第1話: 魔法使いの喫茶店①


 とある梅雨時の、日曜の昼下がり。喫茶店にとって最もクソ忙しいのはモーニングとランチの魔の時間帯だが、それが過ぎれば店の中はすっと熱が引くように静けさを取り戻してゆく。事実、いまは常連さんの女性客がカウンター席で雑誌片手に紅茶のカップを傾けているだけで、後は全くひっそりとしていた。

 外は朝から生憎あいにくのしとしと降り。春の終わりに細く降る雨音が耳に心地よいが、ハッキリ言ってクソ迷惑なことこの上ない。なにせウチは神をも恐れぬ週イチ営業、この日に客足を鈍らされては店の存続……、いや俺たちの生存そのものに関わる。


「うーん……」


 人生に悩みのないのが悩みなウチの店長も、今日ばかりは頬杖ついて何かしら考え込んでいた。このアホもさすがにここまでヒマになるとは思っていなかったのだろう。

「もし仮に、だよ?」

「ん?」

 何か思いついたらしい。

「もし仮に、弱肉定食やるとしたらなんの動物の肉だと思う?」

 アホかお前。

「なに言ってるのか全然わからないんだが……」

「ほら、さっきテレビのクイズでやってたじゃん。『○肉×食にあてはまる言葉を答えなさい』って」

「あ? ああ……、確かに」

 突拍子もなくそんなことを言われ、俺は大黒柱の高いところに設置してある薄型水晶テレビを見上げた。いまさら説明がいるものではないとは思うが、魔法で発信された映像と音声を受信し、水晶壁面で具象化する魔法道具マジックアイテムである。この国の住人で持っていない家庭はもはやないと思われるほど普及しきった道具だ。

 交信局チャンネルはお客さんの流れを見て適宜切り替えるので、現在は小さな音でクラシック音楽の番組に合わせているが、さっきまでは日曜お昼の情報バラエティがやかましく流れていた。出演者が流行りのメシ屋等へいっては何か食い、撮影杖スタッフにむかって「あま〜い」だの「やわらか〜い」だのと毎週繰り返しているアレだ。

 そんな番組中のミニクイズコーナーで、とあるコンビ芸人が『○肉×食にあてはまる言葉は?』と問題を出され、その芸人はひとまず『焼肉定食!』と定番の回答をよこしていたわけだが……。

