第一章 愛護 2

「そうですね、僕にとって動物と触れ合うことは人生の一番の楽しみであり幸せですね」


 そう記者の質問に答えているのは、若手俳優の中でも一番の有望株と言われ、今回櫻子が出演する連続ドラマの主役でもある『宇根元 駿河うねもとするが』だ。


 美紀はテレビ画面に映るイケメン俳優に興味を示すこと無く、黙々と自分の仕事を行っていた。


「本当にイメージ良いわよねこの子。顔もいいけど、人当たりも柔らかいし、この動物好きっていうのがまた印象を良くしてるわよね」祥子も画面に視線を僅かに向けただけで、手元を見ながら言った。


「祥子さんもイケメンだと思うんだ。確かにそうだとは思うんですけど、何か私はこの軽い感じがどうも」美紀は画面を見ながら少し眉間にしわを寄せた。


「現場ではあんまりそんなこと言わないでね美紀ちゃん。まあ、私も少し軽薄そうだなとは思うけど、今回のドラマの主役なんだから下手なことは厳禁よ」


「そこのところはわきまえていますのでご心配なく」美紀は機械のように答えた。


「今日も明日もご一緒する予定なんで宜しくね」


「明日の現場には稲生いなうさんも来られるんですか?」


「そのようよ。彼女も忙しいのに大変よね。先方からのご要望らしくって、是非代表と対談がしたいとのことらしいの」


 稲生いなうきよみは動物愛護団体『あにまるライフ』の代表で、獣医師を経て今の団体を立ち上げ、多くの動物の問題を世の中に訴えかける活動をしている。


 以前、櫻子が出演した映画で共演した犬や猫のアドバイザーが稲生だった関係で、その後も交流が続いていた。ドッグトレーナーなどもやっていて大変多忙だと聞いていたので、今回の仕事で現場に本人が来るということに美紀は少し驚いていた。


 まあ、今回の企画の主役が今をときめく人気俳優ということを考えれば、その影響力は少なくないので、稲生自身も世の人達に動物問題の本質を知ってもらうには良い機会だと思っての行動かも知れないと美紀は思ってもいた。


 明日の櫻子の仕事は、今回のドラマのPRという要素も含めた雑誌のインタビューだったが、主役の宇根元、ヒロインの女優『立花たちばなせり』、そして櫻子と動物好きを公言している若手俳優陣の共演ということもあって、それを絡めた動物雑誌の企画であった。


「でも、うちの事務所からこんな大きな仕事に二人も女優を出せるなんて、なんか上手くいきすぎて怖いわ」祥子はそう口では言いながらも表情は笑顔だった。


「そうですよね。せりちゃんは早い段階から決まっていたとはいえ、櫻子さんにまで声がかかるなんて、うちの事務所からしたら、こんなに追い風なことはないです」


 立花せりは櫻子と同じ私達の芸能事務所『ビルヘン』に所属している若手俳優だ。

 事務所の社長である金田珠子かねだたまこがスカウトしてきた、若いながらも演技派といわれ、ドラマに映画にひっぱりだこの女優だ。同じ事務所から二人の女優が出演ということもあり、祥子と美紀の二人体制で今回の仕事にあたることになっていた。


「せりちゃんは東京の仕事があるから、比留間ひるまさんが送り迎えをしてくれるらしいわよ。あのお金の亡者のことだから、稼ぎ頭のせりちゃんはかわいいんでしょうけど、珍しく協力的よね」


 比留間正蔵ひるましょうぞうは『ビルヘン』の会計管理を社長に任されているやり手社員で、祥子が言うようにお金大好き人間だ。そうなると当然わがままばかり言う金食い虫の櫻子よりも、素直でお金をいっぱい稼いできてくれる立花せりを可愛がるのも当然といえば当然だ。


「くわー、ゆるさんぞひるまー」


 櫻子が毎度の訳の分からない寝言を口にしたので、美紀は開いていたスケジュール帳を閉じて手荷物をまとめ始めた。


 櫻子は眠るのが大好きで、何処でも眠れるのが特徴なのだが、目覚める直前に訳の分からない寝言を口にするのが恒例となっている。


 起き上がった櫻子がキョロキョロと周りを見回してから、薄目の状態で窓の外を眺めた。


「ここはどこだにゃ」


「ここは京都よー、さくちゃん」


「京都?」


「そうよー、京都でお仕事よ」


 目をパチクリと何回か繰り返したあと、ぐーっと反り返るように背伸びし、大きな欠伸をした。


 しばらく座ったままの状態が続いて二、三分がたった。


「そろそろですね」


「さー、張り切っていこう!よく寝たにゃ」


 櫻子の起動が完了したようなので、祥子も手荷物をまとめ始めた。


「今日はまずドラマの制作発表会見よ。その後ここで関係者と食事だからね」


「了解です」


「それでは向かいましょう。せりちゃんは既に会見場所に着いてるみたいだから」


「せりちゃんと会うのも久しぶりだね」


「お互い忙しかったからね」


 三人は連なってタクシーに乗り込み制作発表会見の行われるホテルへと向かった。

 タクシーの車中で三人は各々考え事をして黙り込んでいたが、しばらくしてルームミラーで後部座席をちらちらと見ているドライバーの視線に気が付き、櫻子がドライバーに声をかけた。


「なにか?」


「いえ、失礼だとは思うのですが、倉ノ下櫻子さんでは?」


「よく気が付きましたね。この格好で気付かれること少ないのに」


「私、大大大ファンなんです。父親ぐらいの歳の私が何言っているんだと周りからはよく言われているんですが」


「嬉しいです。ありがとうございます。全然歳なんて関係ないですよ。逆にドライバーさんくらいの年齢の人にも認められていると思ったら励みになります。これからも応援お願いしますね」


