第2話 鳥居敏久の誇り

 私には使命がある。それは、鳥居家の存続と繁栄、そして村人の命を守ることだ。

 椿の父、鳥居敏久は責任感の強い男だった。

 、家と村人を守るのだ。誰にも任せてはおけない、私にしかできない。

 だから、娘を花嫁に、息子を宮司にしなければならない。これは決定事項だ。


 神に花嫁を捧げ続けてもう100年以上になる。最初は、花嫁を捧げることで土地が豊かになり、豊作が続いたそうだ。だが、それも数年で終わりもうずっと不作が続いている。100年だ。最早、凶作だ。この凶作は飢餓を生み、村人の命を奪い続けている。

 近年の子どもの平均寿命は15歳だ。…もう、この村は限界なのだ。私が、この負の連鎖を止めなければならない。私が!やるのだ!!



 この鳥居家という家門は、巫女の末裔である。巫女の家家門は複数あるが、鳥居家は最初の花嫁を排出した名誉ある家門であった。巫女の家門は、男は御社を守るための宮司の教育を、女は花嫁になるための巫女の教育を施していた。

 花嫁は、毎年輩出されるが、宮司はそうはいかない。宮司は、その生を全うするまで続けることができるからだ。現在の宮司は60歳を越えている。やっと代替わりの時期に来たのだ。私は宮司になることができなかったが、息子の敏光は必ず宮司になれる!

 敏光はもう15歳だが、どうやら神力は現れなかったようだ。しかし、椿は神を視る力を得たようだ。神力のある巫女は、になれる。


 敏久はにやり、と酷く厭らしい笑みをみせた。

「松平家には、この村を任せてはおけない」

 今春、花嫁を出したからなんだというのだ。うちの巫女は”神力のある巫女”だ。再びこの村に繁栄をもたらすのは、この鳥居家だ。



 *



 夜が深まり、村のほとんどの者が眠りにつく頃、鳥居家の長男である敏光は蝋燭の灯りを頼りに勉学に励んでいた。すると、珍しい客人が部屋の戸を叩いた。父、敏久である。

 僅かに緊張を敏光は覚えた。なぜなら、敏久は父というより宮司になるための師という感覚が強いからだ。親子としての交流はあまりなく、正直、父としての思い出は皆無である。


「敏光よ、宮司になる準備ができた」

 思いもしない敏久の言葉に敏光は驚愕した。宮司になるための教育は受けていたが、まさか本当に宮司になるチャンスが訪れるとは考えてはいなかった。

「父上、それはどういう意味でしょう」

「椿に神力が現れた。14歳になるのを待って神力を持つ、本物の花嫁といて輩出することが決まった」

「!」

 椿に神力が…。本来であれば、この僕が手に入れなければならない力を妹が得てしまったようだ。神力が敏光自身に現れれば、それは宮司の資格ありと認められる。敏光は悔しい気持ちをぐっと隠し、喜ばしいことですね、と微笑んだ。

「ですが、椿の神力は本当に本物なのですか?正直、この力は神が視えたと嘘をつこうと思えばつけますし…」

 妹の椿は美しい娘だが、どうも少々変わっている。平気な顔をして神を視たと絵空事を言っていても可笑しくはない。

「椿の神力は本物だ。巫女には伝えていない、神が発光しているという事実を知っていた」

「なるほど…。本当に椿は本物の花嫁の資格があるということなんですね」

 神は発光している。敏光は冷静を装ってはいるが、動揺した。宮司の教育を受けている敏光でさえ知らない情報がまだあるという事実に。僕もまだ、神職として信用されていないということか。この村には、他にどんな秘密が残っているのだろう。

 敏光が父を見上げると、喜びで口角が鋭くつり上がり、なんだか禍々しく見える。


「そうだ。何度か神力を偽る者も確かにいたが、椿は心配ない」 

 神が見える者が少なくなってきた影響で、神が見えると嘘を付く者がどうしても出てきてしまう。そのため、嘘を見極めるために神の最大の特徴である「光輝いている」と言うことを伏せられていることは確かに必要だ。裏を返せば、確かな神力の証明にもなる。


「ですが、椿が本物の花嫁とはいえ他の家門も花嫁を輩出しているじゃないですか。花嫁を輩出した数でいったら松平家の方が上では?」

「…お前は必ず宮司になる。だからこそ話すが、決して外部に漏らしてはならない事実がある」

 父、敏久はについて説明を始めた。


 ホンモノではない花嫁は、ただの生け贄である。だが、この村の状況を見れば分かる通り凶作が続いている。その理由はただひとつ、神力を持たないただの娘を生け贄にしているからだ。

 花嫁が必要な理由は”神の神力を高める”ためである。なので、神力を持たない娘を生け贄にしてもほとんど意味がない。ただ、だろうという事で続けている風習だ。

「だから”本物の花嫁”を出せば必ず敏光、お前が宮司になれる」

 敏久は、厳しい顔つきで敏光に問う。

「恐ろしいか?」


 恐いかどうかで言えば、もちろん恐ろしい。だって、大人たちは14歳ごろの幼い少女を平気な顔をして生け贄に捧げ続けているのだ。“花嫁になることは巫女の義務で名誉なこと”と教育を施して。信頼している大人から、そのように教育され続けることは最早、洗脳だ。だが…

「父上、これは必要な犠牲です。椿も巫女です。喜んでその身を神に捧げるでしょう」


 そう答える俊光に、敏久は口角を吊り上げ、にやりと誇らしげな顔を見せた。

「鳥居家に繁栄と栄光を約束いたします」

 そう言った敏光の容貌は、敏久の顔によく似ていた。


 *



「やっぱり、お父様にとってもお兄様にとっても椿はただのコマにすぎないのね」

 …聞いてはいけない事を聞いてしまった。優しいお父様に、お兄様。でも、その優しさにずっと違和感を感じていたのだ。


 普段はこんな時間に目を覚まさないのに、今夜は冷えるからか目が覚めてしまった。折角だからお手洗いに行っただけなのに…。お父様とお兄様が花嫁がについて話しているところを聞いてしまったのだ。

 と、言っても戸がしっかり閉まっていたので、はっきりとは聞こえなかったのだけれど。


 だけど、花嫁とは生け贄だということは、はっきり聞いてしまった。

「じゃあ、都お姉ちゃんはどうなってしまったのかしら」

 静かに、でも足早に自室に戻り今春の花嫁となった松平都のことを思った。…でも、生け贄ってつまりどうなることなのかしら?教本にはそんなこと書いていなかったから分からないわ。神様に聞いたら教えてくれるかしら。


 椿は膝を両腕で抱え、顔を埋める。分からない。分からないからこそ、恐ろしかった。父と兄の口振りからして、良い事では到底ないだろう。


 父の兄を宮司にし、鳥居家に権力と名誉を得ようという野望にも絶望した。

 父は本当に、椿に優しかった。本当に、本当に、態度はとても優しいのに、その優しさを与える父の顔は人形のようだった。優しいのに、冷たかった。

「娘としてではなく、大切にしてくれていたのね」


 椿はいつもいつも、空虚な心に支配されていた。

 今の時代では珍しいくらい、充分な食事を与えられ、綺麗な着物を仕立ててもらい、教育を施されていたのにも関わらず。村の子どもと比較すれば、異常なくらいの豊かな生活だ。

 だが、村の子ども達に当たり前に与えられているものを、椿は与えられていなかった。それは、愛情である。

 椿は空腹だったのだ、心が。


 愛して欲しい。


 子どもが持つにはあまりにも悲しく、虚しい願いであった。

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