出ていく


 僕、花京院ヒカリは出会って数回なのに『マックナルドの彼』の事が気になって仕方ない……。

 頭の中は彼の事で一杯だ。


 僕の誰にも言えない趣味、女装してマックナルドで勉強をする事。ほぼ毎日の日課であった。

 絶対バレないと自負しているが、程よいスリルが全身に高揚感をもたらす。鏡に写る僕は、正直そこら辺の女子よりも可愛い。

 女装は僕の命だ。生きる上でのストレスが全てフリーとなる。


 僕にとって心を守る術でもあった。これがなかったら僕は壊れていた。

 苦しい時に僕を馬鹿にした同級生、自らの力で成り上がった僕につきまとう女ども。

 僕の心はいつも乱れていた。



 ……彼のせいだ。心まで女装するつもりがなかったのに、彼の一つひとつの仕草にドキッとしてしまう。胸がキュンとなる。

 僕は一体どうなってしまったんだ? 僕は男の娘なのに……。





 彼は今だに教室でいじめられている。だけど、彼のウィットに富んだ会話術でいじめていた生徒も段々と彼をいじる程度に収まっていた。

 流石僕の彼だ。平和的な解決への道を示す。いじめの首謀者である僕がその行手を遮る……。



 今朝の彼はいつもと違った。制服をきっちり着こなし、髪を緩やかに整えている。マックナルドで出会った時よりもワイルドで素敵だ……。


 授業中に見える彼の横顔から目が離せない。

 彼に、僕が田中ヒカリだって言いたかった。普通に学園で会話をしたかった。でも、真実を言う勇気がない。


 あの日から、ファーストフードの君は現れない。閉店まで待ってても君は来ない。

 僕の心はおかしくなりそうだった。


 笑顔で笑っている彼を見たい。文学書を楽しそうに語っている彼を見たい。


「ヒカリ? どしたの? なんかちょっとメイクしてね? まあ最近じゃあ男子もしてるしね。今度、あーしがマスカラ塗ってあげよっか?」


「……あやめ、少し黙っててくれ」


「ういーす、てかさ、東郷妹が休みっぱで女子たちの息抜きできないじゃん。……新しいターゲット作っちゃう? ほら、ポンコツアイドルの天童とかいいんじゃない?」


「――好きにしてくれ。僕は考えることがある」


「あ、そう」


 筋肉バカのあやめは暑苦しいから嫌いだ。

 女子ならもっとおしとやかでなくてはいけない……。この僕のように――


 彼の周りにクラスメイトがいなくなった。お花を摘み《トイレ》にいくのか、彼は立ち上がって廊下へ向かおうとした。……話しかけても変に思われないよね? だって僕たちはクラスメイトだし……。


 心臓の鼓動が早くなる。ただのクラスメイトに話しかけるだけ。そう思っても手の震えが抑えられない。これは一体なんなのよ? 目で彼の事を追ってしまう。

 彼が目の前を通った時、知らずに声が漏れていた。


「と、東郷くん、あ、あの……」


「ん? 花京院だっけ? どうした?」


「あ、いや、その……。なんでもない。ふんっ、バカは僕の目の前を通るな」


 違う、そんな事を言いたいわけじゃない。でも隣にはあやめがいる。強い態度を保たないと変に思われる。僕はこの化け物どもが揃っているSクラスのトップなんだ。弱みを見せれば引きずり下ろされる。


「はいはい、わかったよ」

「へ、返事は一回にするんだ。全く……これだから……困るんだよ」


 ここは人の目もある。また放課後にチャンスがあるだろう。

 ああ――こんな状況は許しがたい事だ……。


 ……どうしてマクドナルドに来なくなったか聞くんだ。


 僕は放課後になるまで、どんな風に話しかけるかずっと考えていた――

 彼の事を考えるだけど頬が緩んでしまった。







 HRの時間になり先生が教室に入ってくる。

 先生の目には隈があり暗い表情をしていた。


「あーー、先生から報告があります。……明日から東郷玲香さんは復帰しますが、諸事情によりFクラスへと編入します」


 無能な東郷玲香はいらない。問題児クラスのFクラスがお似合いだ。あれが彼の妹というだけで嫉妬で狂いそうになる。それでも彼の妹という事実は変えられない。……彼女がこのクラスにいなかったら優しい彼の心が傷まないだろう。悪い知らせではない。

