CODE3 ぼくの世界(3)
戦いの銅鑼が鳴る。
敵が軽やかにフットワークを刻んだ。
ぼくは愛剣である片刃の大剣を構えた。刃と反対側の分厚い峰には、ノコギリのお化けのようなギザギザに溝が刻まれた大きな刃が付いており、対モンスター戦ではこちらも威力を発揮する。
ぼくは攻撃に移る初動を見逃すまいと目を凝らしながら、剣の刃先で敵を追った。
前に来る!
ブンッと音を立て、剣を横薙ぎに振った。
だが、攻撃は誰もいない空間を空振りした。
敵の初動はフェイントだったのだ。空振りした剣の動きを見極めるかのように、絶妙のタイミングで前に出てきた。
慌てて剣を戻すと後ろに下がる。
体を前後に揺さぶりながら、今にも攻撃を仕掛けてきそうな距離になったかと思うと、距離を取る。攻撃に行こうとすると、その気持ちを読まれたように遠ざかる。
このままだと埒があかない。ぼくは体当たりのフェイントを入れた。本気だと錯覚させるために、最初の一歩は大きく踏み込む。
すると、攻撃に合わせたカウンターを突然顔面に喰らった。最初は何が起こったのか分からなかった。十分に距離はあるはずだ。ぼくはパニックになりそうな気持ちを抑え、防御を固めた。
下半身へ強力なローキックを喰らう。その瞬間、考えるよりも先に指が動いた。スライディングのコマンドを入れる。
相手が大きく跳び退る。
再びスライディング――。間髪入れずに、上へ向かって剣を振る。ぼくの剣は敵よりも大きく、そして長い。相手の体を真っ二つに切り裂くはずだった。
だが、敵キャラクターは、そこにはおらず、直後に真後ろから攻撃を受けた。それは、あり得ないことだった。
ぼくはパニックになりかけながら、前転して立ち上がると、敵に向かって剣を構え直した。もう、ほとんど体力ゲージが残っていない。
相手は、油断しているのか、防御の態勢を取っていなかった。
最後のチャンスだった。
ぼくはダッシュのコマンドを入れながら、敵キャラに向けて攻撃を放った。剣を右肩に背負いながら巻き込むように斬りつける。一撃必殺の攻撃だった。
勝利のガッツポーズをとりかけたぼくは、途中で凍りついた。
相手の投げた短刀がぼくのキャラクターの頭に突き刺さっていたのだ。
外れれば、武器がなくなるだけに捨て身の攻撃とも言えたが、確信を持って投げつけたに違いない。久しぶりの敗北だった。
「う、うそだろ?」
思わず言葉が漏れた。
見物していた観客から、慰めや茶化す言葉のメッセージ、見るに堪えない罵詈雑言のメッセージが次々に流れる。
考えもしなかった結末に呆然としていると、チャットウィンドウが開き、
(キミ、中々やるな)ときた。
呆然としていると、
(普通はあのカウンターでパニックになるんだがな)と続いた。
ぼくはチャットウィンドウを睨み付け、
(負けは負けだ)
投げやりにキーボードをタイプした。早々に切り上げようと考えていると、しばらく間があって
(ちょっと提案があるんだが)と返ってきた。
女のキャラクターを使っているのに、文体は男のように素っ気ない。まあ、男のプレイヤーが女のキャラクターを使っちゃいけないという決まりはないのだ。そんなことを考えていると、
(単刀直入に言うぞ)
と続けてメッセージが入った。
そして、また間が開いた。
(キミみたいな奴を探していたんだ)
(だから、何の話だ?)
ぼくは、相手の言いたいことが分からず、そう返した。
(チームを組みたい。一緒に)
予想もしなかった誘いに、困惑する。こいつ、ぼくのことをからかっているのか……。しばらく考え込んでいると、再びチャット画面にメッセージが流れてきた。
(名前は?)
