第2話: 学ぶ魔法使い③


 研究室を出ると、いつも独特の清涼感に包まれる。空間圧縮魔法のプレッシャーから解放されたためだ。それからリフターで一階に降り、受付のねーちゃんにさよならをして総研から出てみると、外は意中の食堂へ行こうとする魔法使いや研究者たちでごった返していた。この学校には食堂が三つもあって、その日の気分に合わせて定食や麺類など食事のジャンルを選べるのだ。

「カバン君、追跡トレースのメモロブ貸して」

「あいあい」

 エリスに言われた俺は自分の体に腕を突っ込み、目的のモノを見つけて差し出した。

「ん」

「ありがと。とりあえず、アルマの位置は、と……」

 追跡トレースの魔法は、登録した友人らの現在の居場所を教えてくれるだけでなく、短いメッセージも送受信できる優れものだ。さすがに伝話のようなリアルタイム通信とまではいかないが、遠く離れた場所にいる友人との連絡には十分使える。現代の生活になくてはならない、象徴的な魔法道具マジックアイテムの一つだ。

 ……いや、さっきの中継水晶とやらが完成したなら、いつかその座を明け渡すことにもなるかもしれないが。

 ついでに空間圧縮魔法の説明に少し付け足しをしておこうか。実は、俺の体の内側にもソレの簡易版が常駐している。自分の体積の5倍くらいまではどうにか収納が可能で、エリスの身の回りの品の大半はそうやって俺が管理していた。まあ、俺でなくとも大概のカバンに付与された魔法だ。

「あ、もうアルマもミーナも待ってるみたい」

「じゃ、急がないとな」

「うん」

 エリスからメモロブを受け取って、再び自分の体の中にしまいこんだ。次の目的地は学校の中央にある緑化広場。食堂を使わないエリスは、昼飯はいつもそこで仲のいい友達二人と弁当を広げるのだった。



「あ〜〜、そりゃ確かに盛り上がるわ。あたし絶対感動する。間違いない」

 芝生に敷いた魔法の絨毯に胡坐あぐらをかいて、具がこぼれ落ちそうなBLTサンドにかじりついていたアルマが言った。非常にはしたないことこの上ないが、ここの制服はスカートではなくパンツスタイルなので下着が見えるようなことは一応無い。

 治癒科のアルマの制服は、基本の意匠こそエリスたち幻術科と大差ないものだが、カラーがベージュ基調に赤のラインとなっている。その制服によく馴染んだこげ茶の髪をボブで揃え、アクセサリに白い花飾りコサージュを挿していた。見た目も内側も明るいこの子は、春のメモロスタル騒動でヘルプを頼んだ、あの時の子だ。

 そのアルマのだらしない膝を、隣で行儀よく座るもう一人の少女がぺちんと叩いて直させた。こちらもエリスの親友で、名前をミナイーダといった。

「でもエリス、学園祭のし物の内容って私達に話してもよかったの? 普通そういうことって正式発表をするまでは秘密にしておくものでしょう」

「あ、しまった」

 大口を開いたエリスに、エルフ似のミナイーダは呆れ顔のまま笑った。風の魔法の研究員である彼女の制服は薄いモスグリーンの法衣で、陽光を受けて輝く白金色プラチナのロングヘアとの組み合わせにはゆるぎない気品があった。鶏肉のバジルソースがけをフォークで口に運ぶ姿にもおもむきがある。そんな仕草の一つ一つからもわかるように、彼女はいわゆる良家のお嬢様だ。

 魔法研究員は一般人レベルの魔力でもなれるが、ハードルが低いだけに競争率は高い。汎用性の高い自然魔法学科の研究員ともなれば尚更だ。この競争に勝つには、本人の努力はもちろん、両親からの強力なバックアップや家格も必須条件になる。故に、魔法使いはアホで研究員は優等生というのが一般的なものの見方になっていた。

 ついでにいうと彼女らがレジャーシートがわりに座っている魔法の絨毯はミナイーダの持ち出しで、周囲に心地よい風を巡らせる魔法、微風ブリーズが仕掛けられている。けっこうな高級品だ。夏の木陰で弁当を広げるには最高の品で、そのうえ空間圧縮魔法がこれにも効いていて、使用後にはハンカチサイズにまで折り畳むことができた。

