第5話 ~ズボンとスカート~

 桜花が週末以外は我が家に預けられていることが多かったせいもあって、小学校に入学した頃から彼女の洋服ダンスと学習机が俺の部屋にあった。洋服ダンスと言っても、下着と部屋着が数セット入っているだけだ。桜花は実家の自分の部屋にはそれなりの衣装を持っているのだが、オシャレして遊びに行くとき以外はそれらを着ることはなかった。普段着ばかりでなく、いくらサイズが同じで洗濯してあると言っても、使用済みの俺の男児用のパンツを平気で穿いてしまう桜花の感覚はどこかおかしい。

 どうして俺の服を着るのか聞いてみたら、

「和音のがいい。和音のものは私のものだし、私のものは私のものだけど、私は和音のものだから問題ない。」と宣う。

 ただ一言、小学5年生ぐらいからたびたび言っていることだが、着替えを出しておくのを忘れたからと言って風呂から出た後の着替え用に出している俺の下着を勝手に着るのは勘弁してくれ。体形の差で胸元が伸びてしまって締まりが悪くなってしまうので、ランニングシャツやTシャツだけは、一度着たら自分専用にしてくれとは言いたい。友人たちからはまな板だと言われて揶揄われていても、それなりのサイズがあることは毎日のように一緒に風呂に入って体を洗ってやっている俺が十分知っているから勘弁してほしい。


 桜花が俺の服を着たがるようになったきっかけと言えば、あのことが原因だろうか?

 小学校に入学したばかり頃だったが、桜花が帰宅途中でお漏らしをする事件があった。その日はたまたま担任の教師からクラス内の班の班長だけ集められて軽作業をしていたために桜花が先に帰宅した。桜花が一人で帰宅していと、自宅の近所で飼われていた土佐犬が脱走していて、何があったのか桜花はその犬に追い詰められていて道端に座り込んでいた。俺が通りかかった時には、青い顔をして座り込んでいる桜花に、しっぽを振っている土佐犬がのしかかっていた。犬としてはじゃれついているつもりだったのだろうが、背が高いほうとはいえ小学校低学年の女の子に大型犬がのしかかったのではたまったものではない。俺が犬を追い払ってやると、桜花は堰を切ったかのように泣き出して、彼女のお尻の下には水たまりができた。

 桜花は、「和音、怖かったよう。怖かった……」と、繰り返しつぶやきながら俺をがっしり掴んで離そうとしなかった。俺は彼女をなだめつつ、自宅に連れ帰った。さすがに濡れているので服を脱がして、風呂に入れてシャワーを浴びさせた。そばにいてくれと我儘を言うので、一緒に風呂に入ったのはいいが、彼女の着替えをどうするかまでは気が回らなかった。既に彼女が着ていた服は洗濯機の中で洗っているが、我が家には乾燥機なんて高級なものはない。半分以上一緒に住んでいるようなものだから探せば着替えの下着はどこかにあったのだろうが、その時には分からなかった。仕方ないから俺の下着と服を桜花に着せた。母がふざけて、俺に桜花の服を着させたり、桜花に俺の服を着せたりすることはたまにあったが、下着まで着させたのはこれが最初だったと思う。

 風呂から出て着替えた後も、桜花は俺に抱きついて離れようとはしなかった。困っていると、夕食の買い物から帰ってきた俺の母親に見つかった。

「桜花ちゃん。何があったの?和音の服なんか着てどうしたの?」

「薬局の家の近所に、大きな犬を飼っている家があるでしょう。そこの犬が脱走していて、桜花にじゃれついていた。桜花が服を汚しちゃっていたから、風呂に入れて着替えさせた。うちにも桜花の着替えってあったよね?どこにしまってあるの?」

「和音、なんでそんなことばらすのよ。」

「漏らしたなんて言っていないだろうが」

 桜花に俺がポカポカと叩かれているのを微笑ましく母が見ている。怒ったことで、桜花は元気を取り戻したようだった。

「和音、桜花ちゃんの着替えなら、あんたの洋服ダンスの一番下の段に入っていたでしょう。洗濯して干したところまではいいけれど、これでは皺になっちゃうでしょう。皺を伸ばして干して、乾いたら取り込んで畳んで仕舞うところまでが仕事だよ。50点だね。家事ができない子はモテないわよ。」

