第五章 遺愛 1

 田中と元平は、稲生きよみの会社の事務所で複数のスタッフに話しを聞いている所だった。


 その元平の携帯電話に捜査本部からの電話が入り、元平は一旦事務所を出て報告を聞いた。


 事務所に戻って来た元平は田中に耳打ちした。


「稲生きよみの所持品の中から出てきた瓶の中身ですが今回の毒物ではなかったそうです。それ以外はこれと行ったものは出てきていません。車のトランクに着替えと、犬の首輪、ドッグフードがあったくらいでニヒツに繋がるようなものは何も」


「瓶の中身は結局何だったんだ?」


「成分的には、傷薬に似ていますが、市販のものでは無さそうだということです」


 スタッフから提出された脅迫状を机の上に並べてそれを眺めながら田中は考え込んだ。


 他の被害者の元に届けられていた暗号も確認したが、全く同一の物だった。


 脅迫状の中身は色々あって、ただの嫌がらせのような物から、少し危険な匂いのする物まで様々な種類があった。


「このような郵便物は日常的に送られてくるのですか?」


 元平がいつもの優しい口調で尋ねた。


「そうですね。きよみさんが目立った宣伝などを行った後などは、頻度が増したりしますが、日常的に送られてきます。きよみさん自体はそんなに気にされていなかったんですが、スタッフの中には怖がる人もいますので」


「最近の稲生さんにおかしな所とか無かったですか?」


 田中も友達に話し掛けるような気楽な感じで尋ねた。


「最近頻繁に何処かに一人で出かけられていました。スタッフの皆は彼氏でも出来たのかと喜んでいたんですけど、二週間程前に三ノ宮のカフェできよみさんが女性とお茶しているのを見かけて。その時のきよみさんの表情が凄く怖い顔だったので、あれは誰だったんだろうって」


「その女性の特徴をお聞きしてもいいですか?」


 元平が前屈みに尋ねる。


「後ろ姿だったんですが、スレンダーなタイプで、黒髪のストレートでした。恐らく身長はきよみさんよりも高いと思います」


 元平はハッとして田中に小声で話し掛ける。


「朝比奈由衣が最後にバーで会っていた女性の容姿と酷似しています」


 田中は頷くと、スタッフに向かって笑顔を見せ

「稲生さんの件に関しては全力で捜査しますので、私達警察を信じてご協力をお願いします」と言うと会釈をしてから立ち上がり事務所を後にした。


 事務所からでて駐車場に止められた車に戻ると助手席の田中はシートベルトをすると目を瞑った。


「この後はどうします?」


 元平は昼食を何処で食べるか聞くような軽い口調で尋ねた。


「毒物が気になる。稲生きよみは大事にポケットにしまって肌身離さずといった感じだった。絶対に何か関係あるはずだ」


「腹が減ってはなんとやらなんで、まずは腹ごしらえして考えますか」


「上手い店に案内してくれ」


「了解しました」


 元平は少し微笑んでから車を走らせた。


 元町にある小さな店にに二人の刑事は向かい合って座っていた。大柄なスーツの男二人が向き合って座っている見た目は少し店の雰囲気から浮いていた。


「お前、もうちょっと何かあるだろう」


「何がですか?」


 元平はとぼけたようにしらばっくれる。


「お前、水尾から聞いてわざとやってるだろう」


 二人のテーブルに料理が運ばれてきた。


「大丈夫ですって。一度食べてみて下さい。絶対うまいですから」


 目の前の料理を田中は睨みつける。


「こんな本格的なものじゃなくっていいんだよ俺は」


 元平が案内した店は本格的なスリランカカレーの食べられる、神戸でも有名な一店だった。


 田中は大の甘党だ。逆に辛いものは大の苦手で、警察学校時代に出ていた普通のカレーでも辛くて食べられない程だった。恐らく元平は水尾にその話を聞いていてわざとやっているのだ。


