第2話: 学ぶ魔法使い②
先端総研三階の第7教室、別称・触媒研究室第3別室は、広い。
別室とはいうがちょっとした工場程度の規模があり、そのほとんどを怪しげな実験機材やら謎の試作品やらがごろごろと埋め尽くしている。ガラス管が迷路のように組み合わさった蒸留装置の中を青色の液体が高速で走り、その横でクラシカルな魔女釜から緑色の泡がボコリと吹き、鉄板製の棺桶みたいな装置の中からチキ、チキ、チキ、と何らかの機械音が絶えず漏れ出し、隣で埃をかぶっているオルガンのメトロノームがそれと同じリズムを刻み……。先端総研ワンフロアの1.3倍近いスペースを与えられながらこの乱雑な有様なのだから、魔法使いどもがいかにズボラなのかがよくわかるだろう。
そう、1.3倍だ。先端総研の平地面積より広いのだ。なぜそんな計算がまかり通るのか? 答えはもちろん魔法だからだ。
総研の主要研究室には空間圧縮の魔法が常時かけられていて、限りあるスペースを魔法で強引に稼ぐシステムになっている。強力な時空間魔法による上位次元干渉により、効果域内の3次元時空間に含まれる見かけの総霊素を実際よりコンパクトに折りたたむ魔法……、とのことで、言葉の意味はわからんがとにかくすげえ魔法だ。一応人体に影響はないらしいが、正直ちょっと怖い。
そんな魔法のゴミ捨て場みたいなこの研究室は、今日は妙にひっそりとしていた。通奏低音となっている機器類の作動ノイズ以外はほぼ無音で、動いている人間も青の
「おお〜〜〜い、おお〜〜〜〜い」
エリスは呼ばれるがまま、そいつに歩み寄ってゆく。
「やあエリスちゃ〜ん、わざわざ来てもらっちゃってごめんねぇ」
「遅れてすみません。今日ってカミンスキーさんしかいないんですか?」
「他の連中なら奥にいるよォ。実験準備でスタンバってるんだぁ」
この口の中がべたついた
「今日は魔法使いの子が全然捕まんなくってねぇ〜。申ォし訳ないんだけど、実験手伝ってくれるぅ?」
「いいですよ。学園祭か何かの準備ですか?」
「あったりィ〜! さすがエリスちゃん、勘がいいなァ!」
フゴォ、と鼻で大きな呼吸をしながらカミンスキーは暑苦しい笑顔を見せた。
それはさておき、この学校では『魔法使い』を、大きく2種類に分類していることを皆さんご存知だろうか。まずはそのまんま、魔法使い。単に魔法を使える人のことだが、より狭く定義するのなら『
そしてもう一方の魔法使いが、魔術研究員。縮めて研究員とか、あるいは魔術師とか呼ばれることもある。研究員たちの持つ魔力は一般の人々とそう大差ない。その代わり、この人たちは魔法と称される謎の力が、いったいどういう仕組みで発動し、何を根拠に効果を発揮しているのか、その術理と構造を解析して効果の改善や新魔法開発に
「それじゃ簡単に説明しよっかなあ。どうぞ、座ってぇ〜ん」
「はーい」
俺を抱えたまま、エリスは木製の長机を挟んでカミンスキーの対面に座った。
「今年の学園祭はさ、客が魔法に触れて、奇跡を体験できるような企画を検討してるんだよねェ」
カミンスキーの喋り方は舌足らずというか、ネチっこいというか、とにかく不快だ。たぶん舌が脂肪で肥えて思い通りに回っていないのだろう。そして喋り方以上に性格が粘着質で回りくどい。ついでに言えば年の割に頭髪は薄い。俺はコイツのことが大嫌いだ。
「今までは客を劇場に入れて、みんなの魔法で幻術見せてた訳でしょォ? でもさ、そんなの毎年やってるし、いいかげんネタも切れるし、それじゃつまらないと思わない? 違う? だからねェ、今年のイベントの方向は体感ね、体感型幻術! 来て見て触って楽しもう! ね、決まり!」
