来臨
「で、何を話したんだ?」
「どんなことでも手がかりになるわ。最初から、できるだけ残らず教えて」
朝葉は、人差し指をとんとんと顎に当て、ひとつずつ思い出すように、ゆっくり語り出した。
「初めになんて言ってたかは、わかんないんだ。途中から、なんとなく意味がわかる気がしてきて、わたしも同じ言葉がしゃべれるんじゃないかと思って、喉が動くのに任せて、言ってみたんだ」
「何て言ったの?」
「こんにちわ」
「……のんきだな」
「だって、まずはそれじゃない?」
「そうね、挨拶は大事だわ……。それで、次は?」
「村長さんが、こんにちはでございます、みたいな、かしこまった挨拶を返してくれたよ。それで、おお、会話できるじゃん……ってなって、次は、あなたたちは誰ですか? って聞いてみた」
「的確ね」
「そしたら、我々はこの上にある村から来た者で、わたしがその村長だ、みたいなことを言ったから、なんか用ですか? って聞いたの」
「玄関先のやり取りかよ……」
「その時だね、神々御一行様みたいに言われたのは」
「神々御一行……。旅館の立て看板みたいね……」
「それで、神様って言われてさ、ちょっといい気分になるじゃん? で、確かに神様だけど、なんでわかったの? って聞いたんだよ」
「めちゃくちゃだな」
「けど、結果的にそれで撤退してくれたのよね……」
「うんうん、ビビってたよ。そんなにビビらなくていい、恐れるな、って言ってあげた」
「言動がすっかり神だな」
「なんかさ、わたしたちバスで来たじゃん? それが、ここの人たちには神の乗り物として神話みたいに伝わってるらしくて、わたしたちが降りてきたとこを村の誰かが目撃してたらしいんだよ。それで、ヤバいヤバい、神話に出てくる神の乗り物がマジで現実に現れた! ついでに神様みたいなのも降りてきた! 大変だ大変だ! って村に帰って、村長さんを呼んできたってことみたいよ」
「……おまえの妄想じゃねえよな?」
「ちがうちがう、バイリンガルを信用して」
「でも、どうしてわたしが……、その……一番偉い神様なのかしら」
「見た目じゃねえの? つゆだけ制服だし、ちょうどあたしらが護衛みたいに立ってたし」
「姫のオーラが出てたんだよ」
「そ、そうかしら……」
つゆはまんざらでもなさそうに、頬を染めてうつむいた。
「で、あいつらは神御一行になんか用なのか?」
「うーん、どうなんだろ、聞く前に帰っちゃったから」
「またあとで来るって言ってたの?」
「うん、使いの者をよこすって言ってたよ。村に来て欲しいんじゃないかな」
「つゆ……、どうする?」
つゆは少し考えてから答えた。
「危害を加えるつもりがないのなら、従っておいてもいいんじゃないかしら。今のわたしたちに必要なのは情報だわ。それに、通訳もいることだし」
「任しといて」
「よし、じゃあ、決まりだな。ひとまずは、名も知らぬ神々を演じることにするか」
さほど間を空けずに、再び穴の入口に一体の影が現れた。三人は顔を見合わせ、軽くうなずき合うと、その一体に続いて穴を出た。
滝は既に止み、細くしっとりとした雨に変わっている。つゆは前を歩く異形の生物を、つぶさに観察していた。
青みがかった濃い灰色のざらざらとした皮膚で全身が覆われ、先ほどの尖った頭とはまるで形状の違う、扁平なクラゲの傘のような頭部を持っている。そのせいで、初めの印象よりもずいぶん背が低く見えるが、違っているのは頭部の形状だけのようなので、恐らくは同種の生き物だろうと思われた。
衣服は身につけていない。手足は合計八本あり、頭の傘から繋がった四本の腕らしき物が、体軸を中心とした同心円状の前側に二本、後ろ側に二本生えている。足も同じく四本あるが、腕の位置とは互い違いにずれており、前に一本、左右に一本ずつ、後ろに一本、菱形に配置している。その四本の足を複雑に動かしながら、完全に直立して歩いている。
