第4章 弓の名手 ④

「あんた、わざと外したね」


 オリバーはセフィルの襟首を掴み上げる。セフィルは目を逸らせたまま答える。


「仕方ないよ。失敗は誰にでもあるから」


 嘘だとは知れていた。オリバーは苦々しげにセフィルを突き飛ばす。


「一人分の腕の一本でも切り落とさなきゃ分からないみたいね」

「?」


 驚きの表情を向けるセフィルに、オリバーはおかしそうに笑う。


「大丈夫、殺さないように治療は十分してあげるから。薬ならたくさんあるしね」


 そう言ってオリバーは、後方に控えていた男に声をかける。


「あんた達、どちらでもいいから、ひとり連れておいで」


 それから壁にかけてある大剣を手に取った。鞘から抜き放った刃は、夜の光に不気味にきらめく。


「やめろっ、あの二人に何かしたら許さない」


 セフィルはオリバーに飛びかかり、その剣を奪おうとする。が、上背のあるその手には届かず、逆にねじ伏せられる。


「威勢がいいわね。安心なさい、あんたは傷つけないから」

「くっそーっ」


 セフィルはもがこうとするが、かなわない。このきらびやかな外見のどこにそんなに力があるのか、オリバーは意外にも腕力に長けていた。


 そこへ引きずられるようにしてやってきたのはサマードだった。薬の効果がまだ続いているのか、どこかぼんやりした表情のままだった。


「サマードッ!」


 名を呼ぶと、うつろにセフィルを振り向く。

そのサマードを捕まえていた男に、オリバーは自分の手にしていた剣を放り投げる。くるりと大きく弧を描き、剣がその男の手に収められた。


「血なまぐさいのはあんたに任せるわ。どれでも一本、切り落としていいわよ。ただし、首だけはまだ繋いでおいてね」


 ぞっとする言葉が赤くルージュをひいた口から投げ出される。セフィルは背筋に悪寒が走るのを感じ、知らず、身震いする。

 大剣が振り上げられ、そして。


「やめろーっ!」


 悲鳴にも似たセフィルの声が引き金だった。


 テントの中を突風が吹き荒れた。それは人の体をも吹き飛ばす程のもの。オリバーは風に飛ばされ、床に叩きつけられた。


「何なのっ?」


 オリバーの紡ぎ出された声は、風の音にかき消される。振り上げられた大剣は男の手を離れ、天井を突き破り、高く舞い上がったかと思うと、そのまま急降下して、その男の頭上へと突き刺さった。吹き荒れる風に血飛沫が混ざりあう。

 突然の風に、何事かと顔を出す手下の男達も次々に吹き飛ばされていった。


 オリバーはその風の向こうに、ふらふらと立ち上がるセフィルを見た。まさに風の渦中に立っていた。その姿は、つい今し方までとは少しだけ身体が小さく見えたが、その背には吹き荒れる風さえ擦り抜けていくような、薄い羽が生えていた。


「あんた、まさか…」


 呟いたオリバーの言葉にセフィルがゆっくりと振り向いた。青い光を放つ瞳が、生ある者を否定する妖魔の輝きを宿していた。オリバーはその光に喉の奥が引きつった。


 ゆっくりとセフィルはオリバーに近づいてくる。それに合わせてオリバーは床を這うように後ずさる。


「来ないでよっ」


 しかし、声はセフィルには届いていないようだった。


「…許さない…」


 呟く声が漏れる。


「分かったから、もうしないから、許し…」


 が、オリバーの許しを請う言葉は最後までつづられることはなく、彼は最後の突風に吹き飛ばされ、テントを巻き込んで夜の闇の彼方へ飛んで行ってしまった。


 オリバーの姿の消えるのを見送って、セフィルはやっと我に返ったかのように、ガックリと膝をついた。


「まったく、本物のつむじ風だな」


 背後から聞こえた声にセフィルはゆっくり振り返る。そこには、背の高い赤毛の男が立っていた。腰に大剣を携えた出で立ちに、自分達を捜しにきてくれたのだと知る。


「エドガー…」


 安心したのと、今までの疲労とで、セフィルは全身の力が抜ける気がした。途端、前のめりに倒れそうになる。それを受け止める力強い腕を感じた。


「仕方ない奴だな。自分の体力ぐらい考えて、少しは加減をしろ」


 しかしその言葉は、半分もセフィルには届かなかった。そのままエドガーの腕を握り締めて、眠りに落ちていった。


 半月がその背中を、青く照らしていた。



   * * *



「で、そのカシラは逃がしちまったのかよ」


 二日酔いか薬の効果か、日が昇ってもズキズキする頭を抱えて、それでもサマードはセフィルに怒鳴った。


 結局、半眠又は熟睡の三人は、エドガーに背負われて宿屋まで戻ったのだった。


「ん、サマードの腕を切り落とそうとしたヤツは、ちょっと死んでもらったんだけど」


 けろりとして言うセフィルに、サマードは一歩引きそうだった。

 どちらにしても助かって良かったと、リオンが目の下に隈を作った顔で言って締めくくられた。


「でもセフィル、あんまりひょいひょい正体をさらして大丈夫なの?」

「えっ? オレ、何かした?」


 自覚は無いらしかった。脱力するマルスに笑いながら続けた。


「大丈夫、大丈夫。どーせこの町もすぐに出るし」


 その言葉に相変わらず能天気な野郎だと、横でサマードが呟いた。



   * * *



 翌日、セフィルの稼いだ賞金で支払いも割り増し料金もきっちり払い、一同は晴れて町の門を抜けた。


「また砂漠かよ」


 サマードの呟きを耳に、セフィルは空を仰ぐ。天気は上々だった。気持ちの良い朝の風に伸びをする。

そのセフィルの背を軽く叩いて後方から追いついてきた者。


「無理をするな。今度危なくなったら俺を呼べ」


 それだけ言って、背の高い影がセフィルの脇を抜けて前へ出る。赤い、燃えるような髪が陽光にまぶしかった。


 セフィルはその背中に、小さく微笑んで、歩きだした。





   第4章 ―完―

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