第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇⑥
「なんというか、これ以上この仕事を続けていく自信をなくしてしまったんだなァ」
俺が淹れたコーヒーを傾けて、デローザさんが言った。
「自信? デロさんがですか?」
驚くアルタイプにデローザさんは苦笑して頷く。
これまた信じ難い話だ。ディアス=デ・ローザと言えば完璧に役を作り込んだ円熟の演技で知られ、一流の俳優が憧れの役者として名を挙げることも珍しくない、いわば超一流の名優である。そんな
「どう演技すればいいのか、分からなくなったってことですか?」
と、俺。デローザさんは首を傾けて、
「そうとも言えるのかな。自分の感覚と世間の許容とにずいぶん距離が空いてきてしまって、それに戸惑っているうちに何もかもが
「そりゃもちろんです」
俺たちはうんうん頷く。名匠・マオリガッタ監督の『
そこでのデローザさんの役は、ティーガーの故郷に根を張った、これまたダメ人間だけどドコか憎めない無頼漢で
「あれで僕が最後に出たのが、ええと……」
「
後を引き取って俺が答えると、デローザさんは嬉しそうに「そうそう」と言った。そのナンバーもやってる内容はいつも通りのマンネリズムだったが、クライマックスにティーガーとガジューロの二人で敵の
……そりゃま、チリアーニ作品とくらべれば遥かに大人しいが、『
「終盤、ティーガーとガジューロが2台の戦車で街を駆け抜けるシーンがあったろう。その最後、公開版ではガジューロの戦車は道の行き止まりに激突して馬ともども放り出され、そのままリタイアという流れなんだが、あれが実は後撮りでね。元々あったのと差し替えてるんだよ」
「へえ? ウラ話ですね。既に撮っていたものには何か問題でもあったんですか?」
「……そこなんだ」
デローザさんは沈痛な表情でコーヒーを一口すすり、深いため息をついた。
「私は基本的に自分で
「はあ」
「もちろん私はその真っ只中に戦車を突っ込ませたんだ」
「……ん!?」
この人、今なんて……。偶然目についた結婚式に馬引き戦車で突っ込んだ?
「ナ、ナンデ……?」
「昔から言うだろう? 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえってね」
「え? あ、ええ……、聞きますね……」
「せっかく馬に乗っていたことだし、一丁実践してやろうかと思ったんだ」
「だからナンデ!?」
「ところが君、いざ式場を駆け巡ってみたものの、恋路を邪魔してる奴が一人もいなかったんだ! こりゃあ拍子抜けしたよ!!」
「そりゃ結婚式だもん! 何もかもが円満に収まって最後の最後の段階だよ!? 今更邪魔しに来る奴があると思うか!? 邪魔してんのはあんたの暴れ馬だけでしょうが!!」
俺が怒鳴るように指摘すると、デローザさんはハハハと軽快に笑った。
「君はまだまだ世間を知らないなぁ。大きな結婚式にはね、昔から式に乱入した上に花嫁を連れ出して駆け落ちしてしまおうなどと考える大それた輩が現れるものなのさ。いよいよ誓いのキスを、なんてタイミングを狙って教会の大窓を叩いてね、ちょっと待ったー、なんて叫んで大騒ぎするんだ」
「それ大昔の幻術じゃねえか! 現実とフィクションの区別をつけてよ!」
紳士っぽい人となりに騙されてたけど……、この人もふつうにバカじゃないのか!? 馬鹿しか来ねえんじゃねえのか、この喫茶店!?
