想い玉

@takayama-ueyu

第1話

「お兄さん、お兄さん、そこの犬を連れてるお兄さん」

それが僕に向けられた言葉だということに、三回目の「お兄さん」で気づいた。

「はい、なんでしょう? 」

「ごめんなさいね。私、声が小さくて。蝉(せみ)の声がうるさいから余計に聞こえ辛かったわね」

「いえ、こちらこそ気づかなくて、暑いでしょう、よければ隣に座ってください。ここ日陰なので」

八十歳くらいだろうか、いや、九十歳にも思えるこの女性は、ありがとう。と上品な声で言い、線香の香りをさせて、僕の座るベンチの隣に腰かけた。

「それにしてもお兄さん男前ねえ、サングラスがよく似合ってるわ」

「そうですか? 自分ではよくわからなくて」

僕は苦笑いをしてしまう。

「そんなに謙遜しなくてもいいのに、そのワンちゃんも凛々しい顔立ちして、飼い主に似るって本当なのね、大人しくていい子、色も綺麗なクリーム色で」

「ありがとうございます。フクって言います。この子は、僕の相棒です」

 僕は、母が一人で育ててくれた。今も母と暮らしている。僕は階段を降りるのすら怖がるし、ちょっと擦り剥けば大泣きする、超がつく程の臆病な子だった。おまけに極度の人見知りだったので、いつも母に隠れてばかり。友達もできないまま、社会人になろうとしていたある日、フクが家にやって来た。これからあなた達はずっと一緒よと母は言った。それから僕達は本当にずっと一緒に過ごした。フクのおかげて毎日が楽しくなって、気持ちが前向きになり、人付き合いにもだいぶ慣れ、就職もでき、いろんなことをフクと乗り越えて来た。母もフクがいるからもう安心だと言ってくれた。フクが来てもう八年が経ち、正真正銘、僕の相棒だ。

 「ところで、ご用件は」

もしかしたら彼女が忘れているかと思ったので、僕は話を戻した。

「あーそうそう、聞きたいことがあったのよ」

「はい、何でしょうか?」

「この辺りに質屋があるはずなんだけど、見当たらなくてね。お兄さん、どこにあるか知らないかしら」

この公園はたまにフクと散歩にくるぐらいでこの辺りに詳しいわけじゃなかった。

「ごめんなさい、ちょっと聞いたことないですね。すいません、お役に立てなくて」

彼女がとても残念そうに、わかったわ、と言ったので、少し気になって聞いてみた。

「何か大事な用事でも? 」

彼女が黙っているので、聞こえてないかと思い、もう一度聞いた。

「何か売りに?」

「そう、実はね、この水晶玉を売りに行きたいのよ」

「水晶玉? 」

物語りの中で占い師や予言者が持っているものというイメージはあったが、本当に持っている人に初めて出会った。

「子供の頃、祖父からもらった物でね」

「そんな大事なもの、どうして売ってしまうんですか? 」

「私が持っていても、多分もう使えないだろうし、私には子供がいないから、貰い手もいないのよ。だから質屋へ売って、誰か別の人に使ってもらった方がいいと思ってね」

使う? 水晶玉を使うとはどういうことなのだろうか。置いておく物であって、使うという言い方は少し違和感がある。まさかこのお婆さん、占い師か、それとも、

「予言者? 」

心の声が出てしまった。

「え? 」

「いえいえ、何でもありません。あの、使うって、その水晶玉どうやって使うんですか?」

「そうだ!」

と、今まで声の小さかった彼女が、大きな声を出した。

「どうしました?」

「これ、あなたにあげるわ」

「いやいや、そんな大事な物貰えません」

「親切にしてもらったお礼よ。あなたならきっとうまく使えると思うの」

彼女は強引に僕の腕を取り、手の平に水晶玉を置いた。綺麗な丸い感触があり、少しヒヤッとした。

「これ、どうやって使うんですか? 」

少し間を空けて彼女は答えた。

「これはね、ただの水晶玉じゃないの」

「どういうことですか? 」

「これは、想い玉なの」

「想い玉? 」

「持ち主の心の中にある一番強い想いを叶えてくれる玉なのよ」

僕はあからさまに疑わしい顔をした。

「何かの宗教かと思ってるでしょ」

「はい」

「違うわよ、別に売りつけたりしないわ、これはうちに代々伝わる物なの、祖父から聞いた時は私も驚いたけど、祖父は決して私に嘘つかない人だった。だから騙されたと思って貰ってちょうだい」

そこまで言うならと、貰おうと思ったが、その前に疑問に思ったことを聞いてみた。

「ご自分で使わないんですか? お婆さんは叶えたい事ないんですか? 」

「あるわよ。若返りたいの、十代の頃に。でもね、お婆さんなのが嫌だって訳じゃないの」

「じゃあどうして? 」

「もう一度、歳を取りたいのよ。私の家はとても貧しくてね、十代の頃から毎日毎日働いて、おまけに親が厳しかったものだから恋をする暇もなく歳を取っちゃったの。だからもう一度十代に戻って、大好きな人と出会って、お互いに年老いていく姿を見ながら一緒に暮らせたらどんなに幸せだろうって」

