第四章 偏愛 4
櫻子と美紀は京都府警を離れたあと、何もすることが無かったので、今日撮影予定だった現場に無意識に向かっていた。
「撮影どうなるんだろうね」櫻子は少し気の抜けた声色で呟いた。
「主演俳優の訃報ですからね。代役を立てるのか、それともドラマ自体が無くなるのか」
「無くなったら嫌だな。今回の役凄くやりたかったから。今までやったことのないタイプだったから、良い経験になると思うの」
「そうですね。事務所としても櫻子さんとせりちゃん両方の仕事が無くなるとなると、かなりの痛手ですし」
「お姉ちゃんからの連絡も無いし。きよみさん見つかったのかな?」
「祥子さん電源切ってるみたいです。何かあったのかな?」
美紀がそう言って櫻子を見ると、その背後に何処かで見たことのある人間がこちらを見ていることに気が付いた。
「あの人って、確か宇根元さんのマネージャーさんですよね」
櫻子は振り返りその方向をみた。
「そうだね。マネージャーの村越由美子さんだね」
櫻子の名前を覚える能力は完璧だ。一度眠ると、その日経験したことはほぼ忘れることはない。人の名前と音に関してはかなりの精度で記憶している。
村越はずっと櫻子を見ている。
「何か櫻子さんに話しがあるのかな?」
「宇根元さんがあんなことになったから、そのことかもね」
美紀は、気になったので村越に話しかけてみようと思い近付いた。
「村越さん、この度はご愁傷さまです。大変なことになってしまいましたね」
「えっと、失礼ですが……」
「あっ、倉ノ下櫻子の事務所のスタッフの遠藤美紀です」
「失礼しました、遠藤さん。この度はご迷惑をおかけします」
そう言って、頭を下げた。
「監督や、プロデューサーにお詫びと、この後の対応を相談しようとこちらに伺ったのです」
「そうでしたか、それはご苦労さまです」
そう言った後、後ろにいる櫻子を見ると怪訝そうな表情を浮かべていた。
「どうしました?櫻子さん」
「あなた、誰です?」
櫻子は村越を見つめて、唐突に言い放った。
「誰って、櫻子さんが言っていたとおり、宇根元さんのマネージャーの村越さんですよ」
「村越さんに見えるけどそうじゃ無い、声が違う」櫻子は鋭い目つきで村越を睨んだ。
「気持ち悪。何で分かるの?」そう言った村越の声は先程までのものとは全く違うものだった。
「話しには聞いていたけど、自分で確認しないと信用しない性分なんで。それにしても、本当に凄いですね。声まねは、変装よりも自信があるのにな。思った通り、わたしの天敵になりそうなんで、この場で処分しようかな」村越のその眼差しは深く恐ろしい色を帯びていて、美紀は恐ろしくなって一歩後ずさった。
「と、思ったんだけど、大犯罪者にはライバルが必要でしょう?モリアーティーとホームズのように。だから、ここは見逃してあげます。日本の警察に期待していたんだけど、大した事なさそうだから、あなたがわたしを楽しませて下さい」
「日本の警察を舐めないほうがいいよ。凄い刑事が何人もいるんだから」
櫻子は挑発するように言い放つ。
「日本の警察はわたしの尻尾すら見えてませんよ。下手したら存在すら気が付かないままの可能性すらあります。おっと、わたしはこの後、所要がありますので、このへんで失礼します。では、可愛い名探偵に期待してますよ」
そういうと、流れるような足取りで去っていった。
美紀も櫻子もしばらく固まったまま動けなかった。
村越に扮していたその人間の醸し出す、人ならざるその雰囲気に、二人とも怯えきってきた。
「櫻子さん、大丈夫ですか。なんなのあいつ。警察に報告しましょう」
「怖かった……。殺されるかと思った」
「櫻子さんが挑発するから、生きた心地しませんでしたよ」
「だって、あいつ警察を馬鹿にするから、なんだか腹がたって」
「何者なんでしょう?今回の事件の犯人ってことなんでしょうか?」
「そうみたいだね」
その時、美紀の携帯がバイブした。
「誰だろう?見たことのない番号だけど」
そう言って、通話ボタンを押して電話にでた。
「遠藤さんですか?元平です。松本さんが大変なことになって。松本さんの携帯が壊れてしまったのでわたしから連絡させて頂きました」
「祥子さんが?どうしたんですか」
「今、病院で、外傷はないのですが、煙を吸い込んだため意識を失っている状態で。命には別状ありませんが、病院をお伝えしますので、急いで来てもらえたら助かります」
「意識不明?命には別状ないんですね。今すぐに向かいます」
電話を切ると、櫻子に端的に説明して、急いでタクシーを捕まえて病院に向かった。
病院のエントランスに到着したタクシーの扉が開くか開かないかのうちに、櫻子は走り出した。
