第1話: 魔法使いの喫茶店②


 さらに驚くべきことに、エリスはうぇうぇ泣きながらも皿へ涙を一滴もこぼさずに本日のランチ(鮭のラタトゥイユソースがけ、ポテトサラダ、焼きたてクロワッサン、オニオンスープ。それから食後に父親へはコーヒー、娘にはハチミツ入りホットミルク)を二人分用意した。ウチの店長は思い込んだらネズミでもハムスターでも献立こんだてに載せかねないアホだが、それでもこの店が安全や衛生で問題を起こしたことがないのはこのアホの数少ない美点といえよう。

 まあ、これまでが単なる奇跡の連続だっただけなのかもしれないが。


 今は奥に引っ込んで鼻をかみ、先の生命創造学部セイソー部のダウニー氏にキャンセルの伝話を掛けている。

「で、どうしたって?」

 濃いめに淹れたブラックコーヒーに口をつけつつ父親が俺に事情を確かめる。大工の棟梁とうりょう生業なりわいにしているので通称・親方。生まれはここより遥か南西の砂漠の国らしいが、いつしかこの街に流れ着いて結婚し、愛くるしい一児を得た。しかし奥さんは一昨年前の流行り病で亡くなっている。

「エリスちゃん泣いてたよ?」

 娘のヴィクトリアは9歳かそこらのはずだが、母のいない環境がそうさせるのか、掃除に洗濯、風呂の用意と、中身はエリスよりよほどしっかりしていた。ラタトゥイユに入っていたセロリを「あたしこれ嫌いなのに〜」なんて文句たれながらも誰に言われるまでもなく自分から食べてしまえるくらいに良い子だ。

 しかしいくらしっかり者といっても9歳児に火を使った料理をさせる訳にもいかず、といって職人を束ねる父親に飯を作る時間の余裕もなく、親子は毎食のように定食屋を渡り歩いたり出前を取ったりしては腹を満たしているのだそうな。

 そんなわけで、この親子にとってウチは毎週日曜の昼飯当番なのである。

「何か問題があったんなら手ェ貸すがよ?」

 親切心を見せてくれる親方に、「いやあ、これが、かくかくシカジカこれこれウマウマでね〜〜」、などと大雑把に説明したところ、「つまりアレか、客寄せか」とミもフタもなく納得されてしまった。

「あたしその猫カフェ知ってるよ。あのね、ミィちゃんたちが行ってきて、ちょぉ〜〜楽しかったって」

 毛むくじゃらな父親の腕にじゃれつきながらヴィッキーが教えてくれる。友達力で9歳児に完敗するエリスの情けなさが際立つことよな。

 それはそれとして、ちょぉ〜〜楽しかった、か。

「ヴィッキー、猫カフェ行ってみたい?」

「うん」

 俺の問いかけに、素直な回答をよこすヴィッキー。

「猫がいるカフェと、ドラゴンとタイガーが激突してるカフェと、どっちが行ってみたい?」

「なにそれ意味わかんない」

 俺の問いかけに、まったくもって素直な回答をよこすヴィッキー。

 そんなとき、奥からようやくエリスが戻ってきた。まだ目が赤く腫れている。

「エリスちゃん大丈夫?」

 心配してくれるのはヴィッキーだけである。

「うぅぅ……、二人にいじめられた……」

「馬鹿いうな。俺はこの店を守っただけだ」

「私も自分の店のことが心配なだけです」

 俺とレティの正当防衛の主張に歯を剥いて「いーッ!」てやるエリス。いま店にいる人間の中で一番の子供は一体誰なのやら。

「ていうかよう、自分の魔法使ったらどうなんだ?」

 親父さんの一言に「え?」と俺とエリスの視線が向いた。

「嬢ちゃんの得意魔法ってよ、猫を眠らせるんでも店を除菌するんでもないんだろ?」

「ええっと、はい、わたしのは幻術です。人に幻を見せる魔法です」

「だろう? だったらよ、まずテメェの器量から始めるのがスジってもんだろうが。面白ぇんじゃねえの、幻術喫茶」

 そう、幻術。人に幻視や幻聴をもたらす類いの魔法で、主にエンターテイメント目的で用いられるものである。一流の幻術使いともなれば水晶テレビの番組を演出したり、大劇場に張られた結界巻物スクロールで上映されるような、大幻術の監督となる。

