第5章 もう一度目覚めるまで ④

 バタンと乱暴にドアが開かれ、息せききってセフィルが部屋の中に飛び込んできた。


「セフィル…」


 約束どおり一睡もせずにエドガーの看護をしていたのだろう、マルスがセフィルの姿を認めて立ち上がった。


「『魔物の毒』を手に入れてきた。これをどうすればいいんだ?」


 小さな壷のようなものを取り出し、セフィルはマルスに尋ねる。


「どうやって…」


 手に入れられる筈など絶対に無いと踏んでいたマルスは、疑問の方が先にたった。が、セフィルは急ぐのだと説き伏せて、マルスに後を頼んだ。マルスは気になりはしたものの、こちらも一刻を争うものだと分かっていたので、セフィルから目的の物を受け取る。


 と、触れた指先に、感じるものがあった。


「…セフィル?」


 見上げると、いつもの表情。しかし、どこか違うもの。問いただそうとしたが、できなかった。

マルスはそのまま、毒を解毒薬に変えるための準備の為に、壷を抱えるようにして部屋を出て行った。


 マルスが部屋を出るのを見届けて、セフィルはエドガーのベッドの側に置いてあった椅子に腰を降ろす。


「もうすぐだよ、エドガー。もう少しだけ頑張って」


 そう呟くように話しかけると、セフィルはシーツの上に出ていたエドガーの手を取った。熱と毒で既に紫色に染まったそれに、セフィルは頬寄せる。


「…エドガー…」


 目を閉じて、しばしそうしたままのセフィルは、傍から見るにまるで何かを祈っているようだった。


「…フィル…」


 小さな言葉がエドガーの口からこぼれたと思うと、ゆっくりとその目が開かれた。高熱に潤む瞳がセフィルを捕らえる。


「怪我は、…ないか?」


 自分が大怪我をしておきながら、他人の心配などしている場合ではないものをと、セフィルは苦笑を返す。そのセフィルを、エドガーはもう一方の空いた方の手で引き寄せる。


「エドガー…?」


 普段に無い行動に、多少うろたえるセフィルの耳に、エドガーの声が届く。


「お前が無事なら…それでいい」


 その言葉の奥の意味に、セフィルは胸が痛くなる。


「結構、楽しいものだったな…お前とも旅も」


 そう言うエドガーの首に、セフィルは腕を延ばす。


「エドガーは、生きて。…俺、またエドガーと旅がしたい」


 そして、ゆっくりと腕を緩める。セフィルはいつも通りの笑顔を向けて、いつも通りに元気な声を出す。


「マルスが今、解毒剤を作ってくれてるんだ。エドガーは助かるから。すぐによくなるから」


 信じられないようにエドガーが見返してくるのを、セフィルは笑顔を崩す事はなかった。


 そこへ、早くも解毒剤ができあがったのか、コップに何やら怪しげな液体を注ぎ込んでマルスが帰ってきた。


「何とか間に合うといいんだけど…」


 と言って差し出したコップの中のものは、やはり毒々しい色を浮かべ、近づくと吐きそうなくらい酷い匂いがした。


「セフィルが手に入れてきてくれたんだから、しっかり飲んでね」


 高熱に朦朧とした表情の中にも、疑わしそうな色を浮かべるエドガーに、マルスは有無を言わせずコップを押し付ける。これが自分にできた精一杯なのだと付け加えて。


 エドガーはマルスからコップを受け取ると、何も言わずに一気に飲み干した。


「お見事。僕、さっきちょっと味見してみたけど、すっっっっごく酷い味だった。でもさすがはエドガー」


 茶化すようにそう言って、マルスは空のコップを受け取った。


「それから、薬の中に痛み止めも入れてありますから朝までゆっくり眠ってて。目が覚めたらきっと熱も下がってるよ」


 そう言って、マルスはさっさと引き揚げようとドアに向かう。ふと、立ち止まりセフィルに声をかける。


「疲れているとは思うけど、今夜は看病を頼んでもいいかな」

「えっ?」


 セフィルが振り返ってみると、背を向けたままマルスは続ける。


「明日の朝からは僕が責任持って面倒をみるから、今夜だけ、頼むよね」


 そう言うと、マルスはセフィルの返事も聞かずにバタバタと出て行った。


 しばしマルスの消えたドアを見やっていたセフィルは、小さく何かを呟いて、エドガーに視線を戻す。


 早くも薬が効いて来たのか、既にエドガーは眠りについていた。セフィルはエドガーの手を再び握り直す。


「もう少し、一緒にいても、いいかな?」


 セフィルは握り締めたエドガーの手に頬を寄せて、静かにベッドの上に上体をもたれかける。先程よりもずっと規則正しくなったエドガーの寝息に、安堵の笑みを浮かべる。


「エドガー…」


 目を閉じて、もう一度呟く。


 白く照らす月の光が次第に傾いて、ゆっくりと妖精の影を溶かしていった。



 涙のしずくがひとつだけ、こぼれて、消えた。




       ◇ ◆ ◇

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