神々

 雨は依然として降り続けている。

 分厚い岩盤の層を穿ったように、壁面に対して垂直に空いたほら穴の中に、三人はいた。

「何にしても、帰りのバス停を見つけなきゃな」

「手がかりはさっきの石のバス停だけね」

 制服の水滴を払いながら、つゆが言う。どうやらハンカチで拭くのは諦めたようだ。

「しかしなんでまた、バス停が石になっちまったんだろうな」

「もしかして、髪の毛が蛇の人がうろついてる……?」

 朝葉が頭の上で両手をくねくねと動かす見慣れないジェスチャーをする。

「髪の毛が蛇の人はなんでもかんでも石にするわけじゃないわよ。だいたい、バス停がそのまま石化した感じじゃなかった。何というか……、鍾乳石みたいだったわ。長い時間をかけて、成分が少しずつ積もって固まったように……」

「でも、鍾乳石って言ったら、鍾乳洞にあるやつでしょ? 何であんなとこにあったんだろ」

「似たような物なら、都会の中にだってあるわ。それに……」

 つゆが穴の外を眺めやる。

「あの雨……、少し濁ってる」

 朝葉は自分の腕を撫で、濡れた指先をまじまじと観察して首を傾げる。

「さっきの滝だってそう。きっと何かの成分が濃く混じってるんだわ。それで、長い間同じ水を浴び続けて、バス停が石筍のようになったんじゃないかしら」

「せきじゅん?」

「鍾乳洞の地面から、逆向きのつららみたいに立ってるアレよ」

「あー、アレね」

「洞窟の天井から垂れる石灰のような成分が、少しずつ堆積してできるのよ。あのバス停も、何かの成分が含まれた水をずっと浴び続けたせいで、あんな姿になったんじゃないかしら」

