第9話 ~焼き芋~

 「あと3週間で大学入試だけれど、無理して体調を崩すことがないようにね。」という母親の言葉を背に、身重の身で家事を手伝おうとする桜花(おか)を追い払いながら、俺は夕食の片づけをして、残り物を整理して朝食の下拵えにした。週に一度の買い物で済ませているので、金曜日ともなれば、冷蔵庫の中身がだいぶ寂しくなってくる。冷蔵庫の野菜室には葉物野菜はすっかりなくなって、ニンジンやジャガイモやサツマイモといった芋や根菜類が底の方に残っているのが見える。明日には父親に車を出してもらって、買い出しに行かなければならないだろう。

 母が塾の仕事に戻っていき、妹の橘花(きっか)と従弟の皐希(こうき)が風呂から上がってくると、俺たちは隣の区画にある自宅に戻って、桜花と一緒に風呂に入ってしまう。邪険に扱ったせいか桜花の機嫌が悪そうだったのでことさら丁寧に桜花を洗ってやった。桜花は俺の背中を洗いながら、愚痴を言い始めた。

「作業に邪魔なのも、私を大事にしてくれているのもわかるけれど、私にできることは私にやらせてよ。」

「そうか? 大変になるのは、まだこれからだろうしな。まあ、無理はしないでくれ。」

「全部抱え込むことはないんだよ。私がやりたいことは私がやる。」

「はい、はい。でも、やりたくないこともやろうね。風呂を出て洗濯をしたら、勉強の時間だよ。」

「やっぱり、受験が終わるまで……」

「身重になった責任の半分以上は自分に原因があるってわかっているよね?」

「でも……」

「父にも脅された。今はまだ余裕があるが、出産後のことまで考えればまだまだ序の口だってよ。桜花は自分のことと子育てで精いっぱいになるだろうから、今からでもできることを増やしていかないと、親子で共倒れになるってな。どうしても無理だとなったときに頼れる親族が隣近所にいるだけ恵まれていると言われたよ。」

 桜花は、どちらかといえば、自分で主導権を持ちたがるから、自分が作業をしたり、一緒に作業をしたりする方が良くて、一方的に何かをしてもらっている状況が嫌らしい。母からも、構いすぎると嫌われると警告されていた。

「これから就職してなんて先のことまで考えると、なんでも一緒に同じことができる現在って貴重なのかもしれないね。」

「でも、私がやりたいことは私もやるから、やらせて。」

「余裕があるうちは一緒にやればいいさ。」

 風呂から上がって、桜花の髪を乾かしながら、彼女の体形の変化にパートナーとしての責任を感じる。経済的には亡くなった桜花の両親の遺産と俺の親からの支援に依存している。育児と学業を両立させるには、親や祖父母たちにこれまで以上に頼ることになる。俺たち夫婦でできることは俺たちでやったうえで恩を返す必要がある。もっとも、孫や曾孫になる俺たちの子のことを楽しみにしているようだから、彼女らに頼らないと逆に叱られそうではある。


 そんなことを話しながらも、受験生の本分として勉強をしなければならない。自分の分と桜花の分のホットのレモネードを作って差し入れて、桜花の部屋で共に勉強を始めた。俺の部屋だったところは夫婦の寝室ということになっているが使ってはいない。基本的に実家で炊事して食事をとっていることもあって、俺たちの区画の台所とリビングは冷え切ってしまっている。そのため、寒くなってくるにつれて桜花の部屋で一緒に過ごすことが多くなった。今や桜花の部屋が夫婦の寝室兼勉強部屋になっている。

 勉強を始めて2時間もすると、桜花がそわそわし始めた。ちらちらと視線を感じる。どうしたのだろうと、彼女の方を見ると、慌てて勉強を再開する。しばらくすると、お腹に手を当てて、困ったなというしぐさをしている。彼女が何をしたいのかなんとなくわかってしまう。お腹がすいたから何かつまむものが欲しいが、お菓子の在庫はない。代わりのものを調達しようにも、冷え切った台所には行きたくない。そうかといって今から寒空の夜中に俺をコンビニまで買い物に行かせるのも忍びない。そんなところだろう。

