第四章 偏愛 6

 水尾は病室で痛む脇腹をさすっていた。


 先程応急処置を終えて、医師は安静にするようにと病室を後にした。


 医師の話によると全身打撲と、あばらにひびが入っているという事らしい。このくらいで済んだのは、流石日頃鍛えている刑事さんですねと感心されたが、恐らくまぐれだろうと思っていた。


 吹き飛ばされて窓ガラスを突き破ったあと、駐車場脇に植えられていた広葉樹の中を経由したことで、車に到達する際には随分と勢いが殺されていた。そこに止まっていたのがワンボックスカーだったのもラッキーだった。スライドドア部分が衝撃を吸収してくれたお陰でひびぐらいですんだのだろう。


 それでも、体中が痛く少しでも動こうものなら激痛が走った。


 病室の扉がノックされた。


「元平か?」


「看護師の佐藤です、入ります」


 そう言って看護師が入室してきた。


「やはりかなり痛みますか?痛み止めを用意しましょうか?」看護師はカルテを見ながら尋ねた。


「いや、大丈夫です。これ以上酷くなったら言います」


「わかりました、無理しないで言って下さいね」


 そう言うと、振り返り水尾に鼻が付くくらいに顔を近づけた。


「あなたが倉ノ下さんが言っていた凄い刑事さんですか?確かにあの爆弾の被害をここまでに抑えて、さらに自身もこの程度の怪我で済むなんて、なかなかやりますね」


 水尾は先程までとはまったく違う声になった看護師を鋭い眼差しで睨んだ。


「お前、なにもんや」


「そんなに凄んでも無駄ですよ。恐らくあなたは今私を取り押さえることもできない。だから痛み止めをおすすめしたのに」そう言ってにた~と笑った。


「強がっても、その脂汗が全てを物語っています」


 二人はしばらく至近距離でにらみ合う。


 コンコンとノックの音がしてから扉を開けて元平が姿を見せた。


「元平!こいつが爆弾魔や!確保!」水尾が怒号を飛ばす。


 その声を聞いて元平が素早く看護師の女に近付き腕をとった。左腕を捻りあげ後ろに回り身動きを封じる。刹那、「ゴキッ」と鈍い音とともに看護師の女が身体を捻る。


「なっ」元平は驚きの声を上げる。


 看護師は元平から距離をとると、左腕をぶらーんと垂らした状態で、くくくっ、と微笑んだ。


「それでは、ご機嫌よう」


 そう言うと、走り出し、開けられた病室の窓から身を投げた。


 元平は窓に走り寄り外を確認する。


「バカな、ここは三階ですよ」


 窓の下は小さな川が流れていて、先程まで看護師が被っていた帽子がプカプカと浮いていた。



 その後、稲生きよみが病室で死んでいるところを巡回にきた看護師が見つけたと報告が入った。


「恐らく、あいつの仕業やろうな」


「何者なんです?あの状態で生きていると思いますか?」


 元平は水尾に尋ねたが、水尾は黙っていた。



 神戸県警は直ちに検問などを行い、総動員で捜索したが足取りはつかめないでいた。


 元平は水尾を病院に残し捜査本部に戻り、爆弾魔と思われる看護師の情報、倉ノ下櫻子から提供された宇根元のマネージャーになりすましていた人物の情報を詳細に報告した。


 本部長の平山は唇を噛み締めてその報告を黙って聞いていたが、元平からの報告を聞き終えると目の前のテーブルを右手で激しく叩いた。


「捜査線上に上がっている人物の中に必ずこいつに関係する奴がいるはずだ。こいつを野放しにしておくと何をしでかすかわからん。まず目撃情報と関係者の身辺調査を徹底的に行う。病院で殺されたと思われる稲生きよみの関係を重点的にあらえ。奴が直接口封じに来た事を考えると、何らかの情報が見つかるはずだ。こいつの呼び名だが、奴が送ってきたメールに書かれていた名称で呼んでやることにする。『ニヒツ』だ。ドイツ語で何も無いと言うことらしい。ふざけたこいつを早急にしょっ引くぞ」


 捜査員は一斉に立ち上がり各々が捜査に向かった。


 水尾のもとに本部の捜査方針を報告に向かおうとしていた元平を田中が呼び止めた。


「あいつ大丈夫なのか?」


「田中さんこそ、大丈夫だったんですか?篠原さんは大事をとって入院するって聞いたんですけど」


「俺は大丈夫だ。そこで相談なんだが今回の捜査、俺と組んでくれないか。平山さんには警視庁にいったん戻れと言われたんだが、お前と組む事を提案して、お前がよければ捜査に残っていいって承諾をもらってる」


「確かに。水尾さんがあんな事になったんで、俺も大阪府警に戻れといわれてどうしようかと考えていたところなんです。水尾さんに言っておいたほうがいいですよね」


「あいつは恐らくこの捜査から外れる気なんてさらさら無いだろうけどな。ここまでのことされて黙っている筈ない。あいつには俺から言っておくよ」


「お願いします。じゃあ、手始めに何から始めます?」


「まず、稲生きよみの方から調べろと本部長から言われている」


「倉ノ下さん側じゃ無くって残念でしたね」


「ニヒツのやろうはさくちゃんの存在を気にしているみたいだから、俺が直接護りたいけどな」


「じゃあ早速病院に戻りますか」


「水尾のやつの見舞いも兼ねてな」


「田中さん。もめるのだけは勘弁ですからね」

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