第1話: 魔法使いの喫茶店④・結
一般系の大学生だろうか? 初めて見る女性の三人連れ客が、雨のそぼ降る窓際の席できゃあきゃあと大騒ぎしていた。
「これかわいい! 花火がみえる!」
「あー、いいなー! でも私のアイスティー、花がすっごいきれいなんだよね。なんだろ、ハイビスカスかなあ」
「これ面白いー、ちっちゃいシロクマがスイカ割りしてるの」
『キャ————! かわいい〜〜〜〜〜!』
窓の外では、長蛇の列とまではいかないものの、座席の空きを待つ女性客で小さな待機列ができていた。親方が超突貫工事で取り付けてくれた
「うーむ、エリスさん」
殺人的な、もとい、殺カバン的な忙しさの合間を縫って、俺はエリスに声をかけた。
「うっふっふーん、なあにカバン君?」
胸を反らせてエッラそうにエリスが答えるが、たぶん俺もこいつと大差ないレベルでドヤ顔をしてることだろう。緊急でバイトに入ってもらったエリスの友達、アルマが会計の済んだ客を見送ると、入れ違いに新しい四人組女性客が入ってくるのが見えた。
「まさかまさかの大成功だったなあ、メモロスタルのグラス」
「ほんとにね!」
メモロスタル。
たとえば先の女子大生三人組客。窓際でアイスコーヒーを飲む彼女のメモロスタルには、都会の上空にぽんぽんと咲く打ち上げ花火の幻術を封入してある。ブラックのアイスコーヒーを夜景に見立て、華やかな花火で近づく夏を感じさせるというコンセプトだ。同様に、隣のお嬢さんのには夕暮れ時の熱帯の花畑を演出。描かれているのはハイビスカスではなくてブーゲンビリアだけど。紅のアイスティーに紫や黄、白色の花景色が楽しめる。幾つか
シロクマのスイカ割りはカキ氷の器に封じ込んだ。エリスも俺も、雨が降ればまだ肌寒いこの季節にカキ氷ってどうなんだ? って思いはしたが、まあぶっちゃけカキ氷は原価率最強だしっていう俺の主張と、『かき氷はじめました』の
また、フラッペグラス(カキ氷用のガラス容器の正式名称。どっかの聖杯みたいなカッコの平ぺったい器だ)に仕込んだシロクマのスイカ割りの幻術は特に評判が良く、これも売れた要因だろう。おかげで早売りのスイカの欠片を乗っけることになってしまったが、その程度のコストは十分すぎるほど回収できた。
ついでに、別のフラッペグラスには店長念願の『カッチカチの氷山対決! 火吹きドラゴンvs空飛ぶギロチンタイガー!!』の幻術も収録されていて、今はカウンター席の男の子を楽しませている。四日もかけて細部を追求しまくったおかげか、男の子にも隣の父親にも受けているようで、その好反応に製作者もご満悦だ。あんまり熱中してるもんだから「早く食べないと氷が溶けるよ」と一言忠告したくなってしまう。
もう、本当に大成功だった。ウチはもちろん、お客さんも喜んでくれてしかも維持費はゼロ。それにこの国には魔法使いが多いとはいえ、喫茶店をやってる幻術使いなんてのは聞いたことないから、このネタをパクるやつもしばらく出てこないだろう。完璧だ。
強いて問題を挙げるならば、このグラス、新素材という事もあって異様に高価な事と、そのくせやたらに
「お客さん、たくさん来てくれるようになったのはうれしいけど……」
紅茶を淹れる手を止めて、エリスが言う。
「レティさんもヴィッキーも、ミダスさんたちにもゆっくりしてもらえなくなったのは……、ちょっと寂しいね」
「おいおい、繁盛しすぎて不安になったか? 贅沢なことを言うもんじゃないぞ」
そうたしなめたものの、俺も心の中では常連さんへの対応は気にかかっていた。
「ま、今は目の前のお客さんのことに集中しようぜ。常連さんに申し訳ないのも確かだが、俺は雨の中で列作って待ってくれてる人たちへの罪悪感が半端ないよ」
俺の懺悔にエリスが「お互い慣れてないもんね」と言って笑った。
