第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇⑦
奥に入った俺は、
「私にも見せて」
俺を抱き上げながら頬を寄せてきたレティにも見やすいように紙面を向けてやるが、その顔がにわかに曇る。
「なにこれ……。こんな大雑把で本当に大丈夫なの?」
「全く大丈夫じゃない気がする。ついノリに流されて任せてきちまったが、やーっぱ後悔してきたな〜……」
メモの中身は小芝居の段取りとしてもなかなか簡潔な量だった。
・対象入店直後〜注文まで 普段通りな感じでヨロシク。
・加盟を切り出されたら「ごめんなさい、実はもう先約が——」とかなんとか。
・それで相手が食い下がってきたら「先生、お願いします!」でデローザさんに交代。
・デロさんへ。相手はカタギなので、そこそこドス効いたセリフを使ってください。
例「誰だ?」と聞かれたら「相手の家柄確かめなきゃ楽しくお喋りもできないってか?」。「先に契約を持ちかけたのはウチですよ」と言われたら「
……これだけ。
ヨロシクとかそこそことか、具体性がまるで感じられない。いくらアドリブ劇とはいえ、ここまでスッカスカな台本でいいはずはないだろう。
もう少し細かいやりとりは今むこうでやっているリハーサルとやらで確認しあってたみたいが……、果たしてどんな内容になるものやら。
「心配だわ」
レティが重々しく言った。心配なんて生易しいレベルじゃねえよ、こっちは。
「こんな短いのに、私の出番って本当にあるのかしら?」
そこかーい。
「それに『先生、お願いします』なんていつのセンスよ?」
「エリスはこのセリフこそ馬鹿に気に入ってたみたいだけどな。一度言ってみたかったんだってよ」
「ええー? エリちゃん余裕ね、すごいじゃない」
「ただ、このセリフだとつい後ろを振り返りながら言っちゃいそうで怖いと、ワケのわからんことを不安がりながらリハーサルしてた」
「はあ?」
デローザさんはテーブル席に陣取ることになるので、カウンターの中にいるエリスから見れば前方に座っていることになる。振り向いて用心棒の先生を呼んだのに、その先生が呼んだのと逆方向から現れては確かに間抜けの極みだろう。
我が主人ながら、そんなクソみてぇな心配はいいからてめぇの店の心配をしろ、と俺は声を大にして言いたい。
「あーあ、私も『悪党ども、そこまでよ!』みたいなセリフ言ってみたいんだけどなあ」
「……あんたのセンスも大概だなあ」
「なに言ってるの、定番の決めゼリフにセンスの古い新しいはないのよ。むしろ古くから伝わってるぶん歴史の積み重ねが……って、あれ?」
レティが何かに気づいた様子で、店の裏窓の向こうにじっと目を凝らした。
「ねえ、あそこ。カバン君が言ってた二人組じゃないかしら?」
「え、もう? いつもより早いな……」
レティに窓へ持ち寄せてもらい、彼女が指差す先に目の焦点を合わせる。確かにスーツ姿の二人組がまっすぐウチに向かって歩いてくるのが見えた。
……が、先週まで来ていた連中と明らかに雰囲気が違う?
