第一章 愛護 5

 今回、動物専門雑誌の取材も兼ねて、新しいドラマも宣伝するために、主要キャスト三人そろっての企画となった。


 当然、主役の二人に質問が多くされるため、櫻子は少し暇そうに見える。


 雑誌の記者が進行をしているが、時折、稲生きよみも三人に質問するという形態をとって、企画は淡々と進められていた。


 和やかな雰囲気の会話がしばらく続いたあと、きよみが先程までの表情と一転、厳しい表情になって宇根元に話し掛けた。


「宇根元さんは保護犬の問題等にはどのようなお考えをお持ちですか?」


 きよみの隣に座っていた雑誌記者は、予定に無かったきよみの質問に少し困惑気味な表情で、自分の手元にある資料を確認している。


「保護犬の問題には僕も僕なりの考えはありますが、デリケートな話題でもありますので、あくまでも僕個人の意見としてなら少しはお話できますが」


「それは、芸能人としての宇根元さんの意見としてでは無いと言うことですか」


 若干空気が張り詰めたのをまずいと感じたのか、記者の女性が一旦会話を遮ろうとしたが、それを宇根元が右手を少し挙げて止めるような仕草をした。


「事務所の方針とかもあるんで、僕の言動は逐一チェックされています。後で事務所のチェックが入るのを了承して頂けるなら、お答えします」


 少しの間があって、宇根元が話し出した。


「保護犬は、昨今のペットブームなども関係していて大きな問題だとは思います。僕も犬好きを公言している立場上、この問題は避けて通ることはできないとは思っています。でも、ペットを可愛がることと、保護される動物の問題はハッキリわけるべきだと考えてます。動物を大事にする人に、動物を大事にしない人の考えを理解することができないように、逆もまたしかり。このギャップを埋めることは簡単では無い。更に深く考えれば、好きな人でもその動物を飼えなくなるという状況になるということは、絶対に無いとは言えない。人間の結婚も同じでしょう?。結婚するときに離婚のことを考える人がいますか?そう考えたら、今の里親の条件とかは僕には厳しすぎると思う。清廉潔白を求めているようにも思えます」


 宇根元はいつものにこやかな表情ではなく、真剣な表情できよみの目を見つめて語った。


 美紀が、宇根元と向き合ってその話しを聞いていたきよみの手元を何気なく見ると、その手はマックスの首輪に繋がったリードを血管が浮き出るほど強く握りしめ、その表情は歯を食いしばっているように見えた。


「確かに、今の里親制度に問題が無いわけではありません。ハードルの高さが、引き取り手の数が伸びないことの要因になっていることも事実です。宇根元さんのお宅の二匹はどちらも保護犬でしたよね」


「そうですよ、よくご存じで」


 美紀もそのことは知っていた。宇根元はことあるごとに番組や雑誌などでそのことを言っているからだ。そうやって、保護犬のことを多くの人に知ってもらいたいと常々話している。


「でも、宇根元さんはそう言いながら、よく共演者の女性に犬をプレゼントする際に、ペットショップの子犬をプレゼントされているとか。犬猫を飼いたいという人がいるなら、里親のお話をしていただけたら嬉しいのですが」