「え〜り〜すっ! 笑ってないでご注文! お花のアイスコーヒーが1、月夜のサイダーが1! あと〜、恋するミルクティーも1!」
「りょーかいっ! あとこれ、3番テーブルさんの流星パンケーキとバニラアイスね」
「はいなっ!」
お助けウェイトレスのアルマが持ってきた、激烈にダサい名前になってしまった注文票をクリップに留めてストックする。女性客は必ずと言っていいほど三、四人のグループで来て、しかもバラバラに注文するから正直ちょっと困ってしまう。これが男なら『日替わり。アイスコーヒー』『俺も』『俺も』『俺はホット』くらいしか口を開かないので大変わかりやすいのだが。まあこれも贅沢か。俺はアルマを呼んだ。
「アルマ、5番さんのカキ氷とアイスティーも頼みます」
「あいよぉ」
彼女はエリスと同期の見習い魔法使いだ。ただし所属は治癒科。二人の付き合いは俺より古く、入学式の時に席が隣同士だったというありがちなキッカケで知り合ったという。体力勝負の治癒科は、人の手が足らない修羅場時に最も頼れる人材だ。即断即決の状況判断力もすばらしい。
こげ茶のショートボブという髪は衛生的で大変ありがたいし、着るものもエリスと同じように学校制服を着てくれれば済む。治癒科の制服はベージュに赤のラインが入っていて、青基調の幻術科のとはだいぶ印象が違うが、これは
「えーと、3番さんが流星パンケーキ……、真ん中のテーブルの髪の長い人ね。それで5番さんはあの出口に一番近いテーブル」
「ちがうちがう、5番さんはそのもう一つ手前。カップルが座ってるとこ。カキ氷が彼氏さん、アイスティーが彼女さん」
「おっとと」
アルマに席番号をなかなか覚えてもらえないのは、無理してテーブル数を増やしたからだ。以前に手伝ってもらった時と配置が違うので彼女も手こずっているのである。だからこうして確認してから給仕にいくのだが、配膳ミスを未然に予防しようという姿勢はこちらとしても頼もしかった。
「ごめんごめん、5番さんは手前のカップルね。了解」
「オッケ、落ち着いてー」
アルマが持つ丸い銀盆に、俺は例のフラッペグラスとアイスティーの入ったグラスを置こうと、した、
その一瞬だった。
悪夢の始まりは。
アルマが俺に向けて差し出していた銀盆はちょこっと手前に傾いていて、その上の、夕焼け空を奔る流星の幻術が封印されたパンケーキ・プレートが、描かれた幻術さながらの速度でスサササササーっとまっすぐ俺に向かって滑り落ちてきたのだ。
「きヒヨっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!」
俺の口から自分でも聞き取れないほどキリキリの悲鳴が迸った。
同時に、『死』という単語が脳裏をかすめる。激突を恐れたのでは、ない。むしろ顔面ブロックをも辞さない覚悟で俺はプレートの救出に動く。ほとんど無意識下の行動だった。
激突するまさにその瞬間、
「ほっ! っとぉ」
すんでのところでアルマは銀盆の傾きを直し、皿の落下を食い止めた。
「あっぶな! ごめん、ちょっとうっかりしてたわ」
アルマがペロリと舌を出した。盆の上の皿は無事……、だった。
それを確認すると、俺は砂像が崩れるようにその場にぐにゃりとヘタりこむ。一瞬遅れの焦燥感と恐怖感がいっぺんに押し寄せてきて、それがめまいと吐き気になって俺の内側を掻き回した。頭の中が、意識が、虫食いのように白に飛んでゆく……。
「ど、どしたの……?」
がっくりと両手をつく俺は、全身が引きつってすぐには顔を上げられなかった。
「落ひ……落ち……ついて…………ッ! 慌て……、なくていいから…………ッ!!」
「あ……、う、うん、ごめん。次から気をつけるね……」
俺のただならぬ様子に、アルマは本気で謝っていた。
俺がここまでの反射を示したのには、もちろん訳があるのだ。