前は
「人違いじゃね?」
「そうなの? まぁ、真っ当な勤め人には見えないものね」
「とはいえ、アレが交渉人じゃなくっても、もしかしてお客さんだったりしたらかなり想定外の展開だ。一応あっちにも伝えてこよう」
俺とレティが店内に戻ると、寸劇のリハーサルは佳境に入っていた様子で、三人は大げさなまでの身振り手振りを交えて何事かを熱くやりあっていた。
「それらしいのが来たわよー、男の二人ぐみー」
そんな三人に向かってレティが呼びかけると、アルタイプはエリスとデローザさんに鋭い声で指示を伝え、それから彼だけが俺たちとバックヤードへ下がった。
「なかなか面白いわ。お前んとこのご主人様」
ヘラヘラ笑いながらそんなことを言う。
「知ってる。おかげでこっちは毎日クタクタだよ」
「いやいや、皮肉じゃなくって。マジでマジで。さすがにディンケンス監督んとこの弟子だよな。演技力とかじゃあないんだけど、なんつか、存在感? 意外性? そういうの感じるわ」
好意的に解釈すればそういう捉え方もあるかもしれないが、あいつのことは単に『何をしでかすかわからない』と表現すべきなのである。
「で、どいつが? あー、あれ。
そんな事を言って、何が楽しいのかケタケタと笑う。
「だから企業の人は悪人じゃないんだって。ていうかさ、前に来てた人と見た目が全然違うんだ。もしかしたら交渉人じゃなくてただのお客さんなのかもしれない」
「なにぃ〜?」
俺は言って、ようやく
チビデブの方は薄茶の短髪で、白スーツの下はワイン色のサテン地ワイシャツ。短い足にギラつくようなエナメル調の革靴を履いていた。顔には金細工フレームの色付き眼鏡、口にくわえた葉巻、左腕にごっつい金の腕時計。こちらは中年だ。アルタイプが言った。
「どうしたってチンピラの弟分とヤクザの兄貴分にしか見えんな」
その感想には俺もレティも同意した。彼らは全身全霊を挙げて我々はカタギではありません、
……ただ、少し気がかりな点がある。彼らの目線がまっすぐウチを向いていて外れないのだ。それから二人で会話も交わしているようだが、談笑といった様子じゃなかった。まるで仕事前の打ち合わせのような雰囲気に見える。いや、そう感じるのは俺の意識のしすぎだろうか?
「うーん……。交渉人には見えないのに、客という雰囲気でもない。じゃあなんだろ?」
俺の独り言に、レティがはっと息を飲んだ。
「地上げ屋じゃないの!? あなたたちが動こうとしないから!」
「まさか。一部上場の大企業だぜ、そんな
突拍子のないレティの反応に俺は驚くが、アルタイプは顎に指を当てて「いや、ゼロじゃないよな……」と呟いた。
「この際だからハッキリさせておくが、この店に手を出してる企業って、まさかフェロウシップス商会だったりしないだろうな?」
「そうだけど……。え、なんでわかるの?」
いきなり名推理された俺は思わず正直に答えてしまったが、アルタイプは「マズいな……。何で先に確認しとかなかったんだ、クソ!」と毒づいた。
「前に社会部記者のツレが調査したことがある。フェロウシップスは狙った土地や人材を片っ端から手に入れることで急成長しててな、それ自体は特に問題ないんだが、調査を深めるにつれ妙な事例がいくつか出てきた。勧誘を
「なんだそれ……、圧力丸出しじゃないか。ペンは剣よりも強しじゃないのかよ」
「カネにはからきし弱い。特にウチみたいな大衆向けはよ」
「じゃあ、そのカラクリっていうのが……」
レティの言葉にアルタイプはこめかみから一筋の汗を落として頷いた。
「ヤーさんって可能性はかなり高いよな。……マズいぞ。デロさんや店長ちゃんには
そのとき、玄関のガラスベルがガシャンガシャンとかなり乱暴な音を立てて、来客があったのを知らせた。
俺は思わず腰を浮かせ、そのまま駆け出す。
「あかんあかんあかんあかん! こりゃ大当たりだ!」
俺の足はとてもじゃないけど人間の全速力にかなうものではない。俺に続いて駆け出したレティがサッと拾い上げて抱えてくれた。
「いくらなんでも相手を見たら思いとどまるでしょ!? エリちゃんもデローザさんも!」
「いいやデロさんはヤバイ! 役に入ったら周りが見えなくなるタイプだ! むしろ相手が
「なによそれ!」
となればエリスが頼みの綱なのだが! ……うおお、糸クズより頼りねえ!!
こけつまろびつ、バックヤードの奥から戻ってくると、
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ン!?」
店内には既に男の怒号がこだましていた。
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