CODE22 浸食(3)

 受付ロビーには、数多くの人々が倒れていた。壁により掛かるようにしている放心状態の人もいれば、大量の血を流して倒れている人もいる。

 他にも死んでる人がいるかもしれない……。

 そう思うと、動悸が上がり、怒りが湧き上がってきた。


 人々の呻き声が、そこら中から聞こえてくる。受付用のカウンターの中は書類が散乱し、パソコンがひっくり返っていた。

 ぼくは感覚を研ぎ澄まし、辺りに気を配りながら進んでいった。

 近くから押し殺したような子どもの泣き声が聞こえてきた。声を探って、カウンターを乗り越えると、すぐに声の主を発見した。


 それは、若い母親と小さな女の子だった。女の子は肩からかけた可愛い花柄の水筒のひもをギュッと握っていた。母親は気絶したかのように目をつぶっていたが、しっかりと女の子を抱きかかえている。


 ぼくは女の子に歩み寄ると、声を掛けようとしゃがみ込んだ。女の子と目が合った瞬間、その目が裂けんばかりに大きく見開いた。

 凄まじい衝撃が体を襲う。体が真横に吹き飛ばされ、肺から空気が絞り出される。

「レ、レッド・ブーツ……!!」

 振り向いた先には、LODDの世界で最重量級にあたるレッド・ブーツ・ドラゴンが立ちはだかっていた。肉食恐竜のような体躯を反り返し、威嚇してくる。


 ブンッ!!

 空気を切り裂きながら、その長い尾が襲いかかってきた。

 剣を構える暇は無かった。急いで両手でガードをするが、ぼくは吹き飛ばされた。


「くそっ!」

 ダメージを最小限に抑えながら、着地する。

 その瞬間、凄まじい速さで菊池がやって来て、荒れ狂う竜巻のように二本のナイフを振り回した。


 レッド・ブーツ・ドラゴンの右腕が、肘の箇所で切り落とされる。更に、腹部にも強烈な斬撃が加えられ、敵は怒り狂いながら尻尾で菊池を吹き飛ばした。

「奴ニハ、スピードダ!」

 敵より早く動くんだ!


 マーク1の声と自分の考えが完全に同調シンクロしていた。

 ぼくはレッドブーツの右に行くと見せかけて、素早く後に回り込んだ。

 剣の峰にあるギザギザの刃で下から上に首の鱗を剥ぎ取る。そして返す刀で、剣を振り下ろした。


 レッド・ブーツはぼくに気づいたが、剣を振り下ろす速度が上回った。首に剣が滑り込んでいく。

 残った左手の爪が鎧の胴当てを掠め、ギャギギッという耳障りな金属音が響いた。

 その瞬間、巨大な首が床に落ち、鈍い音がした。


 菊池が床に散らばるパイプ椅子を掴むと、壁時計の上にあるスピーカーに向かって投げつけた。椅子は凄まじい勢いでスピーカーを直撃し、ばらばらになったパーツが下に落ちた。

