第3話:大人気(おとなげ)なき戦い・コリウス通り死闘篇②
俺たちがほったらかしたスーツ男性は、確か先週も来てくれたご新規さんだった。2週連続来店ということは、もしかしたら常連になってくれるかもしれない期待の新人さんである。
……つまり、いま最も大切にしなければならない常連候補を相手に、なんと15分もの放置プレイをぶっぱなしてしまったわけだ。普通なら二度と来るか! と怒鳴り散らされてたところだろう。
しかしよほど心の広い人なのか、あるいはただのヒマ人か、お客さんはさして気分を害した風もなく、今はブレンドコーヒーのカップを傾けていた。年の頃が妙に掴みづらくて、四十代……のようであり、三十五にも五十五にも見える。勤め人風の装いだが、スポーツ紙を三紙も広げているところを見るとヒマ人の方かもしれない。お詫びで差し出したミニケーキも喜んで受け取ってもらえたようで、まあ一安心というところだ。
かたり、と静かに椅子を引く音がした。ミダス夫妻が伝票を持って立ち上がったのを確認すると、エリスがそそそ、とレジの方へ小走りに駆けてゆく。こういうとき、お客さんが伝票を持っているかどうかの確認を怠ってはいけない。単にトイレに立っただけの場合もあり、そんなときに店側が先走ると、お客さんはきっと「早く帰ってくれ」と言われたように感じてしまうだろうからだ。俺たちだってお客さんにはゆったりしたひと時を楽しんでいただきたいと思ってこの商売をしているのだ、そんな状況は絶対に避けたい。
「ありがとうございましたぁ〜」
レジに立ったエリスの見送りに続いて、俺も「ありがとうございましたー」と挨拶を重ねた。ヒゲ紳士のコーエンさんは既に帰られていたので、店にいるのはレティと例のご新規さんだけ。
普段ならレティもミダス老夫妻が帰るのを見届けたら、後を追うように自分の店に戻るのだが、今日に限っては長居をしていた。ご新規さんを真の孤独にさせないよう気を遣ってくれてるのだろう。自分の店いいの? とは思いつつも、この心遣いは地味にありがたい。
ツラツラとそんなことを考えていると、しゃらんしゃららんとドアにくくりつけのガラス鈴が鳴った。よっしよし、新しいお客さんだ。
『いらっしゃいませー』
今度こそ声を重ねて即応すると、そこにウチではちょっと珍しい種類の男性が立っていた。
長い前髪をぐっと上へ逆立てるようにしてワックスで固め、ピンクのシャツの開けた胸元にはシルバーのアクセサリ。両手にいくつもの安そうな指輪、ごっついだけのギラギラした金ピカ腕時計。いずれも
薄手の白いジャケットは袖を腰に回して結びつけ、
総合して、『こんなのホントにいるんだなあ』と思わせるくらいの業界人風な男であった。サングラスがないのだけは救いで、正直いって深く付き合いたくないタイプの客である。
その男は「どぉもォ〜」なんて語尾を半音上げながら、いくらでも空いてるテーブル席を無視してまっすぐこちらに向かってきた。よもやレティの横を狙ってんのかね? と思いきや、カウンター越しにエリスへ小さな紙片を差し出した。
「はい?」と、エリスが受け取ったそれは名刺だった。
「ええと、週刊レディ・ソーサラーのアルタイプ=チャンドラー……さん?」
「どーもどーも。編集者ってヤツでしてねェ〜」
そしてセカンドバッグから雑誌を一冊抜き取って表紙を見せた。今週号の週刊レディソーである。
俺はレティの方を指し示して
「あれ?」
と聞くと、彼女は読んでいたその女性週刊誌を手に持ち直してひらひらと振ってみせた。もちろん表紙は完全に同一のものである。
「あ、定期購読してもらってました? 毎度どーもー。ていうか君なに、お店のマスコット? ゆるキャラ?」
「使い魔だよ。ここの店員です」
ゆるキャラ扱いとは失礼な。
「イーネ……。君イーヨ、魔法使いらしくて! しかもショルダーバッグ? あー、これだけでも一段は埋められるな〜。型がえらく古いのが残念なんだけど。なあ君、バンブー・ロゼの最新モデル借りてきてあげるから、ソッチ乗り移ってみない?」
「いやいや……」
大きなお世話である。そもそも
なんかカミンスキーみたいなヤツだなあ。ヤな予感するなあ。
「あの、何のご用件でした?」
エリスの質問に、男は「おいおいやだなあ〜」と、
「編集者が来てるんだからもう分かるでしょ? 取材だよ、シュ・ザ・イ。やったね、大儲けのチャンスだ! 来月発売の号でね、市内にあるちょっとイイ感じの喫茶店特集てのを企画しててさ、今ここが注目のエンタメ型カフェ! ってところでコチラのお店を読者さんにご紹介したいワケなんだよね」
「はあ……」
妙な調子で
「でさ、早速だけどオーナーさんに取り次いでもらえるかな?
