第8話 ~クリスマス~
高校3年の年末も近くなったある週末に、相田診療所の所長の奥さんで看護師をしている志保(しほ)さんが、朝から母のところに来ていた。どうやら、昨夜に夫の俊也(としや)先生と夫婦喧嘩をしたらしく、親友である母のところに愚痴を言いに来たようだ。
近所にある相田診療所は、産婦人科・婦人科・小児科・外科・内科・消化器科・皮膚科・肛門科と手広くやっているちょっとした病院である。内科中心の俊也先生以外にも、婦人科や外科などを担当する夫婦の医師がいて、地域のかかりつけ医として、長期入院が必要なもの以外はあそこに行っておけばいいといえるだけの病院だ。もとは内科と小児科の小規模な診療所だったのだが、規模が大きくなった今も診療所を名乗っている。長期入院や高度医療が必要と判断した時点で市立中央病院に転院させているから、そういうことなのだろう。遠縁ではあるが同じ相田姓の親戚でもあるし、親族のほとんどは相田診療所で産まれているぐらいで、付き合いは長い。
昼食の準備をしに、桜花と一緒に実家の台所に行ったら、会合の場に相田薬局で薬剤師をしている志保さんの双子の妹の美保(みほ)さんが増えていた。桜花の亡くなった母親である洋子を含めて幼馴染4人でよく攣るんでいたというから、昔から何かイベントがあるとよく集まっていた。その日も、夜になってそれぞれの夫が迎えに来て宴会をするまで帰りそうもなかった。
その日の昼食は、カルボナーラ風のパスタで桜花と手分けして七人分を作っていたら、橘花(きっか)と皐希(こうき)の分が先にできたところで、桜花が志保さんに絡まれた。
「桜花ちゃん、たまにはお姉さんたちの話に付き合いなさい。和音君、いいわよね。」
桜花はちょっと困ったなという顔をしていた。母たち三人が似たような顔で俺を睨んだ。橘花と皐希は、巻き込まれたくないとばかりに、できた料理を持って、そそくさと自分たちの部屋に逃げて行った。
「あと五人分は、すぐにできるから桜花は、母さんたちの相手をしていていいよ。」
「お腹が大きくなってきた妻に立ち仕事の家事をさせるものではないわよ。」
「やってくれるなら、やってもらいなさい。」
桜花が席に着くと、即席の妊婦教室が始まった。桜花はよくも生贄に差し出してくれたなと言いたげだったが、母たちに逆らえるわけなかろう。始まった話題からすると、妊婦に対して夫がすべきことなんて講座が食後に開催されるのは間違いなかろう。
夫への愚痴が混ざった妊婦教室は三時間ほど続いた。お茶を入れるといって俺は逃げだした。自宅にしているアパートの実家の隣の部屋で、パンケーキを5人前作った。それとセットになるホットの麦茶を用意して実家に戻った。母たちは他の飲み物の方がいいかもしれないが、話に付き合わされている以上は桜花の都合に合わせてもらう。いくら全員が好きだからといって、さすがにここでコーヒーを出したら、何を言われるか分かったものではない。
戻ってみると、母たちが動画をテレビで再生していた。
「やっぱり子供は、このぐらいの時が一番かわいいわねえ。」
「大きくなると、親に反抗的になるし、勝手に相手を見つけてくっつくしね。志保と美保のところも気を付けた方がいいわよ。拓也(たくや)君と奈保(なほ)ちゃんは仲がいいんでしょう?」
「できちゃった結婚で学生結婚した私たちも、子供たちのことを言えないけれどね。」
母たちにパンケーキと麦茶を配膳していく。テレビには、小学校に上がる前ぐらいの俺と桜花、拓也、奈保の4人が映っていた。
「クリスマスのプレゼントに何が欲しい」と、母が子供たちに聞いた。
「動物図鑑がいい」と、拓也が最初に元気よく答えた。
「私は植物図鑑がいい」と、奈保が続いた。
「僕は自転車……でも2台ないと……」と、桜花の方を見て口ごもる幼い頃の俺がいた。一台だと桜花に横取りされて共用になるからね。