「ま、邪魔者を馬で蹴り飛ばすカットは残念ながら撮り逃がしたんだが、そうでなくても料理が満載した机を派手に蹴散らしつつ、わあわあ
そりゃあ真に迫ってたんでなく、単純に真そのものだったからだよ……。
「……それなのに、マオリガッタもプロデューサーも本編に使用せず、セル版
握りこぶしを固めながら正気を疑うような熱弁を振るうデローザさんを見て、俺は確信した。こいつが完全にバカだってことを。新婚夫婦かわいそすぎんだろ。
「あれは確かに会心の出来だった! なのに、それを頭から否定されたのではなあ……。以来、常に感覚のずれを感じてしまって演技にも身が入らなくなり、すっかりスランプというわけさ」
それまで、デローザさんの話の内容に呆れつつも静かに聞いていたアルタイプが身を乗り出した。
「それがデロさんの失踪の理由……。つまり、欲求不満?」
彼が端的にまとめると、デローザさんは「感性のトンネルに囚われたのだよ」と悪びれもせずに反論する。
「なんだかなあ……」
レティも同じく呆れ切った顔でこぼすが、デローザさんは怯まない。
「そう言うがね、自慢の仕事に無粋な横槍を差し込まれるのはあまり良い気分ではないものなんだよ、お嬢さん。それに夫婦には賠償もしたし詫びも入れたんだ」
……全く無関係の人の人生最大イベントを叩き潰しておいて、なに開き直ってやがんだコイツは。
「そもそも被害者を出さないのを大前提でやりなさいよ」
もっともなツッコミを入れたレティが持っていたティーカップを置き、そこにエリスが紅茶を注ぎ足す。
「でもわたしちょっと分かるな〜」
おいおいおいおい。
「これだ、って思ったら試さないと落ち着かなくなるっていうか、細かいこと気にしてられないっていうか」
「そうかね、この
こんなのに共感するとかマジ勘弁してください。
「それでも、失踪なんかしてないで、家族の方に連絡くらいした方がいいんじゃないでしょうか。心配してますよ、きっと」
デローザさんはハハ、と笑って、
「そこも難しいところでね。経験的に言って、今の私の心理状態でウチのと一つ屋根の下にいれば、瞬く間にタチの悪い喧嘩になるんだな。夫婦といえど、長く同じ相手と生活をともにしていると、時には一人で過ごす時間も必要になるんだ。だからまあ、今のフーテンな状況は余計な火種を抱えないのと気分を変えるのとで一石二鳥なんだよ」
「それでも、連絡くらいしましょうよ。心配してますから」
意外としつこく食い下がってきたエリスにデローザさんも調子を崩されたか、
「ああ、まあ……、連絡くらいはつけた方がいいかな、確かに。死亡届でも出されたらかなわんからね」と笑いにくい冗談を言った。
そのとき、不意をつくようにして柱時計が「ぼーん、ぼーん」と鐘を五回鳴らした。5時だ。
「あら大変! さぼり過ぎちゃった!」
レティが驚いた声をあげる。いつもの彼女なら3時くらいには店に戻ってるはずで、5時ともなれば、雑貨屋『orange』の閉店時間まで残り一時間だ。
「あーあー、もう!」
「今日はお休みになっちゃいましたね」
エリスが苦笑して言うのに、
「仕方ないわよ、デローザさんが来てるんだもの。けどココだってほとんど開店休業状態だったじゃない?」
……確かにレティの言う通りであろう。なにせ謎の紳士の正体がデローザさんだと判明してから今の今まで、たった一人の来客も無かったのだから。またしても大丈夫だろうか、俺たち。
「俺も帰社するタイミングを見失っちまったなあ。さすがにもう戻らねえと記事書くヒマがマジで無え」
椅子を引いてアルタイプが立ち上がった。
「日曜日なのにまだ仕事あるんですか?」
エリスが問うのに対し、
「マスコミは曜日とかあんまり関係なくてよ。たまに今日が何曜日だったか忘れるぜ」
さてと、とデローザさんも腰を浮かす。
「私もおいとましようか」
「えー、デローザさんはまだいいじゃないですか。ディンキー先生の事とか他にも色々聞きたいお話ありますし。それに今は仕事ないんですよね?」
なんちゅう失礼な……。