「いや、だからって弱肉定食ってなんだよ。むちむちスケルトン(くだんのお笑いコンビ)はちゃんと焼肉定食って答えてたろうが」

「うん。でも面白そうだから来週のランチは弱肉定食」

「え? いや……、ハア?」

 なんと言ったらいいのか、言葉を見失ってしまう……。こいつの言うことは八割がた受け流しておいた方がいいことは分かっているのだが……。

「けどさ、みんなが納得する『弱い肉』ってなんだろうって考えると、これが意外とわかんないんだよねえ」

 お前、まさか、さっきからそんなことに頭を痛めてたのか。

「やっぱ弱い肉ってイメージ的にネズミとかの小動物のことなんだよなあ〜」

「は!? いやいやいや! いやいやいやいや! お前は客にネズミの肉を出す気なのか!? そこまでバカなのかお前は!?」

「そこなんだよね〜。食べたらおなか壊しそう。なんとかして豚肉がネズミ肉に思えるような見せ方ってないものかな?」

 誰が喜ぶんだ、そんな技術……。

「あ、そだ。ハムスターって食べていいやつだっけ」

「ウオオオオオオオイ!! 自分でなに言ってるのかわかってる!?」

「だって名前にハムってあるしさ」

「ハムスターは食用のネズミじゃないんですけど!? あんなのを食べるの!? 刻んで、塩振って、油引いたフライパンで焼くの!?」

「あ、ホントだ。調理するのヤだなあ。でも、弱肉ってこと考えると絶対に小動物だし……。少なくとも牛や豚じゃないよね? となると魚か、鳥か……」

 エリスさん、ひとりごちながら窓の外に目をやる。窓の向こうはあいかわらずの雨模様。俺の心は土砂降りで、店の未来は崖崩れだ。

「あ、そうか。公園のハトか」

「そうかじゃない! 何一つそうじゃない!」

「え、知らない? ずっと西の方じゃハトも食べるらしいよ。挽き肉にして、パテに固めて焼くんだって」

「それ公園のハトじゃなくって食用に育てたやつだろ!? そこらへんほっつき歩いてるハトとっ捕まえて食ってるワケじゃねえよ!」

「んー、火を通して香辛料でゴマかしちゃえばだいたいのお肉は大丈夫じゃない? それに仕入れ値なんてタダだよ、タダ!」

「捕まるわ! その日のうちに保健所が来て翌日の新聞に顔が載るぞ!」

「あ、地方版とかで小さいコーナーあるよね。街で話題のおいしいお店」

「なんでそこまでポジティブになれんだよお前はよ!?」

 どうしてここまで常識がないのだ、ウチの店長……。


 そんなくだらないことを延々と繰り返していたら、

「……ねえ、ちょっと二人とも。そろそろいい?」

 と、横から俺たちを呼ぶ声がした。

「私、さっきから雑誌の内容、全っ然頭にはいってこないんだけれど……」

 見れば、例のカウンターの女性客が頬杖つきながら俺たちを呆れ顔で見ている。

「レティさん聞いて聞いて! 来週のランチに弱肉定食やりたいのに、カバン君がわたしの邪魔ばっかして全然先に進まないんですよ!」

「それ以上先に進むなら、私もう来週から来ないからね?」

「え〜!!」

「えー、じゃないの!」

 よかった、常識人が仲間に加わったようだ。

 この常識的な女性の名前はレティノール・エキュ=ハブロースス、長いのでエリスはレティさんと呼んでいる。ウチの隣にある雑貨屋『orange』の女主人で、日曜のこの時間になるとほぼ必ず遊びに来てくれる一番の常連さんだ。というか営業日にちようびでなくてもちょいちょい遊びに来るので、半分は家族みたいなもんである。

 長い金髪の美人で、黙っていれば良家のご令嬢だが(実際、彼女の実家は近隣でも一、二を争う名士だ)、店の仕入れでも接客でもちゃきちゃきと小気味よくこなして愛想もあるので、お嬢様というよりここら近所のマドンナ役であった。年の頃は今年で二十四だったか、五だったか。

「じゃあ、じゃあ、レティさんなら弱肉って聞いてなにイメージします?」

「そんな奇妙なもののイメージなんて知らないわよ!」

「ええ〜」

 姉と慕う相手にバッチリ叱られて、さすがのエリスもしおしおとヘコんでしぼんだ。よしよし、いいぞいいぞ。

「エリちゃんの奇抜な発想はいつもの事だけど、それにしたって焼きハムスター定食はないでしょう?」

 おっとと、誰もそこまで具体的なことは言ってないぞ? この人も、やっぱちょーっとおかしいとこあるんだよな〜。

「というか……、そもそもエリちゃんさっきからいったい何をどうしたがってるの?」

「え?」

「悩み事でしょ? 私に話してみなさいよ、相談に乗ってあげるから」

「あ〜〜。え〜〜と、はい……」

 モゴモゴいってエリスは狭い店内をぐるりと見渡し、

「このところ、お客さんがなかなか来てくれなくって……。雨だからっていうのもあると思うんですけど、それでもウチって週に一回しかないから、やっぱり寂しくってやだなぁって……」

「ああ、」とレティは振り向いて自分の背後に広がる無人空間を見渡し、「元から大流行りしてたわけでもないけど、今日は確かにひどいかな」とかのたまう。大きなお世話だ。

「それでお客さんが来てくれるようにイベント的な物を、ってことね。でもね、やるならやるでスイーツフェアなり雨の日割引なり、もう少し聞いたことあるような企画にしてくれない? 弱肉定食なんて始められたら隣のウチまで変な噂が流れそうで怖いわ。センスで売ってるんだから、ウチは」

「やー、インパクトあった方が口コミに繋がるかなー、って」

「口コミ、って……。あそこは公園のハトの唐揚げ出してるよー、なんて噂が流れたらお店潰れるよ?」

「うぅ……」

 至極まっとうな意見である。

「それにねえ、たぶん雨ばかりが原因じゃないと思うわ。きっとあれよ、テレシ通りに先月できた猫カフェ。あそこに持っていかれてる分もあるんじゃないかしら」

「猫? 猫がカフェやってるんですか?」

「まさか。カバンがコーヒーを淹れる喫茶店とは違うわよ。お店の中に猫がたくさん放し飼いされてて、一緒に遊んだり猫のようす眺めながらお茶したりするの。ちょっと割高らしいけど、そういうのが女の子に大人気なんだって。友達から聞いたことない?」

「……初めて聞きましたけど」

 さすが、友達の少なさにかけては人後に落ちない我が主である。

 それはともかく、猫カフェかあ。業界新聞では何度か目にしたが、この近辺にできたっていうのは実をいうと俺も初耳だった。猫カフェの記事を読んだ時、直感的には売れるだろうなと思ったが、衛生面で大きな疑問を感じてもいた。言うまでもなく飲食店はペットお断りが原則である。

「そこ、病気の対策とかはどうやってるの?」

 俺の問いにレティはうーん、と唸って、

「私もお客さんから聞いた話でしかないんだけど、食事と猫のスペースを明確に区分けして、そのうえで強力な浄化魔法クリーニングを常時かけっ放しだそうよ。それと猫がびっくりするくらい大人しくって、走り回ったりしないんだって。そのせいか毛もほとんど落ちてないくらいお店が清潔らしいわ」

