もう笑っている
「お前が出てた映画みたんだぞ。あれはいい映画だったな」
「は、はっ? あんた行方不明になってたのに何してるのよ!? て、ていうか、ど、どうだった?」
「おう、モブっ子が健気で超可愛かったな! あっ、お前は薄幸の美少女だっけ? マジで似合わねえっての」
「う、うるさいわね! こう見えても清楚が売りの美少女アイドルなのよ! あんただけよ、そんな事言うのは……、はぁ、まったくもう」
さっきまで泣いていた天童はあの夏の日のように大きな笑い声を上げている。
笑顔がとても眩しかった。
俺の空白の二年間。とある時に、俺は映画を観なければいけなかった。
コメディ映画のはずなのに、俺は大泣きした覚えがある。
……忘れたくても忘れられない思い出だ。隣にいた少女は今はもう……。
「あ〜〜、ダイエットしなきゃいけないのにケーキ食べちゃったじゃないのよ……、あ、あんたのせいよ!」
「ああ、そうだな。これくらい意地悪してもいいだろ?」
天童の口元についていた生クリームを手で拭う。
「〜〜〜〜っ!? あ、あ、あんたっ!?」
まるでゆでタコのように真っ赤な顔になる。
その後、俺たちは長年の旧友のように会話を交わす。そういえばこいつとは幼馴染っていう設定だっけ?
まったく、本当に素直になれねえ奴なんだから。
「そういえば、あんた本当にあのクラスに復学するの? あたしは、う、う、嬉しいからいいけど……。その、クラスの雰囲気が良くないし……。ち、違う学校に通えば……」
会話の流れで学園の話になった。
天童の顔が暗くなる。
「俺がいじられるのって中学の時と変わらねえだろ? なんだ、お前もまたいじるのか?」
天童は大きく目を見開いて首を何度も横に振る。
「……もう二度とそんな事はしないわ。……で、でも、クラスの雰囲気をどうしていいかわからない」
「その気持ちだけで構わねえよ。あれだ、教室の空気的に天童が俺と仲良くしたらまずいだろ。だから気にすんな」
「……で、でも……、それじゃあ武志が……」
「慣れっこだ。本当に気にすんな」
そう言っても天童の顔は暗かった。他に心配ごとがあるかのようだ。
何かを言い出そうとして、口を開けたり閉じたりしている。
大きな深呼吸をしてから俺に言った。
「あ、あのね、それでも絶対クラスを替えた方がいいよ。今からでも東郷家の力を使って――」
「いじめられている玲香を見てられなくなる、か」
「あっ……」
どうやら図星のようであった。玲香はクラスでいじめられている。それは確定だ。
なら俺だけあのクラスから逃げるわけには行かねえ。
「安心しろ、玲香はこれ以上いじめられねえ。……なにせ俺は『お兄ちゃん』だからな」
天童が俺の空気感に当てられて、手に持っていたコーヒーカップをぽろっと落とす。中身が入ってなかったから幸いだ。
一瞬だけ地が出てしまった。抑えていた感情が漏れ出てしまった。
「おい、怪我はねえか? ったく、ドジっ子アイドルかよ。ほら、ハンカチ使えや」
「う、うん。あ、ありがとう。……た、武志……む、無理しないでね。何かあったら私が守るから……」
「おう、心強いぜ」
こうして、俺たちは時間の許す限り懐かしい思い出話に花を咲かせたのであった。
********
「あっ、帰ってきた。……お、遅いわよ。……が、学園大丈夫だった?」
「なんてことはねえ。勉強は全然わからなかったけどな!」
屋敷に帰ってきた俺は玲香の部屋へと向かう。
玲香はベッドの上で休んでいた。
「メシは食ったのか?」
「ううん、あんまり食欲なくて……。た、武志は?」
「別にお兄ちゃんって呼んでもいいんだぜ?」
「う、うるさいわよ。た、武志は武志なの。……ね、ねえ、もう行っちゃうのかな」
「ん? メシ食ってねえからここで食うわ。さっきフリージアにお願いしたわ」
「え? フ、フリージアと普通に話せるの? あ、あの子ちょっと怖くて……」
「まあ田崎の娘だからな」
