第11話 ~お菓子作り~
2月から3月にかけては、週末のたびに大量のお菓子を作ることが多い。相田塾に通う子供たちのために受験の応援と称して、お菓子を配っているためである。高校2年の冬もそうだった。
「和音はいいよなあ。桜花(奥)さんからチョコレートもらったんだろう?」
「拓也は奈保からチョコレートをもらったのかもしれないが、俺はもらったことないぞ。」
「意外だな。」
「物心ついた時には隣にいて、告白イベントなんてなかったしな。」
「『和音は桜花のなの。桜花のものは桜花のなの。和音のものは桜花のなの。桜花は和音のだから問題ないの』だったか?」
「あいつが俺に我儘を言う時の口癖な。少なくとも七五三の宮参りの時には、そう言って千歳飴を横取りされたな。」
「あれだけ気前が良くて優しい子なのに、和音にだけは特別扱いだったな。」
「親たちも俺たちを二人セットで扱っていてな、褒める時は桜花を褒めて、叱る時は俺を叱るんだよ。まあ、怒られている俺の後ろで桜花が小さくなっているのがいつものパターンだが……桜花は俺と同じ体格だから隠れようもないがな。」
「それだけ懐いているなら、バレンタインにチョコレートぐらいもらっているだろう?」
「そこは俺の実家の特殊事情がある。拓也たちはうちの塾に通っているから、冬に塾で受験の応援と称してお菓子を配っているのを知っているよなあ。」
「和音にしても、桜花さんにしても成績がいいのもあって実家の塾に通っていなかったな。冬の間はあれが楽しみで塾に通っていた時期もあった。」
「あのお菓子、手作りだったろ?」
「家庭の手作り菓子としては、よくできていて人気だったぞ。いい親を持ったな、小母さんたちが作っているのだろう?」
「褒めてくれてありがとう。でも勘違いしているぞ。我が家の家事担当は、俺と桜花だ。そのお菓子も、俺たちが作っている。」
「へえ。すごいじゃないか。まさか、誕生祝いで配っているケーキの類もか?」
「ああ、桜花が親たちに誘導されたのに俺が巻き込まれた結果だ。」
「……」
「亡くなった桜花の両親って、桜花が親の転勤についていくのを拒否したあたりから、桜花はもう俺のところに嫁に行ったと思っていたところがあってな、元より桜花本人もそのつもりだったから、それならと嫁なら家事ぐらいこなせって母に唆されたわけだ。」
「それで和音は、当然のように一緒にやれと桜花さんに巻き込まれたわけか。」
「それが処世術というものだぞ。マウントを取って俺にだけやらせるなら反発したろうが、桜花は一緒にやろうって自分もやるからな。下手に逆らって、一晩中、布団の中で桜花にマウントされて、物理で愚痴られて説得されるのよりましだ。」
「さすがに仲がいいことで……」
拓也が背中に気をつけろとジェスチャーしてくる。
「桜花は、一途で可愛い子だからね。」
「そうよ。私は和音にとって可愛い子(妻)なの。和音のものは私のもので、私のものは私のものだけど、私は和音のものだから大事にしてね。」
奈保がまた惚気ていると生暖かい目をしながら、桜花と一緒にいた。
「ところで、和音、私が布団の中で何をしたって?」
「桜花が優先したいことを大事にしてやれば、桜花は気立てのいい女の子だって話だよ。」
「和音との関係を隠す気はないけれど、家(寝室)でのことはあまり話さないでね。」
桜花は「ダメだからね」とちょっと怖い笑顔でニコニコしてくる。
「今日もお菓子作りを頼まれていたろう?なんでこのメンバーで待ち合わせなんだ?」
「奈保ちゃんに作り方のコツを教えてって頼まれたからだよ。」
「それなら俺(拓也)は関係ないじゃん。」
「そんなことを言っていいのかなあ。せっかく、奈保ちゃんは誰かさんのためにお菓子を作りたがっていたのにね。」
「……そうかい。」
「奈保ちゃんだけ私たちの家に呼んで、和音が私の目の前で鼻の下を伸ばすのが嫌だったのもあるけれど。」
「桜花は、奈保ちゃん主演のラブコメ劇場を見たかっただけだろう?」
「協力してあげるのだから、そのぐらい役得でしょう。まさか、奈保ちゃんに鼻の下を伸ばすほどの魅力もないなんてひどいこと言わないでしょう?」
「桜花が一人いれば十分だよ。桜花が俺の所有権を主張してせっせと害虫駆除しているのもあるけれど、桜花が思う程には俺はモテないぞ。『妻心配するほど夫モテもせず』ってね。」
「それは、どうかしらね? そんなに魅力が無かったら桜花ちゃんも相手にしないし、桜花ちゃんも苦労しないよ。」
「拓也がいくら朴念仁でも、奈保ちゃんの虫よけぐらいにはなるでしょう?」
「付き合えばいいのだろう?」と拓也は嘆いた。
途中のスーパーで不足している材料を買い足して、4人で俺たちの家に向かった。