 もちろんそうした最高レベルのし物は経験豊富な幻術使いが何十人と揃ってようやく作れるものであるが、いずれその演出を担うにせよ、あるいは制作杖スタッフの一本になるにせよ、ともかくエリスはそんな幻術使いの卵なのだった。

「でもわたし、まだ見習いですから難しいことできないですよ? それに、集中しないと制御ができないんで、魔法を使いながら紅茶を淹れるのはちょっと難しいです。あと長続きもしないし……」

「バカヤロ、いきなり百点満点狙ってんじゃねえよ。出来ることからコツコツ始めりゃいいんだ、いま出来ることから。いまの嬢ちゃんは何の魔法が出来るんだ? ン?」

「ええと……」エリスは指折り数えながら、「ひとまず動物とか、人とか、じっくり見たことのあるものならだいたい幻にできます。それから絵や念写とかの画像があれば、壁に景色を投影することも……」

「おーう、いいじゃねえか。そこまで出来りゃテェしたもんだ。魔法やってる間に店の仕事ができなくってもよ、だったら魔法やってる間は客も茶を飲んでないで魔法見てろってルールにすりゃいいんだよ。時間も1時間置きに3分とか5分とか、適当なサイクル決めて短いのを流すとかな。俺がよく行く居酒屋なんてよ、ねーちゃんがステージでしょっぺぇダンスやったり素人じみた漫才師が出てきてくっだらねえ猥談わいだんぶったり、そりゃあつたないもんだ。けどな、ショーの時間はみんな行儀よくヤジ飛ばしたり口笛吹いて囃し立ててよ、これが酔いの助けもあってけっこうマジに盛り上がるんだぜ」

 親方……、それってただの居酒屋じゃなくていわゆるショーパブだよね?

「おとーさん! そこ今度つれってって!」

 あ、ヴィッキーが食いついちゃった。そりゃまあ説明だけ聞いてりゃ子供が一番喜びそうだよな。

「バ、馬鹿なこと言うんじゃねえ、子供が居酒屋なんて十年はええ、十年! いや、まあなんだァ、思わずコーヒーが飲みたくなるような幻術を披露してやったらいいじゃねえか……、なあ!」

 と、親方は俺たちに同意を求めるが、愛娘は「えー! 水曜日の晩ご飯って居酒屋さんでしょ〜? いつも行ってるよー」としぶとく抵抗している。

 まあそれはそうと、「思わずコーヒーが飲みたくなる幻術……って?」と、俺。悩み始めた俺の横で、レティが笑顔を浮かべながら言った。

「猫カフェでも犬カフェでも、幻術なら好きなのができるんじゃない?」

「あ、そうか」

 幻なんだから元手は掛からないし、エサや衛生といった維持管理費も発生しない。レティの言う通り、エリスの再現できる範囲であれば猫や犬に限らず何でも出せる。これは確かに名案だった。

「じゃあ火吹きドラゴンvs空飛ぶギロチンタイガーでも!?」

「だからカフェでやれる範疇で物を言え」

 だいいちそんな大スペクタクル、お前一人でまかなえねえだろが。

「まあいいや、とにかく一回試してみようぜ。エリス、まずは猫からだ」

「えー……、火吹き……」

「猫!」

「もー、カバン君ってわたしの意見全然きいてくれないし、ホント使い魔って感じじゃないよね! わかったから、中身入ってないメモロブ出して!」

 言われて俺は自分の体の中にごそごそと腕を突っ込み、目的の物を探し出してエリスに手渡した。それは、大人なら指でつまめるくらいのサイズの、七色の輝きを放つ水晶の珠だ。記憶メモリ宝珠オーブ、略してメモロブである。エリスはそれを額に当て、目を閉じて念じ始めた。

 メモロブは魔力を受け止め、保存し、任意のタイミングで再展開できるガラス玉だ。それは魔力という異能を持たない者でも、様々な能力を篭めたメモロブを購入すれば自由自在に『魔法』を使えることを意味している。現代魔法生活の根幹をなす、最重要の魔法道具マジックアイテムだ。

 メモロブの応用範囲は実に広く、火の魔法一つとってもタバコに着火するのが精一杯の火力から、金属をも容易に焼き切る超高熱のものまで様々取り揃えられている。もちろん高位のメモロブを扱うには、親方が持っているような危険魔力取り扱いなどの資格が必要になるが、その資格を得るのだって魔力素養の有無は関係ない。