(ケイタ)
(私はミサ)
ぼくは自分の気持ちを消化できないまま、どう答えていいのか迷っていた。
(せっかくだけど、簡単には答えられない)
ぼくは思わずそう答えた。
(そうか。だが、キミの力を認めたから誘っているんだ。それは分かってくれ)
相手の飾り気のない言葉が少し胸に響いた。自分に勝った相手に、強さを認めていると言われたことが嬉しかったのかもしれない。このまま断ってしまえば、コンタクトを取り直せるかどうかも分からない。
少し、考えてもいいかもしれない。
そう返答しようとしていると、突然、玄関のドアを乱暴に開こうとしているような音がヘッドフォン越しに聞こえてきた。
慌てて、鍵を開けようとしているようなガチャガチャという音。そして、すぐにバタンとドアの開く音が続いた。雷のような父の怒声――。
(て、手が離せなくなりそうなんだ。とりあえず、友だち登録を)
何も考えられなかった。取りあえずメッセージを打ち込む。
階段を上がる音が大きく響いてきた。
急いで、登録手続きをミサ宛に送った。
送信が終わるとすぐにログアウトし、バーチャグラスを外す。GGS6の電源を落とし終わった途端、大きな音を立ててドアが開いた。
「お前、学校サボって、何やってやがんだ!」
父の怒声が轟いた。
*
ぼくは、怒っている父の様子に戸惑いつつも、割り切れないものを感じ父を睨んだ。
「学校の友だちに椅子をぶつけて、そのまま学校からいなくなったそうじゃないか?」
「ぼくが悪いわけじゃない」
我慢できずに呟いた途端、顔に平手が飛んだ。口の中に鉄のような血の味がにじむ。
「あなた、やめてっ!」
遅れて入ってきた母が叫ぶ。
「普段は、ほったらかしで、ぼくが学校でどんな目に遭っているかも知らないくせに!」
ぼくは頬を押さえながら父を睨み付けた。
父の興奮した目と目が合う。ゲームで負けたせいもあったのかもしれないが、父の理不尽な仕打ちに対する怒りが、ぼくの中で激しく渦巻いていた。話を聞きもせずに、いきなり殴ってきたことが許せなかった。
「仕事や世間体が大切なんだろ? いつもみたいに、ほうっとけよっ!」
反射的に出た言葉に、父が驚いたような顔をした。
二人で睨み合い、無言の間が続く。
最初に目をそらしたのは父だった。
父は「分かった。好きにしろ」と吐き捨てるように言うと踵を返し、部屋から出て行った。
入ってきたときとは対照的に、小さな足音がゆっくりと遠ざかっていく。
二人になった部屋で、母がぽつぽつと話しはじめた。電話で担任から説明を受けたこと、工藤は大したけがではなかったこと、いじめの実態も明るみになったこと――。
「お父さんも悪気は無いのよ。あなたのことを心配してるの。それだけは分かって」
優しく諭す母の声音が、心の外側を滑り落ちていく。
――この人たちが心配しているのはぼくのことじゃない。世間体だ。そうじゃなかったら、ぼくの言うことも聞かずに、あんな一方的に怒るはずがないじゃないか。ぼくが学校でいじめられていたことを聞いた上でのあの対応なのだ。
どこにも、ぼくの味方なんていない。そう思うと、途端に孤独感で一杯になった。学校ではカーストの最下位で、LODDでも負けた。弱肉強食のこの世界で誰も仲間はいない――。
激しい憤りで心が爆発しそうだった。胸のネックレスを握りしめ、涙を堪える。こいつ等の前で泣くのだけは嫌だった。
おばあちゃん――。
ぼくは心の中で呟いた。
おばあちゃんのことが、走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
試験で取った百点を褒めてくれた時の笑顔、ランドセルを放り投げた時の怒った顔、いつも作ってくれた甘いお菓子、そして、優しく撫でてくれた白くたおやかな手――。
本当の意味でぼくを心配し、思いやってくれたのは、おばあちゃんしかいなかった。
下を向き、母と目を合わさないでいると、いつの間にか一人になっていた。
学校にも居場所は無く、家にも居場所は無い。そして、ぼくが唯一輝ける世界だったはずのLODDでも負けたのだ。
気がつくと両目に涙が溢れていた。ぼくは声を上げずに泣いた。
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