 レッド・ブーツ・ドラゴンは、見る見るうちに消えていくが、ぼくの剣と鎧は消えなかった。


「他にもスピーカーがあるのか?」

「ああ、だけど、探している暇はない」

 菊池はぼくにそう言うと、辺りを見回した。


 ぼくは警戒するのを菊池に任せ、泣いている女の子の側まで歩いて行った。

「大丈夫か?」

「怪物がきて、お母さんを……」

 女の子が泣きじゃくりながら呟いた。


 頭を撫でて落ち着かせると、母親の肩を揺さぶった。

「う、うん」と、呻き声が上がる。

「よかった。大丈夫ですか?」

 母親の目が開き、焦点が戻ると、一瞬怯えた表情になり、辺りを見回した。何かを探しているような、そんな仕草だった。


「もう、大丈夫。怪物は消えましたよ」

 菊池が、周囲を警戒している。

「今のうちに外に出た方がいい。病院の外なら大丈夫なはずです……」

 ぼくがそう言うと、


「あなたは? あの人の仲間なんですか?」と、母親が怯えながら言った。

「え? 誰のことですか?」

 母親の行っていることがピンとこない。


「私、この子を連れて逃げていたんですが……、大きな怪物に襲われて」

 母親が、その時のことを思い出したような表情で目をつぶり、しかし話し続けた。


「気を失う瞬間見たんです。鎧を着た人が槍のような武器で、その怪物を倒すのを……」

「まさか?」

 ぼく以外に、そんなことをできる人間がいるというのか。


「菊池さんの仲間ですか?」

「鎧を着ていたのなら違います。まさか、啓太さんのような能力を持った人が他にもいるんですかね?」

 菊池が真顔で首をかしげる。

 そんな奴がいるのか? ぼくはしばらく考え、


「その人って女の子じゃなかったですか? ぼくくらいの」と、母親に尋ねた。

 煙の魔神に捕まり、昏睡状態にあるミサが戦えるはずは無かったが、それくらいしか、思い当たる節は無かった。

「いいえ」

 母親はきっぱりと否定した。

「怪物を倒していったのは、もっと大人の、男性でした」


      *


 怪我をしている人たちが気がかりだったが、今、救急車を呼ぶと、更に大惨事になるかもしれない。できるだけ早く、煙の魔神を倒す必要があった。

 ぼくらは、急いで地下のスーパーコンピュータールームの入口をめざし、倒れている椅子や机を乗り越えていった。


 途中、二人で目に付くスピーカーを壊しながら来たが、見えないところにもスピーカーはあるらしく、剣も鎧も最後まで消えなかった。

 そのせいか、やはり、と言うべきか、二回、モンスターと対決する羽目になったが、菊池の戦いぶりには改めて驚かされた。まるで上級者の操るLODDのキャラクターのようにモンスターを屠っていく。自衛隊で鍛え上げているせいなのだろうが、驚くべき戦闘力というほかは無かった。


 あの母親の言っていた謎の男のことも気になったが、地下のスーパーコンピュータールームまで行けば会えるのではないかと思い、先を急いだ。

 大切なのはぼくら以外にも、奴らと戦う人間がいるということだった。菊池のチームメンバーが合流できるかもしれないということも、ぼくを勇気づけた。ここまで来れば、煙の魔神を倒し、ミサの捕らわれた意識を助け出すだけだった。


 地下への階段は、受付フロアーを挟んでエレベーターの反対側にある廊下の突き当たりにあった。階段を上から覗くと、薄暗い中に非常口を示すランプが点っていた。

 ぼうっと点る微かな灯りが、不気味な予感をかき立てる。急に緊張感が甦り、体の芯が震えた。


 思わず、菊池を見ると、笑顔で拳を突き出してきた。

 反射的に拳を打ち合わせる。

 偶然だったのだろうが、それはLODDで戦いに望む時、チームメンバー同士で行うルーティーンだった。


 階段を二回折り返すと、思いのほか、長い通路が待っていた。通路にあるのは、必要最小限の灯りだけで、薄暗く不気味だった。

 程なくして突き当たりになり、そこに見覚えのあるドアがあった。濃い茶色の樫の木でできた重厚なドア――。それは、ミサと警備カメラ映像を覗いた際に開いたものだった。


 この向こう側が、スーパー・コンピューターの部屋に違いなかった。

「落チ着ケヨ。オ前ナラ……イヤ、オレタチナラ、ヤレル」

 マーク1の言葉に、体の芯が熱く燃えるような感覚を覚える。

 ぼくはノブに手をかけ、ゆっくりと回した。少しずつドアを手前に引く。


 現れたのは、映像にあった部屋そのものだった。広い灰色のフロアー、そして、幾何学的に並ぶ直方体の鉄の箱。コンピューターの表面ではデジタル光が点滅し、低いモーター音が部屋中に響いていた。手前には、小さな事務机と端末用の小型パソコンがある。


「あれですね……」

 小声で合図すると、菊池が近づいてきた。

「背後を援護します。恐らく、LODDのモンスターが襲ってくると思うんですが、あいつらロボットと一緒です。ゲームと同じようにやれば楽勝ですよ」

 菊池は早口でそれだけ言うと、ぼくの背後に回っていった。


 身をかがめて歩き始める。目標は端末用の小型パソコンだった。

 すると、数歩も歩かないうちに、突然、地下室の照明が落ちた。同時に、コンピューターのデジタル光も消える。


 最上部にある明かり取りの窓のシャッターが次々と閉まり、部屋全体が真っ暗になった。

 ぼくは、床に突っ伏すと、気配を探った。

 菊池から、非常用の発電機によってコンピューターや照明の電源は落ちない設計になっていると聞いていた。つまり、これはぼくたちを攻撃するための布石だということだった。


 剣を握りしめ、静かに息を吐く。

 ――ふと、大きな生き物の微かな息づかいを感じる。すぐ目の前で、オレンジ色の明かりが点った。

「セイタン!」

 ぼくは反射的に床を転がった。

 高温の火球が体すれすれを掠めるように飛んでいく。


「グガアアアッ!!」

 次の瞬間、火球が後方のレッド・ブーツ・ドラゴンに命中し、耳障りな悲鳴が上がった。同時に無数の化け物どもの声が上がる。

「啓太さん。気をつけて!」

 菊池の声が、少し後方から聞こえた。


「予測ト、スピードダ!」

 ――ああ、分かってる。

 マーク1に答え、正面のセイタン・タートスの気配へ向かって剣を突き出す。

 大きく弾かれ、体が右に泳いだ。

 襲いかかってきた殺気に体を沈めると、巨大な爪による攻撃が通り過ぎていく。


 セイタンの股下をスライディングしてくぐり抜け立ち上がると、甲羅と肉の境目に剣の峰のギザギザの刃を走らせた。

 火花を上げて甲羅の薄い部分が砕ける。ぼくはそこに剣をねじ込んだ。

 断末魔の叫び声が上がった。

 同時に、周りの殺気が膨れ上がり、無数のモンスターが殺到してきた。

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