2章 【原作開始】ミステリアス・ティエラ

1話 『War Fairy』

「ここは…?」


 黒い。黒い空間だ。

 人を、生きている存在総てを拒絶するかの如き空間。

 今、そんな場所に僕はいた。


「申し訳ありません。ワタシが貴方様をここにご招待いたしました」


 すると、鈴の転がるような美しい声が聴こえてきた。

 ただ、なんだろう。確かに綺麗なんだけど、その声音はとても冷たくて。

 けれど、恐ろしいわけでも無く。強い「寂しさ」だけを感じさせる音だった。


「招待…?君は誰?ここはどこなの…?」

「混乱するのは当然でしょう。ですが、まずはコチラへ」


 不思議と、声の主から悪意は感じなかった。

 意味不明な状況なのに、言われたとおりにしても良いだろう、と。そんな風に思えてしまった。


「どうぞ、ここにお座りください」


 声の主は姿の見えぬ「存在」だった。人が当たり前に備える五感以外の何かで、僕はその「存在」を認識していた。

 そして、「ソレ」は自らの隣に座るように促す。

 ふと気付けば、「ソレ」は円柱型の椅子に座っていて。また、いつのまにか「ソレ」の隣にはもう1つ。真っ黒な円柱型の椅子が置かれている。

 抵抗しても仕方ない。促されるまま、その椅子に座った。


「うわ!?」


 椅子に座った途端、周囲の空間が色鮮やかな様々な景色で埋め尽くされていく。


「これは貴方が住まう世界とは異なる世界の景色。ヒトはこの地を混沌の地「カオス」と呼んでおります」


 カオス。もう1つの世界。本物の異世界。


「この世界は元々、世界を支える概念の強度が低かったのです。世界を包み、護るはずの殻が脆くて朧でした。故に、古来より幾度も境界が曖昧となり、頻繁に他の世界と混ざり合ってしまうのです。それを繰り返した結果、相互に因果関係を持たない数多の文化や法則、生態系や土地が無秩序に広がる混沌の世界は成立しました」


 言っていることの殆どは理解できない。出来ないけれど、それは。そんな世界は――。


「お察しの通り、この世界は平和とは縁遠い世界として発展してきました。人種、宗教、言語、文化、国家、歴史、土地、食料、病……理由を変え、役者を変え、時代を超え、常に争いが続いてきたのです」


 映し出される。

 戦争が。流血が。

 映し出される。

 号砲が。剣戟が。

 映し出される。

 勝鬨が。敗走が。

 数えきれないほどの悲劇が目まぐるしく映っては消える。

 ドラマや映画のような、これまで浸っていた日常とはかけ離れ過ぎていて、どこか現実感に欠けた――けれど、実際に起こっている現実の景色。


「貴方はこの世界を野蛮と思うでしょう。哀れと思うかもしれません。それでも。それでもヒトは生きています。混沌とした世界で、明日をも見えぬ暗闇の中で、それでも全力で生き続けています。ワタシはそれを、その営みを、その営みの中で育まれるものを尊いと感じました」


 場面が変わる。

 戦地から国に帰る父親が、初めて見る我が子を抱き上げた。

 場面が変わる。

 耳の長さが大きく異なる2人が人里離れたどこかで静かに抱擁を交わす。

 場面が変わる。

 人々が盛大な祭りを開いて酒を酌み交わしている。


 あぁ。痛い程に伝わってくる。

 「ソレ」がその世界を、「カオス」を愛していることが。

 未だ分からないことだらけでも、それだけはハッキリと分かった。


「私は眺めることしかできない存在です。なら、ワタシはこの世界を眺めていようと思いました。眺めていたいと願いました。秩序だった貴方の世界や他のどんな世界でもなく、この世界をこそ、ワタシは見続けたいと。同族達はそうは思わなかったようですが」

「君は、神様なの?」

「ふふ、神ですか。……そんな絶対的な存在ならばどれだけ良かったでしょう。私はただ見守る事しか出来ない役立たずに過ぎません」

「見続けるだけ?混ざることは出来なかったの?」

「えぇ。それだけは絶対にできない。してはならない。ワタシはそういう存在で、そうあることを良しとしたのです。同情は不要ですよ。ワタシは確かに幸せですから」


 「ソレ」は言った。自らは「幸福」の中にあると。

 しかし、僕からすれば、その幸福はひどく歪なモノに思えた。

 でも、多分。「ソレ」が手を伸ばせる最大の我儘が、その歪な幸福で。


「けれど――。永遠に続く幸せなどありはしないのです。例えヒトならぬ身に成り果てようとも、如何なる英雄が在ろうとも。失いたくないと思えばこそ、終わりは必ずやってきます」