 他にも、水晶テレビは遠視テレ・ビジョンメモロブの進化の賜物だし、伝話の正体だって思念波テレパスを組み込んだメモロブだ。最近では水と風の魔法を絶妙に組み合わせた乱流サイクロン洗濯機なんてアイテムまで商品化されている。魔術は日進月歩で進化しているのだ。

 それと、魔力が何も込められていない空のメモロブには、魔法使いの魔力を増幅させる機能も備わっている。昨今の魔法使いは虚空に向かって呪文を唱えたり、床や壁に謎めいた魔法陣を描いたりしない。脳裏に一定のイメージを描きつつ、それをメモロブにむかって強く念じればいい。それだけで魔法は成立するのだ。

 かつては金一粒にも等しいと言われていたこのメモロブの大量生産、機能拡張に成功したときから、世界に冠たる魔法都市国家・プルメリアの台頭がはじまった。今ではレティの『orange』のような街角の雑貨屋ですら、様々な形状のメモロブを購入することができる。スタンダードな水晶球型から、円錐型、スティック型、果ては花瓶やマグカップといった具合に。メモロブの進化、発展は、そのままプルメリアの歴史でもあった。

 難しい顔をして唸っていたエリスが額からメモロブを離した。魔法の記録が終わったのだ。みんなが期待の視線を注ぐ中、床にメモロブをころりと転がして、これだけは生き残ったメモロブ起動の呪文をエリスが唱えた。

展開オープンっ!」

 エリスの幻術魔法、想像具現イマージュが発現する! 小さなメモロブから強い光が放たれかと思うと、光波が一気に収束するとともに何かのカタチを取り始めた。まるで自ら造形される光の粘土のように、あるいは命を宿しつつある火影ほかげのように。

 溢れそうだった輝きは見る見るうちにすぼまり、子供が一抱えできるサイズの塊に収まっていった。光はその頭頂に小さく尖った耳を作り、狭い額が形を成し、切れ長で印象的な眼、しなやかな首、背、腰と繋がり……、やがて四本足の猫の姿になってゆく。

 想像具現イマージュの魔法で生み出される幻影の姿は、基本的に術者が普段持っている印象に大きく影響される。つまりこの光の猫はエリスにとって最も猫らしいと感じている猫の姿なのだ。このイメージ造りのセンスこそが幻術使いの腕の見せ所と言ってもいいだろう。

 強かった輝きが収まってくると、そこにはなかなか愛くるしい仕草をした三毛の仔猫があらわれ……

 たと思いきや、そいつは牙を剥き出しにし総毛そうけを逆立たせた獣の形相で「ジャァアッ!」と我々をすさまじく威嚇すると、次の瞬間で電撃的に身をひるがえし、放たれた矢のように店の奥廊下の向こうへと逃げ去っていった。もういない。

「……は?」

 猫が生まれて逃げ去るまで、約2秒。後に残されたのは、驚きの声すら間に合わなかった俺たちだけ。

「なんやねんな……」

 電光石火の逃走劇を呆然と見送った俺の言葉が空気に溶ける。さっきの猫がどんな姿をしていたか、早くも思い出せなくなるほどの早業はやわざだった。

 立ち尽くす一同の中でただ一人、事態に動じていない人間、すなわち張本人のエリスが口を開いた。

「んで、今のの何が楽しいの?」

「それは俺のセリフだ‼︎」

 俺は思わず怒鳴った。

「なんだ今の!? ほんの少し猫の姿が見えたと思ったらもう消えてたぞ! ちょっと姿を見せて、次の瞬間には牙を剥きながら跡形もなく消えてるって……、そんな猫カフェがあるか!」

「えー? だって猫って、目が合ったらいっつもあんな感じで逃げ出すじゃん」

 エリスはしれっと答える。いや、確かに目が合えば逃げる猫は少なくないが、あそこまで敵意をムキ出しにしたうえに一目散に逃げたりはしないだろう……。

 ヴィッキーがエリスの袖をちょいちょいと引っ張って、

「あのね、猫ってね、にゃ〜って鳴いたりゴロゴロゆったりしながら鼻の頭とかすりすりしてくるよ。あとね、いっぱい尻尾ふったり前足で顔をごしごし洗ったりするよ。かわいいよ」

