CODE9 ミサの秘密(3)

 体が落ちていく感覚が止まった。

「目を開いて」

 ミサに促され、ゆっくり目を開く――と、そこは上下左右、見渡す限り何もない真っ青な空間だった。

 傍らにほっそりとした白い肌の少女が浮かんでいる。

 薄いピンク色のパジャマを着た少女は、まるでほのかに光っているかのようだった。


 目と目が合った瞬間、心臓が高鳴るような衝撃が奔った。黒く長い髪は、柔らかく空間になびき、大きな瞳は、少し茶色ががっていて美しかった。


 これが、ミサ。

 先ほどまでのゲームのキャラクターの面影が少しだけあったが、これほど、可憐という言葉が似合う女の子を、ぼくは見たことがなかった。


「ミサなのか?」

「うん」

 不思議そうな顔で見つめるミサの美しい瞳から、苦労して自分の目を離す。


「どうしたの?」

「い、いや、あの」

「ふふ。どんな感覚? 生身で飛ぶのは?」

 戸惑っていると、想像もしていなかったことを訊かれた。


「ん? どういうこと?」

 空中に浮かんでいることを自覚した途端に体が傾く。

「お……う、うゎ」

 一気に体一つ分程、下へ落ちた。


 ミサの伸ばした手にしがみつきながら、自分自身の体でここにいることに気付いた。

「ここは、ゲームの中なのか? それにミサも本人って……」

「ここはゲームの中じゃ無いわ。いわば、仮想空間ね。そして、あなたの脳は、直接ここへアクセスしているのよ」

「いや、意味が……」

「さっき、LODDの中でも、そうだったのよ。だから、自分自身の姿でここにいるの」

 呆然としていると、ミサが笑った。


 ぼくは慌てて、自分の手足を見た。確かに部屋で着ていた服だ。

「ひょっとして、ずっと、ぼく自身の姿を見てるってこと?」

「うん」

「へ、変?」

「ううん。思ったよりも男前で安心した」


 顔が一気に赤くなり、にやけるのが分かった。お愛想だと思ったが、やはり褒められるのは嬉しい。

「えへへ。ところで、ケイタ。あなたが、その悪夢を見た時ってゲーム機の電源を切っていなかったんじゃない?」

「言われてみれば……」


「それが、秘密なんだな。魔神はゲーム機を使ってあなたにあの夢を見せているのよ」

「え?」

「その時も、自分自身の体でモンスターや魔神と戦ったんでしょ?」

「確かにそうだけど」

 ぼくは半信半疑でうなずく。


「ゲーム機のスピーカーから出る音を使ってあなたに幻覚を見せているの。デジタル信号って1か0。どんなに複雑な音楽や動画ゲームでも、データそのものは1か0の組み合わせで決まるの。ファックスの音って聴いたことある? あのピーガ、ガーっていう音」

「それは、もちろんあるさ」


「そのデジタル音で、あなたの脳に直接データを送り込んでいるのよ」

「え? だけど……、それは、いわば幻覚なんだよね?」

「少し違うわ。脳の様々な感覚を感じる部分に直接データを送り込んで、現実として認識させているのよ」

「マジ、か……」

 にわかには信じがたい事実だった。


「実感が追いつかないよね。まあ、ホントはもっと複雑なんだと思うけど、大体合ってるはずよ。受け入れるしかないんじゃない? 現実ってやつを、さ」

 ミサが笑った。

「まあ、そうかもな」

 ぼくは苦笑いしてうなずいた。


「だけど、もう一つ疑問がある。ミサも魔神と同じ方法でぼくをここに連れてきたってことだろ? なぜ、そんなことができるんだ?」

 その時、突然、体が下にずり落ちた。ミサが慌ててぼくの手を強く引っ張り上げる。足下の空間は底なしのように見えた。

「ほら。ここで飛べることを忘れてる! 本当に落ちていってしまったら、現実の体にどんな悪影響があるか分からないわよ」

 ミサの言葉を聞いて冷や汗が流れた。


「今から、あなたの疑問に答えるわ。でも、私の連れて行くところに、一緒に飛んできてもらわなきゃいけないの。そうじゃないと、あなたの知りたい私や魔神の秘密は分からないわよ」

「わかった。がんばるよ」

「ここでは、違う場所に行くためには飛んでいくの。それが私の作ったルール」

 手足をばたつかせるぼくを見て、ミサは笑った。


「じゃ、行こうか」

 ミサはそう言うと、浮かんだまま、すいと、横に動いた。バレリーナのように回ると、背中を向けて飛んでいく。

 ぼくは、慌てて両手、両足を動かし、必死でついていった。

「煙の魔神には見つからないのか?」

「ここは私が作った場所だからね」

 ミサがすいすいと飛んでいく。


 しばらくミサの後ろをついていくと、スチールのドアが浮かんでいるのが見えた。何の変哲もない金属製のドア。ちょっと古めのビルにありそうなタイプだ。

 ミサが、銀色のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引っ張った。錆び付いたドアヒンジをきしませながら、少しずつ開いていく。


 真っ青な空間に一筋の白い光が漏れ出てきた。ドア自体は、空中に浮かぶただの一枚の金属の板であるはずなのに、あるはずのない向こう側の空間が徐々に広がっていく。

「覗くだけね。もっとも、それしかできないんだけど」

 ミサの言葉に、訳も分からずうなずく。



 促されてドアの向こう側を覗くと、ミサにそっくりな少女がピンクのパジャマを着てベッドに寝ていた。そこはどこかの病院の一室のようだった。

 頭の方に機械とコンピューターが置かれ、身体には様々なケーブルが繋がれている。右手に管が繋がれ、傍らにある点滴用のポールには、薬剤入りの透明なビニールバッグがぶら下がっていた。


「あれが、私……。家で突然倒れたの」

「何があったんだ?」

「ケイタと一緒。突然、あいつらの世界に引きずり込まれたの。そして、私の場合は、そのまま……。結局帰って来れなかった」


「ミサもやっぱり、LODDのプレイヤーだったの?」

「結果的にはそうね。でも最初からそうだったわけじゃないの」

 じゃ、どうして? という言葉が続かない。そんな、ぼくの様子を見て、ふっとミサが微笑んだ。


「ある日、弟がね、いなくなったの。警察にも相談したんだけど、結局、何の手がかりも見つからなくて。手がかりを探して弟が好きだったLODDを始めたんだけど、姉弟だからかしら。私もすぐにゲームが上手くなって……」

 ミサの目が遠くを見つめる。

「その後よ。気づいたら煙の魔神……私はそんな風に呼んだことは無かったけど、あいつの世界に引き込まれていたの。そして、その後は逃げ続ける日々」


「でも、病院に体があるのに、どうやって、この世界にアクセスしてるんだ?」

「まあ、詳しくは次の場所で……」

 ミサが指を鳴らした。すると、目の前に、もう一つ別のドアが現れた。それは樫の木でできた重厚な洋風のドアだった。

「さあノブに手をかけて。――そして、ドアを開いて」

 ミサが耳元で囁いた。

 ぼくはうなずくと、ゆっくりドアノブを回した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る