「……」

「桜花ちゃん。宿題をまだやっていないでしょう。和音と一緒に夕飯までにやってしまいなさい。」

 俺は復活した桜花に連行されて学校の宿題をするのであった。


 幼い頃はボーイッシュで俺と双子の兄弟と間違われることもあった桜花だったが、小学校も高学年になってくると、髪を伸ばしだして、スカートもよく穿くようになっていった。さすがに女の子として自覚しだして、クラスメートと服装を合わせだしたのだろう。それなら、俺と一緒に風呂に入るのもやめそうなものだが、彼女は一緒に風呂に入るのも一緒に同じ布団で寝るのもやめようとはしなかった。親たちからの性教育が早めに始まったのも、桜花が俺の所有権を主張し始めていつ男女の仲になってもおかしくないと警戒したためだろう。もっとも、そこのところは桜花が我儘を押し通して、我が家に平日に下宿する条件になっていたようだ。実際、高校に入学したばかりの頃に彼女達の両親が亡くなって既成事実を作ろうとした彼女に睡眠中に強姦されるまでは一線を超えることはなかった。俺の服を着たがったのも、何らかの代償行為だったのかもしれない。初恋の告白も、初々しい交際も、本来なら途中にあるだろう何もかもを省略して桜花が事実上の内縁の妻に収まっているのを自覚した時には、既にいろいろ手遅れだった。


 中学の制服は、女子はセーラー服で、男子は詰襟の学生服だった。制服を着ているのは登下校時と授業中だけで、むしろ男女共通デザインの体操着やジャージを平日の部屋着代わりに着ていることが多かった。もちろん部活や運動後には別の服に着替えるのだが、なぜか体操着やジャージで過ごすことが多かった。

 今思うと、個性を盾にして、髪形や下着であんなに校則に反発する友人たちが多かったのに、服装に関しては学校指定のもので乱れがなかったどころか好んで着ていたように見えるのは不思議でならない。確かに楽ではあるのだけれども不思議な話だ。ちなみに、下着に関する校則は、色は白を推奨で、体操シャツ着用時には下着の柄が透けて見えないようにすることと、女子限定で透け防止を兼ねてブラジャー以外にもキャミソールなどの着用が義務付けられているだけだった。要するに男女とも白透け以外で透けて見えなければ着用していればいいという緩いものだ。チェックは、体育の時間や部活の時間に下着が透けて見えていると指摘されて指導されるのみである。柄付きのTシャツを着て体操シャツの上から透けて見えるとか、女子で色の濃いブラジャー以外に上半身の下着をつけないで体操シャツの上から透けて見えるとか、上半身の下着を着ずに乳首が体操シャツの上から透けて見えるとか、いったい何を考えていたのだろう。

 俺と桜花も例には漏れず、学校指定の体操着やジャージで過ごすことが多かった。ただ他所と違っていたのは、俺と桜花が体操着やジャージを共用していたところだ。正確にはどれが自分の物か区別していなかったというのが正しい。中学になっても、平日には我が家に彼女が下宿しているのは変わらなかったし、同じサイズで同じデザインのものを区別する方が面倒だったというのもある。桜花の下着に関しては、優等生らしく白か、透けない程度に地味な色のものが多かった。日常的に彼女の下着を俺が洗濯したり、仕舞ったりしていたし、一緒に風呂に入っていたこともあって自宅では俺の目なんか気にしないで桜花は着替えていたので、彼女が持っている下着のほとんどを俺は知っていた。男の友人たちがクラスメートの体のラインがどうとか、下着のラインが透けて見えたとかで一喜一憂している中で盛り上がっている中で、平然としていたので『むっつり』なんて言われた。指をくわえて見ているしかないものに一喜一憂してもどうにかなるものではないだろうにと思うが、俺には桜花がいたからそう思うだけなのは理解していた。下手に反論して、私たちの将来の豊かな生活のために勉強しろと言うようになった桜花との関係を揶揄われる方が面白くない。


