第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇④



 言っていいものかどうかを迷っている。それに、あんまり思い出したくないのだろう。

 俺はもう一度、アルタイプが持ってきた雑誌の紙面を目で追った。この記事でもそうだ、終わり際におまけ程度でシスティーナとのやり取りがリポートされている。あの子との実験は雑誌的には重要でなくとも、だからって全く無視されていた訳ではなかったのだ。

 黙っておこうと思ったが、下を向くエリスに代わって俺が話してやることに決めた。

「空からの眺めを求めにきた人達は、朝の早い時間にたくさん来た。たぶん待ち時間を想定して早めに行動したんだと思う。そのあと、白杖はくじょうをついた色んな人達が介護人に付き添われながら何人も何人も来た」

 俺がそう言うと、話の残りを察した様子でアルタイプは「ああ、そうか……」と呟いた。悲しげな表情を浮かべているところを見ると、やはり感情的にはストレートな男なのだろう。根性の悪い話だが、アルタイプが苦しむ様子を見て俺は少し気が軽くなった。あの時に背負い、今も抱えたままの重荷を僅かでも他人に押し付けることができた気がしたから。

 白杖は何らかの原因で視力を失ったり、著しく視力が衰えた人々だけが持つ、全世界共通のシグナルアイテムだ。杖の先端には感応シンパシーのメモロブが装着されていて、音や風などの様々な『波』を拾い、持ち主に伝えることができる。だけどそこまでだ。

 俺たちはついつい、目の見えない人はなにか特殊な能力を手に入れてるんだろうなんて思い込んでしまいがちだ。自分の家の中のことや毎日歩く道のことなら、見えてなくても全て頭に入っていて、ドコに何があるかカンで分かってるんだろうとか、実は下手に目が見えてる人間よりもある意味ではよりよくモノが見えてるんじゃないか、とか。

 当然そんなのはファンタジーに過ぎない。毎日通る道だって、日付が変われば必ず何かが変化している。昨日には無かったゴミが落ちてたり、昨日まではあった看板がちょっと移動していたりするだけで日常が異常に変わる。システィーナは聡明で行儀の良いコだったが、それは全て彼女自身と、彼女の周りにいる人たちの努力の結果だ。学習する上でも、視力を持たないことは想像もつかないほどのかせとなるはずだ。

 そういった人々が、もしかしたら再び光を獲得できるかもしれない、などと聞かされたらどれほど興奮するだろうか? 喜んだのは当人だけではない。彼らを補助する家族やヘルパーらも、あるいは当人以上に大きな光を見たのではないかと思う。

 そんな人たちを俺たち二人で拒絶した。ウチを頼られても無理だと必死になって説明したのだ。噂を聞いて駆けつけた人々は店先で打ちひしがれた。もう本当に、何よりもキツかった。エリスは毎晩のように泣くし、俺も心が折れてしまって頭も働かず、ほとんど何も手につかなかった。呼吸を止めた頭のまま、手だけを動かした八度の日曜日。今こうして思い出すだけでも、喉の奥に何かが詰まって息がしづらくなる気がする。

 ふと気づくと、いつの間にかエリスがうつむいたまま涙をこらえていた。俺は反射的にエリスの手を掴む。レティが慌てるようにしてカウンターを回り込み、エリスを抱き寄せてやってくれた。

「どうして私に何も教えてくれなかったの」

 エリスはレティの肩に顔を伏せたまま、鼻水まじりの不明瞭な声で「ごめんなさい……、ごめんなさい……」と謝罪を繰り返す。

「エリちゃんは悪くない。何も悪くないのよ」

 貧すれば鈍する、というヤツで、あの時は誰かに助けを求めるのもためらっていた。他人に言えばそれだけ嫌な思いをする人間が増えるとしか考えられなくなっていた。そのときには既にアルマとミナイーダも巻き込んでいて、彼女らも泣かせてしまっていたからその思いは余計に強かった。

 今にして思えばバカな話だ、解決とまではいかなくとも、打開する力を最も持っているのがここらの大地主であるレティとその一族だっていうのは明らかなのに。

「出版社には、連絡は……?」

 アルタイプの問いに俺は重く頷いた。

「気づいた限りの会社に連絡した。次の号で訂正記事を載せてくれた雑誌もあったが、苦情程度に処理されたところも幾つかあった。あんたのところがどうだったかはよく覚えてない。確かこれといって反応らしい反応もなかったと思う」