「櫻子さん!待って下さい。病室知らないでしょう?」
美紀は料金を払いながら櫻子に声をかけた。
「急いで、美紀ちゃん」櫻子は病院入り口の自動ドアの前で足踏みをしている。
「大丈夫ですよ櫻子さん。元平さんは命には別状はないっておっしゃっていたんですから」
「でも、でも……」
「大丈夫。あの祥子さんですよ」美紀は優しく諭すように言った。
「そうだよね、お姉ちゃん大丈夫だよね」
二人は受付で行き先を告げると、事務員の女性に救急搬送の入り口側へ案内され、椅子に腰かけて待つように説明をうけた。
五分ほど待つと、元平が外の扉から入ってきて優しい笑顔で近付いてきて声をかけた。
「松本さんは先程意識を取り戻して、一般の病室に移られましたよ。明日にでも退院できるそうです。水尾さんは稲生きよみの病室前で、彼女が意識を取り戻すのを待っています」
「そうですか、安心しました。祥子さんに会うことはできるんですか?」
「大丈夫ですよ。もう起き上がられているくらいなんで」
「きよみさんはまだ意識不明なんですね」
「煙を多めに吸ったらしく、命に関わるような状態では無いですが」
「そうですか」
美紀は振り返って櫻子を見ると
「よかったですね、櫻子さん。祥子さんに会いにいきましょう」
元平に病室を聞くと二人は手を繋いで向かった。
病室の扉を開くとベットに寝ていた祥子は身体を起こして櫻子を見た。
櫻子は黙って歩みよると、祥子に抱きついた。
「ごめんごめん。さくちゃん。心配かけたね。大丈夫だからそんな顔しないで」
櫻子は祥子の胸に顔を埋めたまま、何も言わなかった。
「本当にごめんね……」祥子は櫻子の頭を優しく撫でた。
水尾は稲生きよみの運び込まれた病室の前で扉を睨んでいた。
稲生きよみは自暴自棄になって焼身自殺をはかった。人殺しをした罪に耐えきれずにといったところか。彼女が殺したというのは宇根元駿河のことか。ほかの殺しも彼女の手によるものなのか。とてもそうとは考えにくい。そうなると、共犯者がいる可能性が大だ。目を覚ましたらまずそこを問いただす必要がありそうだ。彼女にあのような高度な毒物が作れるとは到底思えない。間違いなく共犯者が主犯格だ。
そんな事を考えていた水尾のポケットにいれていた携帯に着信があった。
「もしもし、水尾です。今病院内ですのでかけ直します」
そう言って立ち上がると、非常口から駐車場に出た。
「すみません、水尾です。何かありましたか」水尾は捜査本部にかけ直した。
「水尾さん、すみません。岐阜側が大変なことになりまして」
水尾は捜査本部からの報告を聞いて、頭に血が上るのを感じていた。田中達は無事だと報告を受けたが、間違い無く一歩間違えれば死傷者が出ていた。これは明らかに俺達、捜査員を狙ったものだ。
水尾は切った電話を壊れそうなほど強く握りしめていた。
「くそが。こいつ舐め腐ってやがる」
踵を返して病院内に戻った水尾は、何やら騒がしいことに気付いた。
元平が慌てた様子で水尾に近付いてきて報告した。
「どないしたんや」
「今、病院の代表電話に脅迫電話がありまして、この病院に爆弾を仕掛けたというんです」
「なに?」
「それも、爆破予告の時間は午後四時。あと三十分もありません」
「もしかして、稲生きよみが目的か?それだけのことで、ここまでするか?」
「わかりません。でもタイミング的に言って、それぐらいしか理由が見当たりません」
「三十分では全員の避難なんて到底無理や。かといって、爆発物を見つけるにも何の手がかりも無い。できる限り被害を抑える為に、動ける者だけでも避難するよう病院側に指示や」
そんな水尾の携帯が多田からの着信を知らせる。
「多田さん、今電話で話しているる時間無いんです」
「水尾。いま捜査本部に挑戦状がメールで送られてきた。お前の携帯に送るから読んでくれ」
「挑戦状?どういうことですか?」
水尾は携帯を操作して、メールの添付ファイルを開いた。
『間抜けな日本警察の皆さん。恐らくお困りでしょうから、ヒントをお教えしましょう。爆弾を仕掛けた病院には、あなたたちの救世主がおられると思います。彼女に頼んでみるのが賢明だと思いますよ。心の声に耳を傾ければおのずと在処は分かる筈。仕掛けた爆発物は、物置に仕掛けたものとは次元が違いますので、ゆめゆめご油断なされないよう、忠告いたします』
「救世主?彼女?心の声……」
水尾はそれを見るやいなや走り出し、松本祥子の病室の前に着くと扉をノックしてから勢いよく開けた。
「倉ノ下したさん。お願いします、わたしに力を貸して下さい」
「どうしたんですか、水尾さん。何か表が騒がしいみたいだけど」櫻子は病室の窓から表の様子を見ながら尋ねた。