「いや~、ほんとに嬉しいなぁ。まさか、本人に会えて気持ちを伝えられるなんて。タクシードライバーやっていてこんなに良かったと思ったこと無いです。後でサイン貰えたら最高なんですが……」


 ホテルのエントランス前にタクシーが止まると、入り口付近で手を振っている女の姿が見えた。


「みんなー、お疲れ様。お待ちしておりましたよ」


 派手目の花柄ジャケットを羽織り、白のスキニージーンズにトレードマークでもある赤のハイヒールを履いた南川小夜子みなみかわさよこがウインクをして近付いてきた。


「チーム櫻子勢揃いですな」


「流石に前乗りしていたら遅刻は無いですよね」


「美紀ちゃん、相も変わらず言うね~」


「あなた、ちょっと痩せたんじゃないの?」祥子は心配そうに小夜子に尋ねた。


「そんなことないですよ。あれ?さくちゃんが来ないけど、どうしたの?」


「ああ、タクシーの運転手さんが偶然にも櫻子さんの大ファンだったらしくって、櫻子さん喜んじゃって大サービスしてます」


「さくちゃんらしいねぇ」小夜子は嬉しそうに言った。


「四人が揃うの久しぶりね」


「小夜子さん外国に行ってたんでしょう?」


「そうよう。優雅でしょう?」


「あー、小夜子さん久しぶりー」そう言いながら小夜子に櫻子が抱きついた。


「しばらく見ない間に、なんか女の魅力が増したんじゃない?さくちゃん」


「そうでしょう?小夜子さん。大人の色気が出てきたでしょう?」


 櫻子と小夜子がわーきゃー言っているのを見ながら、美紀は心の中でどちらかというと二人とも子供っぽくなっているのでは?と思っていた。


 南川小夜子はフリーのメークアップアーティストだが、最近はビルヘン専属のようになっている。


 四人がこうやって揃うのは約半年ぶりだった。いつも一緒に行動していた四人だったが、先程話していた通り、小夜子がニューヨークにメイクの勉強に渡っていたので、こうやって再び集まることができることを美紀は内心楽しみにしていた。


「さあ、チーム櫻子が再集結したところで張り切っていきましょうか?」祥子も嬉しそうな表情で三人に声をかけた。


 会見会場には多くのカメラと記者がスタンバイしており、出演者の登場を今か今かと待ち構えていて、熱気が満ちていた。


 今回のドラマは京都生まれの芸術家、北大路房次郎きたおおじふさじろうの波瀾万丈の人生を描く物で、主役の房次郎(後の魯山人ろさんじん)の若き日を演じるのが宇根元駿河で、恋多き魯山人の最初の妻タミを演じるのが立花せり、晩年の魯山人の身の回りの世話をしていたお手伝いを演じるのが櫻子だ。


 櫻子の語りで物語が進む為、櫻子の演じる役の重要度はかなり高い。


 櫻子は某テレビ局で朗読劇を数回こなしていたのを今回の監督が見て、その語りを気に入り、滑り込みでキャスティングされる大抜擢だった。


 舞台袖で櫻子が待機していると、後ろから手を回してきて目隠しをされた。


「さて私は誰でしょう?」


「この可愛らしい手と、その可愛らしい声はせりだね」


「正解!久しぶり、さく。会いたかった」


「おうおう、い奴め。元気にしてた?いつ以来かな?」


「随分たったよね。事務所の忘年会以来じゃない?」


「今回はお互い大事な仕事になりそうだから頑張ろう」


「さくは相も変わらず大物だね。全然プレッシャー感じてなさそう。私なんか緊張し過ぎて昨日寝れてないし」


「駄目だよちゃんと寝ないと。美容には睡眠が大事だからね」


 美紀はそれを聞いていて、櫻子がそれを言うと確かに説得力があるなと思った。睡眠に関して言えば、櫻子はプロ中のプロだ。


 二人は久しぶりに会ってテンションが相当上がっているらしく、お互いのスマホでツーショットを撮りあって、それをお互いのSNSに投稿していた。


 美紀も自分のスマホを取り出して、早速二人のSNSをチェックしてみると、流石に今をときめく二人の人気者だけあって凄まじい勢いでいいねが増殖していた。


 二人の仲がいいのは、お互いのファン同士も承知の事項なので、「きたー、さくせり」「やっぱり二人のツーショット好きです」「なんなのこの天使二人」など二人の再会を喜ぶメッセージが多く見られた。


 実際は立花せりの方が年下なのだが、せりがしっかり者、櫻子が子供っぽいということもあって、年齢差を感じない同級生のような関係性だった。


 そうこうしていると、主役の宇根元が到着してスタッフの緊張感が増したことが分かった。


 脇を固める大物俳優陣も次々と舞台袖に集まってきてそろそろ会見のスタート時間が迫っていた。


 チラッと櫻子を見ると、先程までの柔らかい雰囲気では無い、引き締まった表情に変わっていて、明らかに櫻子のスイッチが入ったことが分かる。


 せりも緊張していると言いながら、流石にそこは多くの修羅場を切り抜けてきている女優、こちらも明らかにまとっている空気が先程までとは変わっていた。


 これから彼女らが向かうのはある意味戦いの場だ。二人を見ているとこれがプロフェッショナルの凄みだと、改めて美紀は感じていた

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