「桜花、バタークッキーに、チョコレートクッキーに、あとそれらをチョコレートでコーティングしたので4種類だったな。」
「和音と拓也で生地作りをお願いね。雑に混ぜて固い生地にしないでね。男の子ガンバレ。」
そういうと、桜花は奈保に指示を出して、世間話をしながらチョコレートを湯煎にかけて溶かし始めた。俺の方でも、ハンドミキサーで滑らかにした無塩バターと砂糖と卵黄の混合物を攪拌しなながら、拓也に時機を見てその上に小麦粉を篩いをかけさせた。粉っぽさがなくなったところで生地を冷蔵庫で休ませていく。塾生に配る分もあるので、それなりの生地が必要になる。プレーンの生地が終わったら、チョコレートを受け取ってチョコレート入りの生地を作っていく。女性陣はその間に休ませていたプレーンの生地を型抜きして焼いていった。慣れてきて分業していくと、奈保と拓也がいつの間にか一緒に作業していた。チョコレート入りの生地を作り終える頃には焼きあがったクッキーもそれなりにできていて、桜花が俺に口を開けろと言ってきたので開けたら、まだ温かいクッキーを口に放り込んできた。
「そういうところ見ると、桜花と和音君って恋人というより、もう夫婦ね。羨ましい。ひょっとして実家に隠し子を隠していたりしない?」
奈保が俺と桜花を揶揄うように言ってきた。
「和音の実家にいる子供は、私の弟と和音の妹。でも、買い物に連れて行くと、私と和音との子供に見間違えられたことはあるかな。いくら仲が良くても失礼しちゃうわ。」
「あいつらとは歳が結構離れているうえに、育児の練習だとか親に言われて世話をしていた時期もあるし、桜花も俺も私服だと比較的年上に見られることが多いからな。」
「でも、橘花(きっか)ちゃんと皐希(こうき)に『お父さん、お母さん』て呼ばれたことはあったかな。」
「残念だけれど、皐希は実の両親の顔をほとんど覚えていないからなあ。3-4歳の時に両親が亡くなっているうえに、俺と桜花で世話をしていたことも多かったしな。」
「皐希って、従弟だけあって和音によく似ているものね。」
「橘花だって、桜花の従妹だけあって桜花によく似ているじゃないか。少なくとも皐希は寂しくなかろう。俺の両親と一緒に暮らしているし、橘花に気に入られて、玩具にされて寂しがっている暇がないようだしな。」
「お義母さんに言わせると、昔の私と和音を見ている様だって。特に私たちのお下がりの古着を着ている時なんか、10歳ぐらい若返った気になれるらしい。」
そんな話をしていたら、橘花が皐希を引っ張って隣にある実家からうちにやってきた。
「兄さん。お母さんにお菓子を頂戴って言ったら、兄さん達が塾で配るクッキーを焼いているから、サンプルをもらって来てって言われた。」
「奈保さん、チョコでコーティングしたのそっちにあったよねって……」
奈保たちの方を見たら、奈保が口を開けている拓也にクッキーを食べさせようとしていた。たちまち二人して赤くなった。
「何よ。あなた達だって、さっきやっていたじゃない。生暖かい目で見るのやめてよ。」
「二人は俺たちと違って、ただの幼馴染だと思っていたが、交際を始めたんだなと安心してな。」
「奈保、うまくいって良かったじゃない。奈保の告白の瞬間を見たかったのに……残念ねえ。まあ、タイミングの問題だったのは知っていたけどね。」
奈保と拓也を揶揄っていたら、橘花が真似して皐希に食べさせていた。桜花もそれに気が付いて、ニマニマと喜んでいた。やっぱり手遅れだったか……。
「皐希、そこの一袋が一人分のサンプルだから、母さんのところに持って行って。」
皐希は見られたことに気が付いて、顔を真っ赤にしながら、袋を持って逃げだした。慌てて、それを橘花が追いかけていった。
「桜花、初々しいカップルっていいねえ。」
「私も安心したかな。」
クッキーを作り終えた後、奈保は拓也と手を握って帰っていった。桜花に揶揄われ過ぎて拓也の機嫌が多少悪くなっていたが、あとでフォローしておこう。お互いのパートナーである奈保と桜花の機嫌がいいのだから、悪くはなるまい。
その夜、布団の中で、両親が亡くなって私が寂しくないわけがないじゃないかって、桜花に怒られた。愚痴を言いながら拗ねる桜花がだんだん面倒になってきて、「俺が責任取って50年でも60年でも可能な限り一緒にいてやるから、それで勘弁しろ」と言って打ち切ってやったら「言質はとったからね」と呟くのが聞こえた。その時にきちんと桜花と話し合うべきだったのかもしれない。その3か月後の誕生日に、約束を守れと婚姻届けへのサインを強要され、翌年の誕生日には一児の父になったのだった。あの夜の苦情は、彼女なりのプロポーズだったらしい。
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