「まず一口食べて見てくださいよ。そんなに辛くないですから」


 田中はカレーのルーだけをスプーンに少しすくって口に運んだ。


「辛っ、いや、これは辛いぞ」


「そうですか?そうでも無いですけど」


 元平は平気な顔で何口か口に運んでいる。


「というのは冗談で、ここにある具材を全て混ぜるんです。もうぐちゃぐちゃにしてかまいません」


 そう言われて、元平を真似て具材を皿代わりの葉っぱの上で混ぜた物を恐る恐る口に運んだ。


「……うまい」


 田中はあまりのおいしさに思わず元平を見つめた。


「不思議でしょう?こうやって全部を混ぜるとまろやかになってうまみも増すんです」


 元平は嬉しそうに答えた。


 田中は食べている手を少し止めた。混ぜたらここまで味が変わる。混ぜる。混ざると変わる。


「只の思いつきだが、試してみる価値はあるか」


「何か言いました?田中さん」


「いや、お前の悪戯のお陰で何か閃いたような気がする」


 元平は田中の嬉しそうな顔をみて不思議そうな表情をした。


 店を後にして、大阪の科捜研に向かっていた道中、捜査本部から重要な情報が入った。


 行方が分からなくなっていた宇根元のマネージャー村越由美子が京都府内の駐車場で保護されたという情報だった。身体的な問題は無く、今、京都府警で話しを聞いている最中ということだった。


 まだ詳細は入ってきていないが、宇根元を殺したのは自分だと供述しているらしい。


 良心の呵責から死のうと思って、宇根元を殺害したとされる毒物を自分も飲んだらしいが、死ねなかった。自分の車で呆然としている所を警官に声をかけられたという経緯だった。


「俺の考えていることが正しかったら、村越が死ななかったのは当然だ」


「俺もなんとなく田中さんの考えていることがわかってきました。急いで科捜研に向かいましょう」


 科捜研に着いた二人は分析室に急いで向かった。ここに来る道中で分析して欲しいことは伝えてあった。


「先程連絡させていただいた元平です。結果はどれくらいででそうですか?」


 元平はドアを開けるのとほぼ同時に早口で尋ねた。


「ああ、元平さん。結果は直ぐに出ますよ。凄い事思いつきましたね。そちらが噂の田中さんですか。初めまして。水尾さんからよく話しは聞いています。あなたのお陰で僕も可愛がってもらっています」


 にやっと口角を上げて握手を求めてきたその若者のあまりにフランクな雰囲気に、流石の田中も少し面食らったが、田中もにやっと笑って差し出された手を握った。


「鑑識の田中です。同じ田中でややこしいんで、何か呼び方決めますか?じゃあ、下の名前の健一郎で読んで頂けたら嬉しいです。水尾さんもそう呼んでくれてますし」


「わかった、宜しく健一郎。で、頼んでいたものの結果はどうだ?」


「ビンゴでした。稲生きよみの所持していた瓶に入っていた物質と、村越由美子が服毒自殺を図ろうと飲んだ薬の残りを混ぜ合わせた結果、宇根元駿河を殺害したと思われる毒物とほぼ同じ成分になりました」


「やっぱりな。そうなると、他の被害者の持ち物の中にも、それ単体では気が付かないが、組み合わせによって毒物に変わるものがあると考える必要がでてきたな」


「それにしてもこれを作った奴は凄いですよ。こんな物、一個人の知識や技術で作れるものじゃないです。何者なんだろう?とんでもない天才です」健一郎はPCの画面に映し出された物を睨んで呟いた。


「頭の使い方を間違っているけどな」田中もその画面を睨んだ。


「そうなると、宇根元駿河は稲生きよみと村越由美子によって別々に毒物を盛られて、それが反応して死んだってことですよね?それは偶然なんでしょうか?それとも……」元平が眉間に皺を寄せて考え込んだ。


「恐らく、偶然では無いな。稲生と村越は二人とも毒物らしきものを持っていて、その二人が競合して宇根元を殺害した可能性もある。一方が毒物を盛ったあと、時間差でもう一方が毒物を盛る。お互いが所持している物はそれ単体では毒物では無いので犯行を裏付ける証拠にはならない。そんな計画じゃないか?」


「それならやはり村越から詳しい話しを聞く必要がありますね」


 元平は携帯を取り出し捜査本部に連絡した。


「俺達も一旦本部に戻るか。健一郎、他の被害者の持ち物を色々な観点から調べてみてくれ」


「田中さんも水尾さん並に無茶言いますね」


「水尾程じゃないだろう?」田中は健一郎の肩をポンポンと軽く叩くと、科捜研を後にした。

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