第7話 ジョンマークレーは一流しか使わない
まだ夜が明けきらない午前二時、完璧な化粧を施された眠そうなモデル達を乗せて、一行は出発した。
昨日のうちに、駱駝はホテルに着いていた。さすがは親父どのだ。
「頭領から王子に伝言です。風の動きをよく見るようにとのことでした」
駱駝を届けに来た一族の男が言った。
「親父殿から?めずらしいな。砂嵐か?」
「はい。最近、アヤバハル近くには、思いもかけない砂嵐が頻発しております。この間も部族の者が一人飲み込まれました」
「わかった。感謝する。気をつけて帰ってくれ」
俺は予備の装備をもう一つ上のものにして出発することにした。
砂漠では星のある内に移動するのが一番効率が良い。
一つ。星の位置で進む方角を見失わなくていい。
二つ。暑さが和らぐ。
かなり着込んで来たが、外は肌寒いくらいだった。
駱駝は二時間早く出発させているので、ちょうど良い時間に、アヤバハルで合流できるだろう。
車は砂埃をあげて突き進んでいた。
五人乗りのクルーザーの中は、モデルのつけている香水が混ざり合い、俺は、その匂いに酔いつぶれそうだった。
砂で大きくタイヤがとられるたび、後ろから黄色い歓声があがる。
気を回した部下達が、この車に自分を乗せたのだろうが、帰りは荷物運びのクルーザーの運転をしようと心に決めている。
空が白ばむと同時に、砂に埋もれた大理石の建物の門が見えてきた。
何とか夜明け前に祈りの聖なる海の入口にたどり着いたようだった。
普通、砂は風により形を変え、建物を飲み込む。
ただ、ここら一帯の風の吹き方が独特らしく、何千年も前に立てられたこの建物が砂に沈むことがない。
あまり変わらない風景と太古の祈りの場が砂漠の真ん中にあることが奇跡のような空間を生み出している。
「日が出る前に準備するぞ。急げ!」
前の車に乗っていたスティーブン・メイヤードが、大声を上げてカメラを片手に飛び出した。
助手が何人か機材を降ろしている間も、あたりの風景に、絶え間なくシャッターを切る。
モデル達がさっと車を降りた。
メイクを直す顔のどこにも、頭の軽そうな顔はない。
そういえばマリヤムが言っていたな。
ジョン・マークレーは、一流しか使わない。
俺は、パウルの腕につかまりながら、危うげに砂を歩くマークレーを見直した。
「何やってんだ!」
スティーブン・メイヤードの怒号が、たびたび飛んでいる。
慣れない砂の上での作業なためか、中々作業が進まない。
日が昇るまでもう少しだ。
モデル達は、カメラマンの細かな指示に従って祈りの門の側で間隔を開けながら立っている。
「朔!」
ジョン・マークレーが叫んだ。
昨晩嗅いだ花の香りが、横を通り過ぎた。
柔らかな薄い黒の布が、滑るように脱ぎ捨てられた。
夜明け前の藍色の空に浮かび上がる完璧な肢体。
体の線があらわになるその柔らかな紗の布には、鮮やかな色とりどりの花が描かれていた。
振り返った彼女はまだあどけない少女だった。
とびきりの美しい少女。
地平線に、太陽が昇りはじめた。
波打つ砂丘が、永遠の色に輝き、砂は空の色に合わせて青から赤へ変化していく。
さっきまでの活気あふれたスタッフの声が、一切聞こえない。
砂の中を風とシャッター音だけが鳴り響いていた。
いつか私の作品を聖なる海に持って行きたい。
ジョン・マークレーにとって作品に、このモデルが込みだったのは明らかだった。
夕日の撮影もする予定だったが、砂漠の暑さが思った以上に体力を奪った。
最初にパウルが。次に体力のないモデル達が暑さにやられた。
朝日の撮影が満足のいくものだったらしく、ジョン・マークレーと一行はカメラマンのスティーブン・メイヤードと水島朔を残して、ひとまずオアシスのホテルまで帰ることになった。
「王子。連中送り届けたらすぐに戻ってきますよ」
「なるべくはやくにな」
カリムを帰すのは不本意だったが、王の客を送る俺の名代となるのはヤツしかいなかった。
三台の車は砂埃をあげて走り去った。
「飲むか」
すっぽりとアバヤとニカブで全身を隠している朔に水を渡す。朔は目で笑いながら受け取った。
真っ黒なニカブの中で、これ以上無いくらい華奢な白い手と美しく装われた長い爪がやけに目についた。
くそ。あの布の下にある美しい顔なんぞ見なきゃ良かった。
俺は駱駝の世話をするフリをしながら、急いで朔から離れた。
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