「ハハハ、まあ実際その通りだ。また来週にでも寄らせてもらうよ」
「う〜、なんでしたら晩ご飯も用意しますよ?」
「おっと、それは魅力だな。しかし……」
「エリス、お客さんに我が
「なに? 誰がくるって?」
レティが聞いてくるのに俺は手のひらをヒラヒラさせて、
「企業のチェーンに勧誘されてる話、さっきしたろ。毎週そこの社員が二人連れで来るんだけど、それが決まって今くらいのタイミングなんだ」
「ねー、いつも5時半なんだよね。なんでだろ?」
「迷惑かけてないようにしてるつもりなんだろ、一応。昼の忙しい時間に来られたら鬱陶しいし、かといって閉店後に来て門前払いされたかねえだろうし」
全く面倒くさい連中である。アルタイプが鼻を鳴らした。
「申し訳ないな、面倒をつかませて。断っても来るのか」
エリスは肩を落として困ったような顔を見せた。
「もう来ないでくださいって言っても、また来ますって言われちゃうんですよねー」
「来てもほっとけばいいのに」
レティがそう言うのももっともだとは思うが、
「いちおう一杯は頼んでいくからなあ……。向こうが客の体裁をとってくる手前、なかなかどーも」
「変なところで真面目なんだから、二人とも」
とかいってレティは笑うが、同じ状況なら自分だってぞんざいに扱えないくせに。たとえ見え
すると、アルタイプが腕を組んで「うーん」と唸った。
「脅してきたりはしないのか?」
エリスはふるふると頭を振って答える。
「怖い事はないですよ。いっつもニコニコしてて、僕たちの仲間になったらこんないい事ありますよって説得されるだけです」
「そうか……。いっそ事件でも起こしてくれた方が何かとやりやすかったんだが、まあいいか。あ、デロさん。相談があるんですがね。溜まった
「うん? 何を考えているのかな」
「いやなに、気分良く暴れてもらうにはいい機会なんじゃないかと思って。お帰りのところを引き止めて申し訳ないが、ここまで来たら最後までだ。乗り掛かった船だと思って、俺の罪滅ぼし、ちょっと手伝ってくれません?」
「おいおいおい」
不穏な空気に思わず俺は口を挟んだ。
「なに考えてるの知らんけど、暴力沙汰は遠慮するよ」
となりでエリスも首を縦にウンウン振り回している。アルタイプは手を振って、
「そんなんじゃねえよ。俺はともかく、デロさんにそんな真似させられないだろ? 演技だよ、演技。ちょっとした小芝居打ってびっくりさせて、この店のことは今日限り諦めていただこうって算段だ」
「小芝居?」
やはり妙なことを言う。だがアルタイプは自信ありげな顔で小脇に抱えていたセカンドバッグから分厚い手帳を抜き、そこに何かをもの凄い速さで殴り書きしだした。書きつけながらも器用に俺たちに話し始める。
「いいか? 向こうの目的は学祭のイベントを成功させたお前らごと、ココを手前の
そりゃまあそうだろう。ガキの使いでもあるまいに、行ってみたけど無理でしたと報告して上司が「じゃあわかった」とは言うまい。こっちにはいい迷惑だが、してみると命令を受けた彼らにしてもとんだ災難だったわけだ。
「でも、特に理由があって断ってるんじゃないですよ。なんかイヤだからイヤなだけで」
エリスが子供のワガママみたいなことをいうので俺が補足する。
「どこかの系列店に加わったら、これまで曲がりなりにも積み重ねてきた
「そうそう、そういう事を言いたかった」
嘘こけ。するとアルタイプが「だが、」と割り込んできた。
「彼らにしてみたらそれは断られる理由にはなってない訳だ。しつこく押せばそのうちイケそうだ、ってな。そこで、俺たちは彼らが納得するに足る理由を提示してやらなければならないことに気づく」
「納得するに足る理由?」
「簡単だ。もうこの店が既に他のグループの一員になってるって事にしたらいい。フランチャイズの二重登録は向こうだって願い下げだろ」
「えー? そんな簡単に行くかあ?」
俺は鼻を鳴らし、エリスも不満げに口を尖らせて
「嘘をつくのは、ちょっと好きじゃないですねー」と言う。嘘こけ、と俺は心の中で突っ込む。