「本当によくご存じで……。さっきも言ったように、それとこれは別問題です。僕は、僕の価値観を人に押しつけたくないし、押しつけられることも止めて欲しい」


 明らかに、二人の間に気まずい空気が流れ、スタッフが慌てだした。


 その時、マックスがゆっくり立ち上がり、宇根元の足元に近付いて彼の手をペロッと舐めた。


「喧嘩はいやだよねぇ、マックス」


 櫻子がマックスに近付き頭を撫でながら、優しい声色で言った。


「喧嘩している訳じゃ無いよ、マックス。すこし盛り上がり過ぎたんで、休憩にしましょうか」


 宇根元がそう言うと、スタッフもそうしましょうと言って、宇根元はマネージャーと連れだって一旦楽屋に戻って行った。



 セットの脇で櫻子とせり、小夜子、祥子と美紀の五人が雑談をしているとマックスと連れだってきよみが近付いてきた。


「さくちゃん、さっきは気を遣わせてごめんね」


 きよみはばつが悪そうに頭を下げた。


「気なんか使ってないよ。気を使ったのはマックスだよね。本当にお前は優しい子だよ」


 櫻子は、マックスの目を見つめて言った。


「でも、きよみさんがあんなに熱くなるなんて珍しいですよね。宇根元さんと何かあったんですか?」


 普段どちらかというと物静かなきよみが、あんなに熱くなったのには、宇根元との間に何か有ったのでは無いかと思い尋ねた。


「そういう訳じゃ無いの。さっきも言ったけど、昨日ちょっとしたいざこざがあって、それで少しイライラしてたのかも」


「いざこざ?お仕事の関係ですか?私達で力になれることなら、ご相談に乗りますけど」


 祥子は心配そうに尋ねた。


「こういった活動をしていると、嫌がらせとかそういったものが日常茶飯事で起こるの。いちいち気にしてたらきりが無いのは分かってはいるんだけどね……」


 そう言ったきよみの表情は本当に疲れて見えた。


「目立った行動していると目を付けられるけども、目立たなければメッセージを発信しても意味がなくなる。難しい問題よね」小夜子が腕を組んでパイプ椅子に深く腰掛けながら呟いた。


 その彼女には似つかわしくない言動に、そこにいた全ての人間があっけにとられた。


「あれ?皆どうしたの?私何かおかしなこと言った?」


「いえ?おかしなことは言って無いんですけど、小夜子さん、おかしな物でも食べました?」


「どうして私がそこにあった大福をつまみ食いしたの知っているの、美紀ちゃん」


 小夜子は驚いた表情をしたが、私は小夜子のその的外れな答えに驚いた。


「小夜子さん、そこの大福をつまみ食いしたんですね……」


「もしかして毒入りだとか?……」


 この人は真面目に聞いているのだろうか?と美紀は心配になったが、勿論毒入りの大福などである訳が無く、先程、宇根元のマネージャーが皆で食べて下さいと置いていった物だった。


「でも、私が食べようと思ったとき既に一個無くなってたから、自由に食べていいのかなと思って」


「別に、食べたことを責める気なんてありませんよ。小夜子さんのあまりに検討違いのリアクションに皆が困惑しているだけです」美紀は小さく溜息をついた。


「有り難う、小夜子さん。私が悪くした場の空気を和ませようとしてくれたのね」きよみは微笑みながら言った。


 違う、違いますきよみさん。小夜子さんはそんなこと微塵も考えていません。美紀はそう思っていたが、あまりの呆れ加減でその表情は能面のように表情を失っていた。


 そうこうしている内に、スタッフが櫻子達を呼びにきて、インタビューが再開されようとしていた。


 気まずい空気感は変わらない中、こんな状態でドッキリなどやっていいものか、美紀は内心少し不安になっていた。


 雑誌のスタッフに紛れて、インタビューの様子を後でテレビでも流すという名目で、カメラマンなどがスタジオに入ってきているところを見ると、ドッキリ側のスタッフに、企画を中止する意思は無いよう見えた。


 チラッと宇根元の方を見ると、インタビューに答えながらも仕切りに耳元を意識している様子だったので、タイミングの指示待ちのようだ。


 記者の質問がいい区切りになったところで、宇根元がチラッと飲み物を見た。椅子に深くかけていた姿勢を少し正すように座り直すと、おもむろにアイスコーヒーの入ったグラスを手に取ってストローをくわえ一口飲んだ。


「ぐ、うう……」


 苦しそうに喉を押さえて、宇根元の身体が傾き椅子から転げ落ちた。美紀は内心「うまいもんだな」と関心していた。大げさでもなく、自然な感じの芝居が、流石売れっ子俳優だなと思った。


「きゃあ!」


 それを見てせりが大きな声を上げて椅子から立ち上がり、倒れた宇根元から少し距離を取った。


 女性記者も持っていた資料の挟まれたバインダーを落とし、口に手を当て驚いて、どうして良いか分からないと言った雰囲気だ。


 きよみは目配せをして脇に控えていた自分の会社のスタッフを呼ぶとマックスを預け、宇根元の脇に跪き表情をのぞき込んで「大丈夫ですか?何か持病をお持ちですか?」と宇根元に尋ねた。


 一方、櫻子は驚くことも無く、何やらキョロキョロとしている。


 櫻子とせりの驚いた表情を撮ろうとしていたカメラマンは、櫻子の驚いてもいない状態に、これを撮るべきかどうか悩んでいるようだ。


 なんとなく状況が飲み込めた私は、なんとかこの場を乗り切ろうと、櫻子に視線を向けて


「櫻子さん、櫻子さん。空気読んで」と口パクで言った。


「あっ、もしかして、これは驚いたほうがいいパターンでは……」


 櫻子は何かに気が付いたように突然驚いた演技をしようとしたが、明らかに不自然だった。


「さく~、何年やってるのこの仕事」


 せりが先程までの驚いた表情から一変、呆れた視線を櫻子に向けていた。


「おかしいな。そんなに僕の演技下手でした?」


 倒れていた宇根元がそういいながら起き上がると、何が起こったのか分かった記者の女性は安堵からか、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「なるほど、そういうことでしたか」