 高校の制服は、男女共通で上はブレザーで下はスラックスとスカートの選択制だった。ブレザーと言っても、デザイン的にはスーツに近く、リクルートスーツを連想させる地味のものである。短大や専門学校に進学した先輩方の中にはそのままリクルートスーツとして使ったという逸話も多い。スカートに関しては椅子に座った状態で膝の半月板が隠れる長さにするという規定があった。生徒に不評だが、比較的長めの規定だ。下着に関しても、中学と同様に、学校指定の体操シャツ、ブラウス、ワイシャツなどの上から、白透けは仕方ないにしても、下着の柄が透けて見えないようにすることと、女子限定で透け防止を兼ねてブラジャー以外にもキャミソールなどの着用が義務付けられていた。自転車で通学する生徒が多いこともあって、スラックスを選択する女生徒が多いことで周辺に知られていた。ユニセックスを標榜しているわけではなく、いくらスパッツやレギンスを下に穿いていても自転車でスカートは無理があるし、気に入らない丈のスカートを穿くくらいならスラックスの方がいいということだ。

 高校に入ってからは、桜花がワンピースだったり、スカートを穿いていたりする時には警戒が必要になってきた。露骨に、女の子の日であったり、機嫌が悪い時であったり、俺に対して欲求不満を抱いている時が多かったからだ。

 あの時もそうだった。高校入学後に知り合って友達になった女の子の一人から、桜花の誕生日が近いと聞いて質問されたのだ。

「春香さん、桜花のことで相談したいって聞いたけれど、どうしたの?」

「桜花の誕生日が5月5日と聞いたんだけど、正しい?」

「5月5日は確かに桜花と俺の誕生日だけど、その日は忙しいみたいだぞ。俺にも予定を空けて付き合えってしつこく念を押していた。」

「あなたのことは聞いていないよ。桜花に殺されたくないもの。せっかく知り合ったんだから、下心ありで、私らの中で最初に誕生日を迎える桜花にプレゼントを送ろうって話になってね、何がいいのか相談したかったの。サプライズにしたいから桜花には秘密ね。ちなみに私たちの誕生日は桜花に伝えておくから期待しておくわね。」

「桜花なら、普通にかわいいデザインの文具が好きだぞ。学校では実用優先のシンプルなのを使っているけれど、家ではかわいいデザインの文具をコレクションしていて、こだわって使っている。桜花には生活をだいぶ侵食されていて共用しているものも多いけれど、文具だけは別にしているから、それなりにこだわっているみたい。」

「えっ花柄の文具とか、キャラクター文具とか使っているの?あの優等生が服を着ているような桜花が?」と何が面白いのか、意外ねえと春香さんがけらけらと笑う。そこに桜花が割り込んできた。

「春香。何を話しているの楽しそうじゃない。」

「ヒ・ミ・ツ。和音君、教えてくれてありがとう。」と、そそくさと逃げていく。

「和音。楽しそうだったわね。あなたは私には隠し事しないわよね?」

「桜花にいい友達が増えて良かったな。何か企画しているみたい。あと何日かしたらわかるよ。」

「怪しい。」と言って、ツンとして去って行こうとした。桜花の機嫌が悪くなるのを感じて、彼女を捕まえた。

「そういえば、誕生日に何か欲しいものがあるかい?」

「あるけど教えない。あなたの財布の中身ぐらい把握しているわよ。あなたに用意できるものをその場で要求するから、覚悟しておいて。5月5日の予定だけは空けておくこと。」

 その翌日から、彼女はスカートを穿くようになった。いつもよりサービスを増してご機嫌を取ろうとしても、そっけなく、機嫌が悪いままだ。謝って、どうして機嫌が悪いのか聞いても、あなたがそれを理解していないから機嫌が悪いと返ってくる。結局、5月5日に日付が変わった途端に「あなたを試すようなことをして、ごめんなさい。」と謝ってキスしてきた。それまでとは逆に急に対応が良くなって、いつもならやらないようなことまでして甘えてきた。

 まあ、欲求不満は理不尽で理屈では済まないものだ。


 彼女がズボンを穿いている時は平和だ。たとえ穿こうとしていたジーンズを横取りされたところで、余計なことを考えずに済む安静には代えられん。

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