そんな事を話しているとフリージアがノックをして玲香の部屋に入ってきた。
俺と玲香を一瞥してから食事の準備を始める。
その所作は一流のそれであった。
銀髪で無表情のフリージアは他人から冷たく見える。
「玲香お嬢様の分もこちらにご用意しておりますわ。……本日は必ず食べてくださいね」
フリージアの視線の圧がすごい。一礼をして後ろに下がった。
「お兄ち……、武志、私こんなに食べれないわよ」
「俺も一緒に食うからとりあえず食べようぜ! 屋敷のメシが久しぶりだから超楽しみにしてたんだよ」
「もう、武志ったら。……じゃあ私も少し」
俺が食べ始める玲香も食事に手を伸ばす。
ハムスターみたいに小さな口でちびちびとパンをかじる。
ゆっくりでいい。まずは体力を付けないと。
「やっぱり超うまいな。屋敷に帰ってきた実感が湧くわ」
「ね、ねえ、武志、学園は……どうだった?」
「ん? なんてことはねえよ。少しばかり面倒な奴らが多いだけだな」
「うん……。実はね……、私……」
「ほら、玲香、この肉超柔らかいぞ!! こっちも食ってみろよ」
玲香は戸惑いながらも食事を進める。そういえば一緒に食事なんてしたことなかったな。
昔はいつも時間がズレていた。
――ご飯は誰かと一緒に食べた方が断然美味しい。俺が二年間で学んだ事だ。
この部屋なら厳しいマナーなんていらない。好きに食べればいい。
攻撃するやつなんていない。
「うまいか、玲香?」
「…………ん、美味しいよ。お兄ちゃん……、美味しいよ……本当に、美味しいよ……」
「そっか、なら一杯食べて今日はゆっくり昔話でもしようぜ」
「で、でも、明日、学園に……」
「玲香は真面目すぎるんだっての。俺なんて二年間学園をサボってたんだぜ? そんな体調で学園に行っても悪化するだけだ。だから、『休め』」
玲香は小さな声でつぶやく。
「いかなくていい……」
「ああ、ここにいて本を読んだり、映画を見たりしていろ。学園に行きたくなったら俺が一緒に登校するぞ」
「……う、うん……、あ、あ、りがとう……」
玲香はそっぽを向きながら俺に感謝をのべる。
生まれて初めて俺たちは素直な気持ちで食卓を囲んだのかもしれない。
妙にくすぐったい甘い気持ちが嫌ではなかった――
************
俺は夜も更けた時間帯の繁華街へと向かう。
ここは区域内にしては治安が少しだけ悪いところだ。
と言っても区域外のスラムに比べたら天国だ。
酔っ払って寝てても財布は盗まれない。いきなり銃で撃たれない。ぼったくりにあう事なんてない。物乞いもいない。
俺は手近なファーストフード店へと入った。
窓際のカウンター席に座り、文学書とノートを取り出す。
フランス語で書かれてある文学書の内容は全て理解していた。俺は気になる箇所をノートに書き写して自分の考えをフランス語で書き綴る。
後ろで俺を見ている気配を感じた。気配の主は中々動かない。
俺が見ている政治経済の文学書に興味があるみたいだ。
振り向くと、そこにはツインテールで派手な髪色の女の子が立っていた。地雷系と言われるファッションに見を包んでいる。手には俺が持っている文学書の作者の派生本を持っていた。
女の子は俺の顔を見てほんの少し動揺を見せる。
「ん? どうした? あっ、わりい、場所使いすぎてたな」
「い、いや、大丈夫だよ。……ね、ねえ、その本読んでるけど、理解できるの? すごく難しいよね?」
女の子は俺が書いていたノートを覗き込む。
走り書きをした俺のメモを真剣読んでいる。
「君、すごいね。そんな風な解釈ができるんだ……。ぼくもその作者の本が好きで読んでるんだけど」
「おっ、仲間じゃねえかよ。なら横に座れよ。一緒に勉強しようぜ!」
「え、あっ、でも、君は……」
「ん、ああ、初対面の女の子なのに自己紹介してなかったな。――俺は東郷武志。ジョナサン学園に通っている一年だ。好きなものは世界情勢と政治経済、あとはフランス文学もだな」