 アルタイプは両手で顔を覆ってカウンターテーブルに肘をつき、肺の空気を絞り出すように「あ〜〜〜〜……」と嘆息する。

「たぶんお前のいう通りだ、受付で処理されたんだろう。恥ずかしい話だがウチはそういうクレーム多くってよ。具体的な被害総額や弁護士からの書面なんかが出ない限り、最悪の事態に悪化するまで放っておく主義なんだ。本当に済まない。申し訳ない」

 こいつに謝られても仕方ないが、こいつを責めても仕方が無い。そう考え、特に何も言わなかった。エリスはまだ声を押し殺して泣いている。ずっと黙ってこらえていた糸が切れてしまったのだろう。

「ねえ」とエリスの頭を撫でていたレティが少し語気を強めて俺に言う。「なんでそんな状態でお店開けてたの? そんな無理させて心を壊したら元も子もないじゃないの」

「それは……、だって、何も知らない人が休日を使って何人もウチへやってきて、クローズの看板だけ見て帰ったら、って考えるとさ……」

 中継水晶を体験することは無理だと伝える役も地獄だったが、それすら伝えないのはもっとひどいことなのではないかと二人で結論し、店だけは開け続けた。今にして思えばそれも間違った判断だったのかもしれないが、まあ、あの時はそれが精一杯の誠意だと思ったのだ。

 ようやく涙が少し引いたエリスがレティの肩から顔を離して、

「ただ、幻術科への連絡方法は伝えました。水晶があとどれくらいでお店で買えるようになるか、教えてあげてもらえるよう研究者の人にお願いもしましたし、医療向けにたくさん試験をしなくちゃいけないはずだから、できるだけそれに参加させてもらえるようにも。そうしたら、少しは希望になるんじゃないかと思って……。ごめんなさいレティさん。服、汚しちゃった」

 いいから、と言ってレティはエリスをぎゅっと抱きしめる。

 中継水晶はこれからかなりの臨床試験を踏む必要があるだろう。商業用と違って医療向けアイテムは発売許可の審査がとにかく厳しいからだ。治験希望者が多いに越したことは無いはずである。

 といっても、たぶん現場が希望する人数の100倍くらいの数が応募しているのだろうが。

 元はと言えばカミンスキーのヤツが元凶なのだから、まあそれくらいの苦労は自己責任と捉えていただき、より多くの人に体験機会が回るよう取り計らってほしいものだ。

 アルタイプがばっと立ち上がる。すっかり疲れた顔をしていた。

「ああ、クソ。最悪の二日酔いの万倍クソな気分だぜ……。とにかく今回の件、本当に申し訳ないと思ってる。謝って許してもらえるとは思わないが、この通りだ!」

 カウンターテーブルに両手をついて、再びこすりつけるように頭を振り下ろす。ゴンとけっこう激しい音がした。

「いえ、もういいんです。ああいった記事を出したのはアルタイプさんのところだけでもないですから」

 気前のいいことを言うエリスに俺は慌てて口を挟む。

「いいことあるか、多少なりとも賠償とか謝罪とか……」

「いいよ。一通りの波は越えたと思うし、それにこの件はもうあんまり関わりたくない」

「むう……」

 主人をこれだけ泣かされた以上、俺としてはもう少しこだわりたかったが、まあ本人がそういうのでは仕方ない。頭を戻したアルタイプの額には見事なまでの赤い丸がついていて、俺は思わずテーブルの方を心配してしまう。

「帰社次第、まず上に報告入れてそれから謝罪と訂正の記事も可能な限り速やかに出す。知り合いに連絡つけてヨソの雑誌にも事情を伝える。あとロクな確認もしないで記事にした編集者と編集長も連れて謝罪させよう。それから、せめてもの罪滅ぼしといってはなんなんだが、近いウチにちゃんとした形でこの店の特集をさせてもらって……」

「待て待て待て待て!」

 話がおかしな方向になりかけたところで、俺は大急ぎでストップをかけた。

「特集の件はいいから! しばらくは取材とかそういうのからは距離を置きたいんだ。そっとしておいてくれた方が嬉しい」

「うん。編集長とかの人も連れてこなくていいですよ。どうしたらいいのか困ります。あ、なんでしたらレディソー一年分とかいただける方がよっぽど嬉しいかも」

「おいおい……」

 現金な奴である。さっきまで泣きじゃくってたとはとても思えない。アルタイプもさすがに吹き出し、

「一年でも十年でも、それで勘弁してもらえるんなら万々歳なんだけどな。分かった、もし俺たちになにかできることがあれば、さっき渡した名刺の方に伝話でんわしてほしい。でっかい借りだからな、それなりの無茶でも努力させてもらうつもりだ」