足の形状は、象のそれを思わせた。丸太のように均一な太さの足が、軟体動物のように関節の存在を匂わせない自由な動きで屈曲や伸縮を繰り返している。もし骨を持たないのだとすると、体重を支えるために相当な強度の筋肉を持っているはずだ。間違っても素手で格闘すべき相手でないことは明白だった。
腕はやや先細りになっており、四本か五本くらいのぶくぶくと太った指に、吸盤のような円形の組織が並んでいる。強いて地球上の生物に例えるなら、直立歩行と知性を獲得した蛸と言えるかもしれない。
「朝葉、相手が一人のうちに、なんか聞き出してくれよ」
「賛成だわ。時間が経つほど村の中でも言論統制みたいなことが起こる可能性もあるし、相手側もわたしたちのことをよくわかっていない今のうちに、聞き出せることもあるはずよ」
朝葉は声を出さずにオッケーと言う形に唇を動かし、指で了承のサインを作った。
「日本語はしゃべっても大丈夫だろ」
「いや、間違ってここの言葉でしゃべっちゃうかもしれないじゃん。バイリンガルのつらいとこだね」
「そんな胡散臭いバイリンガル、漫画の中にしか出てこねえぞ」
朝葉は先導する生き物に話しかけた。聖とつゆの二人から見ても、その会話はまるで現地の住人同士の会話のように自然に見えた。
「つゆ、あたしらの目的は、もう一つのバス停の情報を聞き出すことで間違いないな?」
「ええ。その情報さえ聞けたら、すぐに村を抜け出してバス停を探しましょう」
謎の多足生物と朝葉が並び、そのあとに聖とつゆの二人がついていく。道は滝と段差に幾度も遮られ、案内人はそのたびに細かく迂回しているようで、道順を記憶するのは困難だと思われた。切り立った地形に相応しく、至るところに階段や梯子のように削られた壁があったが、神である三人に配慮してか、険しい登攀や滝をくぐる道は避けているようだった。
妙に気さくな会話に区切りがつき、朝葉がつゆの隣に戻ってきた。
「いやー、なんか、ぐいぐいくる人だね」
「バス停の場所はわかったか?」
「わかんない。ていうか、この人は知らないっぽいね。いろいろ聞こうと思ったけど、マジでなんにも知らないみたいで、逆に根掘り葉掘り聞かれちゃったよ」
「どんな会話だったの?」
「こっちからの質問に答えてくれたのは、まず、この人がバスとそこから降りるわたしたちを目撃した本人だってこと。発見した手柄を横取りされないように、今回の案内役を買って出たみたい。なるべく顔を突っ込んで、発言権を得たいっぽい雰囲気だね。家族にいい暮らしをさせるためにも、村でのポジションを今より上げていきたいらしい」
「思ったより、人間くさいわね……」
「そう、ほんとに近所の話好きのおばちゃんみたいに、ぐいぐいくるんだよ。神様はどこから来たの? とか、あの箱は何人乗りなの? とか、その武器どうやって使うの? とかさ」
「武器?」
「傘のことじゃないかな」
「いちいち答えたのか?」
「うん、黙っとくのも怪しいかなーと思って、適当に答えといたよ。神様として」
「それで、村や、この世界のことは何か聞けたの?」
「いや、この人の私生活に詳しくなっただけ」
「……先行き不安だな」
「ちなみに、名前はヌパヅノさんらしい」
「村長から聞き出した方がいいわね」
つゆが鞄からスマホを取り出し、周囲の風景に向けてカメラのシャッターを切った。
「さっきから、何撮ってるんだ?」
「最初に迷い込んだ世界も、次のアメーバがいた荒野も、思えば写真に残してなかったのよ」
「確かに、それどころじゃなかったもんな」
「今のところ、ちゃんと写真には写ってるみたいだわ。元の世界に帰った時にどうなるかはわからないけど、できる限り記録を残しておこうと思って」
