くのコンビニの前には天童菜月がそわそわしながら待っていた。


「ちょ、あんたたち遅いよ!? 私が何分待っていると思っているの!!」


 玲香は俺の後ろに隠れる。

 天童と玲香がどんな関係かわからないが、玲香に聞いたら天童が玲香のいじめに加担することはなかったらしい。


「はっ? 時間ちょうどだろ? ていうか、お前は何分前から待ってたんだ?」


「はっ、三十分まえから――、ちょ、べ、別にいいでしょ!? あ、あんたはこんな美少女と一緒に登校できるんだから感謝しなさい!!」


「美少女……、玲香の事か?」


「はぅ……、わ、私、太ったから可愛くないわよ」


 天童が呆れるような顔で俺たち兄妹を見た。


「マジであんたらどうしちゃったのよ……。変わりすぎでしょ? ……え、っと玲香さん、きょ、今日からよろしく」


 俺の後ろに隠れていた玲香が顔をひょっこり出す。


「は、はい、天童さん、こちらこそよろしくお願いしますわ」


「あっ、け、敬語じゃなくていいよ。ど、同級生だしさ」


「お、お兄ちゃん……、ど、どうしよう……」


「しゃーねえな。まだ慣れねえだろうけど少しずつで構わねえよ。無理すんな」


 玲香はまた俺の後ろに隠れてしまった。天童に対してはそこまで思うところはないらしい。

 天童も基本的にはいい子だからな。ポンコツだけど。


 天童は俺の玲香が繋いでいる手をじっと見ていた。


「ん? お前も手繋ぐか? こっちあいてるぞ」


「ばっ!? あんたなにハレンチな事言ってんのよ!? ま、まあどうしてもっていうなら……。あっ、こら、まちなさいよ!! わ、わたしを置いてくなーー!!」


 俺と玲香はもじもじしている天童を置いて歩く。


「お兄ちゃん、天童さんはツンデレなの?」

「ああ、お前と同じくらいのな」

「〜〜〜〜っ」


 玲香はその言葉を否定するように俺の肩をパンパンと叩く。心地よい強さだ。

 後ろから走り寄ってきた天童は俺の言葉を否定する。


「ばっかっ!! 私はツンデレなんたじゃないに決まってんでしょ!!!」


 そう言いながらも天童はしっかり俺の制服の裾を掴んで離さなかった……。





 *************




 三人で学園の敷地内に入ると周りの空気が変わった。

 女子のグループが俺たちを見ながらヒソヒソと会話を交わしている。

 嫌な雰囲気だ。多分、一年生なんだろう。

 玲香は全身カチコチになりながらも俺の隣を歩く。

 口数が少なくなってきた。


「玲香、周りの目は気にするな。俺が隣にいる」


「う、うん……、で、でも、お兄ちゃんがいない時は……」


「ふんっ、超絶アイドルの天童菜月がいるわよ! ……わ、私もFクラスなんだからね」


「あ、ありがとう。えっと、ポンコツアイドルで有名なんだっけ?」


「違うわよ!? 私は清楚で可憐な新進気鋭の歌って踊れる演技もできるアイドルで超有名でしょ!!」


「テレビみないから知らない」


 玲香は学園の雰囲気に飲まれていたが、ポンコツ天童のおかげで気が紛れているようだ。

 学園の中に入っても空気感は変わらない。

 というか、視線は玲香へだけじゃない。一年の全ての男子生徒グループは俺を観察するように見ていた。


「おっ、山田じゃねえかよ。俺はFクラスだからまたいつかな!」


「ば、ばかっ!? は、話しかけんじゃねえよ」


 Sクラスで俺の隣の席だった山田は周囲をキョロキョロして逃げるように去っていった。

 なるほど、俺に関わるとターゲットにされるんだろう。

 あいつは意外といいヤツだった。教科書を持っていない俺に見せてくれたり、俺がグラビア本を読んでいると、あいつは嬉しそうに一緒に見ていた。山田は俺に秘蔵の同人誌を見せてくれたな。あの恩はいつか返そう。


 そんなこんなで俺たちは視線の嵐の中、校舎外にあるボロっちいプレハブ小屋へと向かうのであった。

 この学園の落ちこぼれである問題児たちが集まるFクラス。

 ちゃんとした教室なんてない。


 俺たちはプレハブ小屋の扉を開けた――





 ***********





 午前中の授業が終わってしまった……。

 ほとんどの時間が自習で、時間通りに登校した生徒は俺たちしかいなかった。

 遅刻して登校してもすぐに寝たり、どこかへ行ったり、みんなとても自由人であった。

 クラスの生徒数も少ない。俺たちを合わせても10人しかいない。


 良いところの令嬢やら子息が通っているこの学園で退学者を出さないためのシステムだろう。それにFクラスという劣等生を作り出し、他の生徒に戒めと優越感を生み出している。