いるっていうか、あんたの目の前である。エリスも少し戸惑いつつ答える。
「わたし、ですけど?」
「え、何が?」
「や、だからわたしが今のオーナーなんですが」
アルタイプと名乗ったこの男は一瞬、呆気にとられたように「はあ?」と漏らしてから、
「いいね! イーネイーネイーーーネ!」と急に興奮しだした。頭おかしい系だなコイツも。
「単独で一本組めっぞコレ! 魔法の国で見つけた、魔法使いの女の子が営む魔法のカフェ! ぜってエモいしょコレ! あ、いや待てよ? ウチでやるならどんだけ持たせても一発ネタか……、せっかく経営者こんだけ若いんだしもっと息の長い企画にした方がいいよなー。てなると観光客向けかあ? あーそのほうが最終的に見返りデカいよな、マジでマジで。でも次の企画どうすっかなー……。いいか、目先よりも将来性だ。しゃあねえ、今回はトラベルの連中に売っちまお。なあ、ちょっと伝話かりるぞ!」
今度はこちらが言葉を失う番だった。男は口も態度も急にデカくなった。何が何やら分からんが、とにかく大切な事柄を次々と勝手に決めようとしているのだけはわかる。
「なぁアンタ、ちょっと待ってくれ。まだこっちは何も了承してないしする気もないよ?」
俺が断りを入れると、横でエリスもこくこく頷く。
アルタイプは「はあ?」と
「週販五万部のウチがガンガン押しまくるんだぜ? それだけでどんな影響あるかわかるだろ。あ、しばらくは広告代も必要ねーぜ。すぐに代理店が間に入ってくるだろうが、その頃にはこの店もかなり成長してるはずだ。大丈夫さ何も心配いらねーよ、俺はこれまでに三十軒以上のメシ屋を当ててきたんだぜ? その俺のカンが
——こいつ、根がサギ師だ。
瞬間で俺のカンがそう告げていた。『俺に任せろ』とか『絶対大丈夫』を連呼する男を信用しないのが俺の主義だ。それに、三十軒以上と
「大当たりは結構だが、ここは俺とコイツだけでやってるんだ。どんだけ小ぢんまりした商売してんのか、一目見たら分かるだろ? つうか分不相応な繁盛はウチはもうコリゴリしてんだよ。それに、娘が一人と使い魔一匹でやってるなんて知れたら何が起こるか分かったもんじゃねえしな」
再びエリスはこくこくと頷き、横で見ていたレティは生徒を見守る教師みたいな表情で微笑んだ。するとアルタイプは疎ましげな表情を隠しもせずに「チッ」と舌を打ち、
「だぁかぁらぁ、そのへん全部俺に任せろって。警備会社なんていくらでも紹介してやるよ。それに特集始まったら人手なんかすぐ足りなくなるんだ、バイトだっていくらでも雇えばいい。そうなりゃ自分で働かなくたって左ウチワの生活だ! 笑えるだろ、何もしなくても勝手に金が転がり込んでくんだぜ? あそうそう、テレシ通りの『天使のすみか』って猫カフェ、お前らも
いきなりの話題転換に俺は面食らう。テレシ通りの天使のすみか……。春頃にレティやヴィッキーが行きたい行きたいと言っていた猫カフェの店名だ。あの店なら今も人気が衰えることなく繁盛し続けていると、先月の業界新聞で読んだばかりである。
「あれを引っ張り上げたのだって実は俺なんだぜ? え? 3週連続で取材記事ぶちかまして、水晶テレビの取材も次々に全ネット入れてさ。そりゃあもう大爆発よ! つい先週もあの店の女オーナーから感謝の手紙貰ったばっかでよ、そこに今は2号店考えてるって書いてあったよ。そうだぜ、従業員も足らねぇが敷地だって必要になってくるぞ。どこか移転先の希望はあるか? まあでもここの立地、幹線道路からはチョイ離れちゃいるが
お隣の酷い言われように思わず俺もエリスも吹き出してしまった。レティはさすがにちょっと不機嫌になって、
「おあいにく様。そういう理由なら手放せないわね」
と吐き捨てるように言った。
「なんでぇ、まさか隣りの土地はアンタのか?」
「土地も
レティの仕返しに、アルタイプはさらに渋面を深くした。くたびれた革靴の先をコツコツやりながら、懐から取り出した紙巻きタバコを苛立たしげに口にくわえる。
その瞬間を狙い澄ましてエリスが「うちは禁煙ですよ」と畳み掛けた。が、
「そこに灰皿あんじゃねえか」
さすがに記者、よく見ていた。自分の反撃に反撃を食らったエリスが頬っぺたをふくらませつつ、さらなる反撃を試みる。
「そ、その灰皿は……、わたしのです!」
「うそこけ!」
さすがにムチャがあったな……。ちなみにこの国、二十歳未満は酒もタバコも許されていません。
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