第2話: 学ぶ魔法使い⑤


 満ち足りた気分を胸に抱えながら病院を出て、再び夏の空の下に出た途端、

「うっわ、あっつ!」

 ガッチガチの天日てんぴがこれでも食らえとばかりに光と熱をブチ込んでくる。空調魔法の効いた病室に長く居座り続けてたギャップで、余計に暑さがキツかった。

「太陽がまぶし〜〜……」

 熱っぽい言葉とは裏腹に、空を見上げたエリスの目がどこか遠くに飛んでいたのは、たぶん鳥を探していたからだろう。

 ディンキー先生が撮り損ねた、空から見下ろすような鳥の視点。国一つ収めるほどの大きな視界。自然の四元素を支配し、時空間すら操る現代にあっても、空を自在に飛ぶのは魔法使いの、いや、人類全体の夢だった。いつか重力制御魔法がその夢を叶えてくれるだろうか。

 それからエリスはいくつかの小用を済まし、その日の学校生活を終えた。借りてきた『黙示録の顛末』の幻術入り記憶宝珠メモロブを二人で見て、エリスは墓の下から勢いよく甦ったつぎはぎマスクの狼男と、体に古新聞を巻いただけのミイラ男のやっつけぶりに腹を抱えて笑いまくった。つづいて同じ墓穴から現れた全身金箔女の奇妙奇天烈な盆踊りに「魔力が吸われる、魔力が吸われる!」と大喜びする。

 そう、彼らこそ恐怖の尖兵せんぺい、『黙示録の軍団』である。お笑い劇団ではないことをエリスに納得させるのにずいぶん骨を折った。主人公である魔法使いとその仲間は、季節ごとの嵐の夜に現れる雑コスプレイヤー、もとい、モンスター軍団を一晩ずつもてなし、あおっておだてて、なんとか穏便おんびんに事を済ませてゆく。

 しかししかし、ついに大ボス・夜の女王が彼らの前にあらわれた! 満を持してやってきた全身黒尽くめの大魔女だったが、満を持し過ぎたために登場時間が既に夜明け間際で、出現後間もなく朝陽の光に身をさらしてしまい、ギャアギャア叫びながら塵へと消滅するに至って「この人いったい何しに出てきたの!?」とエリスは目に涙を浮かべながら悶絶した。だいたい俺が予想していた通りの反応だった。鑑賞後、えも言われぬ満足感を胸に、俺もエリスもその日は気持ちよく眠ることができた。


 それから幾日かを過ぎて真夏の酷暑もいよいよ本番、夏の長期連休まであと少し——、そんなときに再びメガデブゲからの呼び出しが届いた。この日は俺たちだけでなく、幻術科生徒はすべて出席せよとのこと。おそらくは学園祭でやる幻術体感イベントの詳細を詰めるためだろう。

「そんじゃ行こっか」

「あいよ」

 そして始まる日々の繰り返し。今日はゴミ出しステーションで顔を合わせたレティと挨拶を交わし、いつもの魔道車に乗り込み、いつもの大通りをゆく。街行く旅行客は明るい色の薄着を選び(逆に厚着している地元民もいるが、そういう連中は服の内側に循環させている魔法、微風ブリーズを逃がしたくなくて着込んでいるのだ)、街路を囲む樹々の緑がいっそう濃くなっていた。

 そして見えてきた白堊はくあの大正門、『開明の門』は、夏の日差しを照り返すことで目を塗りつぶすほどに光り輝いていた。プルメリアの夏が広がってゆく。



「もう一度、を見られるのが今から本当に楽しみです! 魔法使いのみなさん、どうぞよろしくお願いします!」

 元気いっぱいに挨拶をして、両目を古びた包帯で塞がれたその小さな女の子は、ペコリと丁寧にお辞儀をして見せた。俺たちは少し呆然としながら戸惑い気味の拍手を返す。それから女の子は右腕にくくりつけた白杖はくじょうで体を支えつつ、一緒に来ていた母親に付き添われて研究室を出ていった。

