第四章 偏愛 1
稲生きよみに連絡が取れないとの電話が朝一番に祥子に入った。
昨日の夕方、櫻子たちが帰った後、姿が見えなくなり、スタッフ総出で探したが見つからず、電話にも出ない。そちらに何か連絡が入っていないかと問い合わせがあったのだ。
「きよみさんどうしたんでしょう?事故?。車が無くなっているんですよね」美紀は心配そうに祥子に尋ねた。
「そうらしいの。脅迫状の件もあるから、事件に巻き込まれていなければいいんだけど。さくちゃんには詳しいことが分かるまで黙っておきましょう。どちらにしてもこのままだと警察に頼まないといけないから、さくちゃんの耳に入れるのはそれからで」そう言ってまだ眠っている櫻子に視線を向けた。
「どうしたの?騒がしいわね」小夜子が扉を開けて入ってきて尋ねた。
櫻子、祥子、美紀は同じ部屋だったが、小夜子はいつも寝顔を見せたく無い(というよりメイクを落とした素顔を見られたくない)という理由で泊まる時はいつも違う部屋だった。
美紀は内心、小夜子にも教えないほうがいいなと思っていた。小夜子に黙っていろと言っても、彼女の性格からして難しいだろうと思ったからだ。
「何もないわよ。今日はどうしようかって美紀ちゃんと話してたの」
祥子もそう思ったらしく、きよみのことを小夜子に伝えなかった。
「ふ~ん、何か怪しいけどまあいいか。わたしは今日用事があって別行動なのでよろしく~」
そう言って部屋から出て行った。
「用事ってなんでしょうね?」
美紀は祥子に話し掛けたが、祥子は上の空で聞いていないようだった。
「大丈夫ですか?祥子さん」
「わたし、心配だからいきよみさんの施設をもう一度訪ねてみるわ。今日はさくちゃんのこと、美紀ちゃんに任せるから、あの子には上手く言っておいて」
祥子はそう言うと手短に身支度を整えて出かけて行った。
そこから三十分程が立ってようやく櫻子が目を覚ました。
櫻子は祥子と小夜子がいないことを美紀に尋ねたが、二人とも所用があると言うと簡単に納得したのか、二人で今日は何処に行こうかという話題になっていた。
「お姉ちゃんもいないことだし、宇根元さんの事件が気になるから、京都府警の多田さんに話し聞きに行かない?」
櫻子の予想通りとも言える提案に、美紀はどうしたものかと真剣に頭を悩ませた。
「また、そんなこと言い出す。祥子さんに後で怒られますよ。といっても聞かないんでしょうね……」
美紀は半ば諦めながら言った。
「話し聞くだけだよ。迷惑かけないし、怒られることなんて心配ない、ない」
櫻子さん、あなたがそう言って怒られなかったことは今まで一度もありません、と口から出そうになったが、それこそ今まで何度も言ってきて一度も聞き入れて貰えたことが無いので、声に出す前に諦めた。
朝ご飯を食べ終わって早速、櫻子と美紀は京都府警に向かった。
櫻子はいつもの変装姿だ。といってもこれがナチュラルな櫻子だ。相も変わらずの見事な芸能人オーラの打ち消し方で、女優倉ノ下櫻子はどこにもいない。美紀と二人並んで歩く姿は中学生の仲良し同級生のようだ。眼鏡女学生風の二人は当たり前のように京都府警の入り口で止められていた。
そこに、長身の刑事が一人近付いてきた。
「やっぱり、お二人でしたか」そう言ったのは大阪府警の刑事元平だった。
「あれ?元平さん何故ここに?」美紀はいつもの眼鏡のフレームを触るくせをしながら尋ねた。
「僕だけやのうて、水尾さんもいてますよ。驚くことに東京のお友達もいてます」
「えっ、田中さんもいるんですか」櫻子は明らかに嬉しそうに尋ねた。
「はい。今度の事件が合同捜査になりまして、京都府警、大阪府警、岐阜県警、警視庁の捜査員が集まっています。警視庁から田中さんと上司の篠原さんがこちらに参加しておるんですわ」
三人が話していると建物から出てくる水尾の姿が見えた。
「水尾さん、ご無沙汰してます。お身体は大丈夫ですか?」櫻子はニコリとえくぼを作って話しかけた。
「このとおり、身体は元気です。頭は痛いですが」水尾は笑顔を返して答えた。
「大変な事件になってるみたいですね」美紀が尋ねると
「わたしが絶対に解決しますので、倉ノ下さんは気にせずお仕事に励んで下さい。それでは、捜査に向かいますのでこれで。行くぞ元平」
「ではまた機会がありましたら」元平は軽く手を振ると、水尾の後を追って行った。
「水尾さん、元気そうでよかったね」櫻子は水尾の後ろ姿を見ながら言った。
「田中さんにも会えますかね」美紀が櫻子に言うと
「邪魔しちゃ悪いから、多田さんに話しだけ聞いて帰ろう」櫻子は少し寂しそうに言った。
