CODE8 ミサの秘密(2)

 ふと気付くと、そこはニュウ・シンジュク・ワルキューレBの青空商店街だった。

 道具屋や薬屋、食い物の出店が並んで威勢の良い声を出している。

 売り子は、コンピューターの作り出したモブ・キャラたち。黒人から白人、黄色人種まで、様々な人種が老若男女混在している。


 ゲーム内での食べ物は、手っ取り早く体力を回復させることのできるアイテムだ。しかし、キャラクターの体力が減っているわけでも無く、足りないアイテムがあるわけでも無い。売っている物に特に目新しい物も無く、ぼくは手持ち無沙汰な感じで歩いていた。


 ぼうっとしていると、ピピッとミサがログインしたことを告げるウインドウが開いた。

 商店街の向こうから手を振って近づいてくるミサのキャラクターが見える。

「ミサ!」

 ぼくは大声でミサを呼んだ。手を振り返すミサのキャラクターが見えた。

「ケイタ! 何で今日の昼間はログインしなかったの?」

「え? それはさ……なんて言うか、変な奴に絡まれて……」

 煙の魔神の話をしようとして、ぼくはふと、気付いた。いつの間に、ぼくはゲームを始めたんだ……?


 魔神とLODDのモンスターに襲われた恐怖を思い出し、思わず辺りを見回す。

 商店街の出店の一つに向かって、風が吹いている。ゲームの中、それもバトルフィールドでも何でも無いところで、だ。

 こんな演出はこれまで見たことがない。背筋を寒気が奔った。


 風が集まっている出店の屋根が膨らみ始めた。それは、あっという間に弾けた。

 黒い影が飛び出して、ミサに襲いかかる。

「危ない!」

 ぼくが叫ぶのと同時に、ミサが前転してその攻撃を避けた。


 傍らに急いで走り寄る。

 何事も無いかのように商売を続ける売り子に混じって、悲鳴を上げたり逃げ出したりしているのがゲームプレイヤーだった。

 LODDで、戦闘用のフィールドじゃない街エリアで戦闘が始まることは本来あり得ないことだ。

「何か、バグなのか?」

「分からないわ」

 