何よりお客さんのことを『客』と呼び捨てている時の目つきが圧倒的に気に入らない。
が、そういう
「幻術を触るんですか?」
「そう、体感型幻術。これは過去に例がないよね。わぁかってる、わぁーかってるよぉー? 幻術は触れない、それくらいはボクにだって分かってます! どう? 偉い? 偉い? ぶはははははは!」
ああ、もう。ホントこのまま破裂して死なねぇかなあ。
「いやねえ、実はちょっと面白いものが作れちゃってねぇ〜。知りたい? 知りたいよね?」
「あー……、はあ」
うぜぇ〜。破裂して死ねばいいのに〜。
「さっそくだけど見せちゃおっかなかな〜、見せちゃおっかな見せちゃおっかな見せちゃおっかなー? や、め、ちゃ、おっ、か、なー? 嘘だよ〜ん。アハハハハハハハ! はいコレ来たーっ!」
さんざん俺の殺意をかき立てたメガネデブハゲは、机の引き出しをあけ、そこから白と黒、二つの球を取り出した。どちらも大人の手のひらに収まる程度の控えめなサイズで、品質がよほど悪いのか表面に気泡が多く、見た目に軽そうな雰囲気がある。
「なんですかコレ?」
「うん、ひとまず中継水晶と仮称をつけてます」
「中継……っていうと、あれですか、水晶テレビでやる?」
「そう、まさにあれ。あれに必要な能力が全部この中継水晶のなかに入ってるの。凄くない? 凄いっしょ?」
「ってか、水晶じゃないよねコレ」
思わず口を挟んだ俺に、メガデブゲ(長いので少し略した)は特に気分を害した風もなく、
「カバン君いいとこ気づくね〜!」
とむしろ喜んだ。こいつに名前を呼ばれると無性にムカついた。
「これね、水晶をいったん溶媒で溶かしてね、それからまるく削った木に、ガラス細工みたいに細く吹き付けて作ったんだよ。ちょっとした職人さんにお願いしてるんだけどね、凄いよね。でね、その芯になってる木ってのが不思議な木でね、松なんだけど結合双生って呼ばれてる、二本の松の木が根っこで一つにくっついちゃって生えてる不思議な松でね、じゃあコレで何ができるかって言うとね、コレはもう見てびっくり! はいじゃあ
破裂しろ〜〜〜〜、1秒でも早く破裂しろ〜〜〜〜。
メガデブゲは「よっこらしょっと」と重そうなケツを持ち上げると、白い方の球体を持って「ちょっとそこで待っててねぇ」と実験機材の
すると1分経ち、2分経ち、5分経ち……、そのままちっとも戻ってこない。呼び出しておいてそれはないだろう。
「なー、このままアイツ置いて帰っちゃおうぜ」
俺のナイスな思いつきに、エリスが「へ!?」と目を大きくする。
「いや、それはカミンスキーさん困るんじゃないかなあ……」
「困るんならいいじゃねえか。アイツ凹ましてやろうぜ」
「カバン君……、ほんとあの人のこと嫌いだよね……」
「アレを好きな奴なんかいるのかよ。特に俺はああいう全身言い訳じみた……」
そんなことを言いかけたとき、瓦礫の奥から「お待たせエリスちゃぁーん! 黒い方に魔力を通してみてぇー!」と叫ぶ声があった。
エリスは一回俺の方を見て、それから黒い水晶球に右手を添え、半信半疑の顔で「えいっ」と小さく気合いを入れた。すると、
「わっ! なにこれ……、ひまわりが出た!」
「は? ヒマワリ?」
「ひまわり! うわ……、すごい! ひまわりが見えるよ! わー、すごい!」
全く唐突にお花が見えたと叫び始めたエリスに、さすがの俺も戦慄を覚えずにはいられない。もちろん俺たちの周囲にはひまわりなんて一本も存在していない。
だがエリスはその後もしばらく凄い凄いと連発したり、「え、え、え、え?」とか興奮しながら黒い水晶球に手を触れたり引っ込めたりしてテンションを爆発させていた。なんだ? コイツ、ついにダメになっちゃったのか?
