第四章 偏愛 7

 櫻子と美紀、祥子は身を隠すために病院から警察に警護されて、神戸市内のホテルに移動していた。


「水尾さん心配ですね」美紀はカーテンを閉め切った部屋の窓から外を少しのぞき見た。


「警察の方にさっき聞いたんだけど、なかなか重傷らしくってしばらく入院されるそうよ」


 そう言って、祥子はチラッと櫻子を見た。


「大丈夫?さくちゃん」祥子は思い詰めた顔をしている妹に声をかけた。


「大丈夫。お姉ちゃんの方こそ大丈夫?お医者さんは安静にして下さいっておっしゃっていたけど」


「わたしは大丈夫よ。でも、きよみさんもあんなことになってしまって……。許せないわ」


 祥子は少し涙ぐんでいた。


「やっぱり、きよみさんは今回の事件に関係があったんですかね?そのことによって犯人に殺されたということなんでしょうか」美紀は窓際の椅子に腰掛けた。


「あいつ、何者なんだろう。凄く怖かった。人間じゃないみたいだった……」


 櫻子は自分の腕を抱きかかえるような動きをして、少し震えているようだった。


「どこからどう見ても宇根元さんのマネージャーさんに見えました。あれが変装だなんてとても信じられない。元平さんが言っていた看護師の容姿とは全然違ったし。どんな人間にも変装できるってことなんでしょうか?」美紀も言っていて少し寒気を感じた。


「姿形も凄かったけど、声も凄かった。多分、わたしじゃないと気付くのは無理だと思う」


 三人はその後しばらく沈黙してしまった。


 すると突然、櫻子の携帯が鳴った。


「あれっ、せりだ何だろう?」


「さく?大丈夫なの?比留間さんに祥子さんのこと聞いてびっくりして。それで電話したの」


「お姉ちゃんは大丈夫。代わろうか?」


「大丈夫ならいいの。後で祥子さんに直接電話するから。それより、気になることがあって」


「なに?」


「今回のドラマの出演が決まった何日か後のことなんだけど、わたしの仲のいい女優の子がいて、その子から変な話しを聞いたの。その仲のいい子って言うのが朝比奈由衣って子なんだけど、さっきその子が亡くなっていたって聞いてびっくりして」


「どういうこと?」


「由衣ちゃんが話した内容っていうのが『今回のドラマで里田ひとみがやる役はもともとわたしがやることになっていたの。それをあいつが汚い手で妨害して。それで、わたしは下ろされた。それを、雑誌記者から聞いた。だからあいつを許さない』って。気になって、そのことをなんとなく聞いてみようと里田さんに連絡しようとしたら、その里田さんも亡くなっていたの」


「それって……」


「そうでしょう?何か変じゃない?やっぱり、警察に言ったほうがいいよね」


「有り難う、せり。そのことはわたしから警察の人に説明しておく。こっちには凄い刑事さんがいっぱいいるから」


 そう言って、櫻子は電話を切った。


 そのあと、櫻子の口からせりの電話の内容を聞いた私達三人は困惑していた。


「とりあえず、この事はわたしから警察の方の説明しておくわ。さくちゃんと美紀ちゃんはここでしばらくじっとしておいて。犯人はさくちゃんを狙ってくる可能性もあるから慎重に行動しましょう」


 祥子はそう言うと部屋の外で待機していた警察関係者に話しをしに行った。


「里田ひとみさんを恨んでいた朝比奈由衣さんが彼女を殺した。でも朝比奈さんも亡くなっている。朝比奈さんは真犯人に殺された?でも何で?宇根元さんを殺したのはきよみさん?きよみさんは何で殺したの?そのきよみさんを殺したのは真犯人?田中さん達が調べていた東京の二軒の犯人は?真犯人?」


 櫻子はそう独り言を話したあとしばらく沈黙したが、ドカッとベットに寝転がると目を瞑った。


「全然わかんな~い。ひらめきもしな~い」そういうと、そのまま眠ってしまった。

 