 そして、その幸福すら、風前の灯火に過ぎない。

 ならば――。


「今、「カオス」に破滅が迫っています。次に「カオス」と混ざり合う世界、あえて名付けるならば「ワールドイーター」でしょうか。「ワールドイーター」は「カオス」を飲み込み、消化して、存在を消し去るでしょう。そこに息づく命の輝きも、積み重ねられてきた文化も、継がれた想いも。総てを無かったことにしてしまうのです。ワタシが愛し見続けたいと思ったモノが、見続けてきたモノが無に還ることでしょう」

「僕は何をすればいいの?」

「……よろしいのですか?」

「そのために呼んだんでしょ。流石にここまで話されて君の目的に気付かない程鈍くないよ、僕は。といっても、僕なんかに何が出来るのかなんて分からないけどさ」


 だけど。


「目の前?に哀しんでる誰かがいて、それを助けたいと僕は思った。助けないと後できっと後悔するって思った。なら、多分、この選択が正解なんだ」


 僕は凡人だ。けど、凡人なりに生きていく術は、幸せになる術は心得ているつもりだ。

 今の自分が笑って誇れる選択をする。

 どうせ未来のことなんか分からないんだ。なら、今は後悔しない選択をしたい。

 そして。今ここで見捨てる選択をしたら、僕は笑えないから。

 なら、答えは決まってる。


「それに。僕も君が愛した「カオス」の景色を見て、それが失われるのは嫌だと思った。彼らのために何かできるなら、それをしたいと思ったんだ」


 ちょっとあの映像は卑怯に過ぎた。あんなモノを見せられて背を背ける選択ができるわけないじゃないか。

 普通の人間なら心動かされて力になりたいと思うはずだ。


「…感謝を。あいにく、自らの肉体すら持たないワタシが返せるものはこれしかありません。故に、貴方に最大の感謝を」

「…へへっ、何か照れるな。…それで?僕はなにすればいいわけ?」

「先に述べた「ワールドイーター」ですが、対抗する手段がないわけではないのです。元より、幾多の世界と合流し、戦いを重ねてきた「カオス」の人々は強い。手を取り合うことが出来れば如何なる存在にさえ負けることは無いでしょう」

「…つまり、ワールドイーターってのが襲来する前に戦争とか止めて、手を取り合えるようにするってこと?僕なんかにそんな大それたことできるのかな?」


 結構、難易度高い気がするんだけど?


「そこはご安心ください。貴方はワタシが数多いる人々の中から選び抜いた方。私の計算に狂いは存在しません。……無論、苦労もあるでしょう。されど、貴方の生来の優しさと、「カオス」の何物にも染まっていない価値観。それらがある限り、必ず誰かが貴方の力となってくれるはずです」


 「ソレ」が一度言葉を切り、僕に向けて何かをした。

 すると、僕の身体が淡く赤い光に包まれる。


「それと、これはワタシからの餞別です。主に、魔術・魔法への適正、言語知識、異なる環境への肉体の耐性ですね」

「おぉ…凄いな…」

 

 良く分からないけど、結構至れり尽くせりだった。

 肉体に謎の力が流れ込むのを感じる。

 なんだか、今なら何でもできそうな気がしてくる。


「もっとも。ワタシにできるのは精々が等価交換に過ぎません」

「――うぁ!?」


 激痛。

 頭が割れるように痛む。

 視界がぼやけて、音が耳に届かなくなっていく。


。それは貴方の足かせとなって貴方を縛りかねませんから。…申し訳ありません。ワタシはあの世界の為なら何でもすると決めて貴方をお呼びしたのです」


 何も見えない。

 何も聞こえない。

 何も考えられない。

 総てが遠のいていく――。


「ワタシの計算に狂いはない。絶対に。そう、そのはず。――気になるとすれば、直近の計算結果に表れる不自然な計算のズレ。――いえ、そんなことは絶対にありえない。ならば、ただの誤差に過ぎません。……「カオス」は必ず救われる」




◆◆◆



 

 かくして救世のために選ばれた少年は、混沌の地に降り立つ。

 やがて結ばれる縁が壮大なる物語を紡ぎ、この広大なる世界に縫い付けられていくこととなる。

 そう。この故郷から遠く離れた異界の地にて。数多の縁が彼を待っている。

 運命が。

 英雄が。

 悪意が。

 そして――。


「ランキング1位になるために、精々利用させてもらいますよ、主人公クン。先ずは懐かしの故郷の料理を食べさせて懐柔してみるとしましょうか…!過去の女属性は伊達じゃないんですよ…!」


 埒外の存在が。


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