 呆然とするぼくらの目の前で大きくなっていくそれは、黒い煙の塊だった。見る間に大きくなり、人の形へと変化していく。

 モブなのかプレイヤーなのか分からないが、目の前で数人が弾け飛んだ。煙は更に膨れあがり、辺りの建物を破壊し始めた。


「まるで、煙の魔神だ……」

 体が震えるのが分かった。自分の知っている魔神とは違ったがよく似ている。

「魔神? 何のこと?」

「いや、なんて説明すればいいのか……」

 言っている側から、煙の塊が壊したがれきが飛んでくる。

 ミサが落ちている武器屋の剣を拾い上げた。


「残念だけど、ここだと装備できないんじゃない?」

「でも、バグりまくってるし」

 ミサはそう言うと剣を振って煙の塊に切りつけた。

明らかに敵がダメージを受けているのを見て、ぼくも剣を拾った。

 だが、それは持っているだけだ。キャラクターのステイタスが、剣を装備している状態になっていない。

 大きな拳が伸びるように飛んできた。


 攻撃を避け、大きく距離を取る。突然、目の前にノイズが走り、戦闘用のパラメーターが、画面下部に現れた。剣を装備したことになっている。

「マジか! これで、戦える!」

 ぼくがそう叫ぶと、ミサがうなずいた。

 ゲームのバグなのか、今起こっているトラブルのせいなのかは分からなかったが、とにかくこれで戦える。


「ケイタ! 取りあえず、このニュウ・シンジュク・ワルキューレBを荒らす敵はほっとけないんじゃない? 現役のキングと元キングとしてはさ!」

 ミサが叫んだ。

「ああ、確かにそうだな」

 ぼくはミサにうなずくと、敵の足に向かって剣を横なぎに振った。


 ミサがめまぐるしくフェイントをかけながら剣を突き出す。

 敵が切ったそばから再生していく。

 煙の塊は何かに操られたロボットのように蹴りやパンチを繰り出してきたが、ぎりぎりで避けながらカウンター攻撃を幾つも当てた。


 煙は徐々に薄まっていき、それに連れて相手の体が小さくなっていく。

 切り離された煙は元の体には戻らず、空気中に拡散されていった。

 最後のひと塊に、ミサとぼくが剣を突き刺すと、煙はついに消え去っていった。


 歓声が沸いた。ぼくらの戦いを見ていたプレイヤーたちだった。

 ミサとハイタッチし一息つく。

 ――と、その時だ。

 聞き覚えのある笑い声が響くとともに、拡散され消えたはずの煙が渦を巻いて一点に集まった。そして、螺旋を描いた。


 煙の螺旋は蛇のようにとぐろを巻くと、大きく口を開き真っ赤な目を光らせた。

「ヤハリ、会エタナ……」

 煙の蛇は、尖った牙をむきだし、笑った。


 煙の蛇とぼくらの周りを囲むように、プレーヤーたちの操作するキャラクターの人だかりができていた。

 尋常でないことが起きていることは分かりつつ、それでも、ログアウトしないのは、珍しい物見たさの好奇心からだろう。


「煙の魔神なのか?」

「ソウダ」

 煙の蛇が口を開き、真っ赤な舌をちろちろと出した。

「コッチノ世界ニ、オレノ分身ヲ送ッテ、オ前ヲ探シテタンダ。サッキノデクノボウミタイナ奴ダヨ」


「探してた?」

「アア、オ前ガココノ世界ニアクセスシテイルノハ、最初ニ頭ノ中ヲ覗イタ時カラ分カッテイタ。ココニ全テノデータハ送リ込メナイガ、体ノ一部ヲ飛バシテ探シテイタンダ」


「なぜ、ぼくに執着する?」

「オレトオ前ハ、兄弟デアリ、敵ダカラダ……」

「何を言ってるんだ?」

「フフフ……」

 煙の蛇は舌で口の周りをなめ上げ、笑った。


「別の質問だ。キサキっていうのは、ミサのことなのか?」

「アア、ソウサ……。オ前ガ、ソイツノコトヲドウ思ッテイルノカ知ラナイガ、ソイツノ本当ノ正体ハ……」

 突然、煙の蛇の頭が吹き飛んだ。ミサの剣が突き刺さっていた。だが、微細な粒子は渦巻くように再び集まり、徐々に煙の蛇が再生していく。


 ――と、唐突に、煙の蛇が尻尾を振ってプレイヤーを攻撃した。数人の逃げ遅れたプレイヤーが一瞬にして倒れ、消えていった。それを見たプレイヤーたちが更に距離を取る。

「フン」

 煙の蛇がめんどくさそうに鼻を鳴らす。


「全ク……。今ノデ、更ニエネルギーヲ食ッチマッタ……」

 蛇の尾がぼくの足首にきつく巻き付き、すぐに離れた。徐々に、蛇の色が薄くなっていくのが分かる。

「今ハ、ココマデ……続キハ、今度ダナ。今度ハ殺スカラナ」

 煙の蛇はそう言うと、乾いた笑い声を残し、唐突に目の前から消えた。


「ミサ! 何か知っているのか?」

 しばらく無言が続いた。強い風が吹き、ミサとぼくの間に壊れたバケツが転がってきて通り過ぎていった。

「ケイタ、今、この世界に自分自身がいることを気づいている?」

 ミサの言葉に促されるように自分の顔を、触った。

 指と顔の皮膚に感触がある。ゲームのアイテムであるはずの剣についても、重さや硬さを感じた。


 なぜ、今まで、気づかなかったのか……。いや、気づいていたのに、気づかないようにしていたのかもしれない。確かにゲームを始めて記憶もないし、そもそもコントローラーの操作なんかしていないのだ。

 これまで、どこか焦点を結んでいなかった意識が覚醒し、ぼくは現実を直視していた。


「正直、あなたを巻き込むべきか迷ってる」

「何のことだ? 知っていることがあれば教えてほしい」

「でも、死ぬかもしれない……私には分かっていた。あなたが特別だってことが……。だから、呼んだのよ。この世界に。だけど、迷ってる……」


「呼んだってどういうことだ?」

「今から、全部説明するわ。その上で考えてほしい。ここまでで止めてもいいの。私に付き合う必要はないのだから……」

「分かった。そうする。危なくなったら逃げる。だからミサの知っていることを全部教えてほしい」


 ぼくは思ってもいないことを敢えて口にした。ミサにどこまでもついて行く覚悟はあったから。それに、ミサの知っていることは自分の秘密に繋がることなのかもしれなかったからだ。

「じゃ、目をつぶって。そして、耳に神経を集中して」

「え?」

「お願い。言うとおりにして」

 その真剣な声に、ぼくは慌てて目をつぶった。


 訳も分からず、言われるがまま、耳に神経を集中する。やがて、ファックスを流すときのようなデジタル音が流れてきた。

 ――突然、足下にあった床の感覚がなくなり、空中に浮かんでいるような感覚に陥った。前後、上下が全く分からない。

 戸惑っていると、唐突に体が落ち始めた。その物凄いスピードにぼくは息を呑んだ。

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