第5章 もう一度目覚めるまで ①

「ったく、どこまで行きゃ、出口に出られんだよっ」


 最後の一撃を小モンスターに与えて、サマードが舌打ちした。

 この森を抜けるのが次の町には近道だからと聞かされて、強行突破を図ろうとしたのだが、思った以上に森はモンスターが多かった。しかも微力な物が次から次へと出没しては、一行の行く手を阻んでくれたのだった。


「これじゃ、遠回りした方が早かったんじゃないかなぁ」


 この森抜けに最後まで反対していたマルスがポツリとつぶやく。勿論、一番に賛成したセフィルを気遣って、彼には聞こえないようにするのがマルスらしい心遣いだった。


「ここまで来たんだから、このまま突き進むしかないよなぁ」


 元来、後戻りなど考えもしないのだろう、セフィルが元気良くそう言った。その彼に、ため息をついたのはマルスだけではなかった。


「おめぇは馬鹿みてぇに元気だからそれでもいいかもしれねぇけど、普通の人間は疲れるんだぜ」


 自分も差ほど疲れている訳ではないが、後をついてくるリオンがそろそろバテ気味だった。


「おめぇにそんなこと言っても分かんねぇだろうけどな」

「なにぃ?」


 一触即発を寸前で止めたのは、エドガーだった。たった今モンスターを蹴散らした剣を二人の眼前に振り下ろす。


「こんな所で言い合っている暇があったら、もっと効率よくモンスターを撃退する方法でも考えろ」


 低い声でそう言うと、セフィルが素直に引き下がる。それを見てサマードは舌打ちしてそっぽを向く。


 気に入らない所は多々有るが、何が一番かと言うと、こんなふうに歴然として態度を変える所だった。初めから分かってはいたが、それでも非常に面白くなかった。


 こんな時はふと、思う。いつまでこんなことを続けていくのだろうかと。しかし何のかんのと、今が楽しいのは事実で、いくら仲たがいをしようとも、それでもたもとを分かたないのは、それが最大の理由だからだった。


 サマードはふて腐れて、ちらりとセフィルを横目で見やる。三秒前のことをもうすっかり忘れてしまったかのような彼に、また憎まれ口を叩いてしまいたくなった。


 と、その時、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。そう遠くはない、一行の進行方向だった。



   * * *



 悲鳴の聞こえた場所へ一番にたどり着いたのはサマードとセフィルの二人。そしてすぐにエドガーが追いついてきた。その彼らの目の前に現れたのは、これまでの小モンスターとは掛け離れた、体は人の倍はあろう程のモンスターだった。そのモンスターに、どこから迷い込んだのか、少女が一人追い詰められていた。


「こんなヤツがいたのかっ!」


 森に入ってからはモンスターが多かったとはいえ、どれも大した強さを持たない微弱な物ばかりだった。それと打って変わって、この目の前の奴はまるで怪物に見えた。その牙は人の腕など容易に食いちぎってしまいそうなほど鋭く、頑丈そうで、爪は太い幹さえ一撃で砕いてしまえそうな程だった。


 思わず後ずさるサマードの横から、素早くセフィルが飛び出して行こうとする。その腕をつかんで制止したのはエドガーだった。


「今のうちにここを通り抜ける」

「なっ!?」


 セフィルが大きく目を見開いて、エドガーを見やる。


「簡単に倒せる相手ではない。あの娘には悪いが、あいつに気付かれんうちに行くぞ」

「エドガーっ!」


 セフィルは掴まれていたエドガーの手を払いのける。


「目の前で人が襲われているのに知らん顔なんてできないっ」


 言うが早いか、あっと思った隙に、セフィルはその巨大なモンスターの前に飛び出して行った。

 そして少女を庇うかのように、その前に立つ。


「あのばかっ」


 つぶやいたサマードの横で、エドガーは腰に携えた剣に手をかけるが、そのまま躊躇したのか動きが止まる。


 その間にモンスターは、突然の闖入者に怒りを膨らませていた。

大きくひとつ吠えて、前足を振り上げた。相手を威嚇するその動作に、しかしセフィルは怯むことなど知らないように、剣を構える。その身の上に、モンスターは牙を剥いたまま鋭い爪を振り下ろす。セフィルは細身の剣で受け止め、なぎ払う。


 セフィルの後ろで動けないでいる少女は、そのまま逃げることも出来ないで小さくなったままだった。背後の少女を気にしながら、セフィルはその場所に防御の態勢を取ったまま、攻撃に出られない様子だった。このままではいずれセフィルも追い詰められるに違いない。サマードは怯む思いを奮い立たせ、腰の剣に手をかける。


