偽装

「ふう、ちょっと食い過ぎたな」

「かなり食べたわね」

 あれだけ大量に盛り付けられていた大皿の料理も、ほとんど空になっていた。

「朝葉の手料理もひさびさだったな」

「おいしかったわ。ごちそうさま」

「そりゃ、どういたしまして。ただの肉そぼろ弁当ですが……」

「いい肉そぼろだった」

「ちゃんと毎日料理してる人の料理だったわ」

「そう? それじゃあ、今度二人で、うちにご飯食べに来なよ。納豆もあるし」

「おまえんち遠いからな」

「やっぱ、それね」

 弁当箱を片付けようとした朝葉の手を、つゆが止めた。

「待って。それ、もらっていい?」

「え、どれ? これ?」

「そう」

「いいけど、こんなの、どうするの?」

「ちょっと、試したいことがあるの」

 つゆは弁当箱から何かを取り出し、鞄の中に仕舞った。

「さて、どうしようか」

 聖があぐらをかいたまま、背筋を伸ばして二人を見る。

「上の村へ抜ける道を偵察に行くのよね?」

「そうだな。一応見ときたい」

「三人で行っても目立ち過ぎるし、誰か一人でこっそり見に行く方がいいかもしれないわね」

「でも、一人でも目立つよね。明らかに別の生き物だもん」

「朝葉、もう少し、見た目もここのやつらに寄せれないのか?」

「おっけー、とか言って、パッと顔色が変わって手が生えてきたら怖いでしょ」

「おまえならあり得るんじゃねえか」

「どんなイメージよ?」

 朝葉は自分の腕を調べ、異変がないことを確認する。

「変装できないかな?」

「別人に変装するならまだしも、別生物だぞ?」

「うーん、例えばさ、あの傘みたいに形が変わる頭を、ビニール傘で代用して……」

「透明な部分を隠すように、スカートを被せたらどうかしら」

「やってみよう!」

 何の同意もなく、しかしごく自然に、朝葉が変装役に選ばれた。ビニールの残った朝葉の傘に、干していたスカートが被せられる。腰回りはほどよい直径になるよう輪ゴムで縛られた。