「んじゃミーナもアルマも、今年の幻術科の演し物についてはまだ秘密にしといてね?」

「あたし、口は堅いから安心しなさい」

 というアルマにミナイーダは一瞥をやって、

「アルマは、口は堅いけれどよく滑るのよ。エリスもだけど」

「えー、そんなことないしー」

 早くも胡座に姿勢を戻してしまったアルマが尻で微妙にバランスを取りながら、半分後ろにっくり返っていると、その背後から「ぎにゃっ!」と猫語の悲鳴が上がった。

「だから! 尻尾をつぶさないでくれ!」

「あー、ごめんごめんアル」

 アルマの背中の影からすらりとしたスタイルの白猫が転び出てきた。彼女の使い魔で、俺の友人でもあるアルフォンス氏だ。主人の陰で太陽光線を遮っていたところ、その主人の尻に尻尾を挟まれたらしい。氏は多少暑くても尻尾を踏まれるのは二度とごめんだ、とばかりに主人の隣に寝床を変え、丸くなって寝直す。

 そんなアルフォンス氏の背中を撫でさすりながら、アルマがエリスを見て言う。

「んでさ、エリスはその学祭イベのなにが気に入らないワケ? あんたの話聞いた限りじゃ誰も損しないと思うんだけど」

 彼女の言葉に、エリスは「ん〜〜、気に入らないって言うのとはちょっと違うんだけど……」と唸る。口の端にはさっきまでつついていたグリーンサラダのマヨネーズがついていた。

 ——今年の学園祭の内容が決まったけど、なんか素敵なようで、でもなんか微妙にヤ。

 今日の昼飯は、エリスのそんなアンニュイな発言から始まっていた。当然の流れとしてアルマが「なにが?」と聞き、問われるままに先ほど体験してきた幻術科のネタを逐一バラしてしまい、それをミナイーダに指摘されていたわけだ。

「だってさ、わざわざたくさんの人が見てる前でやらなくてもいいと思わない? たとえば小さなブースを用意して、そこに魔法体験する人だけ呼んで、それで楽しんでもらったらいいんじゃないかな、って」

「学園祭だもん。人前でやんなきゃ意味なくない?」

「そうだけど、そうじゃなくってぇ」

 頭上に?マークを浮かべるアルマを横から見たミナイーダは、エリスのマヨネーズを拭きとってやりつつ、助け舟をだす。

「ハンディキャップを抱えてる人を利用して、奇跡の見せ物を演じることが疑問なのよね、エリスは」

「あ、そうそう。大体そんなことを言いたかった」

 こくこくと頷くエリス。アルマも「あーはいはい」と声に出して納得しかけたが、

「それ判るけどさ、だったら被験者にちゃんと事前説明しといたらイイじゃん。大勢の前でやるよって。んで、その上でオッケーっていう人だけを舞台にあげたら?」

「ってわたしも思ったんだけど、でもその人って長い間ずっと目が見えなかった人でしょ? 久しぶりに外の世界を見て、そしたらすごくすごくたくさんの人が自分のことじっと見てて、いきなりそんなのって絶対ビックリするって思わない? それってすっごいショックなことだと思うし……、大丈夫かな? 傷ついたりしないかな?」

「え〜? けど、そんなこと言い始めたら何もできないじゃーん」

 アルマは再び胡坐をかくと、そのまま尻を支点にゆらゆら揺れだし、アルフォンス氏が慌ててアルマから距離を取った。彼女の姿勢を直すのをいい加減諦めたミナイーダも正座していた膝を横に崩す。

「エリスの言いたい事はわかるわ。でも、少し気の回しすぎじゃないかしら? 見られることの驚きもあるだろうけど、見えるようになる喜びというのもあるはずでしょう? ちゃんと話せば、被験者の方もきっとわかってくれるわ」

「……それはわかるけど、でも、それだって別に大勢の人に見られなくたってできるわけだし……」

「それは無理ね。だって学園祭のために用意される企画なんでしょう? 何をするにもお金はかかるし、うちの学園祭って半分は新製品の見本市みたいなものだもの、それなりの宣伝効果を求めるのは仕方ないことよ」

