CODE15 ソノ少年、凶暴(2)

「ヨウ! マタ会ッタナ!?」

 魔神が拳を握る手に力を込めた。ミシッと骨のきしむ音がする。

「くそっ」

 心の中に火が点った。

 ぼくは右足を跳ね上げ、工藤のズボンのポケットの辺りを蹴りつけた。

 魔神の顔に蹴りがめり込み、しかめっ面になる。


「マア、ソウ来ナイトナ……」

 魔神の笑い声が響いた。

 工藤の目が、これ以上ないというくらいに開き、

「啓太……こいつは何だ?」と、膝を振るわせながら言った。

 足下に湯気を立てた水たまりができていく。想像を超える出来事と恐怖に失禁したのだった。


「アラララ……? 人間トハ弱イモノダナ……」

「お前どうやって、ここに現れてるんだ?」

「オ前ニ、教エル義理ハナイ、ト言イタイトコロダガ、マアイイ。コイツノスマートホンヲ、ゲートニシテ、ズットオ前ヲ見張ッテイタノサ。ヤット、データヲ転送デキル回路ヲ開イタ。今マデ、コイツノ凶暴ナ部分ヲ刺激シテ、操ルダケダッタカラ、中々殺セナカッタンダ」


「啓太、気持ちわりいよ。こいつを何とかしてくれ!」

「お前、こいつに操られてたんだ。今日だって、そうだ。ぼくを殺そうとしたのも、こいつのせいだ」


 怒りがわき上がる。ミサを苦しめた挙げ句、連れ去っていっただけでなく、過酷ないじめの原因もこいつだったのだ。

 怒りにまかせ、魔神に向かって左拳を打ち込む。

 すると、魔神は拳ごと、ぼくを跳ね上げた。


 遠くで立ち上がったぼくの目に、工藤が一人で暴れているのが映った。ポケットの辺りを両手で押さえつけ、大声を出している。先ほどまでいたはずの煙の魔神が見えない。

 工藤は一人で大声を出しているようにしか見えなかった。


 慎重に少しずつ工藤へ近づいていく。あと二mというところまで近づいたところで、突然煙の魔神が現れた。反射的に後ずさると消える。

音か――。

 現実の世界でも、音で幻を本物のように認識させているのに違いなかった。ポケットの中にあるスマートホンのスピーカーだ。その時、聞き覚えのある声が呼びかけてきた。


「オイ、聞コエルカ?」

「お前、今頃……」

 突然、話しかけてきた頭の声に文句を言う。

「皮肉ダガ、アイツノ出ス音ノオカゲデ、一時的ニ話ガデキルヨウニナッタミタイダ」


「それで?」

「今ナラ、オ前ノ能力ヲ使エルッテコトヲ伝エヨウト思ッテナ」

「どういうことだ?」

「音ノ結界ノオカゲデ、オ前ノ力モ出セルッテ言ッテルンダ。遠慮無クヤッチマエ……」


 頭の中の声が終わるか、終わらないかのうちに工藤に向かって走り出した。自分の口が大きく笑みの形を作っているのが分かった。

 落ちている竹箒を拾い上げると、LODDの剣をイメージする。見る見るうちに箒が剣へと変わっていった。

「ホウ、ヤルカ?」

 魔神が楽しそうに言った。


 ポケットの中に隠れていた魔神のもう一本の腕がぞろりと抜け、工藤の腕に絡みつくとその手で地面に落としたナイフを拾い上げた。

 工藤の体中に魔神が巻き付き、見る見るうちに魔神そのものへと変貌していった。魔人が笑い声を上げ、手に握られたナイフは見る見るうちに大きな剣へと変化していく。


 攻撃が、顔面に向かって飛んできた。斜めに払い上げるように相手の剣をいなす。

 先の部分で受けると、竹の枝がばらばらと散らばった。

 向こうは本物のナイフが元になっている分、こちらが不利だ。攻撃を受けるたびに、竹が飛び散り、柄の部分もダメージを受けた。


 魔神が大きく踏み込み、ぼくの頭上に剣を打ち込んできた。

 頭上に剣を構え、攻撃を受ける。

 その瞬間、剣が真っ二つになった。

 一瞬の差で剣を放り出し、前に転がって攻撃を避ける。本物のナイフが、竹箒の柄の部分を断ち割ったのだった。

 魔神の剣は、更に顔面を狙い追撃してきた。死の淵へぼくを追いやろうとするその一撃を反射的に避ける。


 ――と、魔神が大きな口を開き、ぼくの首筋に噛みついた。

 魔神の尖った歯が、ぼくの首の皮膚に食い込んでいく。

 鋭い痛みを感じたその瞬間、目の前が真っ赤になった。教室で工藤にキレた時以上の何かが、ぼくの中で弾ける。

 噛みつくという行為そのものが、ぼくの中にある遠い記憶を刺激したかのようだった。