「ねえ、和音(おと)、甘えていいかな?」

「どうした?」

「何かつまむものはあったかなあ?お腹空いちゃった。」

「芋ならあったぞ。」

「お願いできる?」

 俺は、レモネードが入っていたマグカップを回収して、台所に行った。息が白い。さすがに部屋の外は冷え切っている。サツマイモを一つ出すと、濡らしたキッチンペーパーでくるんで、電子レンジで加熱する。待っている間にお湯を沸かした。梅干を半分に割ったのと少量の粉昆布をマグカップに入れて、それをお湯で溶いてお茶の代わりにする。調理したサツマイモを包丁で半分に割って、中まで火が通っていることを確認したら、部屋に持っていった。

「和音、ありがとう。」

 桜花は一つの皿に乗っている二片のサツマイモをよく見比べて、大きい方を選ぶと、「まだちょっと熱いね」などと言いつつ皮をむいてから噛り付いた。桜花がおいしそうに食べている姿が可愛い。俺はその姿を梅昆布茶もどきをすすりながら眺めた。

「祖父たちに言わせると、庭で焚火して焼かなければ焼き芋ではないというけれど、桜花、これはこれでいいでしょう。」

「今は条例で自宅の庭でも焚火が禁止だからしょうがないよ。」

「そういえば、小学校6年の時に焚火で焼いたサツマイモは美味しいとか言われて、お芋をもらって庭掃除をさせられたことがあったね。」

「あれは忘れられないね。掃除が終わって芋を焼いていたら、子供が焚火をしているって通報されて、補導されたんだよね。」

「焚火は水で消されて、お芋は生焼けで台無し。『私のお芋が』と桜花に泣かれて困る俺ってね。」

「だって、そのために頑張って掃除したんだよ。今思い出してもひどいよ。」

「中学に入って林間学校に行ったときに、隠して持って行ったサツマイモを炊事に紛れて焼き芋にしたこともあったな。」

「一つ目を割って二人でこっそり食べているところを同じ班の女の子たちに見つかって、残りを横取りされたりしてね。」

「そんなこともあったな。」

「お芋を取られた上に、その日の夜、和音とのことを揶揄われたから、盛大に惚気てやったわ。」

「知ってる。翌日にクラスの女子たちに吊るし上げられて、桜花のことを大事にしなかったら許さないなんて糾弾されたもの。もうお腹いっぱいだから、もう惚気させるなというクレームとセットでね。」

「えっ、私それ知らない。」

「桜花は、それだけクラスメイトに人気があったってことさ。刺激されて告白してカップルが何組か成立したようだから、桜花はその娘たちの縁を結んだってことさ。」

「……」

「言われるまでもなく大事にしてきただろう?」

「……」

「なんで、そこで黙るの?」

「……言いにくいんだけど、そのお芋ちょうだい。」

 いつの間にか自分の分を食べつくした桜花が、俺の分の芋をじっと見つめていた。

「食べていいよ。」

「ありがとう、和音。そういうところ好き。」

 この娘、本当においしそうに食べると、半分呆れながら俺の分まで頬張る桜花を眺めた。

「あなたに大事にされているという自信がなかったら、こんなお腹になってないよ。だから、そこには自信を持っていいよ。」

「わかった。大事にする。」

「この子のためにも、一緒に幸せになろうね。」

 片付けのために部屋から出ると、焼き芋の甘い残り香が家の中に漂っているような気がする。

「私も、和音と私たちのために頑張らなきゃね。」

 後ろから頼もしい呟きがボソッと聞こえてきた。


 それから二年経って、成人式のタイミングで桜花と俺が幹事になって、同窓会を開いた。さすがに結婚して子供までいるのは俺たち夫婦ぐらいだったが、あの林間学校での告白を機に成立したカップルが何組も継続していた。桜花があの時どんな惚気話をしたのか暴露されて桜花が慌てていたのが微笑ましかった。今となっては思い出話だし、俺にとっては彼女を大事にしてきたという勲章でもある。

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