 そんな事を言って、明るさを取り戻した顔で笑った。

 どうやら一段落着いたようだ。程々に和んだ所で、俺は最後に釘を刺した。

「こういう面倒、これっきりにしてくれよ」

 緩んでいたアルタイプの口が再び引かれる。

「ああ、わかってる。繰り返さない」

 ……マスメディアにとって、こうした事態を根絶するのは本質的に不可能な話だと俺は思う。彼は、マスメディアには繋げる力があると言ったが、繋がる手が広くなればなるほどドコかに毒リンゴが混ざり込む危険性も増してしまう。単独では無害でも、なにかと組み合うことで毒を作りだすリンゴだって珍しくない。いみじくも彼が口にした通り、マスメディアは扱いの難しい道具なのだ。時にそれは人の思惑を遥かに越えた所で鋭利に機能してしまう。

 それでも人はテレビを、新聞を、雑誌を捨てることはできないし、捨てるべきではない。文明を後退させるわけにはいかないのだ。今回、俺たちは不本意ながら被害者のような立場に身を置かされたし、それは仕方なかったと諦められるほど殊勝にもなりきれないが、幻術というメディアを扱うエリスの勉強になったということで始末にしようと思う。そもそもシスティーナの境遇を利用した俺たちだってあまり偉そうなことは言えないのだ。

「よかったら、お茶飲んでいきませんか?」

 立ち去ろうとしたアルタイプを引き止めてエリスが言った。目はまだ真っ赤っかだが、腹の中でたまっていたものを吐き出して、すっきりした様子がありありと見えた。

「ありがとうよ。けどまあ、みそぎを済ませてから改めて客としてこさせてもらうわ。でないと申し訳なさが先に立ってコーヒーの味も分かんねえからな」

「変な所で義理っぽいヤツ……」

 俺の言葉にアルタイプはにやりと笑い、「じゃあな」と言って、古くっさい幻術の二枚目主人公みたいに二本の指とウィンクで挨拶を返すと、今度こそ身をひるがえした。信用できるのかできないのかよくわからない男だったが、とりあえずセンスがダサいことだけは間違いない。

 と見送っていると、アルタイプは「あれ!?」と頓狂とんきょうな声を上げてまたも足を止めた。なんだろう、と思って俺たちが横から覗いてみると、彼が向いた先にはテーブル席で佇む一人のスーツの男性客の姿。……ああ! この人のことまた完全に忘れてたわ……。コーヒーカップも水のグラスもカピカピに乾いちゃってるじゃないか……。

 たぶん、目の前で俺たちが大愁嘆場しゅうたんばを始めちゃったもんだから、席を立ちたくても立てなかったんだろうなあ。すっげ居辛かったろうなあ。

 なんて勝手に想像してたら、スーツおじさんはやっぱり気の弱そうな顔をして、しかし、

「や、やあ……」

 と気弱な挨拶を口にした。でも、え、あれ? 誰に対しての「やあ」? と思っていると、アルタイプが、

「デローザさん、なんでこんなところに……。あれから長いこと探してたんスよ、みんな!」

「やあ、はは……。まあ、ちょっとね……」

 こんなところとは失礼な。いやそれはともかく、なんだ? 二人は知り合いなのか?

 アルタイプはつっつかつっつかと足早に男性に詰め寄る。

「ちょっとって、奥さんが聞いたら激怒しますよ! ……やっぱり、あの件ですか?」

「まあ、うん。そういう事に、なるのかな?」

 なにやら込み入った事情が横たわっていそうである。レティが「なに? 有名人?」と囁き声で聞いてくるが、もちろん俺もエリスもスーツの気弱なおっさんに心当たりはなかった。喫茶店の客としては比較的よく見かけるタイプで、仕事の合間にサボりに来た二流営業マン、注文はコーヒー一杯、滞在40分というところ。正直あまり印象に残らない。

 ぼけーっと見守ってた俺たちの視線に気づき、アルタイプは興奮を納めた。軽く嘆息たんそくする。

「はー……。あー、この人はアレだ、俳優だ。ディアス=デ・ローザ氏。幻術科の生徒なら聞いたことあるだろ?」

 俺とエリス、そしてレティまで顔を見合わせた。聞いたことあるというか、ちょっとでも幻術に興味があればまず知っていて当然レベルの役者の名前だ。三人の脳裏を様々な名画のタイトルが走ったはずだが、最初に切り出したのはレティだった。

「デローザっていったら、チリアーニ監督の『荒野のガマン』の?」

 いきなりドB級な作品名が出たことに俺はスッこけ、デローザと呼ばれたスーツ紳士は照れくさそうに笑って、頷いた。



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