さっきも言ったがメモロスタルは、高い。超新製品なので通常のガラス食器と比べるとものすごくものすごーく高い。だから現在ウチにあるメモロスタル食器は、実は全てレティがツテを駆使して話を通してくれた
なんとか神経を落ち着かせた俺は、仕事の続きに戻ろうとしてようやくソレに気づいた。
俺にもっとも近いところにいたお客さん、カウンター席に座る親子連れ。例の、ドラゴン対タイガーの幻術を楽しんでいた男の子のテーブルが視界に入った。
次の瞬間、俺の目の玉が飛んで出た。
パンケーキの滑落に驚いたのは俺だけではなかった。あるいは、驚いた俺に驚いたのか? どちらにせよ俺の目線の先で、少年のフラッペグラスが横倒しになった事実は曲げられない。
ご存知かと思うが、杯のかたちをしているフラッペグラスは首が細い。細いということは非常に折れやすいということでもある。
そしてメモロスタルは通常のガラス製品よりも数倍、脆い。
無残にも首のところでポキリと折れて、二つに分離したフラッペグラスを目視してからの数秒間、今でも俺には明確な記憶がない。ただ、大きな声で絶叫していたらしい。
「うわっ、うわっ、うわあ。あああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
これも後で聞いたところによれば、その瞬間に店内の全ての人間が俺を見たそうだ。当然だろう。でも、瞬間的に俺が飽和状態に陥ったのもまた当然なのだ。
「あー! あー! あー! あー! あ!!!!!! あああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!??!?!?」
俺が人間だったなら、驚きのあまりその場で盛大に鼻水とヨダレとゲロを吐き散らかしていたはずだ。それくらいの驚きと喪失だった。悪夢だった。悲劇なのだ。地獄なのだ。
フラッペグラスというのはカキ氷かアイスクリーム専用と言っていいほど独特な形状をしている。そして活躍の場が限定されるほど特殊なものは、需給の法則により概して高価になる。だからフラッペグラスはパンケーキ・プレートよりさらに高価だ。というかこの世にまだ数個しかない代物なのだ。つまり俺の目の前で上半期の稼ぎを溶かすほどの大赤字が唸りを上げて爆発大炎上しているのだ。
「あー、あー、あー、あーお、あおーあーーー。あーーー」
ショックのあまりにほとんど死滅した俺の意識は、それでも仕事を忘れなかった。あるいは死滅していたからこそ本能のみで行動したのか。とにかくこの惨劇を店長へ報告せねばならない。最も起きてはならないことが起きてしまったと。それと、少年がメモロスタルの破片で怪我をしないように片付けなければ。そういう感情のみで動こうとした。動こうとしたはずだ。
だが、俺が死んだ魚のような目で隣のエリスを振り向いた時、彼女は彼女で死人のような顔色をして自分の足元を黙って見ていた。
そこで、最も起きてはならないこと以上の、絶対に、絶対に起きてはならないことが起きてしまっていた。
アルマがパンケーキのプレートを落としかけた時、俺はほとんど無意識のうちに落下阻止に動いた。それはエリスも同じだったらしく、彼女もまた全身の瞬発力をバネのように働かせてプレートをキャッチしようとした。必死になっていた。そのとき、俺とエリスの間には5番さんが注文したカキ氷とアイスティーの用意があった。
あったはずだった。
だが無い。
どこにも見当たらない。
俺はエリスの視線を追って、自分の足元を見た。俺は自分の目を疑った。
なぜ、ここにフラッペグラスがもう一脚転がっているの?
なぜ、カウンターのそれと全く同じ姿をした、折れたフラッペグラスが床にもう一脚あるの?
そしてなぜその横で倒れ、砕け、中身のアイスティーを血肉のようにぶちまけたグラスが床にあるの? 神様はいるの? これは現実なの? この世に愛はあるの? 僕たちはこれからどうなるの?