 なるほど……、たぶん猫に遅滞スロウ眠りスリーピングの魔法を仕込んでるな。古来より猫と魔法使いは縁の深い組み合わせであり、猫用の魔法というのはちょっとした分野ジャンルなのだ。う〜〜〜む、そういうことであればウチだってコネを活用すれば参入できないこともなかったはず。いきなりの業態転換は難しいが、でも、こういう努力は見習わなきゃいけないなあ。

「ふぅーん。なるほど、喫茶店で猫ですか」

 われらがアホ店長もこのアイディアにはさすがに感心せざるを得なかったようだ。

「でも意外。猫って食べてもいいものなんですね」

「「違う違う違う!!」」

 こればかりはさすがに俺とレティのツッコミがカブった。ていうかバカかお前は。

「違うの! 喫茶店やってるスペースに猫が何匹もいて、一緒に遊びながらお茶も楽しめるお店ってこと! 猫とは遊ぶだけで生簀いけすじゃないのよ!!」

 レティの懸命な説明に、エリスは一瞬きょとんとした顔を見せてから、

「え……、じゃあ、猫肉定食は……」

「やめてよ気持ち悪い!!」

「なんだ、そういうことですか。猫料理の専門店かと思ったのに、つまんない」

 ねえ……、君は猫、食べたいの……? 主人の猟奇性に怯える俺の視線などソヨとも気づかず、エリスはポンと手を合わせて俺を見た。

「じゃあさ、カバン君の使い魔友達に猫の人って何匹かいたよね? 試しに連絡いれてみてよ。ちょっとウチ遊びに来ない、って」

「……っててい良く言いつくろってバイトさせるつもりだろ。そんな騙し討ちみたいな真似して俺の交友関係壊されてたまるか。それにみんなだって自分の主人から言付ことづかった仕事があるんだから、早々来てもらえるモンじゃないぞ」

「えー、そうなの? じゃあしょうがない、野良ネコとっ捕まえてくるか」

「だから! 店で使う動物には衛生対策が必要なんだって! 食中毒なんて出したら一発で終わりだっつの! お前が浄化系の魔法を使えたんならともかく……」

「もぉ〜〜! そんなこと言い出したらキリが無いじゃん、もぉお〜〜〜!」

 えええ……。いきなりね出したよ、こいつ………。

「おいおい、ちょっとちょっと……」

「ひとが一生懸命考えてアイディア出してるのにさ! さっきからカバン君って否定ばっかなんだもん! もうちょっと優しい言い方くれてもいいじゃん、も〜〜〜!」

 カウンターに突っ伏してもーもー言っている。泣きたいのはこっちだっつうのに。

「エリちゃん、不貞腐ふてくされないの。店長さんでしょ」

 優しく諭すレティに、エリスは「だって、カバン君があ! も〜、なに言っても否定するんですよ!? もうやだ! も〜やだ〜!」と唸る。

 俺か? 今までほんのちょっとでも俺に責があったか? 俺は最低限守るべき常識を守れと主張しているだけなのだが。

「そもそも猫にこだわらなくたっていいじゃない? 猫カフェはもう近所にできちゃってるんだし。誰かの後追いなんてカッコ良くないわ」

「うぇ〜〜……? それはまあ、そうかもしれないですけど……」

 頭を抱えていた両腕をほどいて、エリスがもそりと頭をあげた。俺と目が合い、ぷいと逸らされてしまう。

「何を始めるにしてもね、自分のお店のことだもの。エリちゃんのやりたいことをやらないと。何かないかしら? エリちゃんの好きなこと、楽しみにしてること。何でもいいわ」

「わたしのやりたいこと……。わたしのやりたいこと、ですか」

「そうよ。自分が好きなことでお店を開いて、来てくれたお客さんとそれを一緒に楽しめたら、こんなに素敵なことはないわ。私もそれに憧れて今の雑貨屋を始めたんだもの。きっとあるわ、魔法使いの喫茶店らしい何かが」


「楽しみにしていること……。みんなと楽しめるような……」


 珍しく普通に考え込み始めたエリスに、俺が「いくら好きでも弱肉定食とかは無しにしてな」と茶々を入れると、エリスは

「うるさいな! それはもうわかった……って、あ!」

 と何かに思い当たったのか、顔をばっと上げた。

「カバン君、伝話でんわのスペル帳ってどこにしまってたっけ!?」

「伝話帳? 仕入れ関係のは左の引き出しの上段。学校関係のはその下」

 エリスは目当ての伝話帳を引き出すやいなや、店の伝話に飛びついてその刻印スペルを猛烈な勢いでプッシュし、どこかへコールを始めた。取り出した伝話帳は下の棚、学校関係の方だ。