 腕の皮膚が、むずがゆくなり、ぼこぼこと動き出す。

 筋肉が隆起し、無数の毛が生え始めた。見る見るうちに爪が伸び、肘の関節が抜けたかのように両腕がゾロリと長くなった。

「うあああああああ!」

 体中の筋肉が勝手に暴れ回り、凶暴な殺意が膨れあがった。

 右手が首筋にぶら下がる魔神のこめかみの辺りを無造作に掴んだ。じゃれつく子どもを振り回すかのように、力で引きはがすと、唐突に地面に叩きつける。


 魔神が、剣を顔面に突き刺してきた。

 ぼくはその剣をつかみ取った。手のひらから血が溢れるが、痛みは無かった。

 拳をハンマーのように叩きつける。魔神の顔が地面と拳に挟まれ大きくひしゃげた。

 ぐしゃっという不気味な音が快感となってぼくを貫いた。目の前の赤い色が、ますます濃くなり、何が何だか分からなくなる。

 ぼくは自分の口が大きく開き、牙が生え出たような気がした。目の前に転がる肉の塊に猛烈に食欲を感じたのが、その時の最後の記憶だった。


     *


「おい、大丈夫か?」

 ぼくは体を揺らされ、目を覚ました。跳ね起きると、辺りを見回す。

 ぼくを起こしたのは、体育教師として教育実習に来ている浜口という男だった。日焼けした顔が心配そうにぼくを見ていた。

「魔……いや、工藤は?」

「工藤? いや、誰もいないぞ。倒れていたのは君だけだ」

 言われてみると、工藤の取り巻きの奴らも誰一人としていなかった。


 ふと、我に返って自分の両腕を見ると、普通の人間のものだった。思わず、安堵のため息をつく。左掌に包帯が巻き付けてあった。

「これは、先生が?」


「ああ。体育の教官室にあった薬箱から持ってきた。もうすぐ、救急車が来る。一体、何があったんだ?」

 浜口が、声を潜めて訊いてくる。言えるはずが無かった。最後の方は自分でも分かってなかった。自分の体はどうなったのか? まるで、獣のようなあれは何だ? 一体、ぼくは何なんだ!?


 途方に暮れたぼくは、再度辺りを見回した。さっきのあれが、確かに起こったことだという証拠を探す。

 すると、ディスプレイ表面にひびが入り、擦り傷だらけになったスマートホンが、少し離れたところに落ちているのを見つけた。土まみれになったスマートホンは、正常に動いているのか定かでは無い。


「ケ……、ケイタ。キ、聞コエルカ?」

「ああ、聞こえる」

 突然、頭の中の声が鳴った。気のせいではない。ぼくは自分の気が狂ったわけではないことを確認するかのように、頭の中の声に応えた。


 ぼくは浜口から距離を取った。浜口が怪訝な顔でぼくを見たが、構っている余裕は無かった。

「少シ、マダ、アノ音ガ残ッテイル……」

「スマートホンは、壊れてないってことか? 魔神は大丈夫なのか?」


「何故カハ、ワカランガ、奴ハイナクナッテイル」

「何があったか分かんないのか?」

「オレハ、オ前ダ。アノ時、オレモ一緒ニオカシクナッテルンダ……。ダカラ、何ガアッタノカハ、オレニモ分カラン」


「何でもいい。知ってることを教えてくれ」

「一ツ、分カッタコトガアル。スマートホンニ、ジョウナン医科大学ノプログラムガ、インストールサレテイルゾ」

「何? 工藤のスマートホンにか? ハッキングされてるってことか?」


「ソウジャナイ。インストールサレタモノダ。健康管理プログラム――」

「城南医科大学の作っているアプリか」

 そう言って、ある考えが閃いた。


「まさか……。それじゃ、煙の魔神は、そのアプリを通じてここに来たってことか。ってことは、魔神は、どこにも逃げてなくて、城南医科大学のスーパーコンピューターにいるってことなんじゃないか?」

「ソウダナ……。ダガ、敢エテ、コノコトニ気付クヨウニシタノカモシレナイ」


「罠ってことか?」

「アア……」

 頭の声がそこまで言って、突然聞こえなくなった。


「スマホが壊れたのか……」

 目をつぶって、頭の中に集中しても声は聞こえてこない。

 遠くから救急車の音が聞こえてきた。ぼくは浜口を置いたまま踵を返した。


「おい!」

 ぼくは、呼び止める声を無視して、走り出した。教室に駆け戻り鞄を取ると、校門を目指した。

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