 そこまで強い想いがあるなら、なぜ使わないのかますます不思議だ。

「でもね、さっきも言った通り、私にはもう使えないのよ」

「どうしてですか? 」

「想い玉はね、自分と同じ想いを持つ者と一緒に触った時に、初めて想いを叶えてくれるのよ」

「同じ想いを持つ者」

「そう、私に若返って一緒に年老いてほしい! なんて人もう見つからないでしょ? だから、あなたが使ってちょうだい」

 確かに、彼女が今から死ぬまでにそういう人と出会うのは難しいだろう。それにしても、そんな具体的な使い方まで聞くと本当に思えてくる。僕は手の平にある水晶玉を、落とさないように慎重に鞄の中にしまった。

「わかりました。大切に使いますね」

「ほんと? よかった! ねえ、あなたには大好きな人はいる? 」

「はい、いますよ、大好きな家族が」

 僕は横でお座りしているフクの頭を撫でながら答えた。

「じゃあ、用事が済んだし帰るわね。ごめんなさいね、お散歩の邪魔しちゃって」

「いえいえ、お気になさらず」

「フクちゃん、ずっと相棒のそばにいるのよ、バイバイ」

そろそろ日が落ちて来たようなので、僕たちも帰ろうとリードを握り、フクに大丈夫か? と声をかけた時、また彼女の声がした。

「お兄さん」

「はい」

「最後に、そのサングラスをとって、顔を見せてもらえないかしら? 」

「いいですよ」

僕はサングラスをおでこまで上げた。

「やっぱり、綺麗な顔。きっと親御さんに似てるのね。若返ったら、あなたと恋をしたいくらいだわ」

 彼女は声を弾ませた。

「そうですか? それは光栄です」

僕は苦笑いをしてしまう。

「そうだ、お兄さん、もし、想いが叶ったら、想い玉は割れちゃうらしいから、その綺麗な顔を傷つけないようにね」

「そうなんですね、気をつけます。」

「お兄さん」

「はい」

「あなた、幸せになるわよ」

そう言い残して、彼女は歩いて行った。

「ねえフク、僕は母さんに似てる? 僕とフクも似てる? 」

フクは何も言わないまま、出発の合図を待っている。

「そうだよねえ、ずっと一緒にいるとわかんないよねえ。よし、帰るか! ゴー!」

僕達は歩き出した、サングラスはおでこに乗せたまま。




「ただいま」

おかえりーと言う声と共に、母が玄関にやってきた。

「フクちゃんおかえり、今日も偉かったねー、お散歩よく頑張りました。グッド! グッド! ドッグ! ドッグ! 」

 いつものしょうもないギャグを言いながら、母がフクを撫でる。

「フクちゃん、やっぱりだいぶお爺ちゃんになったわね」

「もう十歳だからね、でも僕はフクのいない生活は考えられないよ」

「仕方ないよ、あなたもフクも、老いには逆らえない、もうすぐお別れよ」

「僕はもっとフクと歳をとって行きたいなあ」

「私だってそうよ。もうしんみりさせないでよ、 さあ、ご飯食べるわよ」

リビングのテーブル席に付くと、すぐに母が、料理を運んで来る。今日はカレーだ、向かいの椅子に母が座り、二人でいただきますをする。

「今日はフクちゃんとどこ散歩してきたの? 」

「今日は久しぶりにせせらぎ公園」 

「暑かったでしょ」

「すごく暑かったからずっと木陰のベンチに座ってた」

「ずっと座ってたら、変な人だと思われたかもね」

変な人と聞いて、帰ったら母に聞こうと思っていた事を思い出した。

「ねえ、母さん、せせらぎ公園の近くに質屋ってある? 」

「あるわよ? どしたの? 」

「あるの? わー、今日公園で変なお婆さんに聞かれてさ、ないって言っちゃった」

「あら、何か売りたかったのかしら? 」

「あそうだ! 想い玉! 」

僕は、床に置いてあった鞄を取り、中からゆっくりと想い玉を取り出し、母に見せた。

「わあ、水晶玉? 綺麗ねえ」

「そう、お婆さんがくれたんだ」

「そのお婆さん占い師なの? ちょっと見せて」

「これは想い玉って・・・」

パリンッ

何かが割れる音と同時に、きゃっ! と短い悲鳴が聞こえて、手のひらが軽くなった。

「ワン!」

音に驚いて、滅多に吠えないフクが吠えたので、反射的にフクの方を向いた時、僕は目を疑った。

「フク、お前、お前、本当だ、綺麗な色、これ、クリーム色だよね? 母さん」

「あなた、まさか、見えてる? 」

「うん、見えてる、母さんのこと、見えてる」

「嘘でしょ」

母の顔がくしゃくしゃになり、色の無い涙が溢れ出す。その顔を両手で覆い、うあーっと大声を出し泣き崩れるのを、僕は抱き止めた。その体は今まで想像してたより小さかった。テーブル、鞄、カレー、目に映る全てに感動した。滲んで見えるのは涙のせいだ。嘘でしょ、と繰り返し、ずっと泣いていた母が、僕を抱きしめて言った。

「お母さん綺麗な顔でしょ。あなたは、私に似てるのよ」

その瞬間、溜まっていた涙が一気に流れ出し、今度は僕が、大声で泣いた。擦りむいて泣いていたあの頃のように。なんてことだ、ずっと見たかった母の顔、フクの顔、これから年老いていく姿を見ながら一緒に暮らせる。フクは今年盲導犬を引退したら、引き取れるかも。信じられない、こんな幸せな事が起きるなんて。

あなた、幸せになるわよ

そうか、もしかしたらお婆さんは、本当に予言者だったのかもしれない。

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