「それはね、そうなんだけど……。んー……」

 エリスは卵とほうれん草とシャケの炒り物をスプーンでつつきながら唸る。

 ちなみに、絨毯に所狭しと並べられている弁当はいちおう全てエリスが作ったものだ。グリーンサラダにBLTサンド、メインはチキンのバジルソース掛け。副菜にほうれん草の炒り物。それから魔法瓶に入れたフルーツフレーバーの紅茶。いずれも店の余り物のリメイク品。こうしてエリスが毎度の昼メシを提供する代わりに、店が忙しくなると彼女たちは二つ返事でヘルプに駆けつけてくれるのである。

「あとね、も一つ」ぱっくとスプーンをくわえてエリスが継ぎ足した。

「この魔法、わたしみたいな幻術士が隣で魔法かけてる間だけ目が見えるようになるわけじゃない?」

「エリスがそう説明したんじゃん」

「うん。でもその後はどうなるの? 学園祭の、ほんの少しの間だけ見えるようになって、でも終わったらまた元の真っ暗なんだよ?」

 友人二人はエリスの言う事の意味を想像し、そして食べる手を同時に落とした。エリス自身もスプーンを置く。

「ずっと隣にいられたらいいんだろうけど、けどわたしだってお店とかあるし……」

「……そうね。それって少し酷なのかもしれないね」

 ミナイーダが言う。その横で、

「ん〜〜〜」

 アルマが俯き加減で暗い顔をしていた。思い切りの良さが売りの彼女がこんなに悩んだ表情を見せるのは、エリス以上に珍しいことだ。顔を俯かせたままで口を開く。

「あたしさ、治癒科じゃん? うちって学校の中の病院だから、来院する患者さんも基本的に魔法使いとか政治の人とかで一般人じゃないんだけどさ、ときどき治験ちけんの人なんか受け持つことがあるんだよね。でさ、そういう時って大抵、未解明の病気で悩んでる一般の人なんだよね。……あ、治験ってわかる?」

 ミナイーダが答える。

「新しく開発した魔法に、どれだけの治癒効果があるのかを測定する試験よね。様々な症状や進行状況の患者を集めて一律に魔法をかけて、患者それぞれがどう変化するのかを見定めるための」

 彼女の言葉に、アルマはどこか遠くを見つめながら頷いた。

「そう。メモロブにして売り出す前にそうやって臨床試験すんの。でさ、試験しても効果が薄いなーってわかってくると適当なところで切り上げて、また次の魔法の開発を始めるんだけど、そうなると可哀想なのが治験に参加してくれた患者さんなんだよね。治験で来る人って、長いこと悩んでる病気がこれで治るかもーって期待してる人ばっかりでさ、ていうかもうコレで治るって信じちゃってるトコあってさ、そんな人たちにこの魔法やっぱダメっぽいーなんて言っても納得しないよね、やっぱ。中止しますって言っても自分には合ってる気がするからもう少し続けてくれっていう人、ホント多くてさ。でも予算やベッドも限りがあるから、できませんって言うしかないんだけど、なかには泣き出しちゃうオジさんとかオバさんも結構いてさ……。

 治験の終わりを連絡するのは先生で、あたしはその横についてるだけなんだけど、それでも、その人の最後の希望を取り上げてるみたいな気分になってきて、アレすっごいキツい……」

 そこでアルマははっと顔を上げた。

「……ごめん、めっちゃ愚痴モード入っちゃってた」

 謝るアルマに、エリスはふるふると首を振り、ミナイーダはアルマの肩を引き寄せてやる。アルフォンス氏も無言のままアルマの膝に体をくっつけていた。

「全部吐き出しなさいよ。構わないから」

 アルマは自分の使い魔の喉をあやしながら、 

「……うん。って言っても、そんくらいの話。でもね、その逆の時はもう、最高に喜ばれるよ」

「逆?」とエリスが問い返すのに、アルマはまっすぐ見返して頷く。

「ちょっとでも効果が確認された時。ほんと、生まれ変わったみたいな顔をしてめっちゃめちゃ笑うよ、患者さん。そういう時は一番やり甲斐感じるし」

 アルマはその光景を思い出したのか、優しい顔で微笑んだ。

「ごめんエリス、混乱するよね。でもさあ、苦しんでる患者さんの気持ちを持ち上げたり落としたりってのはキツいことなんだけど、最後の『報われる瞬間』を一度でも体験したら、やってみて良かったー、ってなると思うよ。あたしはそうだった」

