第六章 悲哀(否愛) 2

 警視庁捜査一課に戻った田中は独自にニヒツの情報を探っていた。


 上司の篠原には「あまり無茶なことはするなよ」となかば呆れたような忠告だけを受けてはいたが、ニヒツを追うのにそのような生半可なことでは奴の影すら踏めないと思った田中は本当に困ったときにしか利用しない非合法なルートから勤務時間外の時間を利用して捜査をしていた。


 そんなおり、普段めったに相手から連絡してこない情報屋から伝えたいことがあると田中の携帯に連絡が入った。


 その情報屋との連絡にに使う錆びれた喫茶店に田中が向かうと、いつもの席に情報屋の姿を確認し、向かいの席に座った。


「珍しいな、お前から連絡なんて。頼んでいた件の情報か」


「やばそうなんですよ田中さん。これ以上調べてたら俺まであぶなくなりそうで、この情報だけで今回勘弁してもらおうと思って」


「お前はいつもやばいって言ってるだろ」


「今回はマジなんですって。おれのダチがもう一週間も連絡取れなくなっていて、俺も昨日こうです」


 そういってかけていたサングラスとマスクを外すと左目は大きくはれ上がり、開いた口元は上の前歯が無かった。


「知っての通り俺のバックには稲本会がついているんで、少々無理してでも危ないことはなかったんですが、最近なんかやばそうな奴らが海外から入ってきていて、そいつらがしまを無視して悪さしてるんです」


「それ、親分は黙ってみてるのか?」


「いや、なんか、組の上の方がきな臭いんですよね。あんなに好き勝手させるなんてこと今までなかったんで、しばらく俺も身を隠そうと思いまして」


「身を隠すほどのやばい情報ってなんなんだ」


「頼まれていた掲示板サイトの件なんですが、ちょっと前から噂にはなっていたんですが、その掲示板ルートで妙な取引がされてるって」


「妙な取引?」


「書き込まれているのはつまらない悩み相談や、日ごろの愚痴みたいなものがほとんどなんですが、書かれていたものの中に実際にあった変死事件や、事故、強盗、窃盗、レイプ事件なんかに酷似したものがあるって」


「誰かが掲示板を利用して依頼してるってことか?」


「うちの組の幹部が襲撃された事件あったでしょう?その一週間くらい前に掲示板にうちの組の若いやつに因縁つけられてむかついたみたいな内容の書き込みがあって。捕まった若造なんですが、どこの組のものでもなく、ただの学生だったんですが、そいつの口座にそこそこの金額が振り込まれていたみたいなんです。それに、ただの大学生が何のつてもなしに拳銃を手に入れているっていうのも妙な話で」


「金の出どころは調べられなかったのか」


「そりゃ田中さんらの仕事でしょう?警察に調べられないようなら俺じゃ無理だ」


「確かにな・・・」


「気になってそっちの方面に詳しいダチにほかの書き込みに関してから何か調べられないか頼んだんですよ」


「そいつと連絡が取れなくなった」


「しばらくは、逐一報告が入ってきていたんですが、一周間程前からぱったり」


「どこまで報告してきていたんだ」


「拳銃の出どころを調べていたんですが、あるルートから大量の拳銃と怪しい薬品が流されてるって」


「薬品?」


「ええ。麻薬類ではなくって、医療系の薬品みたいだって言ってました。入ってきたところまでは突き止めたみたいなんですが、行先がはっきりしないって」


 田中は脳裏にニヒツの名前が浮かんでいた。


「でも今日、田中さんに報告したかったのはそれじゃなくって、拳銃の行先を数か所突き止めていたそのうち一つが気になって」


「どういうことだ?」


「これなんすけど」


 情報屋の男は一枚の写真をテーブルに置いた。


 田中はそれを見てハッとした。


「やっぱり、顔見知りですよね。確か前に田中さんがこの女と話しているところを覚えていて、これは知らせておいた方がいいと思いまして」


 その写真に写っていたのは倉ノ下櫻子のメイクを担当している南川小夜子だった。


「この女が何者なのか調べてみたらどうにもおかしな女なんですよ」


「おかしな女?」


「まず、この女は実在しません。戸籍等も偽ったものでしょう。勤め先に提出している資料すべてが捏造されたものです。住んでいるとされる住所には別人が住んでいました。そんなこと一個人でできるはずもないので、さらに詳しく調べてみたんですけど、やばいやつが絡んでいたんですよ」


「やばいやつ?何者だ?」


「さすがに田中さんにもこれは教えられません。この業界で仕事できなくなるんで。すんません。でもこの女のこと調べるんでしょう?そう思って、この女が本当に住んでいるところを調べておきました」


 そう言って、折りたたんだメモを手渡した。


「生きていたらまたよろしくお願いしますね」


 そう言って情報屋の男は、田中から金の入った封筒を受け取ると周りの視線を伺いながら、店を出て行った。


 田中はテーブルに置かれてた写真を見つめて腕を組んで考えていた。


「何か妙な方向に転がり始めたな・・・・」独り言ちると、二人分の支払いをして店を後にした。



 メモに書かれていた住所は東京都足立区にある辺鄙な場所に建つ小さなハイツの101号室だった。


 田中はあたりの様子をうかがいながら、ポストの中を覗き込んでみたが、広告などが入っているだけで郵便物らしきものは見当たらなかった。


 建物から少し離れたところに身を隠し、南川小夜子が出入りするのを待った。


 五時間ほど待っただろうか。今日はあきらめて引き上げようと腕時計を確認すると、夜の十時を指していた。


 すると、建物に近づく人影を確認できた。


 その人影は黒ずくめの上下スウェットを着ていての、体系的には小柄な女性に見えた。


 その人影は101号室のカギを開けるとドアを開け中に入っていった。 


 十分ほどして、またドアが開き、先ほどの上下スウェットの女が出てきて扉の鍵を閉めると、周囲の視線を気にしながら、胸に小さなバッグを抱えて、駅の方向に向かって小走りで駆け出した。