多田刑事が二人を迎えて捜査の進捗を手短に説明してくれた。もちろん、特別ですよとの念を押しての上だったが、美紀はその内容を聞いて、流石に今回の事件に自分達ができるようなことは無いなと感じていた。櫻子の方を見ると明らかに上の空だった。美紀は櫻子の心中をおおよそは予想できたが、本人にはあえて何も言わなかった。
京都府警の建物を後にして、お昼ご飯を食べに入ったお店でも相も変わらず櫻子は上の空だった。
美紀は決心して櫻子に話し掛けた。
「田中さんに直接会ってお礼が言いたいんでしょう?櫻子さん」
櫻子は心中をズバッと言い当てられたかのように、目を見開いてから下を向き、顔を上げると少し涙ぐみながらコクンと頷いた。
「それじゃあ、後でもう一度京都府警を尋ねて、多田さんにお願いしましょう」
美紀がそう言うと、櫻子は黙って再びコクンと頷いた。
お昼を食べ終わって再び京都府警を尋ね、多田刑事に田中刑事に会いたいことを伝えた。
「すみません、倉ノ下さん。田中刑事なんですが捜査の関係で先程岐阜に向かったんですよ。帰ってきたら倉ノ下さんが会いたいと言っていること伝えておきますので」
「そうなんですか、残念でしたね櫻子さん」
そう言って美紀が櫻子を見ると、櫻子は満面の笑顔で多田刑事に言った。
「伝えなくて結構です。サプライズで驚かしたいので、また来ます」
大きく身体を折ってお辞儀すると、くるっと身体を回し京都府警を後にした。
スタスタと早歩きで歩く櫻子を後ろから見ながら美紀は声をかけるタイミングを探していた。
赤信号で止まった櫻子に並んだとき、優しく声をかけた。
「よかったんですか櫻子さん」
櫻子は前を見たまま黙っていた。しばらく沈黙したあと静かに口を開いた。
「あいたかったな……」
「そうですね……」
信号が青に変わっても二人は黙ったままそこに並んで立っていた。
二人はそのあと当てもなくブラブラと歩き、小さな公園のベンチに座って何を話すでもなく景色を見ていた。
「そういえば、さっき多田さんが話していた内容で詳しくは聞かなかったけど、被害者の持ち物から同一の変な郵便物があったって言ってたよね」
櫻子が何の前触れもなく話し出した。
「そんなことおっしゃっていましたね」
美紀は多田との会話をメモしていたので、自分の手帳を開いた。
「気になったんだけど、確かきよみさんの事務所にも奇妙な郵便物がきてた。もしかして同じものなんじゃ……」
櫻子のこの話を聞いて、美紀は体温が下がるのを感じた。
「確かに、そんなこと言ってましたね。大変だ、もしそうなら」
「今すぐきよみさんに電話したほうがいいんじゃない?」
「それが、櫻子さんごめんなさい。祥子さんがしばらく伝えないように言われていたので黙っていたんですが、きよみさんと昨日の晩から連絡が取れていなくって。それを心配して祥子さん、きよみさんの会社に行ってます」
「そうだったの?べつに謝ることないけど、そうとなったら本当に心配だ。今回の事件にきよみさんが何かしら関係してるかも」
櫻子は真剣な表情でバッグからスマホを取り出し、電話をかけた。
「お姉ちゃん?わたし。もうきよみさんの会社に着いてる?」
「どうしたのさくちゃん。美紀ちゃんに聞いたのね。いま着いたところよ。何かあったの?」
櫻子は少し興奮気味に多田から聞いた話を説明した。
「大変だ。急いできよみさんを探さないと。さくちゃんこのこと多田さんに伝えてくれる。そうしたら警察も何かしら動いてくれると思うから。こっちも何かわかったら連絡する」
「わかった」
櫻子はバッグにスマホを入れると。凄い勢いで走り出した。
「あっ、待って下さい櫻子さん」
美紀は慌てて櫻子を追ったが、櫻子のあまりのスピードに置いてかれた。
「何なの、あの姉妹の身体能力。凄すぎるよ」
運動不足の美紀はゼエゼエと息を切らし、ブツブツと姉妹の愚痴を言いながら、ふらふらの足取りで見えなくなった櫻子の後を追いかけた。
京都府警の入り口に到着すると、入り口で櫻子は階段に座って待っていた。
「お待たせ、しました櫻子さん……」美紀はほとんど声が出なかった。
「多田さんにはある程度説明しておいたよ。水尾さん達に連絡をとってくれて、いま向かってくれているみたい」
「そうですか、とりあえず休憩します……」
そう言って美紀は櫻子の隣にへたりこんだ。
「連絡を待とう」
「そうですね、櫻子さん」
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