 見送る十八人の魔法使いは、その少女の背中が扉の向こうに消えるまでずっと目を離せなかった。

 誰かがポツリと漏らした。「冗談だろ」と。

 今日、メガデブゲが招集をかけたのは予想通り学園祭でのし物、仮称・視覚再体験実験の詳細を詰めるためだったが、予想が大きく違ったのはその被験者だった。ヤツがあちこちのツテに伝話でんわをかけまくり、ついに見つけてきたという『逸材』がさきの少女、システィーナである。全盲者で、9歳だった。

 ただでさえ盲人を客寄せとして扱うことに引け目を感じていた俺たちは、いよいよたじろいだ。健康回復実験の被験者といったらオジさんオバさんを呼ぶのが常識である。何が起こるかわからない実験に未成年を呼びつけるなんてことは夢にも思わない。ましてやヴィッキーと同い年の子供などとは。

「いやあ〜〜もぉ〜〜! 幼気いたいけだよねえええ〜〜〜〜!」

 そんな周囲の気後れなど微塵も意に介さず、膨らんだ腹をぶよぶよ震わせてメガデブゲは大げさな手振りで注意を引いた。ほとんどの人間が嫌悪やさげすむような目を彼に向けている。俺も似たような顔をしていたことだろう。

 だが、そんな顔をして見せながらも、正面切ってメガデブゲを非難する者はいなかった。今回の演し物を最も効果的に盛り上げてくれる被験者は誰か? それは間違いなく年端としはもゆかない彼女だ。臆面もなく彼女を逸材と言い切ったメガデブゲの言葉に間違いはない。『演出』の効果を知るみんなはそれを十分に計算できてしまうから、アイツを指弾できないでいるのだ。

「あんな女の子にもう一度世界という光を見せてあげられる! 文字通りの希望の光だよね! ぶはははは! あ、これ会場の挨拶でも使おうかな、ぶはははははは! いやあ、僕ら幻術科の人間ってさあ、これまで直接人様の役に立ったりぃ、生活の足しになったりってのはできなかったじゃん? でも今度のが成功したらすっごいよォ! ウチの治癒科でもクエルの医術でも絶対できないようなことをやっちゃうんだから!」

 上機嫌であれこれと喚きだしたメガデブゲだが、彼に同調する奴や愛想笑いを返している奴は一人もいない。みんな自分たちがやろうとしていることの正誤に思いを馳せている。

 するとエリスが、隣に居合わせた5学年上の先輩研究員に小さく声をかけた。

「あの、チューリン先輩」

「ん? なんだい」

 褐色の肌に黒く縮れた短髪、ふちの細い眼鏡のチューリン研究員は、遥か南国からの留学生で、幻術に特化した魔法道具マジックアイテムの開発に従事している。今回のもう一方の主役、例の双子の水晶球を中心になって開発したのもこの先輩だったそうだ。

「学園祭が終わったら、あの子に水晶球をプレゼント……、みたいな予定はありませんか?」

「おっと、唐突だね? そんな話は聞いてないし、実際難しいんじゃないかなあ。あれでも先端魔術の結晶だからね、色々あって高価なんだ」

「そうですか……。あ、じゃあプレゼントは無理でもちょっとの間だけレンタルとか。学園祭が終わったあとでも、さっきの子が水晶球を使える時間がちょっとでもあったら、すごい喜んでくれるんじゃないかって思うんです」

「うーん、中継水晶はまだまだ未完成だからね。予期しない動作もかなり残ってるし、開発責任者としてはとてもじゃないけど日常生活での使用は許可できないなあ。それに十分な魔力を持った魔法使い無しでは、現状ただのガラス玉に過ぎないからね」