 田中は見つからないように、少し距離を置いて女の後をつけた。


 女は五反野駅前のタクシー乗り場でタクシーを捕まえるとそれに乗り込み走り出した。


 田中も別のタクシーを捕まえ、警察であることを伝え、前のタクシーを追うように指示した。


 タクシーは約一時間ほど走って、横浜港近くで止まった。


 女はタクシーから降りると、二十分ほど人通りの少ない通りを若干早歩き気味で通り過ぎ、さびれたビルの立ち並ぶ区域に足を踏み入れていた。


 そのビルの中の一つに女は忍び込むように周りを気にしながら入って行った。


 田中はビルの入り口が見える物陰で女が出てくるのを待つことにした。


 女のビルに入っていく様子が明らかに不自然だったので、これ以上後をつけるのはリスクが高いと思ったからだった。


 三十分ほどたっただろうか。ビルの入り口に人影が見えたので、田中は目を凝らした。


 出てきたのは、追っていた女ではなく、高身長の男と、中肉中背の男の二人だった。


 その男二人が歩き去ってしばらくして、再びドアが開き先ほどの女が出てきた。


 女は先に出てきた男二人のあとをつけるように物陰に隠れながら進んでいるように見えた。


 田中はさらにその女に見つからないように物陰に身を潜めながら後を追う。


 角を四、五回曲がったあたりで女の姿が見えなくなった。


「しまった、見失ったぞ。基本尾行は得意じゃないんだよな・・・」


 田中は薄暗い通りをしばらく見て待ったが女も、二人組の男も見つけることができないでいた。


「まいったな」そうつぶやいた時、微かに話し声が聞こえた気がしたので、耳を澄まして音の方向を確認する。


 今度ははっきりと男女の話す声が聞こえた。


 ビルの陰から声のする方向をそっと気づかれないように伺うと、やせ型の長身の男の背中が見えた。


 男の陰で見えないが、向き合って話している声は聞き覚えのある南川小夜子の声で間違いなかった。


 田中は聞き耳を立てて話している内容を聞き取ろうとしたが内容までは確認できなかった。


 すると、長身の男が突然南川小夜子に襲い掛かった。左手で小夜子の首を鷲掴みにしたのだ。


 田中はそれを見た瞬間、ビル影から飛び出し男の背後から両腕を掴み小夜子から引き離した。


 小夜子はバタリと地面に倒れこんでしまった。


「何だか今夜は邪魔者が多いなぁ」


 男が発した声を聞いて、田中の体内の血が逆流した。


「お前もしかして、ニヒツか?」


「おや?もしかして警察の方でしたか?私の名前を知っているのは警察関係者だけのはず」


「お前の声はふざけた挑戦状を何回も聞き直してるんで、はっきりと記憶してるぜ」


「まさかこんな羽虫のせいで見つかっちゃうなんて、納得いかないなぁ」


 その瞬間すっと腰を落とすとゴキッと鈍い音がして田中の前から一瞬男の姿が消える。


 フィギュアスケートの回転のように素早く体を回転させると掴んでいた田中の手を振り払らい、二メートルほど距離を開けた。


「それは知ってる」田中はそう言うと一瞬でニヒツの胸ぐらを掴み、背負い投げで地面に叩きつけ、すかさず首に腕を回し抑え込んだ。


「はっ、すごい動きですね。あなた普通の人間ですか?」


 田中に抑え込まれながらもニヒツはマネキンのように表情を崩すことなく話した。


「さすがにお前でも首を外すなんて芸当は無理だろうからな、このまま落とす」


 田中はさらに力を入れてニヒツを閉め落とそうとする。


「果たしてそうですかね?」


 ニヒツはそういうと、足を踏ん張り、田中を首に巻き付けたまま立ち上がった。


「ありえない・・・・」


 田中が驚きの声を上げたその瞬間、ニヒツは腰をくの字に折り曲げ、背中に張り付いていた田中を前方に跳ね上げると、そのまま絡み合って前転するように転がり、田中の腕を引きはがした。


「あなたも化け物じみていますが、私は本物のモンスターです。常識で測っては駄目ですよ」


 そう言うと右手に持っている銃で田中を狙った。


「ここで殺してもいいのですが、あなたもあの可愛らしい女優さんと同じで私を楽しませてくれそうなので、一度だけ見逃してあげます」


 そう言うと、拳銃をジャケットの内ポケットに入れて振り返った。


「この後わたしを追うのは自由ですが、そこに倒れているお嬢さんを病院に連れて行くことをお勧めします。それとも、あなたがわたしを追えるように、私がこの場で撃ち殺してあげましょうか?」


 ニヒツは内ポケットから拳銃を取り出すと、銃口を倒れている小夜子に向けた。


「まて、やめろ」田中は強めの口調で言い放ち、鋭い視線をニヒツに向けた。


「いいですね、その殺意に満ちた視線。では、またお会いしましょう。そうだ、名前だけでもお聞かせ願えますか刑事さん」


「田中だ、覚えておけ」


「田中さんに倉ノ下さん・・・。日本に来て正解でした。こんなにワクワクするのは久しぶりです」


 ニヒツはニヤリとほほ笑むとビルとビルの谷間の暗闇に姿を消した。


 田中はポケットから携帯を出すと電話を掛けた。


「すみません、篠原さん無駄だと思いますが至急横浜県警に連絡を。それと今から言う住所に救急車の手配をお願いします」


 田中は電話を切った後、ニヒツが溶け込んで消えた暗闇をにらんだ。

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