「桜花はねえ。和音が欲しい。」
「和音はうちの子よ。物じゃないのよ。」
「嫌!和音は私のなの。私は和音が欲しいの。和音がいれば寂しくないの。」
桜花は、そういって、大きな人形を抱きしめるように俺を抱きしめて泣き出してしまう。桜花は、両親の仕事の関係もあって、保育施設やうちに預けられることが多かったが、放っておかれると一人で大人しくしている娘なので寂しい思いをしていたようである。映像の中で、迷惑そうに桜花に抱きつかれながら、「一緒にいてやるから泣くな」なんて対応していた。
場面が変わって、我が家で行っているクリスマスパーティーの風景になった。両親にはお酒が入っているようだった。二軒でやっているのに、なぜか桜花の姿がない。
「和也(かずや)伯父さん、自転車を2台もありがとう。」と言って、画面の俺は桜花の両親に抱きついていた。
「和音、良かったわねえ。和也さん、本当に良かったの?」と母が申し訳なさそうに礼を言う。
「二台といっても、どうせ一台は、うちの娘が使うのだろう? 来年は小学校に上がるし、受験を控えた三年生の担任で帰宅が遅くなって、平日はお宅に桜花を預けたままになりそうだから、こちらこそ宜しくお願いします。」
「和也君、その代わりに、もう一つのプレゼントももらってもらって、しっかり面倒を見て欲しいのよ。」と、洋子さんが、おちゃめな顔をして、足元に転がっている大きな紙包みを受け取れと言ってきた。
「ペットか何かなの?」
「包みを開けて、そっと起こしてあげてね。」
包みの中から出てきたのは、泣き明かして眠ってしまっている桜花だった。急に明るくなって寝ぼけた桜花に抱き着かれて、キスをされて俺は押し倒されてしまった。あらあらと両親たちが笑う。寝ぼけている桜花に洋子さんが話しかけた。
「桜花ちゃん、良かったわねえ。和音君があなたをもらって面倒見てくれるって。」
「うん。桜花の物は桜花のものなの。和音の物も桜花の物なの。桜花は和音の物なの。」
その後、はしゃいだ桜花に玩具にされて、ぐったりしている俺の映像が続いていた。
「こんなの残っていたんだ。お義母さん、このデータわたしにもらえないかしら。」
「俺、このことを覚えていないのだけれど……」
「あなたが覚えていようがいまいが関係ないでしょう。あなたは私を大切にしてくれたもの。私のものは私のもの、あなたのものは私のもの、私はあなたのものだから問題ないの。」
「親の私が言うのも何だけど、本当にこんなのが良かったの?」
「和音がいなかったら、私は生きていけないもの。私は母に教わって和音にとって一番大事な女の子でいられるように努力してきた。和音を私にとって一番素敵な男の子になるように鍛えてきたのは私だもの。努力した分だけ、私は和音にとって素敵な女の子になれたと思うし、和音も私を大切にしてくれた。和音も鍛えた分だけ私にとって素敵な男の子になってくれた。これからもそうだと思うの。そのためにも、しっかり稼げるようになってもらわないと……」
桜花は決意を新たにしているようだ。桜花が俺を幸せにしてくれる分ぐらいは、俺も桜花を幸せにしてあげられるように努力はしますので、お手柔らかにお願いします。
桜花にばれないように、ため息を吐くと志保さんに言われた。
「夫婦にしても、恋人にしても、二人の関係はその二人にしかわからない。『破れ鍋にも綴蓋』なんていう言葉もあるけれど、良い夫婦というのは二人で絆を作っていくしかないの。桜花ちゃんは、ちょっと思い込みが激しい子だけれど、こんなに幸せそうなのはあなたの努力の結果ね。大切にしてあげなさいね。」
夜の宴会は、俊也先生の土下座での謝罪から始まった。
なお、拓也と奈保が初めて結ばれたのは、この宴会の日だったらしい。
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