 と猫の基本情報をレクチャーしてくれた。俺もレティも親方も、うんうん頷いてその言葉に同意を示す。

「うっそだぁ〜。猫が顔を洗うだなんてヴィッキーも面白いこと考えるね。でもそれってアライグマかなにかじゃない? 猫っていったら猛ダッシュだよ!」

 ……全く通じない。想像具現イマージュは術者が日頃から抱えているイメージをそのまま幻として表現する、幻術の基礎魔法だ。ということは、ウチの店長にとって猫とは目が合った瞬間に牙を剥き出し、視界にとどまるのすらいとわしがられているとわかるほどの態度で逃走する生物、ということになる。コイツ、一体何をどうしたらそこまで猫に嫌われるんだろう。魔法使いに最もなじみある生き物の一つなのに……。

 なにはともあれ、ウチが動物カフェを始めるにあたって、最も適さない動物が猫なのは確かなようだった。客と目が合った瞬間にダッシュで逃げ去る猫カフェなんて聞いたことがない。

「幻術の猫ならエサ代も衛生対策も要らないって思ったんだけど、肝心の猫の品質でつまづくか……」

 嘆息する俺にレティが言う。

「猫に限らなくてもいいんじゃないの? 可愛い動物なんて他にいくらでもいるわ」

「そりゃそうだけど、猫が一番カタいと思ったからなあ……。なあヴィッキー、他に好きな動物ある?」

「あたし? じゃあねじゃあね、ウサギとハムスターがいい!」

 ヴィッキーの要望に、俺とエリスは顔を見合わせる。

「えー、だめぇ?」

「んー……、実をいうと、わたしどっちも詳しく見たことないんだよね。うまくやれるかな?」

 エリスは首を傾げて、頭の中にあるウサギとハムスターの記憶を検索していた。

 エリスがまごつくのには理由がある。なにせウチは飲食店だ、ペットは飼えない。飼えないと分かっていればペットショップみたいなところにも自然と足は向かない。あるいは、たまには動物園に行ってゾウやキリンやドラゴンを眺める日があるにしても、そういったところでは逆にウサギやハムスターはいないものだ。犬猫のように往来を散歩したりもしない。つまり、半端に身近なせいで縁がないのである。そして、幻術を用意する上で最も避けなければならない状況、それは情報不足だ。知らなきゃ表現のしようがないのだからどうしようもない。ウサギを生で見たのが幼い頃にしか無いエリスはそこで戸惑うのだ。

「でもまあやるだけやってみよっか。展開オープン!」

 驚くほど気軽に心の迷いを振り払うと、エリスはレティの座るカウンターテーブルにメモロブを置いて想像具現イマージュの魔法を放った。

 ふたたびメモロブは輝き、テーブルを湖のような光で満たし、それはすぐに収斂しゅうれんする。やがて光は収まったが、テーブルの上は一見何も変わらない。

 と思っていたら、テーブルの上のシュガーポットや、コショウ挽き瓶ミルなんかの物陰からぽろっと出てきたのは……茶色と白の毛玉のような生き物、ハムスターだった。……なぜか二足歩行しているが。

 それでもヴィッキーからは「わーっ」と歓声があがった。

 すると今度はレティのほうからも「わっ」と驚きの声が上がる。

 彼女の手元のカップから、ぴょ〜ん、と耳の長いネズミみたいなのが一匹、二匹……、そして三匹飛び出したのだ。ウサギだ。ウサギの三兄弟はなぜかハムスターよりミニサイズだったが、ジャンプ力だけはかなりのものだ。なんと自分の身長の4倍はあろうかという高度にまで一気に跳び上がっている。

 ……なんか、馬鹿にでっかいノミみたいだな。

「「かっわいい〜〜〜〜〜〜っ!!」」

 だが受けた。レティもヴィッキーもイスを飛び降り、目線を低くして小動物たちがじゃれあっている様を食い入るように見つめていた。ヴィッキーはともかく、レティまで子供に返すとはなかなかの威力といえよう。

