第三章 愛憎 8
稲生きよみは神戸市中央区北野町にあるホテルの駐車場に車を止めて電話を待っていた。
ポケットの中の瓶の所在を確認しようとしたところ、携帯がバイブしたので慌てて通話ボタンを押した。
「お待たせしてすみません。お話というのはどういった内容でしょうか」
「電話ではなく、直接あって話せませんか?」
きよみは少し強めの調子で言った。
しばらく沈黙が続いた。
「分かりました。ではこのホテルの三十六階のバーで十時に」
「了解しました……」
電話を切ったきよみは腕時計で時間を確認した。十時まではあと二十分ほどだった。
きよみは車から降りると、ホテルのロビーを横切ってエレベータに乗り込み、三十六階のボタンを押した。
三十六階に着くと、バーの位置を確認してからトイレに入った。
トイレの扉を開き中に入ってドアを閉めると、持ってたバッグの中身を確認した。
ふーと大きく息を吐くと、バッグから刃渡り二十センチほどのナイフを取り出した。
それを冷たい目で見つめたあと大事にハンカチでくるみ、再びバッグに忍ばせトイレから出ると、洗面台に映る自分の顔を見てゾッとした。
そこには、血走った目で真っ青な顔をした姿が映っていたからだった。
鏡の前で一旦両手を洗面台につくと、右手で蛇口を捻り水を勢いよく出し、それで顔を激しく洗った。
バッグの中から口紅を出し、色あせた唇の色を隠すように塗ると、髪を後ろで束ねて縛り、トイレを後にした。
バーに入り店内を見渡すと、窓際の少し薄暗い席に目当ての人物の姿を見つけた。
ゆっくりと呼吸を整えながら近付くと、そっと隣の席に腰掛けた。
先にきて座っていた相手はこちらを向くこともなく窓の外を眺めている。
「ここからの夜景は本当に綺麗ですね。神戸は美しい街です。住むならこんな街がいいな。あなたもやはりこの街の美しさが好きでここを選んだのですか?」
唐突に話し掛けられきよみは驚いた。
「私はこの町の出身だからです。確かに美しくて好きですが、やはり生まれた所というのは特別でしょう?」
きよみは内心の動揺を出さないよう、静かな声で答えた。
「生まれというのはそんなに大事なものですか?私にはそのような感情はありません。まあ、どこで生まれたか知らないというのが根本にありますが。で、お話というのは」
「宇根元さんの話しは当然知っていますよね?」
「亡くなられたそうで」
きよみはポケットから瓶を取り出し相手の目の前に置いた。
「これが原因じゃないでしょうね」
きよみはバッグの中からナイフを取り出し、相手の脇腹付近に当てた。
「これはこれは、また物騒なモノをお持ちで。そんなモノ出さなくてもお答えしますよ。宇根元さんが亡くなられたのはあなたのせいだけでは無い」
「わたしのせいだけでは?」
「そう、言葉の通りです」
「どういうこと?」
「この瓶の中身では宇根元さんは死なないから。ただそれだけのことです」
そういって、右手できよみの持っているナイフの刃先を握った。その手からはボトボトと血が流れ落ちる。きよみはそれを見て慌ててナイフから手を離した。
「このようなモノで人を脅すときは相手を確認したほうがいいですよ。命取りになりかねない。今度このようなことをすれば、わたしもそれ相応の対応をさせて頂きます」
そう言うと、そのナイフを自分のバッグに入れ、音も無く立ち上がると涼しい顔でバーを出て行った。
きよみは席に座ったままガタガタと足が震えていることに気が付いた。
その異常な雰囲気にバーの店員が心配そうに近付いてきた。
きよみはその店員を振り払うかのように小走りで店を出て、エレベーターに乗り込んだ。
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