 先生は言葉を続けた。


「――それに伴い、東郷武志もFクラスへと移籍する。あと――天童――も――芸能活動の――F――に――」

 先生の言葉が聞こえなくなった――

 東郷、武志が、Fクラス行き? そんな事……


 心臓の鼓動が早くなる。ファーストフードの田中という僕と、Sクラスの最優生徒である僕は違う存在だ……。その僕の心が乱れて背中に嫌な汗が広がる。




「う、嘘だっ!! そんな事僕は聞いてないっ!! この花京院ヒカリがそんな横暴許さないぞ!!!」




 心の声が言葉に出てしまった。まずい、と思ったが気持ちが先走る――

 なんなんだこの気持ち? これは……恋というものなのか……?







 ***************







「というわけで明日から俺はFクラスに行くわ。ははっ、俺に会いたくなったらFクラスに遊びに来てくれや」


 俺、東郷武志はHR中にちょっかいをかけてきた男子たちに笑いながら言う。


「はっ? マジかよ。お前面白いからいじりがいがあったのによ……。まあ馬鹿だから仕方ねえか」

「東郷、今日は普通のなりしてんじゃん。いつもそんなだったらいじめられねえのにな。Fクラスか……、あんまり近寄りたくねえからこれでお別れだな」

「最後にジュースでも買いに行かせるか」

「お、いいね」


 その時、クラスの中心人物である花京院が吠えた――


「――――――こんな横暴は僕が許さない!!! 彼は……、彼は……、くっ――」


「ちょ、ヒカリ、どしたの?」


「あやめは黙ってろ。……先生、東郷君のFクラス行きだけでも取りやめませんか? 他の生徒はどうでもいい」


 花京院のその言葉にクラスメイトは困惑のざわめきが広がる。

 首をひねるものもいれば、新しい遊びを考えついたと思うものもいる。


 鬼瓦あやめだけは不機嫌そうな顔をしていた。

 花京院は興奮がおさまらない。


「彼は実は優秀なんだ!! 愚物であるお前らには到底理解できない文学をこよなく愛しているんだ!! 彼がこの教室からいなくなるのは著しい損失だ!! この花京院だけが彼の優秀さを知っているんだ!!」


 教室の生徒たちの視線が俺へと移る。

 俺は頭を掻きながらよく通る声で喋る。


「えっ? 俺、今日の小テスト0点だぜ? 今日だけじゃねえ、編入してからずっとそうだぞ? 俺って優秀だったんだ」


 俺がそう言うと、クラスメイトが大笑いを上げる。


「そりゃそうだ」

「うん。バカだよね」

「バカだし下品だな」

「エロいしな。俺、あいつにスラムのグラビア本ってやつを見せてもらったんだぜ!」

「なに!! 俺にも見せろや!!」

「ちょっと男子ー!! キモいわよ!!」


 その時、鬼瓦の大きなため息が聞こえてきた。



「はぁ〜〜〜〜〜、うるさい」



 それだけで教室は静かになってしまった。花京院も我に返って落ち着いたのか、呼吸を整えていた。


「あやめ、本当なんだ。彼は……」

「もういいわよ。あんたどうしたの? まさか、無能のあいつに絆されたの? あーし達の約束忘れたわけ? はぁ……、あんた頭だけは使える男だったでしょ……。マジうざ」


 鬼瓦の言葉にうなずくとある男子生徒。

 鬼瓦の隣にいつもいる男子生徒、九条綾鷹くじょうあやたかだ。……こいつだけは俺の調査で尻尾を掴ませてくれなかった。成績も平凡で運動も平均、容姿も地味だ。だけど俺の勘が告げている。こいつは要注意人物だ。