「……なあ、ハムスターって立って歩いたっけ? あとウサギってこの十倍はデカいと思うぞ」

「あれ、そうだっけ」

 俺の指摘に、適当感バリバリな反応が返ってくる。

「でもまあ細かいことはよくない? 幻術なんだしさ。レティさん、ヴィッキー、これどうですか?」

「「可愛いっっっ! 超かわいいいいっっっ!!」」

「でしょでしょでしょでしょ! 超可愛いでしょ!」

 確かに、自由にやれる幻にリアリティばかりを追い求めるのはナンセンスなことかもしれない。が、中途半端な仕事をしているようで俺はちょっと気にかかる。このへん男脳と女脳の違いかなあ……。

 そんな俺の葛藤をヨソに、きゃあきゃあと大いに盛り上がる小娘たち。気づけば仕掛人であるエリスもすっかり全開で童心に返っていた。あんまり楽しそうだったので、16歳児と25歳児に『お前らソレさっきまで来週のランチにしようとか言ってた具じゃねえか』とかは口にしないでおいてやる。

 ふむ、猫はダメだったがハムスターとウサギのカフェ……、まぁなんとかいけそうか。と、皮算用を始めたそのときだった。

「え〜〜〜〜〜〜っ!!」

 一番盛り上がっていたはずのヴィッキーから痛切な悲鳴が飛び出した。

「ヴィッキーどうした?」

「さわれな〜〜〜〜い!」

 見れば、繰り返し差し出す彼女のちいさな手が、ちょこなんと座るミニウサギの体をスイスイと貫通してしまっている。

「エリスちゃんこの子さわれない! どうすればいい!?」

「え!? え〜〜と……、幻術にそれはちょっとムズかしい……」

「えええ〜〜! だってこんなかわいいのに、触れないんだったら意味ないよ!」

 そうか、その問題もあったか。

 当たり前っちゃ当たり前だが、幻術が本物に絶対に勝てないポイント、それはじかに触れあえないことだ。似てる似てない、可愛い可愛くないとかではなく、実在しないのだ。幻はどうしたって幻なのだから。

「こ、これは生殺しよねぇ……」

 同じく、二足歩行で謎の舞を始めたハムスター軍団の頭を撫でようとして、むなしく虚空を掻いているレティから無念そうな声が上がる。

「なんとかならないかしら?」

「ええと……、でも、幻術はどうしても見た目だけしか……」

 やるせない表情を向けるレティとヴィッキーに、エリスは困り果てた。もしこのまま幻術カフェを立ち上げた場合、この状況は絶対に何度も何度も繰り返されることだろう。その度に、お客さんに『幻術なので無理です』と答えてよいものだろうか?

 ないな。その選択肢は無い。

 しかし、だからと言って他に手は——。

「うー! 今すっごい触りたい! 触りたいのにーっ、もおーっ!!」

 ヴィッキーが、それこそ心の底から悔しそうな声を絞り上げる。お客さんにこれほどのフラストレーションを溜め込ませた時点で、それはサービスとして破綻しているとも言えた。

 同じくレティもやるせなさ極まる表情でミニウサギの額を人差し指で抜き差ししては吐息を漏らし、「これはもう、仕方ないわよね。悪いけど」と気になる事をつぶやいてヴィッキーの肩に手を置いた。

「ヴィッキー、今から一緒に行っちゃおうか」

「え? どこ?」

「……テレシ通りの猫カフェ」

「ほんと!?」

「「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!」」

 いやちょっとマジで待ってくれ。あまりにも痛烈な裏切り行為に俺とエリスが声を合わせて猛抗議する。

「だってえ、今ものすっっっごい、仔猫触りたくなっちゃったんだもの〜」

 しかしレティは苦笑して答えた。

「これだけ気持ちを刺激されちゃったら、本物の毛並みを触りたくなるのは当然でしょう? もー無理、がまんできない」

「行くっ! 行きたいっ! 行きたいですっ! レティお姉ちゃん行こ〜! 猫カフェ連れてって〜!」

「待て! 行くな! 話せばわかる!!」

「レティさんたち行っちゃったらホントに誰もいなくなっちゃうんですっ!」

「え〜〜〜……、でもさぁ〜〜〜………」

 俺たちは腰を浮かしかける二人を必死になって引き止める。というか縋りつく。いま二人に行かれたら、なんかもう信じられるものが全部崩れてしまいそうだ……。そんな俺たちの騒ぎをじっと眺めていた親方がぼつりと言う。

「ヨソに客とられてるからって頭ヒネってたのによ、そのヨソに客を回してどーすんだお前ら」

 いやもう、お説一々ごもっともです……。



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