 アルマは思い出し笑いしながらうんうんと頷く。過去の自分を肯定するかのように。横についてやっていたミナイーダはゆっくりと身を離し、

「それは人の暮らしに関わる魔法を開発する上で、一番大切なことだと思うわ。先輩の研究を手伝ってると、辛いことや悔しい思いだって何度も味わうんだけど、最後にそれが成功したならみんないい思い出になってるもの。そんなとき、いつか自分でもたくさんの人に使ってもらえる、新しい魔法を作りたいなって改めて思うのよ」

 ミナイーダはそういうと、自分の指先を見つめた。

 エリスやアルマと違って彼女は研究員だ。魔法という枠外の法を生み出す研究員の仕事は、ひとえに果てしのない試行錯誤の連続である。何がどうきっかけになって目指す効果を引き出すのか、予測すら難しい仕事だ。連日連夜、遅くまで研究と実験を繰り返し、時には家に帰れない日々が何日も続く。心身を摩滅させるような仕事でもある。それでもミナイーダは言った。

「私は今の仕事好きよ。生徒手帳の序文にあるみたいに、社会を良くしようとか、市井しせいの暮らしを助けたいなんて立派な目標を掲げるつもりもないけれど、なにか新しい魔法が一つ作れたなら、きっと世界の誰か一人くらいはその魔法があって良かったって、喜んでくれるって期待できるもの。そういう気持ちって自然科だろうと治癒科だろうと幻術科だろうと、魔法使いみんなに共通する気持ちなんじゃないかしら」

 二人の友人に見つめられ、エリスは「そうだね」と頷いてみせた。

「始める前からあれこれ諦めるより、まずやれる事やってから、そっから悩んでみるよ」

 体に活力を入れるように、BLTサンドにかじりつく。



 自然魔法学部の研究塔に戻るというミナイーダと別れ、アルマとエリスは二人並んで延々喋くりながら歩いていた。さっきまで三人で止む事なく口を開いてたのに、未だに話の種が尽きないのには呆れるしかない。

「ところで今日は先生の様子どう? 知ってる?」

 エリスの問いにアルマが「ああ、見てきた」と答える。

「問題なさそだったよ。午前中はエリスの先輩に講義してたっぽいし。あ、じゃああたしコッチだから」

「うん。じゃ、また明日ね」

 俺たちと別れると、アルマとアルフォンス氏は赤レンガ造りの建物へと消えていった。六階建てと学内でも特に巨大で、もちろん内部に大容量の空間圧縮魔法を抱えるこの古城は、治癒科が単独で持つ総合魔術研究塔である。病気や怪我から人々の命を救うため魔法使いたちの挑戦が毎日毎晩つづけられる不夜城だ。アルマの言っていた治験も、今もこの城のどこかで行われているのかもしれない。

 一方、俺たちが今から行こうとしているのは、総合研究塔の向かいにある白の横広な三階建ての建物である。ここは一言でいってしまえば入院病棟だ。

 そしてこの病棟にはエリスに幻術を教えてくれている、師匠と呼ぶべき人が入院していた。学内でも最古参の魔導師の一人であり、幻術のみならず数々の重要魔法を修め、プルメリアの発展に大きく貢献してきた大賢者、ディンキー先生だ。

 実は、幻術は生まれてまだ三十年も経っていないような歴史の浅い魔術だ。そんな若い道に大碩学だいせきがくたるディンキー先生が情熱を注いだことで、幻術の研究はかなり例外的な速度で発展したという面がある。先生は幻術の中興の祖といっても過言ではないだろう。

 しかしディンキー先生も、研究を大成させるにはあまりに歳を取りすぎていた。最近では自らの足で教壇に立つこともかなわず、体力も著しく衰えたとあってはアルマたち治癒科の魔法もせいぜい老衰を押しとどめるのが精一杯。いまでは学内病院に長期入院を余儀なくされた体である。

 それでも先生は、一度に一人ずつ、自分の病室に生徒を呼んで自らの知識を伝え、あるいは生徒の発想に耳を傾けた。おそらく最後であろうディンキー先生の授業を受けているエリスは、本当に幸運に恵まれている。


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