 これももちろんご存知かとは思うが、伝話とは思念波テレパスの基礎魔術を利用した魔法道具マジックアイテムである。ここにいない遠くの誰かとの会話を可能にする非常に便利な道具だ。ただし、会話の時間が長くなるほど、あるいは相手が遠方であるほど消費する魔力量が増大し、請求もかさむため注意が必要になる。

「あの、突然ごめんなさい! わたし、えーと、Cafeにちようびっていう喫茶店の……、あ、そうです! エリスです!」

 伝話の先は果たしてドコの誰なのやら。

 5分、10分と話し込んでいたようだが、どうやらそれも終わり、受話器を置いたところで俺はエリスに聞いてみた。

「誰に掛けたんだ?」

「セイソー部のダウニーさん。ほら、前にディンキー先生に言われて、でっかい動物の飼育のお手伝いしたことあったじゃん」

「あ? あー……、なんだっけ、グリフォンだっけな? 狭い檻に押し込んだせいで落ち着きを無くして暴れるから、飼育室の見た目だけでも何とかしてくれって……」

「そうそう、それで壁紙代わりに生まれた場所とよく似た、荒野の景色を魔法で投影したやつ」

 セイソー部とは『生命創造学部』のことで、略して生創セイソー部。早い話が混合生命体キメラを作ってるところである。種の異なる動物たちの特徴的なポイントを掛け合わせ、人の暮らしに役立つ新種を生み出すのが彼らの仕事だ。これまでにも翼を持つ馬や、犬のように従順な大陸蛇など様々な新種を世に送り出し、運輸や土木を中心に大活躍させている。

 倫理観にもとるという根強い反対意見もあって歴史的に足踏み期間の長い分野であったが、この魔法都市においてはそうした横槍を入れる相手もなく、結果としてこれらの進歩がプルメリアに大きなアドバンテージをもたらすことになった。そうした過去から、生命創造魔法は現代魔術の花形研究の一つにも数えられている。

「あー、ダウニーさんってあれか、セイソー部のヒゲもじゃの人か」

「うん、ヒゲの人。あのときわたしが喫茶店やってるって話をしたんだけど、そしたらね、手伝えることがあったらいつでも伝話していいよっていってくれたの思い出したんだ」

 そういえば、そんなこと言われたような……。でも、喫茶店のウチにキメラは用ないはずだがなあ。

「そのダウニーさんに何を手伝ってもらうつもり?」

 レティの問いにエリスは満面の笑みをもって、

「大決戦! 火炎ドラゴンVS空飛ぶギロチンタイガー! です」

「「はあ……?」」

 ……俺たちは揃って表情を曇らせる。

「どういうこと……?」

 恐る恐る聞く俺に、エリスは自信に満ちた顔で胸を反らせ、

「つまりイベント! 魔法使いらしいイベントを企画するんだよ! 第1弾は巨大キメラ大決戦、火炎ドラゴンVS空飛ぶギロチンタイガー! いきなりの好カードにお客さん大興奮! 裏で賭けとかやっちゃえば、たぶんものすごい稼げちゃう!」

 即座に放った俺の右のツッコミでエリスの頭からスパーン! といい音が飛んだ。

「ウチは喫茶店だ! そんなのはコロシアムでやれ!」

 スパーン! と続けてハタいたレティの左手の一発でエリスの頭からまたもいい音が飛んだ。

「私の店の横で火を吹く怪獣を戦わせないで!」

 そりゃそうだ。

「うえ…、うえええ……。みんながいじめるぅ……」

「泣きたいのはコッチだ!」

「自分の店で悪ふざけする分には文句言わないけど、ウチに被害でるようなマネは絶対許さないからね!」

「うえええええ……、みんな怖いぃ〜」

 怖いのはお前の頭の中だコノヤロウ。

 そんな風にエリスの頭をスパンスパンと交互にドついていたら、しゃらんしゃらんと玄関のガラスベルが音を立て、新たな客の来店を告げた。

「お〜〜い、遅くなっちまったけど昼飯まだいいかァ?」

「雨強くなってきたよ! エリスちゃんタオル貸してー、ってあれ、なんで泣いてるの?」

 そうそう、そういえば外は雨だったっけ。こんな日でも来てくれるのはやっぱり常連さんである。大柄のドワーフみたいな親父と箱から出したての磁器人形ビスクドールのような金髪少女という似ても似つかぬ父娘、ドラマッド・カメル氏とヴィクトリア・カメル嬢だ。

「親方いらっしゃい。ランチ、いいですよ」

「うええっ、うええっ、ヴィッキーいらっしゃいぃぃ、うぇえっ」

 泣きながら客を迎え入れるのだから、うちの主人もまあ器用なものである。

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