 昼休みになると俺たち以外のほとんどの生徒は教室を出ていってしまった。

 Sクラスから編入してきた俺たちを警戒しているのかも知れない。


 そんな中、教室で一人でメシを食っている男子生徒がいた。

 見た目は大型のヤンキーだ。金髪をオールバックにして、制服は着崩している。首筋には龍のタトゥが……うん、あのタトゥはニセモンだ。

 身体はでかいけど中性的な顔立ちで妙に色気がある。

 でかい身体を縮こませて小さな可愛らしい弁当をちょっとずつ食べている……。


 一人でメシを食うのは寂しいから誘ってみよう。もしかしたら俺たちと友達になれるかも知れねえ。それに多分だけどあの雰囲気は大丈夫だ。


 今朝からあいつはずっとチラチラと玲香を盗み見ていた。

 これがSクラスの女子みたいな視線だったら俺が文句を言っていただろう。

 男子生徒の下心めいた視線だったら俺が殺していただろう。

 視線の質が違う。あれは――


「おう、たしか龍ケ崎司りゅうがさきつかさだっけ? お前もこっち来てメシ食おうぜ!」


 俺が手を振ると、龍ケ崎は大きな身体をビクつかせる。

 傍から見たら強面なのにな。


 俺は玲香の両脇に手を入れて持ち上げる。そのまま龍ケ崎のところへと向かった。


「へっ? へっ? お兄ちゃん!? なにこれ――」


 抱えられた玲香は戸惑っていた。龍ケ崎はそんな玲香を見てなんとも言えない和やかな顔を見せる。

 こいつの手には可愛らしいわんこのキャラ弁を持っている。

 お箸は人気のアニメキャラクターだ。お弁当を包む風呂敷はにゃんこが一杯だ。


「な、なんだてめえ、俺が龍ケ崎組だとわかって喧嘩売ってんのか!!」


 龍ケ崎が吠えた。

 確かに龍ケ崎組は最大手の建設会社だ。その筋系みたいなものである。

 そこの一人娘の龍ケ崎司。可愛いものが大好きなんだな。


「ひえ!? お、お兄ちゃん……。怖いよ……」


 玲香がこわがると、龍ケ崎はひどく狼狽した。


「あっ、ごめん……、そ、そんなつもりじゃなくて……。くそ、そんな目で見ないでくれ」


 俺は玲香を降ろす。龍ケ崎は玲香に見惚れるのであった。


「――可愛い……。天使様みたい……。俺もこんな風に小さくなりたかった……」


「お、お兄ちゃん?」


 俺は龍ケ崎の隣の席の椅子を引っ張って座る。


「ち、近いぞ、お前」


「あん? 俺はお前じゃねえよ。俺は東郷武志、こっちは東郷玲香、俺の妹だ。あっちにいるポンコツは」


「天童菜月だろ。あいつは有名人だからそれくらい俺にもわかる。……はぁ、仕方ねえな。俺は龍ケ崎司。男の中の男を目指している――」


 俺は龍ケ崎の頭をひっぱたいた。


「何いってんだよ。お前、玲香には負けるけど超可愛いじゃねえかよ。格好でごまかしてんだろうけど、むっつりなめんなよ。むっちりした超魅力的な女の子じゃねえかよ!」


「わ、わ、私が――、俺が可愛いわけねえだろ!! それに俺は男だ!! くそっ、俺はお前みたいなナンパな男は嫌いだ!!」


「可愛い玲香は好きか?」


「くっ……、卑怯だぞ貴様! ……いや、ちょっと待て、お前はさっき俺の頭を殴ったのか? いくら俺が油断していたからってそれはありえんだろ? お前何者だ?」


「おい、話ごまかすんじゃねえよ! あっちの天童はタイプじゃねえのかよ」


「論外だ。あいつはちょっと……そのポンコツだろ?」


 天童がその言葉を聞いてこちらへと飛んできた。


「あんたら黙って聞いてたけど何言ってるのよ!! 私はスーパーアイドルなのよ!!」





 龍ケ崎の相手を天童にまかせて俺たちは弁当を取りに席へと戻る。


「玲香、弁当持ってきて龍ケ崎と一緒に食べようぜ」

「うん、お兄ちゃん。……ねえ、あの人ってロリコンなの?」

「まあ複雑なんだよ。確かに言えることは、お前には絶対手を出さないぜ」

「……ふーん、そんな人が学園にいるんだね」


 一瞬だけ玲香の瞳の色が消えた。感情が見えない。

 本人も気がついていないと思う。

 玲香には友達が必要だ。兄である俺じゃない。対等な友達だ。

 だからこその問題児クラス。俺はいつか……学園を……。


 久しぶりに心が苦しくなる感覚だ。

 空白の二年間は毎日心が痛かった――

 そんな事を思い出させてくれる。


 こんな俺にできる事は玲香が人らしく生きていく道標になってあげるだけだ。


 玲香はキョトンとした顔で弁当を俺に手渡す。


「どうしたのお兄ちゃん?」


 俺は玲香というわがままで自己中で、嫌われていると思っていたけど……大切な妹で……そんな玲香がいたから俺は空白の二年間を生き残れた。


 最後に顔を見せて消えようと思ったんだ。それが玲香のためだと思ったからだ。

 自分の気持ちが抑えきれない。こんな事はここ数年でありえない事であった。



「――玲香、ただいま。ずっとお前の元へ帰りたかった……」




「え、ど、どうしたの? なんでこのタイミング? お兄ちゃん、また馬鹿になっちゃったの?」


 辛辣な言葉だけど、言葉の裏には愛情が感じられる。

 なんでこのタイミングで言ったか俺もわからん。


 ただ、言いたくなっただけなんだよ――



 俺も弁当を持って龍ケ崎のところへと向かう。

 玲香は途中で立ち止まって、俺の身体に体当たりをしてきた。


「……お、おかえり、お兄ちゃん。……ずっと待ってたんだよ」


 玲香はそう言って恥ずかしそうに天童のところへと小走りで向かう。


 涙なんてこの2年でとうに枯れ果てた。

 そんな俺が立ちつくしてしまった……。






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