「へー、すごいね。つららもすごいけど、鍾乳洞の内部事情にまで通じてる姫もすごい」

「それだけ知識あって、なんで理系科目ダメなんだ?」

「理系がダメなわけじゃないわよ。数字が苦手なだけ」

「たくさん知識貯め込む方が、足し算引き算よりよっぽど大変そうだけどな」

「足し算くらいはできるわよ……」

 つゆが細い指先で眼鏡を押し上げる。

「で、どのくらいの時間かけたら、あそこまで固まるんだ?」

「そうね、確か石筍は数百年で数センチくらいだったと思うけど」

「マジかよ」

「歴史の生き証人じゃん」

「生きてもねえし石にもなってるけどな」

「とにかく、バス停である以上、必ず一対であるはずだわ。もう一つを探しましょう」

 つゆは折り畳み傘を広げ、ほら穴から出る準備をする。

「普通は道の向かいにあるんだろうけど、向かいが空だからな」

 聖もビニール傘を構えたが、後に続く朝葉の何気ない一言で、その動きが止まった。

「晴れたら、空の向かい側が見えるのかな」

 不吉な沈黙が、見合わせた三人の間に満ちてくる。詳しく語らずとも、三人の脳裏によぎった不安は同じだった。

 バス停が、空のにあるかもしれない。

 だが、すぐに勢いよく傘を開く音が、沈黙を破った。

「大丈夫だ。空の向こう側なんてどうせ見えねえんだから、バス停があるかもわかんねえよ」

「めちゃくちゃな理屈だけど、今はそう考えるしかないわね」

「よし、そうと決まれば、さっそく探索に出発!」


 意気込んでほら穴から出ようとした三人だったが、出足を挫くように、再び洞窟内に轟音が響いた。穴の入口を滝のカーテンが塞いでいる。

「急に強くなったわね」

「これ……雨じゃなくてさっきの滝みたいだぞ」

 穴から出した聖の手を、激しい水流が打つ。

「どこか上の方に溜まってた水が、一気に流れて落ちてきたのかしら」

「しばらくしたら止むかな?」

「どうだろうな。無理にでも動いた方がいいんじゃねえか」

「この激しさは、傘じゃ防げないわよ。レインコートがあればよかったけど……」

 決めかねて外を眺める二人の肩を、朝葉が同時に叩いた。立てた親指をくいくいと自分に向け、不敵に笑っている。

「なんだよ」

 とつぜん、朝葉は二人の目の前で濡れた制服を脱ぎ去った。

「ときどき、自分が怖くなるよね」

 一瞬で学校指定の紺色の水着へと早着替えした朝葉が、穴の外へと一歩踏み出した。

「わたしって、未来がぼばぼぼぼぼ」

 容赦ない水流が朝葉の言葉を掻き消す。飛び散った水飛沫をつゆが傘で受け止める。

「ははは、いいじゃん。何言ってんのかわかんねえけど」

 聖も大きなリュックサックから水着を取り出して、制服を脱ぎはじめる。

「ちょっと、市井さん……!」

「つゆも着替えたら?」

 瞬く間に上半身が露わになる。下着に手をかけた瞬間、つゆが慌てて目を背ける。赤面した顔でちらりと振り返った時には、既に着替えは完了していた。

「思ったよりぬるいし、全然いけるな」

 肘まで飛沫にさらし、温度を確かめたあと、聖も滝の中に飛び出した。

 降り注ぐ滝の中、二人でなにやらはしゃぎ合っているが、轟音のせいで、まるで聞き取れない。つゆは水着の入った鞄を握りしめ、水のカーテンに遮られた二人の様子をじっと見つめていた。

「あー、もう制服には戻れねえな」

 プールから上がってきたように全身から水を垂らしながら、二人が穴に入ってきた。

「あれ、姫は着ないの、水着?」

「つゆも着替えた方がいいんじゃねえか。滝がどこそこにあるんなら、つゆも自分で言ってた通り、傘は役に立たねえぞ」

 聖は傘を広げると、骨からビニールを剥ぎ取り、何枚かの断片にちぎって、財布とスマホを別々にくるんだ。

「ほら、おまえもやっとけよ、大事なもんだけ」

「おっ、ひじりん、天才」

 聖と朝葉はてきぱきと貴重品をビニールで包み、リュックサックに突っ込んでいく。

「はい、つゆの分」

 聖がつゆにビニールを手渡す。しかしつゆは受け取ろうとしない。

「わたしは……、いいわ」

 つゆは傘を広げた。

「行くんでしょ。わたしは、このまま行くわ」

 二人が、とつぜん驚いたように目を丸くする。

「つゆ」

「平気よ。こんなところで裸になるよりは、ずぶ濡れになる方がマシだわ」

「違う」

「違わないわよ。露出狂じゃないんだから、水着でうろうろする趣味はないの」

「違う、つゆ」

 聖がつゆに手を差し伸べる。

「ゆっくり……、こっちに来い」

 つゆはようやく、二人の視線が自らに向けられていないことに気づいた。つゆの肩越しに洞窟の入口を見つめる二人の顔に、何かの影が動いた。

 ゆっくりと、つゆは振り返る。

 洞窟の壁に映る影が、ひとつ、またひとつと増えていく。聖が乱暴につゆの片腕を引いた。

 三人の目の前で、洞窟の穴に、異様な形状の影がずらりと並んだ。聖が一歩前に出る。朝葉が続いて踏み出し、つゆの前に二人が並ぶ。聖は持ち前の勇敢さで、無意識に前に出たに過ぎない。朝葉にとっては、つゆは名実ともに姫だった。ここぞという時には、理屈よりも先に守るべき存在なのだ。

 前に立つ二人の背中から、緊張が油を絞るように滲み出るのがわかる。少しだけ見える横顔からは、噴き出しそうな恐怖が、嫌というほど伝わってくる。つゆは守られるだけの我が身を恥じたが、それでも足は動かなかった。二人の肩越しに見える異形の影が、つゆの身体を凍りつかせた。

 影は、人間の姿をしていなかった。そして、三人が知るどんな生き物の形とも違っていた。人間の胸ほどの背丈を、太さが均一な何本かの足が支えている。その上に、さらにいくつかの腕のような物がだらりとぶら下がり、肩はなく、とんがり帽子のように尖った頭がそのまま腕に繋がっている。

