CODE21 浸食(2)

 ぼくは少しずつドアを開き、外に何もいないことを確かめると、転がりながら廊下に出た。気配を探りながら腰をかがめ、壁づたいに移動する。

 すぐ後方を、周囲を警戒しながら菊池がついてくる。


 胸のペンダントが揺れ、思わず握りしめる。すると、頭に自然におばあちゃんの顔が浮かんだ。

 今日、病院に来てから初めておばあちゃんのことを思ったことに、ぼくは少し驚いた。

「いくぜ、おばあちゃん……」

 ぼくは呟くと、廊下を進んだ。


 菊池によると、スーパーコンピューターの部屋は、この建物の最下部中央の地下にあるとのことだった。地下室は、半地下構造で、天井近くに明かり取りの窓があるらしい。エレベーターは一階までしか繋がっておらず、地下には階段で降りるしかないとのことだった。


 エレベーターのある箇所まで二回、曲がり角を曲がらなくてはならない。ぼくは大きく息を吐くと、全身の神経を集中した。

 最初の角に辿り着き、慎重に向こう側を窺う。

 奴らの気配のないことを確認して、少しだけ顔を出す。


 化け物たちの影がないことを確認し、角を曲がる。

 進みながら、油性ペンを握り剣をイメージする。たちまち剣に変化していくペンを見て、病院全体に聞こえない周波数で、音が流れていることを改めて認識する。

 通路を駆けぬけ、転がるように次の曲がり角へ辿り着いた。すぐ側にエレベーターがあるはずだった。

 微かな振動が、周りの空気から伝わってきた。――呼吸音。それも、かなり巨大な生物のものだ。


 曲がり角から、慎重に向こう側を覗く。

「いた!」

 思わず、口を押さえる。

 牛の頭に、羊の大きな角。山羊のような二本足で立ち上がったその身長は2mを優に超えている。角で守られた頭には大きく真っ赤な脳がはみ出していた。マゴット・ブレインだ。


 すり足で近づいて、剣を振り上げた。

 マゴット・ブレインが振り返り、目が合う。その時には首に向かって剣を振り下ろしていた。

 肉を切り裂き、骨を断ちきる感触が両手に伝わる。大きな音を立てて首が床に落ち、凄まじい勢いで血が噴き出した。だが、床に溜まるはずの血は、落ちる度に消えていく。倒れたはずのマゴット・ブレインも霞むように消えていった。


 息を吐き、額の汗を拭う。

「冷静ジャナイカ」

「こんなところで手間取ってる暇は無いからな」

 マーク1に頭の中で答える。

 追いついた菊池が、背中を合わせて後ろを護る中、急いで、エレベーターの下に降りるボタンを押した。



 一階まで降りていたエレベータは、上がってくるまでに、時間がかかった。普通に上がってきているはずなのに、まるでスローモーションのように思える。

 焦ってエレベーターのボタンを何度も押す。今にも新しい敵が現れるんじゃないかと思うと、気が気ではなかった。

チンッ

 と、音を鳴らして、エレベーターが止まった。


 ドアが開くと、二人で転がるように素早く乗り込む。一階のボタンを押して、奥の壁にもたれかかった。

 手には、大量の汗が滲んでいた。大きく息をつき、菊池と目を合わせる。気を抜いて壁にもたれたまま、床に腰を落とした。

 その時、ジーッという機械音が天井の方から聞こえてきた。

 上に小さな防犯用のカメラがあり、ピントを調節するようにレンズが動いているのが見えた。瞬く間に、エレベーター内の温度が高くなっていく。


 噴き出す汗をぬぐいながら、天井のカメラを睨み付けた。エアコンもカメラも奴らの支配下にあるのだろう。

 ぼくはふと、壁が固いスチールから大型の動物の体のように弾力のあるものに変わりつつあることに気付いた。

 背中のデイパック越しに、軟らかい肉の感触と脈打つ心臓の音が伝わってくる。


「なんだ、これ?」

 床に着いた手のひらに粘着質の液体が付いていた。

「あ、つッ!」

 手のひらから白い煙が上がっていた。

 ――酸!?

 急いで手のひらをはたき合わせて、付いている液体を払い落とす。

 壁が収縮し、細かい皺が浮き上がってきた。壁から酸の液体が滴り落ちる。

 肉の壁に無数の目が現れ、ぼくを睨んだ。ニヤリと笑ったような表情を作ったかと思うと、一斉に閉じ、頭に言葉が響いた。


「フフフ。ドコニモ逃ゲルコトハデキンゾ。ココデ、オレノ栄養ニシテヤルワ」

「こ、これが煙の魔神ですか……?」

 菊池が声を震わせながら言った。

 ぼくはうなずくと、菊池と背中合わせになり、肉の壁に向かって剣を構えた。菊池も二本のナイフを両手に構える。

 まるで、胃袋の中にいるようだった。周りを囲む肉の壁を見回していると、あっという間に床に液体が溜まり、靴を呑み込み始めた。ゴム製のソールから白い煙が上がり始める。


 幻のはずなのに、現実としか思えない。このまま、ここにいれば、ぼくらの体が溶けていくのも時間の問題だと思えてくる。

「くそ、食われてたまるか!」

 菊池が声を上げ、ナイフをめちゃくちゃに振り回す。だが、その攻撃は跳ね返され、少しもダメージを与えたようには思えない。


 その間にも液体は溜まり、脛が半分ほど隠れるほどになっていた。熱が脛の皮膚を焦がし、呼吸が速くなる。

「オイ、ヤルコトハ一ツダゼ……」

 マーク1の言葉にぼくはうなずいた。

 剣を右肩に担ぐ。自分の入ってきた方向へと見当を付け、剣を構えた。

 ぼくは、LODDで使っている鎧をイメージした。Tシャツとジーンズが鎧へと変化し、体全体に相当の重量がかかる。長い間、愛用してきた傷だらけの鎧。


 チンッ

 と、音がして、エレベーターが止まる感触があった。

 その瞬間、液体ごと風を巻き起こし、入り口があるであろう場所に向かって剣を振り下ろした。剣が分厚い肉の壁をミリミリと切り裂いていく。

 溢れ出す液体と一緒に、二人とも転がるように外へ出た。長い廊下の向こうに受付ロビーが見えた。


「シツコイヤツダ……」

 背中から、ため息のような魔神の声が聞こえたのと同時に、エレベーターのドアが閉まる音がした。

 膝に手をやり、肩で息をする。

 顔を上げると、目の前に、長い白衣を着た医者のような人が、口から泡を吹いて倒れているのが見えた。胸に大きな血の染みがある。


「大丈夫ですか?」

 慎重に周りを伺いながら、しゃがみ込むと声を掛けた。体を揺らすが全く反応が無い。

 菊池が、あごの下の頸動脈に右手を差し込み、しばらくして首を振った。廊下の向こうの受付ロビーには、たくさんの人が転がり、うめき声が響いていた。

 心臓が早く打ち始めるのが分かる。考えていた以上の被害が出ているかもしれない。

 ぼくらは剣を構えたまま、受付ロビーへと走った。

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