「だから芝居だって。降りかかる火の粉を躱すための小芝居。君も幻術科なら自分でも演技の経験積んどいた方があとあと得なんじゃないのか? それに今日は
まあそれはそうかもしれないが。しかもデローザさんは既に身を乗り出して笑顔を見せていた。
「それで、プランは纏まるのかな? リハする時間も殆どないぞ?」
もうすっかりデローザさんの顔がニヤニヤしていた。どうも状況が厳しくなればなるほど盛り上がるタイプなようだ。初見を気弱な営業マンと見立てた俺の目は、どうやら相当の節穴だったらしい。
「至極大雑把ですけどね」
アルタイプはずっと書き続けていたメモから数枚ほどピリッと破り取って俺たちに見せる。
「これ……、応答集?」
文字の羅列を
「相手と脚本を合わせてる訳じゃないからアドリブ劇になっちまうが、まあこっちには名優がいるし問題ない。君らの演技力に頼るようなことはほぼ無いよ。標的が到着したら、そこにセットしたセリフを少しと、ちょっとした
簡単に言ってくれるけどなあ……。
そしてエリスは、渡されたメモを熱心に読んでなにやら顔をニヤつかせた。
「これ、ちょっと面白そう……。あ! このセリフ、一度言ってみたかったヤツだ!」
とか何とか言っている。おいおいマジかよ。
「おー、その意気その意気。上手にやろうだなんて考えなくていいぞ、重要なところはデロさんがやってくれるからな」
言われてエリスはデローザさんにむかって「よろしくお願いしまッス!」なんて直角に礼をしている。さっそく新人気取りかいな。
デローザさんも「まあ頼むよ」なんて
急速におかしくなってゆく展開に心の中でため息をつきつつ、俺はいちおうデローザさんに意思を確認してみる。
「いいんですか? なんか珍妙な方向に進んじゃってますけど……」
するとデローザさんは「何を言ってるんだ」とまったく意に介していない様子で答えた。
「こういう状況で腕と経験を頼られることこそ役者
そりゃアンタはこれを失敗したって生きも死にもないだろうが、痛い目を見るのはウチなんだ、痛い目を見るのは。
「それにアルタイプ君は、編集者になる前は小さな劇団で座付き作家をやっとったからな、彼の
「え〜」と俺が疑いの声をあげ、エリスが「そうなんですか?」と当人に水を向けると、
「まあ、な。昔の話だ」
と濁したような回答を寄越した。
「なんで作家さんやめちゃったの? 面白そうじゃない。デローザさんも認める腕なんでしょ」
と食いつくレティ。
「いや、色々あって……。だから全部過去のことなんだ。もう劇団に俺の居場所もない」
「はあ?」
ああ、これは追い出されたな、と俺は直感する。そしてこの、人の目線から逃れたがるようなアルタイプの態度……。どうせ金か女か、いずれロクでもない絡みだろう。
ふと、レティが何か大切なことに気づいたような真面目な顔で口を開いた。
「ところで、私の出番もあるのかしら?」
アンタまで一体何考えてるんだ……。それに対してアルタイプが「出たい?」と聞き返すと、
「もちろんじゃないの!」
一転、嬉しそうな顔を見せる。ていうかアンタも自分の店の面倒みようよ。
「しゃあねえなぁ……、流れ次第だ。まいいや、ひとまず配置について一回リハ通してこーか。デロさん、店長ちゃん、セリフ入りました? ひとまず俺が犯人役やりまーす。ハイ時間無いよー巻いていくよー。んじゃデロさん、細かいところは出たトコ勝負でバシっと決めちゃってください」
「ああ、任せなさい」
事態を楽しんでいるデローザさんは笑顔で頷き、エリスはあわててキッチンの中へ引っ込む。まだ『出番』が用意されていないレティはひとまず店の奥のバックヤードへと戻り、やおらに始まったリハとやらの様子を少し見守ってから俺も奥に下がったが……、嗚呼、俺は普通に喫茶店をやってつつがなく日々を暮らしたいだけなのに、なんでいつもこうなるんだろう……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます