第三章 愛憎 2
翌日、電車を乗り継いで兵庫県垂水区にある稲生きよみが代表を務める団体『あにまるライフ』の本社のある広大な敷地に櫻子たちは来ていた。
「むちゃむちゃ広いね」
小夜子が目を大きく見開いていた。
「犬、猫だけでなく色々な動物がいるみたいね。あそこにポニーがいるわ」
祥子は遠くのポニーを指差した。
「空気もいいし、動物たちには最高の環境だね。今日は一日、動物触れ合い三昧といきますか」
櫻子は桜色のつなぎを着た出で立ちで、動物と触れ合う気満々だった。
美紀自身もスポーツウェアーで固めて気合いをいれていた。
「いらっしゃい」
そう言いながらきよみがマックスを連れ立って歩いてきた。
「今日は、無理言ってすみません」
櫻子は大きくお辞儀した。
マックスが大きく尻尾を振りながら立ち上がり、櫻子のほっぺを凄い勢いで舐めた。
「くすぐったいよ~マックス。わかったから、落ち着いて~」
櫻子はマックスを抱きしめて優しく撫でた。
「この子、本当にさくちゃんのこと好きみたい。他の人とはテンションが違うもの。よかったね、マックス。さくちゃんが今日は遊んでくれるって」
マックスと櫻子のスキンシップを見ながら、きよみは凄く嬉しそうだ。
「じゃあ、早速あのドッグランまで競争しよう。よーいドン!」
そういって、櫻子は猛ダッシュでドッグランの施設のある方へ走り出した。
その後を追うように、マックスも尻尾を振って猛ダッシュで走っていった。
祥子の圧倒的身体能力に隠れがちだが、櫻子も運動神経は悪い方では無い。特に足は速いほうだし、泳ぎに関しては祥子と為を張るほどだ。
美紀自身は、どちらかというと運動は苦手な方だったので、見た目も美しく、何でもできるこの姉妹に当初は引け目を感じていたが、長く付き合うと、そんな嫉妬心などは馬鹿らしく思えた。
この姉妹は、その能力を自慢したり、ましてや
美紀は猫が見たかったので、きよみに言って猫が集められたハウスを案内してもらった。
小夜子も美紀と一緒に猫とじゃれ合っていた。
祥子はというと、颯爽とサラブレットにまたがり乗馬を楽しんでいた。それを猫ハウスの窓から見ていた美紀は「は~、何やってもさまになるなあ、祥子さんは」と心の声が思わず口から出てしまっていた。祥子のその姿は、本当にファンタジーの世界から飛び出てきたかのように絵になっていた。
「それに引き換え、あの子は何やってんだか」
小夜子がドッグランを指差して苦笑しながら言った。
美紀がドッグランの方向に視線を移すと、大量の犬にもみくちゃにされている櫻子が見えた。
「あれって、じゃれているんですよね。まさか襲われているんじゃ?」
美紀は心配そうに呟いたが、きゃっきゃと笑う櫻子の笑い声が聞こえてきて、楽しんでいるのだと確認できて安心した。
「本当にあの子は何にでも好かれるね。純粋なのが動物にも伝わるんだろうね」
小夜子は娘を見るような優しい眼差しで櫻子を見た。
「どうしたんですか、小夜子さん。母性があふれだしてますよ」
美紀は少しからかうように問いかけた。
「そうよ、聖母マリアのようでしょう?あれ?聖母マリアって誰だっけ?」
美紀は呆れながら、小夜子の最後の言葉にはリアクションしなかった。
一時間ほど経った頃、稲生きよみが猫ハウスの扉を開けて入ってきた。
「そろそろ、お昼にしましょうか。スタッフの食堂に昼食を用意しているのでよろしかったら」
「有り難うございます。櫻子さん達にも声かけてきます」
美紀はそう言うと、櫻子と祥子に声をかけて食堂に向かった。
ガラス張りのサンルームのような建物から少し突き出た部分にスタッフの食堂はあった。
そこそこ大きな建物で、食堂として使っている以外に、屋内のイベントなどを行うこともあるらしく、四、五十人は楽に入れそうだ。
美紀が先頭で入り口の引き戸に手をあて、その扉を引き開くと「パン、パン」と乾いた音がホールに響いた。
「ようこそいらっしゃいました、倉ノ下さん!」
目の前を見ると、各々が手にクラッカーを持った施設のスタッフ達が笑顔で立っていた。
後ろを見ると、クリスマスのような装飾と、ようこそ倉ノ下櫻子ご一行様と書かれた幕があり、豪華なビュッフェ方式の料理がテーブルに並んでいた。
「これって?」
櫻子が目をパチクリさせている。