「動画サイトに載せたら、すごいことになるんじゃない?」
「CGと思われるだけだろ」
「どらカじろ、ネこボ?」
案内人のヌパヅノがつゆのスマホをのぞき込んだ。とっさに鞄に仕舞い込む。
「それ何、って聞いてるよ」
「ええと、そうね……。何かそれっぽく答えておいて」
朝葉が何やら伝えると、ヌパヅノは黙って視線を前方に戻した。
「超ヤバい神の兵器って言っといたよ。起動したら、この辺りを残らず破壊し尽くすって」
「危ねえな……」
三十分ほど歩いだだろうか、一行は横穴が無数に並ぶ一帯に出た。案内人と同じ風貌の生き物があちこちに確認できる。
「着いたらしいよ」
つゆがまたスマホを取り出したが、ヌパヅノがびくりと身体を縮めたのに気づき、慌てて鞄に仕舞った。
そこは、村と言うよりは、巨大なマンションを思わせた。地形の特性上、広い平地の確保が困難なためか、細長い土地にずらりと横穴が並び、それが何段も階層状に積み上がっている。
「そこそこの規模だな」
「あれは、水田かしら」
下層には人工と思われる大きな池があり、繁茂した水草の周りで住民たちが何やら作業に勤しんでいるのが見える。
「ここの地形自体が、地面も壁面も全部岩盤だから、水草の方が育てやすいんだわ」
「雨とか滝とか、水ばっかだし、土なんて残らず流れちまうんだろうな」
「あ、村長来たよ」
村の奥から、何人かの住人が連れ立って歩いてくる。
「よく見分けつくな」
「なんとなく」
村長らしき存在を中心に、左右に一人ずつ、合わせて三人の青黒い生物が、人間三人の前に並んだ。
「真ん中が村長か?」
「たぶん、そう」
「頭の形がさっきと違うぞ」
「なんでだろ、また聞いとくよ」
村長が再びひざまずき、左右の二人も倣う。朝葉が何か声をかけると、生物たちはおずおずと立ち上がった。
村長たちは三人をひときわ大きな洞窟の中に案内した。既に中で別の二人が待っており、人間たちを見ると同じようにひざまずき、それに朝葉が声をかけるという一連のやり取りを繰り返した。村人側はこれで五人になり、村長を中心にして奥の壁を背に陣取り、朝葉たちを入口側に座らせた。敷物代わりか、大きく柔らかい葉が重ねられた上に、神々はそれぞれ腰を下ろす。
「ホぺせ、そエサぎたうタ、ヒふプをおほソ」
村長が厳かに口火を切った。
「朝葉、通訳頼む」
「オッケー。……汚い場所で申し訳ないって言ってる」
「電気がないのはいいとして、火もねえのかな」
「かなり薄暗いわね」
「火はないのか、って聞いてみる?」
「いえ、いいわ。さっそく、ここに呼んだ要件から聞こうかしら」
「りょーかい」
朝葉と村長が、一言ずつ言葉を交わす。
「えーと、まずその前に、神々は何の用事で下界に降りてきたのか、と聞いてる」
「質問に質問で返すと神の怒りを買うぞ、って言ってくれ」
「神様まだ信用されてないのかな?」
「いいわよ、とりあえず、そうね……。何か下界に不吉な兆しが見えたから、様子を見にきた、って伝えて」
朝葉が通訳すると、村人たちが一斉にざわついた。
「つゆ、不吉な兆しってなんだ?」
「わざわざ神様を村に呼ぶくらいだから、何か問題を抱えてるんじゃないかと思って」
「なるほどね」
村長が何やらぼそりとつぶやく。
「さすが神々はすべてお見通しだって驚いてるよ」
「当たったみたいだな」
「これで、村に呼んだ理由にも繋がったわね」
「姫……、女神様、いや、姫神様、次は何を聞きましょうか?」
「とりあえず村の現況を聞きつつ、うまくバス停のことも探りたいところね」
「がってん承知」
朝葉が問いかけると、村長はぽつり、ぽつりと、語りはじめた。
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