 きよみも状況が飲み込めたのか立ち上がり、安心したような表情をした。


「もしかして、私のせいで台無しに……」


「自信あったんだけどな。櫻子ちゃんだけで無くせりちゃんも気付いてたの?」


 宇根元は悔しそうに言った。


「私はだまされましたよ。さくの表情見てあれっ?て気付いただけです」


「櫻子ちゃんは気付いていたんだ。何処かおかしなところあった?」


「おかしなところがあった訳じゃ無くて、聞こえていただけです」


「聞こえていたって何が?」


「宇根元さんのイヤモニに出されている指示です」


「は?指示が聞こえてたって、冗談でしょう?」


「冗談じゃないです。やっぱり宇根元さん体調悪いでしょう?いつもよりも耳の聞こえが悪いんで、ボリュームあげて貰ってるでしょう?。『宇根元さん、そろそろお願いします』っていうのが聞こえて、何か起きるのかなって思って」


「櫻子さん。そこは分かっていてもその、何とかやりようがあったでしょう?」


 美紀は周りのスタッフ達の落胆振りを気に掛けて、櫻子に諭すように言った。


「しゅみません……」櫻子はアヒル口をしてぺこりと頭を下げた。


「参ったな。櫻子ちゃんのこの特技を記事にした方が、よっぽど驚くんじゃない?」


 宇根元はそうは言ったものの、このドッキリが上手くいかなかったことが相当悔しそうだ。


「すみません。櫻子のこの能力に関しては、あまり公にしたくないので、記事にするのは勘弁してもらえないでしょうか?」祥子は丁寧な口調で、周りの関係者に話した。


「今回はこちらも少し悪乗りが過ぎました。ごめんね、櫻子ちゃん、せりちゃん。ドッキリの部分は無しという事でいかせて貰いますので」


 テレビ局側の責任者が頭を下げてから、カメラマンを伴ってスタジオを後にした。


「それにしても、凄いな。なにか仕掛けでもあるのかと考えてみたけど。本当にこんな小さな音が聞こえてるんだ」


「気味悪がられるので、あんまり人には言ってないんですけど」


「櫻子ちゃんの歌が凄いのは、その耳のお陰もあるのかな」


 宇根元は感心しきりという感じで語った。



 ドッキリの企画は櫻子のせいで生憎の結果になったが、取材の方は途中の宇根元ときよみの少し気まずい場面を除いて概ね順調に進み、最終的には和やかなムードの中終わろうとしていた。


 その和やかなムードを作り上げたのは他でもないマックスだった。


 最初はその人見知りの性格からか、警戒していた宇根元に対しても次第になついて、そこにいた人間が皆動物好きということも相まって、マックスを中心に楽しい会話が続いた。


 予定の取材を終えたということで、進行役の記者が挨拶をして今回の企画が無事終了して、宇根元が立ち上がり跪くとマックスと同じ目線になり話し掛けた。


「最初は警戒してたみたいだけど、最終的には打ち解けてくれてよかったよ。またな、マックス」


 そう言ってマックスの顔を両手で挟むとわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でた。


「いたっ」


 そう言うと、宇根元は自分の指先を見た。


 人差し指の先が切れたらしく、その指をくわえて痛そうな表情をした。


「大丈夫ですか?宇根元さん」心配そうにきよみが尋ねると


「大丈夫、大丈夫気にしないで。大したこと無いから」


「すみません。首輪の金物が壊れていて、気を付けるように先に言っておくべきでした」


 きよみは深くお辞儀をして詫びた。


 美紀は肩から下げたポーチから絆創膏を出して、宇根元に無言で差し出した。


「あっ……、有り難う……」


 宇根元は美紀が差し出した絆創膏を少し警戒するように受け取るとそれを傷口に巻いた。


「美紀ちゃん、渡すのは良いことなんだけど、もう少しなんというか、愛想というか……」


 祥子は美紀にそう言ったが、美紀がそういうことが苦手なの当然理解はしていた。


「じゃあ、櫻子ちゃん、せりちゃん、次はドラマの現場で。お互い頑張って言い作品にしよう」


 そう言うと宇根元はスタッフに笑顔を振りまきながら出て行こうとしたが、振り返り美紀の方を向くと「絆創膏有り難う」と言って出て行った。


「では、私達もいきましょうか。もうそろそろいい時間だからお昼にしましょう」


 そう言った祥子を先頭に、櫻子たちも現場を後にした。

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