第四章 偏愛 2

 元平の運転するパトカーの助手席で水尾はいつも通りいらついていた。

 

 赤色灯を炊き、サイレンを鳴らしているのに一向に前に進まない。この道はいつもこんな感じだ。


「水尾さん、いらついても仕方ないですよ。兵庫県警にも連絡してますから」


「わかっとる」


 水尾は頭の中で、あの郵便物の意味を考えていた。送りつけられていた者に何らかの共通点があるのか?暗号らしきものを解読した場所には今、田中たちが向かっている。そこに何があるのか。被害者の共通点も分からない。被害者同士の繋がりが何らかあるのか?どちらにしても情報が少なすぎる。


 行方が分からなくなっているその女は何らかの情報を持っているに違いない。犯人という可能性もあるか?それなら倉ノ下さんに郵便物の存在を知らせた意味が分からない。もしかしたら、第六の被害者になる可能性もある。そうなると急がなくては。


 水尾は元平が握っているハンドルを大きく叩き、クラクションを鳴らした。


「さっさと道空けろ」助手席の窓を開けて叫んだ。


「水尾さん、無茶せんといてください」元平は周りの道を空けてくれた車のドライバーに頭を下げながら言った。


「あほか、人の命がかかっとるんや。無茶するのは当たり前や」


 水尾たちの車が稲生きよみの会社の施設の駐車場に着いた時、既に地元の警察のパトカーが止まっていて、その脇に立っていた制服の警官が水尾たちに敬礼した。


「お待ちしてました」


「それで、どんな感じですか?」水尾は尋ねた。


「施設のスタッフに詳しい話しは聞いたのですが、自宅にも帰っておらず、行きそうな場所には既に行っていて、何処にもいません。携帯電話の電源はずっと切ったままで繋がらず、彼女の実家にも連絡しておりますが帰っている様子はありません」


「わかった」水尾は広大な施設を見回してから事務所に向かった。


 事務所の入り口にも制服の警官が立っていて、水尾の姿をみると敬礼をして入り口のドアを開けた。


 水尾が事務所に入るとそこに見覚えのある後ろ姿を見つけた。その姿は相も変わらずの均整の取れた体つきで、思わず見とれてしまった。


「松本さん、こちらに来られていると伺っていました。お久しぶりです」


「水尾さん、元平さんお久しぶりです。もっと平和な感じでお会いしたかったですね」


 祥子は振り返ると、水尾たちに近付いてきて握手をもとめた。


 水尾は少し照れながらその手を握ると、ゴホンと咳払いをした。


「多田から話しは聞いています。急いで彼女を見つけないと、最悪の場合も考えられます」


「わたしもそう思います。行きそうな場所はほとんど調べているみたいですが、見つからないみたいです」


 水尾はきよみの行き先のヒントになるようなものが無いか、色々話しを聞いたり、彼女のデスクに置かれている持ち物からなにか手がかりを得ることが出来ないが探したが、既に調べた場所ばかりで、これといった物は発見できなかった。


 水尾は祥子の姿が見えないことに気が付き、事務所内を少し歩き回ると、犬小屋の前に座り込んでいる祥子を見つけた。


「マックス。あなたきよみさんがどこ行ったか知らない?」

 

 祥子は犬小屋の中に話し掛けていた。


「あれ?あなた首輪交換したのね。あんなに嫌がっていたのに。でもサイズがあってないみたい。すこし緩いねこれ」

 

 祥子が首輪に触ろうとしたとき、首輪をすり抜けて犬が凄い勢いで走り出し外へ出ていってしまった。


「あ!マックス」祥子は慌てて逃げ出した犬を追って走り出した。


「松本さん」水尾も犬と祥子の後を追いかけて走り出す。


 犬は既に遙か先まで走って行っていた。その後を追っていった祥子も遙か先に見える。


「なんて速さや……」

 

 水尾は来ていたジャケットを脱ぎ捨て、首に巻いたネクタイを外し投げ捨てると一匹と一人の後を追った。



「嘘やろ……」


 水尾は二十分ほど走り続けていた。何とか視界の端に祥子の後ろ姿を捉えることが出来ているが、見失わないようにするだけで精一杯だった。


 獣道のような人がギリギリ通れるような道を走り続けて、緩やかに斜面を駆け上がってきていた。


 山の中腹あたりまで登ってきていて、先程までいた施設の駐車場が遙か下に僅かに見えていた。


 一時は離れかけていた祥子の姿が僅かに大きくなったような気がして、その瞬間ワンワンと犬の鳴き声が聞こえた。


 祥子の姿が明らかに大きくなって、祥子が立ち止まっていることに気付いた。


 祥子の視線の先には吠えている犬が見えて、その先には古びた廃屋が見えていた。


 祥子に追いついた水尾は、彼女に並んで立つと、犬の吠えている廃屋に視線を向けた。


 犬は廃屋に向かって吠え続けている。


「きよみさん?そこにいるんですか?」祥子は廃屋に向かって声をかけた。


 すると、廃屋の割れかけた窓ガラスの奥に立ち上がる人影が見えた。その人影は、ガラスが無くなっている方の窓に移動すると、こちらに身体を向けた。


「きよみさん!よかった、無事だったんですね」祥子は安堵の声を漏らした。


「マックス……。お前が連れてきたの?あなた覚えてたのね」きよみが疲れ切った声で言った。


「きよみさん、みんな心配してますよ。何があったか分かりませんが、まず帰りましょう」


「わたし、人を殺してしまいました。許せなかったんです。でも、死んじゃうなんて……。死なないって話しだったのに……。でも、騙されても自業自得ですよね。わたしもあの人と同じだ。自分が正しいと思ってその考えを押しつけているだけだ。こんな人間、動物たちに会わせる顔がない……。死にたい……」

 

 きよみはそう言って祥子の方を向き、悲しそうに笑うと、ポケットからオイルライターを取り出した。


「この匂い、ガソリンや!」水尾がそう叫ぶのとほぼ同時にきよみは火の付いたライターを手から落とした。


 その瞬間凄まじい炎が立ち上がり目の前が真っ赤になった。


 その火に驚いた犬が後ずさって飛びかかってきたせいで水尾は尻餅をついた。


 祥子に目をやると、来ていたワイシャツを脱ぎ捨て下着があらわになった姿で、低い姿勢をとったかと思うと飛び上がり、きよみがいた辺りに飛び込んだ。


「松本さん!」水尾は絶句した。


 燃え上がる炎の中から何かが飛び出してきた。それは稲生きよみだった。放り投げられたように地面にたたき付けられた。そのきよみに犬が近寄りワンワンと吠えている。


「マックス……。わたしどうなったの」きよみは消え入りそうな声で言うと、そのままガクンと意識を失うように突っ伏した。


 間髪入れずに燃えさかる炎からもう一つ飛び出した。

 

 水尾の目の前に飛び出してきたのは祥子だった。履いていたズボンが少し焦げていたが、怪我などはしていないようだった。


「松本さん、大丈夫ですか?」


 祥子はコクンと小さく頷いたがそのまま、ガクンと膝をついて地面に倒れ込んだ。


 水尾は慌てて近付き祥子を抱きかかえた。自分の着ていたワイシャツを脱ぎ祥子に掛けると、首に手をやり脈をとった。そのあと口元に耳を近づけ呼吸を確認した。


「松本さん、無茶せんといてください……」


 水尾は祥子の無事を確認して、優しく声をかけた。


「人の命がかかっていたら無茶はします」


 祥子は水尾を見つめてそう言うと、気を失った。


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