「どーおぉ? 面白いでしょうそれぇ」
メガデブゲが戻ってくる。ほんのちょっとの移動でもう脇汗をかいているのに若干の苛立ちを覚えたが、メガデブゲの顔は妙に晴れ晴れとしていた。実験を成功させた研究員がよくみせる、親に褒められて喜ぶ子供によく似た笑顔だった。俺は状況から察する。
「そのタマに触るとヒマワリが見えるわけ?」
「うん! カバン君も見てみなよ、面白いから!」
ハイテンションなエリスから黒い球を受け取った。球はやはり軽く、溶かした水晶を吹き付けたという表面が、粗布のようにごわごわとザラついていた。
が、俺が触れてもヒマワリも何も見えてこない。
「ん〜、なんも見えないけど……」
「えーっ!?」
なんとなく目を閉じてもみるが、視界は単純に真っ暗なだけである。
「うん、これはねえ、ある程度以上の魔力を持った人じゃないとスイッチ入らないんだよねえ、今のトコ」
ああそうか、水晶には魔力を通さないといけないんだった。使い魔である俺はエリスから魔力の供給を受けているものの、自ら発揮することはできないんである。
「でもねぇ、二人で手をつないでみてよォ。でね、その状態でエリスちゃんが水晶に触ってごらん。たぶんそれでだいじょぉぶ」
言われた通りにエリスと手をつなぎ、エリスがもう一度指先で黒い水晶球に触れた。すると、
「おっ? お、おおー!」
思わず俺も声が出た。俺の視界に、いま見えている研究室の景色と二重写しのような具合で、花瓶に活けられたヒマワリが被って映ったのだ。
「見えた? 見えた見えた見えた?」
「見えた……。白い花瓶に活けられたヒマワリ。1、2、3……15本か? なかなか絵になる姿じゃないか」
「ねー、面白いよねー!」
頷かざるを得なかった。これの何がそんなに面白いのか説明しても通じにくいかもしれないが、いま自分の見えている世界に、唐突にほかの物が見えてくる……
ちょっとエリスの手を離してみた。パッとヒマワリの姿が消える。ふたたび握り直すと、やはり15本もの大輪のヒマワリが文字通りに目に浮かんだ。俺は再び状況から考える。
「これはつまり、白い方の球が向いている映像?」
「あ、わかっちゃう? カバン君早いなあ! そうなんだよぉ、送信球と受信球が見えない魔法の線でつながっててねぇ、受信球に魔力をいれると、いま君達に見えてるように送信球に見えている景色を遠視中継で視れちゃうんだよぉ。気に入った? ねえ気に入った? ぶっはははあ!」
……このオモチャが面白いことを認めるのは全くやぶさかでないのだが、こいつが開発したという点だけが気に入らねえなあ、チクショウ。
一方、エリスは思いっきり気に入ったようで、黒い球にちょんちょん触れたり離したりしては「あはははははー!」とかなりのテンションで盛り上がっていた。
「カミンスキーさん! これを使って学園祭のお客さんに何を見てもらうんですか? このひまわりですか?」
呼ばれたカミンスキーはニタニタ笑いながら醜いスライム腹を揺すって「んふうん?」と気色悪い声を出した。ホントに気持ちが悪い男だなあ。
「エリスちゃん、まだまだわかってないなあ〜? 何百人っていう客が来るたびにウチの魔法使いが一々相手してたらキリがないでしょお、ぶはははははは!」
「ああ、それはそうですね。わたしも他の部のイベント見て回りたいし……。じゃ、わたしとカバン君が手を繋いだら一緒にヒマワリ見られたみたいに、たくさんのお客さんと手を繋げて一斉に魔法を体験してもらう、とかですか?」
「あ、その共有能力ね、コレどうもまだしっくりこないんだよねェ〜。手を繋ぐ人数が多いと、どうもその数が増えるに比例して映像がボケて見えちゃってくるんだってさ。本番までにできるだけ研究進めさせとくけど、今のままじゃ4人繋ぐくらいで限界じゃないかなあ」
「じゃあ?」
「ぶっふふふふふふふふふぅ!」
これでも笑ってるらしい。痩せろ。もしくは失せろ。
「数が多くて処理できないときはねぇ、見せ方! これ覚えとくといいよ! 今回の場合だとさ、体験する客を絞ればいいんだよ。わかるかな?」
もったいぶった言い回しがこの上なくクッソむかつくが、何を言わんとしているのか分からないので挟む口も思いつかない。幸い、メガデブゲはすぐに答えを口にした。
「この道具ね、たぶん視覚を通さずに映像を見せてるんだよね。直接認識なんだよ」
「え? あー、えーと……、どういうことですか」
「うん。エリスちゃん気づいた? この水晶越しに見た映像、普段の自分の目の見え方と違ってたと思わない?」
言われてエリスは再度例の黒い球に手を伸ばした。ついでに俺もエリスの手を捕まえて追従体験する。
「んー? あー、言われてみれば、そんな感じが……するかな?」
確かに、普段の自分の視界よりもクリアに見えた。むしろクリアすぎて少しのっぺらとしているくらいだ。なにか、鏡に映った像を見るかのような立体感の無さ。……あ、そうか。
「肉眼じゃなくて白い水晶が捉えた光景が見えてるんだから、解像度も白水晶のほうに依存するのか」
「いいよカバンくぅん、実にいい読みだよォ! そぉ、視界の主は、実は自分じゃなくて水晶なんだよねえ! ってことはだよ? 過去になんらかの理由で目の機能をダメにした盲人でもさぁ、中継水晶越しでならもう一度目が見えるようになるってことじゃない?」
「え? え? えっ、あ! すごい……、それホントすごいですよカミンスキーさん!」
視力を失ってしまった人の、肉眼の代用品としてこの水晶を使う? ……そんなこと、最上位の治癒魔法ですら到底不可能な範疇なのに、幻術の派生研究で出てきたような水晶玉に本当にできるのか?