 美紀は稲生きよみのことを思い返していた。そういえば宇根元との対談の時のきよみの態度には少し違和感があった。それに、彼女の会社に送られてきた例の郵便物。元平の話によると、同じ郵便物が大阪の事件の被害者朝比奈由衣、東京の被害者熊手智也の自宅から見つかっている。六人の被害者の内半分の三人に届けられていた暗号付きの郵便物。何かしらの法則があるのか。


 そんなことを考えていたら、美紀も睡魔に襲われた。


 櫻子に布団を掛けると、美紀も櫻子と並んでベットに横になり少し仮眠を取ることにした。


 櫻子から提供された情報は直ちに捜査員に伝わり、勿論病院のベットに横たわっていた水尾の耳にも入った。


 神戸市の民間病院から大阪の警察病院に移っていた水尾は、本部長に捜査復帰を嘆願したが、しばらく安静にするようにと念を押されて忸怩(じくじ)たる思いで病室の天井を見つめていた。


 いても立ってもいられなくなり、元平に届けさせた捜査資料をベットの上に並べて睨んだ。


 その捜査資料の中の、田中達が岐阜にあった物置で見つけたメモからたどり着いたサイトを調べた途中経過が書かれた部分を細かく確認した。


 そのサイトは掲示板しかないシンプルな構造で、会員登録をすれば誰でも書き込むことができる、悩み事相談所のようなものだった。仕事の悩み、人間関係の悩み、簡単な相談ごとから、只の愚痴のようなものまで千差万別に投稿されていた。会員同士はダイレクトメールで秘密裏に連絡を取ることもできる仕様になっている。数十万にもなる書き込みを人海戦術でしらみつぶしにチェックしたところ、今回の事件に関係ありそうな投稿を既に二つほど見つけていた。


 一つは里田ひとみに関する物だった。暴露のような物で、今回彼女が出演する事になったドラマの役を獲得する際、他の女優を妨害する行為があったという内容の物だった。


 この書き込み内容は、倉ノ下櫻子から提供された朝比奈由衣の証言と酷似しており、現在サイトの運営に問い合わせをして、この投稿をした人間の身元を開示できるかを確認しているところだった。


 もう一つは、宇根元駿河に関するもので、表の顔と違い、彼が裏では動物を虐待遺棄しているという生々しいものだった。詳細に書かれたその内容はかなりショッキングで、下手をすれば名誉毀損になるようなものだった。この投稿に関しても一つ目同様に運営に問い合わせ中だった。


 倉ノ下櫻子からの情報を元に、里田ひとみ、朝比奈由衣が所属していた芸能事務所に今回のドラマのキャスティングに関して問い合わせしたところ、そういった事に関しては色々なスポンサー企業などのしがらみがあるのでお答えすることが出来ないとの返事があった。明らかに何かあったと思わせる対応だったと書かれていた。


「ちっ、人が死んでいるのにスポンサーがどうとか関係ないやろ。腐っとるな」


 イライラで思わず独り言を呟いた水尾は、先程まで目の前にいたあの看護師の、マネキンのように表情が抜け落ちた青白い顔を思い返していた。


「何者なんや。あの妙な郵便物を送ってきたのは間違い無くあいつや。それも、少し考えれば解ける程度の暗号で掲示板サイトの在処を教えようとしとる。このサイトにしても少し調べただけで、関係のありそうな書き込みを見つけることが出来ている。明らかに警察を誘導しとる。只単に、このまま調べても自分までたどり着けない自信があるのか、それとも他に意図があるのか」


 新型の毒物といい、あの小型の爆弾といい、元平を退けたあの身体といい、倉ノ下櫻子程の能力が無いと見破れないほどの高度な変装技術も持ち合わせた、犯罪をするために存在するような生き物に思えた。


「田中、元平頼んだぞ……」


 そう言うと水尾は左腕に繋がれた点滴のコードを睨んだ。 

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