「スカートの長さが足りねえな」

「顔さえ隠れたらいいんじゃないかしら」

「朝葉、ちょっとこれ持って立ってみてくれよ」

 朝葉がスカートの被さった傘を持つ。

「角度がきつ過ぎて、顔が丸見えだな。もうちょっと傘をすぼめてみようぜ」

「あんまり閉じるとスカートが落ちるわよ」

 言われた通りに、朝葉は微調整を繰り返す。

「うん、まあ、そのくらいかな」

「けど、これは……」

「幼稚園のお遊戯会のレベルだな」

「頭はいいとして、手足だけ白過ぎるわね」

「朝葉、あたしのスカートはいてみな」

 言われるがまま、紺色の水着に、紺色のスカートだけを着た妙な出で立ちの朝葉ができあがる。

「やっぱりまだ膝から下が白いわね。腕は傘で隠すとして」

「朝葉、今日も靴下は短いやつだろ?」

「うん、あそこに干してるやつ」

「あたしも似たようなもんだし、つゆの紺のハイソックスはいてみたら?」

「わたしの……? まあ、別にいいけど……」

 既に奇怪だった姿から、さらに紺色の靴下を思い切り伸ばした異様な装いが完成した。

「こんなもんかな」

「変装というか、仮装ね」

「今年のハロウィン、決まったな」

「大丈夫? 変態に見えない?」

 つゆがその姿をスマホで撮影して、朝葉に見せる。

「やっべ……、本気の変態じゃん」

 改めて写真を見たつゆが、変な鼻息を漏らす。

「けど、遠目で見たら、何もやらないよりはマシじゃねえか?」

「全体的な色の印象は近いし、人間よりはまだここの住人らしいわ。いざとなったら言葉も話せるし」

「じゃあ朝葉はこれで行ってもらうとして」

「これで最終オッケー出ちゃうんだ……」

「あたしらはどうする?」

「村で情報収集したいわ」

「そうだな。……っていうか、言葉はどうすんだ?」

「あ……」

 二人が同時に朝葉を見る。

 被ったスカートの下から、朝葉の手が伸びて、聖の肩を叩く。

「選手交代」

 聖が、組み上げられたばかりのヒューマノイドのような顔をして、朝葉を見つめ返す。そのまま、表情を変えずにぽりぽりと頭を掻き、言った。

「仕方ねえな。言い出しっぺはあたしだし。……つゆ、靴下借りるぞ」

「え、あ、うん……」

 朝葉の異様な姿が、丸ごと聖にコピーされる。

「ひじりん、似合ってるよ。……でかいけど」

「金髪もぎりぎり傘で隠れてるし、いけるんじゃないかしら。ただ……さすがに大きいわね」

 つゆがまた写真に撮って、聖に見せる。

「あー……。まあ、どうにかなるだろ」

「なるんだ」

 聖も傘の開き具合を微調整して確認する。

「それじゃあ、市井さんは上の村へ抜ける道の偵察、わたしと高羽さんは村で情報収集、それでいいかしら?」

「ああ」

「りょーかい」

「朝葉、道は聞いてるんだよな?」

「うん、ばっちり」

「戻る時間は……」

 つゆが腕時計で時間を確認する。

「日が暮れるまでには戻りたいから、そうね、四時にはここに戻るってことでどうかしら」

「あと何時間だ?」

「今が二時前だから、あと二時間くらいね」

「あたしはただちらっと様子見て帰ってくるだけだし、たぶん先に戻って待ってると思う」

「荷物持って行くよね?」

「そうだな、干してる制服だけ置いて行く」

 穴の外を見ると、雨はいつしか小降りに変わっている。

「ちょうど雨も弱まってるし、さっそく出よう」

 三人は簡単に身支度を済ませ、白くけぶる垂直の空に向かって洞窟を後にした。


 朝葉から聞いた道順を一人たどっていくと、ひときわ狭くなった足場が続く場所に出た。手前には黒い実をつけた蔓草が、壁面を覆うように繁っている。

「ここだな」

 聖は岩影に隠れながら、道の先を眺めやる。途中に細い滝が流れ落ちており、道は滝をくぐって向こう側へ続いている。

 何者かが遠くに立っているように見えるが、ちょうど滝の陰になっていて、はっきりと判別できない。聖は足音を忍ばせ、壁面に沿うように近づく。蔓草の前で一度立ち止まり、また様子をうかがう。

 やはり誰かいる。あれが聞いていた上の村の見張りか。見たところ一人のようだが、もう少し近づかなければ断言はできない。一人であれば、強行突破の余地もある。人数の確認は重要だ。聖はさらに近づく。

 滝の音にまぎれて、話し声が聞こえはじめた。見えている見張りの一人が、岩影に向かって会話をしている様子が見える。やはり一人だけではないようだ。まだ気づかれてはいない。もう少し近づけるだろうか。じりじりと、息を潜めて歩み寄る。ちょうど影になった滝の裏の薄暗がりを、ゆっくりと進む。

 見えた。岩に隠れていたのは、一人だ。これで、合わせて二人。岩の後ろにいた一人は、石槍のような武器を持っている。細い道を塞ぐように陣取っているので、相対せず通り抜けるのは難しそうだ。迂回できる余地もないし、暗闇に乗じて抜けるには見張りに接近し過ぎる。

 ひとまず、偵察はこのくらいでいいだろう。見張りをにらみながら後ずさろうとした聖の背後で、

「オぽセホタ」

 とつぜん、声がした。

 ぎょっとして振り返ると、この世界の住人をそのまま小型にしたような生き物が立っていた。

「子供……?」

「ゲをやソ、オりじくベオン」

「しーっ、静かにしろ……!」

 声を聞きつけて、見張りたちが寄ってくる。

「まずいな……。おまえ、走れるか?」

 急かすように背を押した拍子に、子供の足がもつれ転倒した。振り向くと、見張りの二人がすぐそこまで迫っている。

「くそっ、やべえぞ……。こいつ放って逃げるか? まさか子供まで捕まえたりはしないよな……。いや、けど戦争だろ……子供も大人も関係ねえのか……?」

 聖の動揺が伝染したのか、子供もすぐに立ち上がれずうろたえている。

「ああ、もう! ほら、立て!」

 子供の身体をつかんで無理やり立ち上がらせようとするが、まるで持ち上がらない。

「おまえ……、子供のくせに、重いな……」

 必死に抱え上げようとする聖の腕に、何かが巻きついた。強烈な力で後ろに引っ張られる。右腕に、左腕に、腹に、ゴムのように伸びた見張りの腕が絡みつく。手のひらに並んだ吸盤が、聖の肌に吸い付く。そのまま聖は、見張りの足元に引き寄せられ、地面に叩きつけられた。