俺は立ち上がって上流階級がするような一礼をする。
今日の俺は一味違う。パリッとしたシャツに黒いスラックス。俺の身体の線がハッキリ出る洋服だ。
髪もワックスを使って整えてある。
「――っ!? あ、う、うん。ぼくは、花京――、……た、田中ヒカリ。セ、セント・バーナード女学園の一年生よ。ぼくもフランス文学が大好きで、いろいろな文学書を読んでいるよ。と、隣座るね……」
こうして俺たちはファストフードを食べながら政治の話をしたり、文学書談義を交わす事になった。
初めは緊張していたのか、田中はこわばった顔をしていたけど、徐々に口数も多くなり、楽しそうな表情で俺と会話を続けた。
「君の見識には驚きだよ。全くもって素晴らしい知識量だ。……残念だけど、今日はもう遅い。……あ、あの、君がよかったらまた一緒に討論を交わしたい」
「おう構わねえぞ。俺も楽しかったぜ! ははっ、学園ではいじめられてっから気分転換になったぜ」
田中の顔色がほんの少しだけ変わる。
「い、いじめられてる?」
「ああ、まあガキのいたずらレベルだけどな」
「そ、そうなの……。あ、あの、もしよかったら僕の友人がジョナサン学園にいるから、いじめを止められるかも知れない」
「いや、それはやめようぜ。だって、俺とお前は学園とは関係なくここで出会えたんだからさ。どうせなら学園の事は自分の力で乗り越えたい」
「そう……」
これが俺と田中ヒカリとの出会いであった。
特に取り決めもなく、連絡先も交換していない。それでも夜のファーストフードに行くと田中はそわそわしながら俺を待っていた。
「今日は新しい本を持ってきたんだ。君がきっと気に入ると思って。……学園では僕と同じレベルの人がいないから君と出会えて嬉しいよ」
「ははっ、俺は学園の勉強に興味ねえから成績わりいけどな」
「むぅ、君はもっとちゃんとした方がいい。本当は頭だっていいんだ。身なりだって今の方が――」
「ん? 俺って田中に学園にいる時の格好を見せたことあったっけ?」
「い、いや、たまたま街で見かけたんだよ」
「そっか、俺、コーヒーおかわり持ってくるわ」
俺はそう言ってカウンターへと向かった――
席に戻ると田中は酔っ払いに絡まれていた……。
「や、やめてください。僕はそんな軽い女じゃないです!!」
「へへ、ボクっ娘って新鮮、俺たちと一緒に遊ぼうぜ」
「いやいやその服装は誘ってんだろ。大丈夫だって、区外から仕入れた超すごいバナナジュースがあるんだぜ。一緒に飲もうぜ!」
俺はとっさに田中とナンパ男との間に身体を挟み込む。
「おいおい、いいおっさんが女子高生をナンパしてんじゃねえよ!? 犯罪で捕まるぜ」
俺は身体を大きく広げて田中を守るように立つ。
「あん? クソガキがなめてんじゃねえぞ!!」
「おい、面倒だぞ、行こうぜ」
「くそっ、死ねや」
男が俺の腹めがけて拳を放つ。
俺は苦しそうに床に膝をつける――
「……こ、これで勘弁してやるよ。……あばよ。くっそ、手首がいてえよ」
「おい、お前手がおかしいぞ!? 病院行くぞ!?」
男たちは足早にこの場を去っていった。
俺は洋服に着いたホコリを払いながら立ち上がる。
田中が心配そうに俺の身体を支える。
「東郷、だ、大丈夫? ぼ、僕のために殴られて……、ご、ごめん、僕足がすくんで動けなかったよ」
「ははっ、お前に怪我がなくてよかったぜ。ったく、今日は退散した方がいいな」
「うん、また明日会おうね……、絶対だよ」
「――そうだな……、『また会おう』な」
俺は一瞬だけ地が出そうになった。俺が言葉を放った瞬間、田中の動きが止まった。
一拍置いて、時が動き出す。
俺たちは別れの挨拶をしてファーストフードを出た。
その後、俺は夜に別の用事が出来たからファーストフードへと行けなくなる。
田中とは再び出会う事は無かった。
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