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
俺の意識は再び飽和状態に達した。
「キュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」
エリスもまた俺と同じ境地へと至った。
「ッギョッキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ギョアッ! ギョワッ! キョワッ! キャヨャアアアアアアアシャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
いま叫んだのがどっちなのか、もう自分でもわからない。ただただ忘我の境地で、目の前の惨状から目を反らすのに必死だっただけだ。どうして? どうしてこうなった? 客は店員の突然の狂態に驚き、恐怖し、命の危機すら覚え、ついに逃走を始めた。
ごった返す店の中で、俺たちはいつまでも両目を見開いて叫んでいてすごく怖かったと、後でアルマから聞いた。
そしてその日を最後に、メモロスタルの食器はCafeにちようびから姿を消した。
その次の
むべなるかな。みんなグラスを見たくてわざわざ並んで列を作ってくれたのだから。
いや、そうだとしても、いくらなんでも反応が早過ぎるような……? メモロスタル中止については事前に告知したものの、情報の回りが良すぎる。問い合わせの
などとエリスと不思議がっていたら、2時過ぎにきたレティが真相を教えてくれた。レティは彼女専用の磁器のティーカップを弄びながら「ああ、久しぶりにゆっくりできる」と満足げに一言おいたあとで、
「エリちゃん知ってる? このお店ね、店員が突然絶叫する怖いところだって、今すごい噂になってるらしいよ」
「……そういうことでしたか」
食器がどうこうでなく、店員の質の問題であったか……。まあ、誰だって店員が突如として正気を失って金切り声を張り上げる喫茶店を利用したいとは思うまい。
結局、イチから出直し……、いや、ゼロからの再出発である。
「ま、支払いはギリギリまで待ってあげるから、がんばんなさい」
……大幅なマイナスからの再スタートだったか。
ただ、血の惨劇の中にも救いはあった。どうせ割るだろうな、とコトを予測していたレティが事前に保険金をかけておいてくれていたのだ。おかげでウチの債務は大幅に圧縮され、店は首の皮一枚のところで繋がった。しばらくの間、俺たちはレティのことをコリウス通りの女神と崇め奉ることになるだろう。
とはいえ、今月末に『orange』からくるはずの請求書のゼロの数を考えると、もはや泣きたいのを通り越して、笑えてくるのも通り越して、虚無を感じるのに違いはないが。
「ハ〜〜ア……、結局はくたびれ儲けの大赤字だったなア」
まったく、これを愚痴らずにいられようか。レティはくすりと笑い、一方のエリスは俺のカバン頭をぽんぽん叩いて「まあまあ」なんて言う。
「なにがまあまあ、だ。余裕ぶっこいてんじゃない」
その手を払いのけながら俺が抗議すると、
「ん〜、余裕って訳じゃないんだけど」
カウンターから少し身を乗り出し、いつもの常連さんと迷い込んだ旅行客さん一組がいる程度の、以前の様子に全く逆戻りした店内と、窓の向こう、外の様子を見晴るかして、
「雨が止んだからいいじゃん」
さっぱりした笑顔でそう言った。
「雨? だってそりゃお前、雨なんてほっといてもいつか止むし……」
「そうそ、雨もいつかは止むんだよ」
「……っとに、なにを利いた風な口を」
ポツンとエリスの頭に軽いジャンピング突っ込みを一つくれてやると、ふふ、と満足げに笑われる。
だが結局、俺もそれに納得することにした。別に難しく考えなくてもいいのだ、どうせ明日は明日の風が吹く。無責任にそう思うのではない。
ただ、自分たちでできることをできる限りにやればいいのだ。俺たちもお客さんも楽しくすごせる、にちようの一時をしつらえること。それがこの店の意義だ。
しゃらんしゃらんと玄関のベルが新たな来客を告げる。
「エリスちゃんごめーん、またおっそくなっちゃったー!」
「ランチまだいいかあ?」
「ヴィッキーも親方さんもおそ〜〜い! 今日は特別だからねー?」
仕方ないなあなんて言いながら、エリスは遅刻した親子に残しておいたミルフィーユとんかつを揚げはじめ、俺もキャベツの千切りの用意をする。
雨は止んだ。夏の始まりだ。
そんな俺たちに優しげな笑顔を向けて、レティが一言つぶやいた。
「支払い、遅れないでね」
……せっかく気持ちを切り替えたのにナァ。
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