第5章 もう一度目覚めるまで ③

 昼間の森は薄暗くても、それでも陽光の恵みを受けていた。しかし、夜の森は月の光を通さず、ただ暗く淀んだ空気を生み出していた。これが魔の物の気によるものだとは、セフィルも薄々気づいていた。が、引き返すつもりはなかった。


 人の姿をしていれば余計に魔を引き付ける。十を越えるモンスターを倒してからようやく思い直して、セフィルは姿を戻す。


 本来の、生来のもの。人ではないもの。


 一種の魔の物であるそれに、小さなモンスター達は思った通り近づかなくなる。おかげですぐに歩みは楽になった。それと同時に勘が冴えてくる。


 同種の匂いをかぎ分けるのは人の姿をしている時よりは随分はかどった。次第に濃厚になる魔の匂いに、ピクピクと耳が軽い痙攣を起こす。


「…近いか…」


 つぶやいた途端、目の前に現れたもの。


「魔族…っ!」


 さすがのセフィルも予想していなかった物の、いきなりの出現に身を強ばらせた。


 闇から溶け出たような魔の生き物だった。それは静かにセフィルを見下ろした。


「妖のモノが何用か?」


 闇から響くようなその声に、セフィルはぞっとした。これまでの旅で幾度か目にすることがなかった訳ではないが、これ程までに深い闇を見たことがなかった。それと同時に、どこか見知った近しいもののようにも思えた。


「あ、貴方がこの森にモンスターを出現させている元凶?」


 ストレートな言葉しか出てこなかった。相手はそれを不快と思うでもなく、わずかに目を細めてゆっくりとした口調で答えた。


「意識的なものではない。余りにこの森が純朴すぎたので、容易く私の力に染まってしまったのであろう」


 そう言ってその魔物は、興味なさそうに背を向けようとする。

魔物とは言っても、その外見に牙のひとつもあるわけではないが、その醸し出す独特の雰囲気が、人ならざるものを証明していた。外見ではなく、その存在そのものが人を恐怖させるのだった。


「ま、待ってっ」


 セフィルは怯む心を奮い立たせ、その魔物に声をかける。彼はセフィルの声にゆっくりと振り向く。


「あなたの作り出したモンスターの毒で、オレの連れが重症を負ったんです。魔の物の毒は魔の物の毒で中和ができると聞きました。お願いです。貴方が持つものを分けてください」


 そう言ってセフィルは駆け寄る。近づいてみて初めて知る。その魔物の瞳の色の深さに。ともすれば吸い込まれそうなほどだった。


「どうしても助けたいんです。その人、オレを庇ってモンスターにやられて…あの時庇ってくれなかったら、俺が死んでいたんです」

「…関係ない…」


 魔物はそう言って、セフィルの脇を擦り抜けようとする。それを許さずセフィルは魔物の前へ回り込む。


「貴方の毒に当てられた森の生き物のしたことでしょう。貴方にも関係あることだと思います」


 ジロリと睨まれたが、もうそれも怖くはなかった。セフィルは首をしゃんと立ててその魔物を見返す。そのセフィルを相手はしばし凝視し、それから静かに問うてきた。


「ならば私の持つ魔の毒をお前に与えたとしたら、お前は私に何を与えてくれると言うのだ?」


 セフィルを見下ろす魔物の瞳の奥には、読み切れない色が浮かんでいた。それは深い悲しみの色にも似ていた。


「…お金ですか?」


 与えられるような大金を持っている訳もなく、セフィルはおずおずと聞いてみる。が、魔物がそんな人間の俗物を欲しがるはずもなく、相手にもされなかった。


「生粋の魔の毒は我が身を切り裂くも同じ。おまえがそれを望むと言うなら、同じ痛みに耐えて、私に与えてくれるものでなければならない」


 言葉の意味を理解しかねるセフィルに、魔物は薄い笑みを浮かべる。


「我らが魔の物には決して持ち得ないもの。お前の背に生えるものを所望したい」

「…え…?」


 弱い月の光さえ透かしてしまい、影も落とさない薄い妖精の羽。セフィルの背からすらりと伸びるその羽の上に、魔物は目を止める。


「美しいものだ。妖の物はこれほどまでに美しい姿を持つ。闇を生きる我らとは至極異なるものよ」


 一歩後ずさるセフィルに、魔物はするりと、きぬ擦れの音さえたてることなく近づく。セフィルの表情に恐怖の色を見取ると、魔物は静かな口調で続ける。


「朝露とともに生を受けし妖の物、その魂の宿る羽を失いし時、再び朝の露にかえらん――  真に必要ならば、それさえも可能ではないのか?」


 答えられずにいるセフィルに、魔物は背を向ける。


「必要ならば、また来るがいい」


 そう言って、魔物は再び闇に消え行こうとする。


 今、この機会を逃すとエドガーはどうなるのか。自分を守ってくれたことよりも、はるかに深い思いがあった。自分はエドガーをどうしても助けたいのだ。絶対に引くことはできない真実だった。


 セフィルは闇に向かう魔物の背に、一歩足を踏み出した。



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