「そう……、ですよね。うーん……」

「君はそんな先のことを考えてたのかい? えらいなあ」

 珍しく人から褒められたエリスは照れくさそうに頬をかきつつ、

「あ、ええと、そんなんじゃないんですけど。ただ、友達と話してて、せっかく目が見えるようになっても学園祭が終わったら取り上げられちゃうのって、かわいそうだなー、って……」

 あ、バカ。

「あれ、もしかしてもう外の人に話しちゃった?」

「あっ! あー……。すみません、話の流れでついうっかり、治癒科と自然科の友達にバラしちゃいました」

 エリスの失策を聞き逃さずに突っ込んだチューリン先輩は、喉の奥でククッと笑った。

「エリスちゃんらしいね。ま、部外者ならともかく、相手も魔法使いなら大丈夫なんじゃないかな」

「スミマセン〜。あ、あともう一つ話してたことがあるんですけど、あの、先輩。先輩はさっきの小さな子が大勢のお客さんの前で実験台になるのって、どう思います? 正直いうとわたし、人がたくさん見てる前で実験しなくってもって思っちゃうんです」

「うん、まあ、今回かなり演出めいてるからね。その気持ちはわかるよ。でもこの公開実験はね、何もカミンスキーさんが目立ちたくて始まったわけじゃないんだよ」

「そうなんですか?」

 嘘だあ、と俺は思わず一言入れたくなるのをこらえた。

「そうさ。一年を通して最もこの学校に人が集まる学園祭で、『今こんな研究をやっています』と知ってもらう、それが一番の目的なんだ。多くの人が興味を持ってくれれば、国が好意的になって開発資金を援助してくれたり、企業が資金や魔術面で協力を申し出てくれたり、色々なプラス効果を期待できるよね。そうして開発環境が整えば、あの子……、システィーナちゃんだったかな? あの子により早く、より出来のいい中継水晶の完成品を渡してあげられるはずなんだ。小さな子を利用するようなのは必ずしも正義の方法ではないのかもしれないけど、近道するのは悪いことじゃないと思ってるよ、僕は」

「近道……」

 果たしてあのメガデブゲがそんな殊勝な動機で始めたかどうか、怪しいもんだが。チューリン先輩は掛けていた眼鏡を一度外し、ハンカチでレンズを拭いてまた掛け直した。

「僕はむしろ……、あの娘より、彼女の母親のために希望を示してあげたいと思ってる」

「お母さんですか? あ、そうか。あの子の怪我の原因が」

「そう。今も相当の罪悪感に苦しめられてるはずなんだ。親が子供の視力を奪ってしまったなんて、きっと悪夢以外の何物でもないよ」

 チューリン先輩は手元のノートに目を落とし、あの少女、システィーナが光を失うに至った不幸な事故の経緯を確認する。

 きっかけは些細ささいなことだった。その日の夕方、母親が台所で夕飯の用意をはじめた頃、遊びから帰ってきたシスティーナはウチに帰り着くなり母親を驚かそうと息を潜めてその背後に忍び寄った。子が親に構ってもらいたがっただけの、ありふれて他愛ないことだ。ただ、母親はその瞬間がくるまで自分の足元に娘が居たことに全く気づかず、夕飯の揚げ物を始めてしまった。だから全てのタイミングが悪かっただけで、その後の事故についてシスティーナはもちろんのこと、彼女の母だって罪の意識を背負う必要などないのだ。

 しかし、事実がどうだろうとそれは慰めにはならない。娘の顔の中央を占める、古びた包帯が不要になる訳でもない。母娘の事情を説明されてからずっと、俺たちの胃の腑には鉛を飲み込んだような異物感がわだかまっていた。その重石おもしを取り除くには、学園祭の実験を成功させ、一日でも早く魔法の水晶体を完全なものにし、母娘に贈るしかないのだ。


