第四話 万華鏡インザミラージュ

 ブルーベリーバス。

 黄水市の海沿いから山あいまで、市民の交通を広く網羅した黄水市バスは、その車体の色彩を市の特産物になぞらえて『ブルーベリーバス』の愛称で呼ばれている。近年では、そもそも愛称であったはずのその呼び名を、黄水市が公式な広報活動の中で採用することも度々あり、半ば正式な名称として定着しつつある。

 海と山に挟まれた黄水市は鉄道網の整備が困難で、代替として古くからバスの路線が発達してきた。全域に網目のように入り組んだ路線は、全市を四つの区域に分割し、それぞれの有する系統を合わせると合計で百八系統に及ぶ。起点と終点のわずかな違いを含めると、その数は数百もあると言われ、複雑を極める路線網は「黄水には八百万やおよろずのバスがある」と揶揄されるほどである。

 路線の名称はほとんどが飾り気のない系統番号だが、木良山手線や牛の丘公園線、コバルトビュー湾岸線など固有の名称を持つ路線も存在する。


 その木良山手線を行く一台のバスに、三人の女学生が乗っていた。

 高羽朝葉、市井聖、九頭竜つゆの三人である。

「しかしまあ、あたしらも、よく懲りずにこのバス使うよな」

 長い金髪を後ろの座席にまで垂らし、独り言のようにつぶやいたのは市井聖だ。

「だって、他に選択肢ないじゃん」

 その金髪を後ろから三つ編みにして遊んでいるのが、高羽朝葉である。

「あ、学校に行かないって手もあるか」

「おまえはどのみち授業聞いてねえから、それでもいいかもな」

 二人と通路向かいの席に座って、九頭竜つゆは膝の上で本を開いている。

「留年して、一年伸びるだけよ」

「あたしらが卒業したら、朝葉、一人でがんばれよ」

「えっ、この変な現象、年単位で続くの……?」

 朝葉が思わず聖の髪を引く。聖が痛そうに顔をしかめる。

「……けど、こないだみたいのはもう勘弁だな」

「だね……」

「ほんとに、存在してるのかしら。あの世界」

 つゆが、本に目を落としたまま言う。

「どうなんだろうな。あたしらしか知らなくて、そのあたしらだって、行き方もわかんねえ場所だもんな」

「夢見てるのかな。三人いっしょに」

 朝葉が金髪をいじりながらつぶやく。

「起きたら傘が切り刻まれてる夢とか、怖すぎるだろ」

「夢遊病にしてもずいぶん猟奇的ね……。タオルも焼け焦げてたわ」

「うーん、じゃーやっぱりあるんだよね、ほんとに」

 聖とつゆは、考え込むように黙ってしまう。


 バスは山手を抜け、市街地へ入る。

 にぎやかさを増す街並みの中でも、その真っ青の車体は、ひときわくっきりと風景の中から浮かび上がっていた。しらじらしい装飾もなければ、猥雑な広告もない、潔いほど青一色の車体。しかし、その車体に、ひとつだけ不可解な意匠があった。

 かつて、黄水市にはマスコットキャラクターがいた。いた、と言うよりも、あった、という方が適切かもしれない。いや、正確を期するなら現在もと言うべきだろう。

 黄水市の特産は、山あいの段々畑から産するブルーベリーである。十数年ほど前、全国でご当地のマスコットキャラクターが町おこしの切り札として乱造された時、黄水市もまたその波に乗ってマスコットキャラクターを生み出した。

 結果から言えば、そのキャラクターは、市民からも、外の人間からも、まるで受け入れられなかった。産み落とされたキャラクターは、誰の目から見ても、明らかに異様だった。

 既に雨後の筍のように増殖していたご当地キャラクターたちの中で差別化を図るべく、黄水市当局は、既に一個の名物として確立していた、その真っ青な市バスに目をつけたのだった。

 市バスをそのままキャラクター化してしまおう。そんな安易だが奇抜な発想で、親しまれていた市民の足が、とつぜん珍妙なキャラクターとして再誕した。

 象徴的な深い青色の車体はそのままに、側面に古い漫画から抜け出てきたような目玉が二つ描かれた。白い楕円に、黒い小さな点が添えられただけの、極めて単純な造形である。それが、どういうわけか車体の前方ではなく、側面に描かれた。恐らくは走っている際に目につきやすい位置に描かれたのであろう。しかしその目玉は、自律したキャラクターの顔を構成する要素には見えず、ただバスの側面に寄生した不気味な目玉そのものとしてしか認識されなかった。

 こうして、黄水市のマスコットキャラクターは、人々の記憶からも、公的な記録からも、ほとんど死んだまま生き続けている。市バスの車体に、あっけらかんと見開かれた、二つの目玉を残したまま……。


「ひじりん、髪ゴム持ってる?」

「ん? ああ、リュックのどっかに入ってる」

「出して出して」

「なんでだよ、めんどくせえ……ていうかおまえ、やり切ってんじゃねえよ」

 朝葉の手の中で、美しい黄金色の三つ編みが完成していた。

「あーあ、今からほどいても、クセついてるやつだろ、これ」

「ゴムなら、あるわよ」

 つゆが簡素な黒い髪留め用のゴムを取り出した。

「黒だから、目立つかもしれないけど」

「さんきゅー、姫」

 朝葉が受け取って、編んだ毛先をきつく縛る。

「おいおい……、高校入って初めてだぞ、三つ編みとか。ていうか小学校んとき以来じゃねえか。……まあ、別にいいけど」

 バスの窓ガラスに映して、聖が慣れない三つ編みを持ち上げる。

「いいじゃない。外国の、人形みたいで」

「人形になりたい願望はねえんだけどな」

「ひじりんの人形が売り出されたら、わたし、買うよ?」

「そりゃ、どうも」

 聖は窓ガラスをのぞき込む。顔を映したその表面に、そっと触れる。そのまま、ぐっと顔を近づける。

「なになに、ひじりん、そんなに気に入った?」

「このガラス……、やけによく映るな」

「モデルがいいんだよ」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 バスは石畳と並木の美しい坂道に差しかかった。じきに、学校前のバス停に着くはずだ。

 つゆが本を仕舞い、定期入れを取り出す。

「今日は今のところ大丈夫みたいね。妙に窓が反射して外が見えづらいけど」

 バスのアナウンスが、高校前のバス停の名前を告げる。

「こないだので最後ならいいんだけどな。戦争なんて、もう懲り懲りだよ」

「平和がいちばん!」


 バスが停車する。

 聖が先に立ち、三人は並んでバスを降りる。運転手に定期券を見せた聖が、降り口に足を掛け、急に止まった。

「ちょっ、ひじりん、いきなり止まんないでよ」

 そう言った朝葉の表情も、固まった。

 つゆが車内を見回し、つぶやく。

「何、これ……」

 バスの向こうには、またバスがあった。降りた先にバスが停車しているという意味ではない。バスの降り口が向かい合わせるように、二つのバスが直結している。

「鏡だ……」

 降り口を前に、聖が言う。その視線の正面に、降りてくる三人の姿が映っている。バスの外はわずかも見えない。降り口の開口部が、上から下まですっぽりと鏡のように反射して、三人の行く手を塞いでいた。

 

 

 

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