 その時、サマードの横でエドガーが動いた。


 それは、すばしこいサマードよりもさらに素早い動きで、そのモンスターの身に剣を突き立てた。が、その剣はカーンという甲高い音とともにエドガーの後方へと弾き返された。モンスターの身は、剣が突き刺さらない程の堅い甲羅で覆われている様子だった。


 弾かれた剣を追ってエドガーは地面を蹴る。そのエドガーへモンスターは素早く目を走らせる。


「エドガーっ」


 セフィルが名を呼ぶ。


 再び剣を握り、エドガーはモンスターに向き直る。そのエドガーを横殴りにモンスターは腕を振り下ろす。飛びすさび、素早くよけるエドガー。モンスターの爪はエドガーの背後にあった巨木の幹を深くえぐり取る。


「何をしている、早く逃げろっ!」


 言われて、セフィルは背後の少女を振り返る。


「走れるかい?」


 しかし少女は首を縦には振れなかった。すっかり脅えて腰が立たなくなってしまった様子だった。


「馬鹿野郎、こんなのはな、引きずって行きゃ、いいんだよっ!」


 飛び込んできたサマードがそう叫んで、少女の腕を乱暴に掴みあげた。


「死にたくなかったら走れ!」


 怒鳴って、サマードは少女の腕を引く。半分泣きながら、少女はサマードに言われるままに駆け出した。


「お前も、来いっ」


 サマードに声をかけられてセフィルは、そのままついていこうとして、ふと立ち止まる。振り返るそこに、モンスターと対峙するエドガーの姿があった。


 サマードとのやり取りの一瞬の間にも、エドガーはモンスターに幾度か剣を突き立てていたが、その全てが相手を貫くことはおろか、かすり傷ひとつ与えることはできないでいたのだった。


 剣の通じないモンスターなのである。エドガーが最初に逃げようとした理由に、その時になって初めてセフィルは気が付いた。


「何をしている。お前も逃げろっ!」


 エドガーが怒鳴る。しかしセフィルはそれに従うつもりはなかった。


「エドガー、剣が通じないなら魔法を使うしかないよね」


 セフィルは小さく呪文を唱え、風の精霊を呼び出す。

小さな、小さな森の息吹に潜んでいたそれらは、呪文をつぶやく主の元にさわさわと集まり、柔らかに風を呼び起こす。そしてセフィルの命令に従って、風を刃に変えてモンスター目がけて繰り出した。


 いくつもの小さな刃は、エドガーの太刀ですら傷つけることはなかったその鋼鉄にも似た皮膚を切り裂いた。


「――!」


 悲痛な声を上げてモンスターが身をよじる。そして、魔法を繰り出したセフィルに、鈍く光る目を向けた。大きく口を開けて牙を剥き出すとともに、セフィルに襲いかかろうと身を翻した。その動きは大きな体に似合わずひどく敏捷で、あっと思った瞬間にセフィルの眼前にその爪が振り下ろされていた。とっさに、逃げられるだけの時間がないことを悟ったセフィルは、無駄と知りながらも受け身を取ろうとする。しかし、そのセフィルの身に降りかかってきたのはモンスターの爪ではなかった。


 モンスターの腕が振り下ろされるよりも一瞬先に、セフィルの視界を遮ったものがあった。


 見慣れた赤い髪がゆれた。少しだけ、アイスブルーの瞳が緩んだ気がした。


 その直後、身を引き裂く鈍い音と、生暖かい液体がセフィルの頬に飛び散った。


「エドガーっ!!


 エドガーの重い身体が、セフィルの腕の中に倒れかかる。それを受け止めて、エドガーの身から流れ出る血の赤にセフィルは全身が震えた。苦痛の声も上げずに、セフィルの腕の中に身を沈めるエドガーは、自分の名を呼ぶセフィルの声に少しだけ瞳を上げて、それからゆっくりまぶたを閉じた。


 傷口からとめどなく流れる生ぬるい血がセフィルの手のひらを濡らしていく。


 呆然とするセフィルの背後に、怒声が飛ぶ。


「お前も死にたいのかっ!早く逃げろっ!!


 サマードだった。その声に顔を上げるセフィルの目に、再び来るモンスターの攻撃。それを躱すということすら忘れてしまったように、セフィルはその場を動かなかった。


 サマードがそれを見て飛び出して行こうとする。が、それよりも早く、その脇から鋭い光の矢が突き抜けて行った。幾筋ものそれは、モンスターの巨体を容易く貫いて千々に引き裂き、あっと言う間に巨体のモンスターの息の根を止めた。


 何者の仕業かと振り返るサマードの目に映ったのは、淡い光を身に漂わせてそこに立つ、マルスの姿だった。


「セフィルッ!」


 マルスはサマードの横を擦り抜け、セフィルに駆け寄る。その身から、人ならぬモノの匂いがした気がした。



   * * *



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