 このあと、みんなは気持ちを持ち直して幾つかの決め事を話し合った。

 まずは彼女に何を見させてあげるべきかについてだ。これはほぼ瞬間的に全会一致で『母親の顔を』と決まった。

 しかし、それだけでは華が足らないのでは、というカミンスキーからの強い押しがあって会議は延長され、ここで意見が二つに分かれた。一つには、楽しい幻術のパレードを作ろうとする組。水晶の完成を待つ、長い間の思い出となるような時間をプレゼントしようという訳だ。集まった観客たちへのもてなしにもなる。

 もう一方は目に映るもの、自然の姿をありのままに見てもらえれば十分なのではないか、という組。余計な手を加えるなという主張である。

 それでも魔法使いか、この機会を最大限楽しんでもらおうという幻術使いとしての矜持きょうじはないのか、と一方が怒声を張り上げて挑発すれば、もう一方は幻想と幻惑の区別を知っているのが幻術使いであり、賢しらに小細工を弄して成長途上にある少女の心を歪ませるようなことは魔法使いの傲慢である、と厳しく指弾する。両陣営とも少女の幸福な未来を祈るが故に激しく論陣を張ったが、結局のところ決着はつかなかった。

 最後にもう一点、俎上そじょうに載った議題がある。誰が少女に光を貸し与えるのか、だ。壇上で彼女に魔法をかけるプレゼンターのキャスティングである。

 いち早く立候補したカミンスキーが瞬間的に拒絶された。たとえヤツの行いに公然と異を唱えることができなくとも、それが人情というものであろう。本人はなかなかやる気をひっこめなかったが、ヤツには国やら企業やらの賓客ひんきゃくに対する説明役が待っているので、どのみち可能性はなかった。

「仕方ないなァ〜……」とようやく諦めの気配を出したが、それから「それじゃあ、どっしよっかなー」などと呟きながら、ヤツが真っ直ぐこちらに歩み寄ってきやがる。なんだと思って見ていると、メガデブゲはニタニタ笑いながら俺たちの目の前で足を止めた。

 ぼけっと見上げたエリスの前で、メガデブゲはこう切り出した。

「エリスちゃんにやってもらえるなら、僕ちゃん納得しちゃうっかなー?」

 は?

「わたしですか!?」

「そお、君。システィーナちゃん小さな女の子だし、だったらウチで一番若い女の子に任せるのがベターじゃない? それにさ、前にお手伝いに来てもらった時、僕お願いしといたよね。エリスちゃんに任せちゃうかもって。あのときイヤだとは言ってなかったよね?」

「あ……、はあ……。でも、ええええええ!?」

 イヤとは言ってないが、良いとも言っていなかった訳なのだが……。

「あの、わたし急に言われても……、えええー?」

 慌てて立ち上がり、振り返ってみんなの反応を見てみれば、満座の魔法使いたちは頷いたり、どーぞどーぞと言わんばかりに両手を差し出していたり、もう勝手に拍手を始めたりで無責任なことこの上ない。彼らは自分でプレゼンターをやりたくて議論してたのではなく、単にメガデブゲに任せるのが嫌だったので文句を垂れていただけである。そもそも魔法使いというのは全般に裏方を好む性質で、自分におはちが回ってこなくてこれ幸いなのだ。そういう意味ではエリスにとってもありがた迷惑なのだろうが。

「がんばりなよ」

 隣のチューリン先輩にまで楽しそうに励まされて、エリスはしおしおと頷いた。

「えええ〜……。も〜……、まぁ、はい。わかりました……。お引き受けします」

 ぱちぱちぱちーと承認と安堵の拍手が鳴る。さぁ〜、これで今日もまた一つ厄介ごとを抱え込みやがったぞ、ウチのご主人様は。

 ただ、エリスは着席する前に、意外な一言を付け加えた。

「その代わりと言ったらなんですけど、システィーナちゃんに見てもらう幻術について、わたしなりのアイディアがあるんですが……、みなさん聞いてもらえますか?」

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