「……あやめ、落ち着け」

「あ、う、うん。へへ、九条がそう言うなら……。でも、ヒカリが少しおかしくなってるじゃん」


 九条は鬼瓦の耳元に口を当て囁く。その声はどんなに耳を澄ましても聞こえてこなかった。唇も動いていない。





 花京院は花京院で俺に近づいてきた。


「な、なあ、君は東郷武志なんだろ? Fクラスになんていかないでくれ! もういじめなんて起こらない。君の妹が来てもいじめない。僕が保証しよう……」


「えっと、そんな事言われても困るぜ。俺、お前のよく事知らねえし、いじめを命令したのは花京院なんだろ?」


「くっ、それはそうだが……。ぼ、僕は君がFクラスに行ったらどこで会えばいいんだ!?」


「ん? 俺、花京院と仲良くしたことねえよ」


「……そうだな。……わかった。君だけに言う。僕は……あのマックナルドで君と――」


 花京院が俺に小声で何かを言おうとした時、鬼瓦あやめが誰かのカバンの中身をぶちまけた――


「ちょ、これ見てよ!!! マジでやばいって!!! なんでヒカリのカバンの中に化粧道具やカツラがあるのよ!!! きゃははっ、見てみてこのノート……、えっと、やば……、ちょ、こいつ恋してんじゃんっ!!!」


 花京院の顔が真っ青になった。


「み、見るなっ……、見るな。見るなっ!!! 僕じゃない、これは僕のじゃない……。やめろ、九条、なんで止めるんだーー!!」


 鬼瓦に迫る花京院。それを阻止する九条。

 鬼瓦あやめは楽しそうな声でノートを朗読する。


「えっと、『僕の心がおかしい。君と出会ったのは奇跡なのに、僕は勇気が出せなくて正体を言えない……。あぁ、君に会いたい。どうすればあの場所で再びであえるの――』、ちょ、これ以上は無理っしょ!?!? 笑い死ぬわ、これ」


 クラス中が大騒ぎになるかと思いきや、恐ろしく静かであった。

 鬼瓦あやめが喋っている時は誰も口を挟まない。


 花京院は真っ青な表情になり、力なく床に崩れ落ちる。

 俺は花京院に近づく。


「なんだ、お前が田中だったのか? 始めから言ってくれればよかったのにな。そしたら学園でも友達になれたかも知れねえのにな」


 花京院は俺の言葉に反応する。予想外の言葉だったらしい。


「えっ……、だ、だって僕は女装をして……、君をいじめていて……、気持ち悪い男の娘で……」


「ぶっちゃけどうでもいいわ。男でも女でも。教室でピリピリしているお前よりも好きな本を語っているお前は可愛かったぞ」


「……と、東郷。き、君は……本当に」


 クラスメイトの嘲笑が花京院へと向かう。クラスの力関係がぐちゃぐちゃになった瞬間だ。

 俺は花京院の肩に手を置く。


「よく分かんねえけど自分を『偽るなよ』。……俺は妹がいるFクラスに行くぜ。じゃあな」


「僕は……」


 俺の言葉に衝撃を受けたのか、花京院は再び床に這いつくばる。

 人は出会いと別れを繰り返す。これはそのうちの一つだ。こいつが人の気持ちを理解して歩み寄れるなら再び語り合う仲になれるかも知れない。


 そんな事は言う必要はない。

 俺の両手にはすでに妹とニセ幼馴染でふさがってるからな。



「じゃあ、先生、もういいっしょ? 俺はFクラスに行ってくるわ」



 その時、鬼瓦の声がこちらへと飛んできた――


「ちょっとあんたまちなさいよ。これだけクラスの輪を乱したのよ? 腹が立つわ〜」


「あん? 自分で乱したんだろ? ――妹が待ってるから俺は帰るぜ。先週からシスコンになったんだよ、俺は」


「あーしがまちなさいって言ってるでしょ!!」


 鬼瓦はそう言って俺に前蹴りを入れて襟を掴む。俺のワイシャツのボタンがプチっと外れる。

 胸元があらわになってしまった。首に付けているネックレスが揺れる。



「えっ?? ……そ、それって……ガトーお兄ちゃんの……、そ、そんな事、でも、まさか……、それにこの筋肉の質感……」


 鬼瓦はネックレスを見つめたままで動きが止まる。

 俺は動揺している鬼瓦の言葉を聞いていなかった。まっすぐに前を見つめている。視線の先には九条綾鷹がいる。


 俺は鬼瓦を押しのけて教室を出ていった。




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