「ぐっ……、なんだこの力……」

 まるで中身の詰まった箪笥に押し潰されているように、身動きが取れなかった。無理やり首を捻じ曲げて見上げると、聖を押さえつけている見張りの後ろから、石槍を持ったもう一人が近づいていた。

「まさか、その槍は……、使わねえよな……?」

 絞り出すように漏らした声も、異形の生物には通じない。甲高い叫びを上げながら、子供が走って逃げて行く。思い切り力んでみるが、押さえつけた腕はびくともしない。

「やべえな……、これは……」

 這いつくばった身体に、滝の飛沫が降り注ぐ。地面にこすり付けた頬の横を、一筋の水が流れていくのが妙にくっきりと見える。

 もがくのを諦めた瞬間、遠くから声がした。

「メアヌリぺァつ!」

 身体にまとわりつく触手のような腕が、ぴくりと反応するのを感じた。

「ぶごぐァろ、グキ、たゆォプチうぶバぱやリ」

 とつぜん、こめられていた力が緩んだ。巻きついていた腕が、するりと離れる。聖は、ゆっくりと上半身を起こした。

 見ると、二人の見張りの背後に、別の個体が現れている。聖には顔の見分けがつかなかったが、恐らく新たに現れた何者かが、聖の拘束を解くよう指示したのに違いなかった。

 注意深く様子をうかがいながら、聖は立ち上がる。乱暴に押さえつけられてはいたが、怪我はないようだ。

「バルりボテツ、じゲペケげルツス」

 三人目が、何やら聖に話しかけているようだ。しかし、当然理解できるはずはない。

 聖は考える。見張りの二人は、きっと自分たちの存在を知らないはずだ。ただ村の境に近づいてきた不審な生き物を捕らえただけだろう。しかし、三人目は何者だ。騒ぎに気づいて集まってきた、ただの村人だとは思えない。その指示によって拘束が解かれたのは明らかだ。あからさまに怪しい者をすぐに解き放つ道理はない。それなら、自分たちのことを知っていると考える方が自然ではないか。

 既に、自分たちの存在がバレている……?

 けれど、それなら……。

 聖は深く息を吸い込んだ。

「おまえら、耳がどこにあんのか知らねえけど、よく聞いとけ!」

 捕まった時に、傘は落としていた。変装を解き、神の姿で、聖は言葉を続けた。

「元は同じ村の仲間のくせに、ぐだぐだ争ってんじゃねえ! いつまでもこっちの村にくだらねえ嫌がらせ続けるんなら、うちのつゆが……、姫神が黙っちゃいねえからな、覚悟しとけ!」

 聖は出せる限りの大声で、叫んだ。言葉は何でもよかった。ただ、神の怒りが伝われば、それでよかった。見張りたちは、黙って聖を見つめている。もっとも、彼らが何を考えているのか、聖にはさっぱりわからなかった。

 聖は言い終わると、しばらく三人をそれぞれにらみ付けてから、じっくりと時間をかけて、見張りたちに背中を向けた。そして、決して振り返らず、着実な足取りで、一歩一歩、焦る気持ちを押さえつけながら、ゆっくりとその場を離れた。

 最後に現れた三人目が、聖が神だと知っている可能性に賭けた。神だと知った上で拘束を解いたのなら、そのまま神を演じ切れば、この場はこれ以上手を出されないかもしれないという不確かな期待が、どうやら当たったようだった。

 ずいぶん距離を取ってから、聖はようやく振り返った。見張りたちは滝の陰に隠れて、もうその姿は見えなかった。

 

 

 

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