「倉ノ下さまが来られるということで、昨日の晩からスタッフ総出で準備しました。飾り付けがクリスマスの使い回しなのはご勘弁ください。倉ノ下さまには本当に感謝しておりまして、出演された映画のお陰で、保護犬の問い合わせや、動物に触れ合いたい子供達の問い合わせなどがびっくりするくらい増えたんです。この施設で働かせて下さいという人も凄く多くて、倉ノ下さんが演じた獣医師を目指す女性が凄く印象に残ったみたいで、ほんとうに、ほんとうに感謝しかありません」
真ん中に立っていた女性スタッフが目をキラキラと輝かせて、興奮気味に頬を赤らめて、早口に語った。女性が話し終わるのと同時に拍手が鳴り響いた。
十数人はいるであろうスタッフ達は、口々に「有り難うございます」「いらっしゃい」「本物だ~」と声に出して、その目は興味津々に櫻子を見つめていた。
「何か、凄く歓迎されていますが……」
櫻子は指をもじもじするような仕草をして、ぺこりと頭を下げた。
「どうぞ、お腹いっぱい食べてください。ゆっくりくつろいで頂けたら嬉しいです」
そう言うと、中央に用意された席へ櫻子は案内されて、その後は代わる代わる写真を撮ったり、握手をしたり、サインを書いたりと、どう見てもゆっくりはしていなかったが、櫻子は満面の笑みを浮かべて凄く嬉しそうだった。
スタッフの皆からの質問に答えたり、取り留めない会話をしたりしながら、和やかに食事を楽しんでいた櫻子がキョロキョロと何かを探しているようだったので、美紀は近付いて尋ねた。
「櫻子さん、おトイレですか?」
「違うの、美紀ちゃん。何か楽器があったら、一曲皆に歌をプレゼントしたいなと思ったんだけど」
「今日は、ギター持ってきてませんしね」
「さくちゃん、ウクレレならあるわよ」
きよみがほとんど新品同様のウクレレを手に持って近付いてきた。
「プレゼントで貰ったんだけど、誰も弾ける人間がいなくって倉庫にしまってあったの」
「ウクレレ、いいですね。私の曲の中にウクレレの曲があるので、それを皆さんにプレゼントします」
櫻子はきよみからウクレレを受け取ると、何度が音をだしてチューニングしたあと、おもむろに奏で始めた。
その音に気が付いて、そこにいる全員の視線が櫻子に集まった。
優しいウクレレの音色に続き、櫻子が少し色気のある声で歌い出すと、ホール全体がまるで南国のビーチの夕方のような雰囲気になり、まったりとした空気に包まれる。
その美しい声に皆が引き込まれた。中には涙ぐむ女性もいた。美紀自身も櫻子の楽曲の中でも好きな曲だったので、いつも通り聞き入っていた。
ウクレレの軽やかな柔らかい音で曲が終わると、しばらくの静寂のあと大きな拍手が打ち鳴らされた。
その拍手は三分近くも続き、そのあと「アンコール、アンコール」と声が上がる。
櫻子は照れながら一旦ウクレレを置くと。今度は胸に手を当てて目を瞑り、大きく息を吸い込むとアカペラで歌い出した。
先程までの柔らかい曲調とは打って変わって、ゴスペルのような力強い発声で、壮大に歌い上げる。
その曲は、先程女性スタッフが話していた、櫻子が女性獣医師役で出演した映画のエンディング曲で、最近の櫻子の曲の中でも、最も聞かれた曲だった。このサービスにそこにいたスタッフ全員大いに沸いて、素晴らしく盛り上がってこの歓迎会は幕を閉じた。
歓迎会の片付けも終わり、少し殺風景になったホールは、先程までの賑やかな雰囲気と打って変わって静まり返っていた。
歓迎会が終わったあとしばらく色々な動物と触れ合っていた櫻子の姿が見えなかったので、美紀があちこち探していると、その静まり返ったホールに一人ぽつんと立っている櫻子を見つけたのだ。
美紀は櫻子に声をかけようと近付こうとしたが、それを止めた。
櫻子は壁に貼り付けられた手紙を食い入るように見つめていた。
その手紙は、この施設を訪れた人達のメッセージや、保護犬を譲り受けた人からの報告のお便りだった。
美紀も先程の歓迎会の合間に何通か読んでみたのだが、その内容は多くが、櫻子の出演した映画の影響で動物に興味を持ったとか、保護犬の問題を考えるようになったとか、子供達がペットを欲しいといっているが映画を見た影響で出来るなら保護犬を飼いたいと言っているとか、櫻子にとってはこれ以上ないとも言えるような有り難い内容だった。
そんな手紙を見ながら櫻子は肩をふるわせて泣いていた。その頬は大雨にでもうたれたのかという程に濡れていた。
美紀は後ろから櫻子の小さな身体を抱きしめた。
「美紀ちゃん……、うれしいよう……」
そのあと、櫻子はわぁ~んと声を出して泣いた。
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