第二章 嫌忌 1

「それで、被害者の職業はモデルで、死因は毒っちゅうことやな」


「はい、水尾みずおさん。被害者は雑誌のモデルをしていた里田さとだひとみ二十六才。死因は毒物によるものなんんですが、その毒物が少し変わっていまして、今まで見たことも無いような物らしいんです」


「見たこと無いって、どういうことや」


「それが、成分分析に掛けたところ、特殊な方法で人工的に作られた物らしく、今までのデータに無いと科捜研が報告をあげてきています」


「特殊な方法で作られた物なら出所も簡単に分かるんとちゃうんか」


「それが、日本中の研究機関に問い合わせても分からんらしく、神経系に影響を及ぼし、呼吸器に不全を起こし、それによって死に至ったとしか分からんそうです」


 後輩刑事の元平もとひらの報告を聞き終わった水尾は捜査資料に鋭い視線を向けてから、眉間を指で押さえ大きく溜息をついた。


「これは、ややこしそうな事件になりそうやな……」


 ある芸能事務所から所属タレントの女性が事務所の更衣室で意識不明になっているとの報告を受け、消防が駆けつけたところ、里田ひとみはすでに息をしていなかった。苦しんで喉を引っ掻いた後があったため毒物を疑い司法解剖に掛けられたが、あらゆる毒物の可能性は否定された。血液検査で、ある数値の異常から特殊な成分検査をかけたところ、見たことも無い成分の毒物が発見される。これによって他殺の線が浮上し、今は毒物の出所と、被害者の人間関係を徹底的にあらっているところだった。


 水尾は色々な可能性を考えながら、一年程前に関わった事件を思い出していた。芸能界というのは華やかな反面、人の恨みや妬みによる犯罪じみたものが多い世界だというのは知っていたし、人を恨む気持ちというのは簡単に殺意に向いたりもする。刑事という職業柄、人を疑うことを前提に物事を考えなくてはいけないのだが、そう思うと必ず一人の男の顔が浮かぶ。


「芸能関係の事件はあんまり好かんな……」


 聞こえるか聞こえ無いかの小さな声で水尾は呟いた。


「水尾さん、何か言いました?」


「いや、何でも無い。手始めに関係者から話しを聞く事にするか」


「そう言うと思って、里田ひとみの所属事務所には伺うと伝えてます」


「そうと決まったら早速向かうか」

 

 大阪市北区曽根崎新地にある里田ひとみの所属していた芸能事務所に水尾と元平の二人が到着したのは、既に日が落ちかけた午後六時半を過ぎたあたりだった。


 入り口のインターフォンを押すと、女性の声で応対がありオートロックが解錠され、入り口横の小さな小部屋で待つように言われた。


 水尾は待っている間に机に置かれた会社紹介のパンフレットをペラペラとめくり簡単に目を通した。


 大体、三十人程のモデルやタレントが所属しているらしく、顔写真と簡単な紹介が載っていた。


 その中に、被害者の里田ひとみの姿もあった。主にモデルをしているらしく、今までに載った雑誌などが紹介されていた。

 

「お待たせしました、私は事務をしております鈴木と申します」


 息が少し上がった状態で部屋に入ってきた小柄な三十代半ばくらいと思われる女性が、机に名刺を置きながら自己紹介をした。


「いえいえ、こんなことがあって大変でしょうから。私達は待つのも仕事ですので」


 元平は見た目通りの柔らかい口調で話した。


「早速で恐縮なのですが、亡くなられた里田さんの今日のスケジュールなどをお聞かせ願いますでしょうか」


 元平は手帳を開きながら少し前屈みになった。水尾は少し姿勢を正し鈴木の目をみた。


 鈴木は水尾の鋭い視線に少し身構えるような雰囲気を見せたあと、手元の手帳を開きペラペラとめくって、指で書いてある内容をなぞり確認した。


「はい、里田は本日午前中はお休みになっていて、お昼過ぎに京都の撮影所でドラマの撮影の打ち合わせに参加していました。その後、大阪に戻ってきて、ある企業の宣伝用ポスターの撮影の打ち合わせに参加して四時過ぎにはこの事務所に帰ってきていたと当社の社員が確認しています。その後、明日のスケジュールに変更があったので、LINEで連絡をしたのですが、既読にならないのを心配に思い電話をしたのですがそれにも出ませんでした。そうしたら、更衣室を利用しようとした私どもの所属タレントが彼女が倒れているのを発見したのです」


「彼女が持病か何かを持っていて、お薬を飲んでいたというようなことはありませんか?」


「私共が把握している範囲ではございません」


 元平が質問を続けようとしたのを遮って水尾が質問をとばす。


「彼女が誰かに恨まれているというようなことは無いですが?」


「えっ?もしかして彼女は誰かに殺されたんですか?」


「警察は少なくとも自然死や病死では無いと考えてます」


 水尾は少し前屈みになり机に両肘を付くような姿勢でさらに鈴木を強い眼差しで見つめた。


「恨まれるといっても、仕事上では無いとは言えません。競争世界ですので、恨まれるようなことも少なからずあるでしょう。でもそうだといって殺されるほど恨まれるなんてこと……」


 鈴木は水尾から少し目を逸らすように答えた。


「何か心当たりがあるんですね」

 

 水尾は鈴木の態度を見て少し強めに尋ねる。


「里田は少し気の強いところがありまして。スタッフや同僚に対しても少しきつめの態度をとったりもします。けれども、そうだと言ってそれを理由に殺されるような恨みを買う程のことだとは私は思いませんが……」

 

 バツが悪そうに話す鈴木は少し落ち着きが無くなっているようにも見える。


「調べれば分かることなので無理強いはしませんが、隠してもあまり良いことはありませんよ」


 水尾は椅子に深く座り直して手元のパンフレットに視線を落とした。


「そんな……隠していることなんて……」


 小さな部屋にしばらく何も音がしない時間が過ぎた。


「事件と関係は無いと思うんですが……」


 静寂に耐えきれなくなったように鈴木が話し出した。


「一週間程前、里田とうちの事務所に所属する女優である『朝比奈由衣あさひなゆい』がもめることがありまして。その時、朝比奈が『あんたなんて死ねば良いのよ。何なら私が殺してやろうか?』なんて言ったものだから、それは大変な空気になって、取っ組み合いになったんです。スタッフ全員で二人を引き離すのに苦労したくらいで」


「朝比奈さんから話しを聞く事は可能でしょうか」


 今度は元平が水尾が話そうとするのを遮り尋ねる。


「ええ、大丈夫ですが。今、確か事務所にいたはずです。呼んで参りましょうか」


「お願いします」


 元平は頭を下げる。


「私が言ったというのは内緒でお願いします……」


「分かりました」


 元平はニコッと笑い頷く。


 鈴木は立ち上がりドアを開けて部屋を出て行った。


「水尾さん、殺気が出まくりですよ。僕が鈴木さんでもビビりますって」


「殺しだぞ。呑気に捜査している場合じゃ無いやろ。まあ、その朝比奈とかいう女優が犯人やとしたら、のんびり事務所におらんやろうけどな」


 ドアが勢いよく開いて鈴木が戻ってきた。


「すみません、先程まで事務所にいたのを私も確認していたのですが、どこにもいないのです。電話してみましたが、電源を切っているみたいで」


 はぁ、と大きめの溜息をつき水尾は椅子から立ち上がった。


「思った通り、ややこしいことになりそうや」

 

水尾は元平に鋭い視線を送ってから、少し早足気味に部屋を出た。

 

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