メガデブゲの言っていることは一理あると思うが、なんというか、物事を短絡的に考えすぎているようにも感じる。いやでも……、あれこれ考える前に試してみる価値は確実にあるだろう。もし成功すれば歴史に名前が残る魔法になるかもしれない。
それにしても、こんな打算と不愉快の結晶みたいな人間からこれほど人の役に立つアイディアが生まれるとは……。
メガデブゲ、実はイイ奴なのかもしれない、なんてことは口が裂けても言葉にしないが、今回ばかりはコイツの功績を認めなければならないようだ。メガデブゲはまるで俺の心の声が聞こえたかのようにブュヒっと自慢げに笑うと、腹を揺すりながら言った。
「実試験はまだコレからだけどね。でもこれを学園祭で成功させたら……効くよぉ? フヒヒッ!! 大衆はこのテの感動話大っ好きだもんね! そんで国や企業ってそういう大衆の反応見て出資額決めるからね! ブッヒィ!」
「あ……、はあ……」
……危ない危ない。こんなド屑をあともう少しで見直してしまうところだった。
「でもとりあえず、この実験は成功させたいですね! あ、だとすると、今年はわたし何を手伝ったらいいんですか? この水晶の発表会がメインになるなら、わたしあんまり関係なさそうな気がしてきましたけど」
「そんなことないよォ。エリスちゃん喫茶店やってるでしょお? 客で目が見えない人っていないかなあ。実験に参加してくれるヒト探してるんだけどさ、なかなか見つからないんだよねえ。あ、ぜひぜひ若い女性で」
細かいところまで人でなしだな、このゲスブタ。
「え、え〜と……。ちょっと、すぐには思いつきませんね……」
「そぅお? 直接の客じゃなくっても、その家族とか知り合いの人とか、まあ何でもいいんだけどね。それとさ、もしかしたら僕ちゃんプレゼンで手一杯になるかもしれないから、そしたら被験者に魔法見せる役、エリスちゃんにお願いすることになるかも〜。だってウチじゃエリスちゃんが一番可愛いし〜。フヘッ! これ大量の客が見てる中での大感動確実ネタだからね、みんなの注目集まって絶対おいしいよコレェ!」
ここでニタニタ笑いながらこちらの反応を確かめにくるのが最ッ高に気持ち悪い。それで俺たちが喜ぶとでも思ってんのかコイツ。ちょっとのことでは動じないウチのエリスさんだが、これにはさすがに愛想笑いが引きつっていた。
「あ、ついでにエリスちゃんの喫茶店の宣伝しといたげようか? 効果
「は!? いえ! それは大丈夫です!」
「そお? 遠慮しなくてもいいよぉ」
「いえっ! 遠慮とかではなしに、もう全っ然! 全っ然大丈夫ッス!」
ぶんぶんとエリスは首を横に振って拒絶した。俺も同意見だった。Cafeにちようびは毎週が明日をも知れぬ経営状況だが、品性を売り飛ばさなければならないほどには困窮してはいない。一応まだ今のところ。
「まいいや、だったらそこいらの企業に広告幻術入れる気ないか聞いてみよっと。それじゃ僕、もうちょっとお仕事頑張っちゃおうかな〜。あ、エリスちゃんこの後の予定は?」
「先生のところ行ってきます。水曜はわたしの順番ですから」
「あ、そっかそっか。それじゃ先生に今日僕が説明したこと、軽くエリスちゃんから伝えておいてもらえる? いずれ僕ちんもちゃんと許可もらいに行くけどさ。んじゃ今日は協力アリガトね! 来週くらいにまた呼び出すだろうけどお願いね。ヨ、ロ、シ、クぅ〜」
言うが早いか、メガデブゲクズゲスブタは重い体を大儀そうに持ち上げ、瓦礫の山の向こうへと消えていった。少し遅れて俺たちもイスから立ち上がる。
「はあ〜」と、二人でため息。
やらない善よりやる偽善なんて言葉も聞くけれど……。余計な付録をつけずに、単純に目が見えるようになる魔法の水晶ですー、ってやるだけで十分評価されるだろうに。
「それじゃ……、お昼にしよっか?」
「ああ……、もうそんな時間だったか」
壁のそこかしこにいくつも掛けられた時計の一つが11時50分を指していた。
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