 聖が、骨だけになった傘を構える。朝葉も、閉じたビニール傘を握りしめる。

 じりじりとした緊張が続く。影は動かない。入口に見えているだけで四体。外にはまだいるかもしれない。洞窟の奥は行き止まりだ。他に逃げ道はない。

 このまま消えてくれればいいが、もし入ってくるようであれば、傘を振り回して、二人が逃げる隙を作る。聖はそう考えながら、一歩、足を踏み出した。

「ピなッなでハモヂ!」

 ふいに、影が発声した。

「モぽぶナテタヒヌォ、ずワポ」

 影の一体が、触手のような腕を振り上げる。途端にすべての影が、その場にしゃがみ込んだ。四本の腕のうち、前側の二本を地面につけ、まるで拝むように三人に向かって伏せている。

「なんだ……?」

 聖は傘を構えたまま、警戒を緩めず状況を注視する。

「けソかチらぅざにセいゾぜリ、がペべよれ、ひユゾメセひぴせらげバパパム」

 貝殻をこすり合わせたような耳障りな声が、洞窟内に響く。統率された行動、音の複雑さと抑揚、声と動きのバランス、それらすべてから、この生物たちの中に動物的ではない知性が感じられた。三人に向けられたその声は、何かしらの意図を持って発声された言語であることは疑いないようだった。

「なんて言ってんだ……?」

「わからないわ……」

 異様な生物は身を低くしたまま、返答を待つようにじっとしている。

「今のうちに、走って出るか……?」

「いきなり飛びかかってこないかしら……」

 聖が、黙りこくった朝葉を横目で一瞥する。

「朝葉、どうする……?」

 身をかがめた生物たちを見つめたまま、朝葉の表情が固まっている。恐怖とも、困惑とも違う、それでいて、いつになく真剣な面持ちだ。

「どうした……?」

 朝葉は静止している。そして、聖を振り返ることなく、何かを確かめるように、ゆっくりとした口調で、言った。

「おっペ……ドぁソ」

 生き物たちが、一斉に身じろぎした。すぐに、その一体が言葉を返した。

「おっぺ、メミグぬけぷふぉ」

 縮こまった身体が、さらに小さくなる。まるで、何かを恐れているかのように。

「ヤギぐたばぃ……ぱぷしりェ……ペなれはわづ」

 朝葉が続けて言った。聖とつゆは、唖然としてその様子を見つめている。

「モモコズぶすイイ、かふセホじゼ、ぷりレぬねヅへメンヌト」

「アヌ、イポてギグぐ……ヨヌるづ」

 恐らくは集団の代表であろうと思われる一体が、朝葉と会話を続ける。しばらく奇怪な言語による応酬が繰り広げられたあと、朝葉がようやく二人を振り返った。

「大丈夫みたい」

「いや、大丈夫っつーか……」

 聖の脳内で、思考が現実に追いつかず、ぐるぐると回り続ける。

「ええと……、何からつっこんだらいいんだ?」

「また高羽さんの、例のやつだわ。今回は言語面で影響を受けてるみたいね」

「あー、つまり……」

「バイリンガルになっちゃった」

 朝葉がぺろりと舌を出しておどけてみせた。聖は口をへの字に曲げて呆れている。

「ここ以外じゃ、一生役に立たねえバイリンガルだな……」

「けどこの世界では、これほど心強いものはないわね」

 三人の目の前で、見慣れぬ生き物たちはしゃがみ込んだままじっとしている。

「で、こいつらはなんなんだ?」

「近くの村から来たみたい。さっきしゃべってたのが、村長さん的な人?」

「それで……、危険はないの?」

「危険もなにも、わたしたち、神様だってさ」

「神様?」

 聖とつゆが声を合わせて聞き返す。

「うん、姫が一番偉い神様で、ひじりんと、わたしが、お供の神様みたいだよ」

「お供の神様……?」

 聖が金髪をかき乱す。細かい水滴が飛び散る。

「あー、全然わかんねえんだけど……。とりあえず、落ち着かねえから、一回帰ってもらおうぜ」

「そうね。状況を整理した方がよさそう」

「神は長旅で疲れてる、って言っといてくれ……」

 朝葉と村長とやらが、再び短い会話を交わす。やがて生き物たちはぞろぞろと立ち上がり、滝の中へと消えていった。

 三人だけが残されると、思い出したように、また轟音が洞窟内を満たした。三人は、しばらく呆けたように、穴の外をぼんやりと見つめていた。

 

 

 

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