「わたしと一緒に来て下さい」
そう言うと、病室から出て走り出した。
その水尾のあまりに鬼気迫る雰囲気に、櫻子もただ事ではない空気を感じ取り、祥子と美紀を真剣な眼差しで見ると、力強い声色で言った。
「行ってくる」
「気を付けて」祥子はコクンと頷き答えた。
櫻子は水尾を追って病室を走り出て行った。
水尾と櫻子は階段を三段飛ばしで駆け下りると、一階の部屋の扉の前で止まった。
「心療内科。心の声」
「わたしは何をすれば?」
「この病院に爆弾を仕掛けたという奴がおるんです。そいつは警察にヒントらしきものを送りつけてきていて、何故かあなたがここにいることを知っている。それを知った上であなたに力を借りろと。恐らくあなたなら何かしら爆発物の気配を感じることが出来るということやと思うんです」
「音がするのかな?やってみます」
櫻子は耳を澄まし、何かしらの異音を聞き取ろうとゆっくり部屋を歩いた。十分ほど部屋内を行ったり来たりして、机の下や、引き出しの中、書棚などに近付いて神経を研ぎ澄ました。
水尾は腕時計を確認する。爆破予告の時間まであと十分を切っていた。
「わからない……。これといって変な音は聞こえません」櫻子は少し焦った口調で言った。
「ここでは無いんか?それとも犯人は最初から……」
「水尾さん、元平さんに聞きました。心の声。循環器内科は心臓の病気を診るところです!」美紀が部屋に入ってきて叫んだ。
「循環器内科?その部屋は?」
「ちょうど隣です」美紀が指差す。
櫻子は今いる部屋を飛び出し、隣の部屋へ駆け込む。
部屋に入った瞬間、櫻子の表情が強張る。
「水尾さん。その天井の端から二番目の照明。変な音がしてます」
そう言って櫻子は照明を指差した。
「お二人は部屋の外に出て」
水尾は机を動かしその上に乗ると、照明のカバーをそっと外した。。そこに小さなプラスチックの箱が貼り付けてあった。。そっと耳を近づけてみた。チッチッという音と何やら小さく唸る音が聞こえた。水尾は慎重に蓋らしきものの隙間に爪を引っかけ開けてみた。そこには映画などで見たことがある正に爆発物と言ったような時計と何色かのコードが付いた物体が入っていた。
さらに、小さなカードが貼り付けてある。
「ちっ、舐めすぎや」カードに書かれた内容に、思わず舌打ちをした。
「幸運の女神に感謝を。わたしに勝ちたかったら、全力で女神を守る事をおすすめします」
水尾は時計を再確認する。爆発まであと五分も無い。
決心したかのように水尾は机から飛び降りて、目の前の扉を開く。その部屋に入って更に奥の扉も開く。空いたままになるようにストッパーを挟み、そのストッパーに荷造り用のひもをくくりつけた。そうして再び机に登ると迷わずプラスチックのケースに手を伸ばす。
「二人とも!できるだけ遠くへ」
その声を聞いた櫻子は迷わず走り出す。
動けなかった美紀は腕をひっぱり担ぎ上げられた。それは元平だった。元平は水尾を見ると頷き、櫻子を追って走り出した。
それを見て水尾はプラスチックケースを引き剥がすとそれを開いた扉の奥へ投げ入れる。
そして二つの扉に挟んでいたストッパーにくくりつけてあったひもを大きく引く。
一枚目の重い扉が閉まり、二枚目の扉が閉まろうとしたその瞬間、耳をつんざくような轟音と凄まじい光を放ち、爆風が部屋にある全てを吹き飛ばした。
水尾はその爆風によって飛ばされ、窓を突き破り十数メートル先の駐車場まで身体を持って行かれた。
駐車場に止められたワンボックスカーのスライドドア部分に突っ込み、そのまま地面にたたき付けられた。
あまりの惨状に、多くの人間が何事かと近付いてきたが、真っ黒な煙によって視界は遮られ詳しい状況は確認出来ないでいた。
元平が爆破された部屋を迂回して、櫻子と美紀を伴い水尾の元に駆けつける。
徐々に煙りが晴れていくと、そこには一階部分が大きく破損した病院が姿を現した。
先程いた部屋と、その隣にあった放射線科とCT室が跡形も無く吹き飛んでいた。
「水尾さん、大丈夫ですか!」元平が跪き水尾の顔をのぞき込む。
「う、う……」水尾は声を出すことも出来ないでいた。
「大丈夫ですか」病院内から医師が駆けつけて水尾の状態を確認する。
「担架を!直ぐに運びましょう」
水尾は担架に乗せられて病院内に運ばれて行った。
「水尾さん……」櫻子は心配そうにその姿を見つめる。
「わたしは至急この事を本部に知らせます。お二人は兵庫県警に警護をお願いしますのでこちらへ」
櫻子と美紀は元平の後に続いて祥子の病室に戻った。
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